第40話 竜種とは
――ワイバーン。
正確には、この国で出るワイバーンは、ブラッティワイバーンという種類だ。血の様に赤黒い鱗から、その名前が付けられたらしい。
見た目は西洋竜であり、ドラゴンの頭、コウモリの翼、一対のワシの脚、蛇のような尾を持ったワイバーン種だ。
ブラッティワイバーンは竜種の中で下級竜に属される、竜の中では比較的弱い部類ではあるが、しかしそれは圧倒的な力を持つ竜種の中での話だ。
そもそも竜種とは、この世界でも特別な存在であり、その強さはどの童話でも語られる。一番強いとされる【原初の龍】は神を越えると言う話さえあるほどだ。
さすがにそんな極端なやつじゃないにしても、例えば上級竜なら一匹でいくつもの国を亡ぼすこともあり、中級竜でも小国なら潰すことが可能らしい。
じゃあ下級竜は? と言えば……それでもまずい。
下級竜と言えど、その強さはオークなどとは比べ物にならず、一つの都市なら壊滅、運が良くても大損害を与えられるだろう。
そして調べた限りこの防衛都市ズューデンは、防衛都市なんて名前がついているくせにずっと襲撃が無かったせいで碌な対策を執っておらず、防衛訓練も滅多に行われていない。
ブラッティーワイバーンを相手するには一匹に対し数百の兵でも厳しく、ちゃんとした道具が無ければ事実上不可能だ。
一応その道具、対大型モンスター用のバリスタはあるようだが……果たして平和ボケした怠慢兵にしっかり使えるのか、不安しかない。
もちろん、超越的な戦士を町が抱えていれば、ほぼ被害を出さずに抑え込むことが可能だ。
しかしその白兵戦においても厳しい。防衛都市ズューデンの一番レベルの高い騎士は41レベルでこの事態に対応するにはギリギリであり、魔法使いもダメージを与えられるだろう上級魔法を辛うじて使えるのが1~2人程度。
特殊な戦術を使えるような練度は無く、動員出来る兵は最近集めていた兵と常備兵を合わせてせいぜい500人。
それも当然全員出せるわけが無く、保身に走った貴族や商人が残すので、300人が限界か。
唯一の救いは敵の数は一匹なことだが、そもそも戦力差がでかすぎるのだから慰め程度にしかならない。
ハッキリ言って、奇跡が起きない限りこの都市は終わりだ。
前から大型のモンスターが出たと言っていたが、考えうる最悪のモンスターじゃないか。
「ゲン、ハイリ、メイレー、聞こえてるな?」
全員が動揺しかけたが、“危機に陥った時こそ冷静に、最善手を考えろ”という教えを何度も説いてきたのが功を奏したのか、パニックに陥ることなく冷静にこちらを向いてきた。
「聞いての通り、誤報じゃなければこの街にワイバーンが来ている。ワイバーンは、強い。今の俺でも敵わないだろう」
「ワイバーン、だもんね……。むしろ、私は勝てると言ったら本当にテラスが人間か疑ってたわ」
「え、テラスなら勝てるって言うと思ってた」
「そ、そんなに……強い……の…………?」
ハイリは何故かホッとした様な、ゲンは意外な事実に驚いたような、メイレーは絶望を見せられた人の顔をした。
ハイリの疑問はある意味正解だ。
ゲン、お前は俺をどう見てるんだ。
メイレーは、まあ強い俺しか想像できない環境だったろうし、仕方ないか。メイレーの中の世界で、一番強いのは俺になっているだろうからな。
「お前らが俺をどう見てるかは分かった。まあそれは置いといてだ。今回は戦わず、逃げるぞ。勝てないと思ったらすぐ逃げる。狩人の基本だな」
「そうね……逃げる場所はこのまま家でいいの?」
「ああ、あそこが一番安全な場所だ。今から北門へ逃げても混雑してるだろうし、兵士が居る場所へ行ったところで安全になるとは思えない」
「わかったわ。ゲンとメイレーもそれでいいわね?」
「うー、まあいいけどよ……俺が手も足も出ないテラスが勝てないってんじゃ、俺が何か出来るとは、思えないしな……」
「うん、わかった」
ゲンは若干英雄願望の様なものがあると思ってたんだが、あっさり引いたな。スラムの暮らしで何かを学んだのだろうか。
それが良い事か悪い事かまだ分からないが、少なくとも今駄々捏ねられるより助かる。
「さて、ならさっさと行くぞ。早ければ早いほど安全なんだからな」
そう言って、全員で走り始める。通る道は狭い路地裏だが勝手知ったる道だ、走るのにまったく問題とならない。
スイスイと進んでいき、南の区画の半ばを通り過ぎた頃、拡声の魔道具で大きくされたと思われる独特の声が聞こえてきた。
〈〈これより!! 我々選ばれし兵士団は! 忌まわしきモンスターであるワイバーンと戦う!!! 皆の者! 恐れるでない!! 我等が領主様は、この事態を予見し、画期的な策を講じている!〉〉
南門に集まっているという事は、ワイバーンは南から来るのか。
本来は《血竜山脈》のある西からの筈だが、おそらく“はぐれ”だからだろうな。
さて、領主はこの絶望的な状況で一体どんな策を講じたのかね。
……嫌な予感しかしないが。
〈〈難しい話ではない! この城壁に用意されたバリスタと! この事態の為に招集された優秀な魔法使い達によって忌まわしきワイバーンを叩くだけだ!!〉〉
……ん?
