第28話 忌みなる狐の少女
まだ日も昇りきっていない、肌寒さを感じる昼頃。
俺は、椅子に座った狐の少女と向き合っていた。
改めて狐の少女を観察する。
顔は以前確認した通り可愛らしく、だが様々な意味でボロボロだ。その目は変わらず赤く、そして虚空を見ている。
体は簡単に折れそうなほどにやせ細っており、身長は俺と同程度。
狐獣人の特徴である尻尾と耳は、耳はしな垂れて弱弱しく、九尾という割に一本しかない尻尾は力なく伏せていた。
……まずは、話を出来るような状況から作らねばならないだろう。
手始めにまるで人形のように何もしない彼女に対し、何か反応しないか試みてみる。
「……俺の声、聞こえるか?」
「……」
「俺の名前はテラスという。お前の名前は?」
「……」
反応が無い。
おそらく精神が死にかけているために、外からの信号をキャッチできるような状態じゃないのだろう。心を閉ざすことによって自己を保持しようとしているか。
デリケートな問題故、慎重に事を進めるべきだろうが……こういう問題は、すぐにどうにかなるようなものではない。
本気でこの娘の精神を助けようという心算ならば、それこそ数か月、数年単位でカウンセリングに及ばなければならないだろう。
どんな理由でこんな死んだ眼になっているかは分からないが、傷ついたという“過去”がある限り、御伽噺のようにすんなり回復なんてしないのだ。
だが、俺にはそんな時間なんてありはしない。
そもそも、俺はこいつを助けるために買ったわけじゃないのだ。故に、俺はこいつの為のカウンセリングではなく、俺の為のカウンセリングをする。
失敗のリスクをあえて無視し、急ぐかのごとく話を進めていくのだ。
俺はゆっくりと…………壊れ物を扱うように、狐娘の手を取る。
俺の両手で相手の両手をしっかりと包み、そして……もう一度優しく呼びかける。
「俺の声は、聞こえているか」
「…………ぅ」
初めての、こちらを認識した反応。
手を取り呼びかけるという行為は、相手の心をこちらへ向けさせる効果がある。もちろんこれでも反応しない場合はあるが、今回は何とか反応してくれたようだ。
実は少し反則気味ではあるが、手を握ったタイミングで椅子の裏に魔法陣を展開し、バレないように回復魔法をかけている。
栄養が足りてないために治癒効果は薄いだろうが、それでも体がぽかぽかしてリラックスできるような、まるで親に抱かれているような安心感を与えることが出来ている筈だ。
そういう風に魔法を調整したからな。難しかったが、意外と出来るものだ。
相手の心を表に出すために、ゆっくり、ゆっくりと語り掛ける。
「俺の名前は、テラス。」
「……ぅ?」
「名前、テラス、だ」
「て…………ら……す……?」
「そうだ、テラスだ」
よし、まずは第一段階突破だ。まずはこちらを認識してもらわないと話にならないからな。
ここから、すこし性急に話を進めていく。
下手をすれば“何か”を思い出し、発狂する可能性すらあるが、躊躇うことなく質問する。
「お前の、名前は、なんだ?」
「な……まえ……?」
「そうだ、名前だ」
「なまえ……わから……ない……みんな……いろいろ……よぶ……」
「……なら、親は、なんて呼んでいた?」
さっきから俺の質問は、ハッキリ言って人の心に土足で踏み込むような質問ばかりだろう。ステータスを見て名前がおかしいことを分かっているのに、あえて質問するのだから。
今更だが、この狐娘が言葉を理解してくれていて助かる。予想されるいくつかの境遇から、言葉を理解できない可能性もあったからな。
その理解がどの程度かは分からないが、理解力ゼロではないだけ十分だ。
「かあ……さまは……ばけ……もの、とか…………い……みこ……って……」
「……そうか、父は……?」
「いない……」
「………………なら、俺が名前を、付けてもいいか?」
「……?」
「バケモノや忌み子は名前ではない。だから、俺はお前をそう呼ばない。だが名前が無いというのはこの先不便だ。だから、俺がつけてもいいか? と、聞いているんだ」
「……うん」
うむむ……言葉が長すぎたのか、名前という概念がきちんと分かっていないのか、半分ぐらいしか理解できていない雰囲気だな。
だが、ある意味好都合ではあるか。