それでは策ではないだろう。対大型モンスター用の攻略として基本中の基本であり、少しでも学べる環境があるならまず最初に習う程だ。
……嫌な予感が強まる。
〈〈それではこちらが狙われ、撃沈してしまうと思っているか? しかーし! 英明なる領主様は、それを一挙に解決してくださった!! 皆の者! これを見ろ!!〉〉
――くそっ、ここからは家屋が邪魔で見えないか。仕方ない、最悪、爆弾や毒煙などで対処しようなどと考えている可能性がある。
その場合、風向きや使い方次第でこちらまで被害が来るかもしれない。
あまり近づきたくなかったが、確認はするべきだ。
「すまん、少し見に行ってくる。領主の秘策とやらが危ないものかもしれないからな」
「俺も行く!」
「私も行くわよ!」
「テラスから離れたくない!」
「お前等……」
どうするべきか。
無視してもいいし、無理矢理言い聞かせてもいいんだが、はたしてここで別れるのが最善手だろうか。
ワイバーンがどこまで迫っているか分からないし、こんな危険時にも関わらず暴れるような馬鹿はいる。最大戦力である俺が離れるより、一緒に行動した方が安全か?
それに、未だにメイレーは俺がいないと精神状態が安定せず、実力の三割も発揮できない。
半お荷物状態であるメイレーを連れてゲンとハイリは家まで行けるだろうか?
今は緊急時であり、どんな危険があるかも分からない。
そんな時、俺が居なくなったメイレーはどんな行動を執る? 指示を守って家まで行くか?
否。
俺の事を心配して隠れてついてくる可能性の方が高い。さっきワイバーンは俺より強いと言ってしまったからな。
そうなればバラバラになり、そのメイレーを探してゲンとハイリが動き回り、危険度が大きく増す。それだけは絶対に避けたい。
置いていくのも連れていくのも危険だが、連れていく方がまだ安全か。
「わかった。隠密行動の基本的な事は前に教えたな? 出来るだけそれを意識しながら付いてこい」
「「はい!」」「おう!」
三人を連れ、ルートを変えて街の最南へと向かう。そこの城壁に兵士たちは集まっているようだ。
元々南地区に居て距離が近めだったこともあり、大体200メートルぐらい南へと進んだとき、兵士たちの後ろ姿が見え始めた。
俺は三人に指示を出し、見つからないよう家屋の屋根へと昇る。
昇りきったら三角屋根の傾斜を利用して、匍匐前進をしながら上る。
当然立つと見つかってしまうので、そこを気を付けるように指示を出し、全員が屋根の頂点へとたどり着いた。
出来るだけ黒い屋根を選んだので、全員が来ている黒いローブの色と同化し見えにくいはずだ。
体を傾斜で隠し、頭半分だけ出すようにして兵士たちを窺った。
そこで見たモノは――――――
〈〈コレらを利用してワイバーンを引き寄せ、我等は一方的に攻撃を行うのだ!! 怯むな! 天の光は我らにあり!!!!〉〉
「「「「「うおおおおおおおおお!!!!」」」」」
そこにあったのは――――――大勢の獣人奴隷だった――――――。
◇ ◇ ◇
「もういやだ……帰らせてよぉ……」
「ごめんなさい!! あやまるから! お願い助けて!」
「子供だけでいいんです! 助けてください!!」
「ふざけんなよ人間! こんなこと許されると思っているのか!」
「なんだよ……あれ……」
俺――ゲーゲン=アングリフは、目の前の光景を見て、そう呟いた。
目の前に写っているのは、手枷をされた獣人奴隷たち。それも、数えきれないほど、たくさん、だ。
あんなの数えきれないし、どれぐらいいるのかわかんねぇけど、集まってる兵士と同じくらいいると思う。
奴隷と一緒に戦うのか……?
「クソッ……胸糞悪い。肉壁にするつもりか……」
「にくかべ? ど、どういうことだよ、テラス……」
テラスが嫌な虫を見たような、苦いものを食べたような顔をしている。
にしても、にくかべって、どういうことだ?
「簡単だ。あそこに集まっている奴隷たちを囮……直接的に言えば、ワイバーンのエサとして前に置き、戦おうとしてるんだ」
「な! そんなふざけた――!」
「静かにしろ! ……最悪だが実際有効な手ではある。ワイバーンが一匹で来るってことはつまり“はぐれ”だ。はぐれワイバーンは群が所有する大きな狩場を使用できない。追い出されているからな。
そうなると、餌が足りなくて下、つまり街まで下りてくることがあるんだ。これは本来滅多にないんだがな」
テラスは声を潜めながら、説明を続ける。
「ようするに、今来てるワイバーンは十中八九腹ペコなんだよ。ワイバーンにとっても人間の街を襲うのは危険なんだから、余程腹が空いてないと下りてこないはずだ。
それに、もうすぐ冬本番だ。ワイバーンは冬眠しないが、それでも他の動物達は冬眠して隠れ、あまり食事が出来なくなる。そうなると、ワイバーンも冬のほとんどを寝て過ごしてお腹が空かない様にするんだ」
そこで一旦テラスは息継ぎをして、言った。
「つまり……ワイバーンが冬に寝て過ごしても生きられるぐらいの、大量のエサを用意してやればいい。そうすれば、戦いになっても相手は既に目的を達成しているんだから、すぐに撤退するだろう。勝っても負けても町はあまり破壊されない、確かにうまい手だよ。クソッたれだがな!」
そんな……そんなのただの生贄じゃねぇか!!!
俺は胸がギリギリと痛むような気持になり、まるで腸が煮えくり返ったような気分になる。
だが、肩にはテラスの手が添えられていて、冷静になれ、と呼びかけてきていた。
そうだろう、言われなくてもわかる。――今の俺には、何も出来ないのだ。
「……嫌かもしれないが、逃げるぞ。俺達に危険はないことは分かったんだ。俺達に出来ることは無い。いいな?」
「グッ…………クソッ! ……ああ、分かった」
「うん、わかった」
俺とメイレーが返事をした。
メイレーは何とも無いようだ。昔いじめられていたみたいだし、仕方ねぇか。
俺は滅茶苦茶ムカつくが…………俺が一番にするべきことはハイリを守ることだ。
テラスからも、何が一番大切か、大事な時に迷わないようにしろって、耳にタコが出来そうなぐらい言われた。もし今、何においてもまずハイリを助けるっていう意志を固めておかなかったら、飛び出していたかもしれない。
冷静にだ。
いつもテラスが言っていることだ。
「ふぅ……ふぅ……よしっ、良いぞ、テラス」
「ああ、じゃあ行く――……おい、ハイリ?」
「あ、あ、あ、あ、あそこ、に、いるの……………お、とう、さま、だ…………」
「なんだって!?」
どこだ!? 確かハイリの父親も白猫人族の筈だ! …………あれか!
俺が見つけたのはシブい感じのおっさんだった。ハイリの目線もそいつに向いており、周りに他の白猫人族がいないことから間違いないだろう。
引き締まった体と精悍な顔立ちは、どこかやつれたようにも見える。
どうする!?
助けに行くか!?
だが、この大勢の兵士の前で助けに行けるのか!?
〈〈これより! 作戦を開始する!! 開門せよ!!!!〉〉
「「「「「うおぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」」
隊長と思われる騎士が高らかに宣言し、南の門が開かれる。
もうすぐワイバーンは来るのだろう。
今すぐに家に行かないと危ない。
テラスもそう思っているのだろう。周りが騒がしくなったのと合わせて、大声でハイリを急かす。
だが、ハイリは顔を真っ青にしてカタカタと震え、とうさまが、とうさまがと繰り返すだけで動かない。
こんなハイリは初めて見る。
こんなに混乱したハイリは見た事が無い。
こんな、こんな冷静じゃないハイリは――。
「ゲンも状況に流されるんじゃない! ゲン! 分かると思うが、助ける事なんて出来ない! ワイバーンと兵士達を掻い潜って救出など不可能だ!! ハイリはお前が担げ!! 逃げるぞ!!」
「ぅうぅうう!! ググ……分かった!! 行ってやる!!」
湧き上がってくる激情を唇を噛んで黙らせて、決心する。
俺も強くなったんだ、ハイリを担いで走ることなんてまったく問題ない。
俺がハイリを担いで、家に逃げないと!
「いやぁああああああああ!!! 父様! とうさま!! とうさまぁああああああ!!!」
「落ち着けハイリ!!!」
「チッ! 仕方ないか!」
テラスはこちらにやってきて、ハイリの口元に魔法陣を展開する。
魔法陣の色が紫色だ、初めて見る気がする。
しばらく展開すると、暴れていたハイリがすうっと大人しくなった。
「は、ハイリは!?」
「悪いが眠らせた! 害はないしそんなに長時間効果は無い! 行くぞ!!」
「わ、わかった!!」
そうやって、俺達はこの場を後にしようと……したんだ。
ドッゴォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!!!!!
耳が吹き飛ぶような破砕音。一瞬意識が飛んだような気もして、その場に転んでしまう。
周りからはガガンッ! ゴンッ! っと何かがぶつかる様な音がたくさん聞こえてくる。
咄嗟に庇ったハイリは俺の下に寝転がっているが、どうやら無事みたいだ。
一体何が起きたんだと、門の方を見てみると…………。
血走った眼をして、血の様な鱗を持って、全身を血で濡らした、ブラッティワイバーンが居た。