名前とは一生ついてくる、言わば自分そのもの。この世界でも変わらず名前は特別で、重要なものだ。
それをつけるという行為は、正しく見えない鎖で繋ぐ様な行為、と言える。
そんな重要な事の許可を貰えたのだ、今はよしとしておこう。
ここまでの会話は基本的に予想範囲内。むしろ最悪よりマシであるともいえるだろう。
途中段階で発狂する可能性もシミュレーションしていたしな。
予想範囲内だからこそ、一応名前は考えていた。
「なら、今日からお前の名前は メイレー だ」
「めい……れー……」
「ああ、メイレーだ」
「なまえ……めいれー……わかった」
「よし、いいこだ」
そう言いながら慎重に手を頭に持っていき、撫でる。
途中、ピクリと体が強張ったようだが、拒否反応の様なものはそれだけだった。上から殴られた経験が酷いとここから発狂に繋がるから、穏やかに撫でつつも内心は冷や冷やものだ。
だがその甲斐もあり、“あなたはわたしの庇護下にありますよ”という意味でもある、頭をなでるという行為もゲットした。
弱った心に必要な庇護、それを与える対象が俺だと認識させるための大切な行為だ。
嫌がっているそぶりは無いし、これからも積極的にして行こう。
「よし、とりあえず、水を飲もう。喉が渇いて喋りにくいだろう」
置いてある木製のコップに魔法で水を集め、飲めるようにする。冷たいと胃がビックリしてしまうかも知れないから、少し火魔法で温めておく。
暖かめのぬるま湯が出来たら、それをスッと差し出す。
「ゆっくり、飲むんだぞ」
「……ん、……んく、んく、んくっ、……ふぅ……」
「……飲んだか。よし、じゃあ話の続きをする」
さて、ここからはある意味悪質な交渉の手口。下げて上げる、詐欺の手口だ。
「お前……いや、メイレーは、さっき奴隷牢に居た時、殺されるところだった。それは知っているか?」
「……うん、……みんな、おまえは、いらないって。しんでしまえ、って。そのほうがいい、って……」
「そう、メイレーに会った人たちは言ったのか」
「……だれも、お前を、望んで、いないって。里でも、あそこでも」
「…………そうか……。だが、俺は、お前を望んだ」
「……?」
「確かに、メイレーの会った人たちは、メイレーがいることを望んでいなかったのかもしれない。だが、俺は、テラスは、お前が欲しいと思った。お前が生きていることを望んだ」
「……どう……して……?」
――そんなの、決まっている。
「お前の“力”が欲しいと、思ったのさ」
この言葉がどれだけ重いモノか分かっていて、この言葉がどれだけの意味を持つかを分かっていて。
この言葉がどれだけ、この娘の人生を狂わせるものだと分かっていて。
それを喋る俺は、つまりは、愚か者なのだろう。
「俺には最大の目的がある。そのために俺は、力を手に入れる必要がある」
「ちから……」
「そして今、お前は俺の一番欲している力を持っているんだ」
メイレーの眼が、俺の眼を覗く。
その眼は、もう死んだ眼ではなく、一縷の希望を見つけた、生きる者の眼だった。
未来を、見つけたからだ。例えそれが、砂上の楼閣のような脆いものだとしても。
「そんなものが、わたしに、あるの……?」
「ああ」
「てらすは、そのちからが必要なの……?」
「ああ」
「わたしは、いきていいの……?」
「ああ」
「わたしは…………」
「大丈夫だ……もう、何も心配することはない」
「っぁぅ……ぅぅぅううう……うううううう……ぃっぐっ……ヒッグッ……」
押し殺すように泣くメイレーを、優しく、温かく、抱きしめる。
抱きしめたことによってさらに堰を切ったように嗚咽が漏れ、呼吸が乱れていく。
俺は、メイレーが少しでも安心できるようにほんの少しの慈愛の心と……そして、俺の目的に従うように、打算のココロを持って、メイレーの背中をさすり続けた…………。
まるで縋らせようとしているような、依存を促す言葉。
周りの辛辣さを教える、言葉。
そして……力に執着させるような、言葉。
確かに短時間で生きる希望を与えてはいるが、これは正解ではないだろう。
崩れてしまえば、一瞬ですべて元に戻るような……いや今度こそ、精神的な死を迎えてしまうだろう、危うさ。
だが、それをわかっていようと、
俺は、止まることなど、しない。




