第17話 はじめてのひとごろし
――――夜中。
目を開けても暗いままの視界に違和感を覚える。
なんだっけ……あれ……? 動けない……? と思考するうちに、フラッシュバックするように寝る前までの状況を思い出した。
気が抜けなかった旅路とオーク戦の疲れからぐっすりと眠り、うっかり気が緩んでいたようだ。
寝起きでボーっとするなどやってはいけない。これから先はサバイバルな環境で生きていくだろうから、出来るだけ早く、そしてすぐ覚醒する癖を付ける必要があるのだ。
倒れていた体を捻って起こし体操座りの体勢になった後、周囲を見回す。
どうやら既に馬車は歩みを止めているようで、体ごと持っていかれるような振動は消えていた。焚火のパチパチする音と、その付近の話し声から予測するにそこに男が二人いるようだ。
見張り番をしているのだろう、今は手下Aと手下Bがしているみたいだ。馬車の檻には布などかけられていないため、鉄格子から周囲の状況がよく分かる。その分、寒くなり始めの冷たい風がよく通り、凍えそうだ。
体の調子としては、体が冷えていること、脱水症状なりかけ、寝違えたような筋肉痛ぐらいだろうか。
とりあえず筋肉痛などの体の痛みは回復魔法で治して、逃げ出せるように万全の状態にしておく。
さて、いかにして逃げ出そうか。
縄ぐらいなら魔法で簡単に解ける。
問題はやはり鉄格子だ。現状、瞬時に鉄格子を破るのは非常に困難である。
時間がかかると、周りから何をしているか丸わかりの檻ではモロバレだ。檻の中から応戦するにしても、敵が全員起きて来て檻の外から集中狙いされたらさすがに厳しいものがあるだろう。
やはり出来るだけ手早く破壊して脱出したいのだが……、魔法は威力が相変わらず初級の範囲内だから無理だ。
魔法攻撃による破壊では威力が足りず、さらに俺の土魔法では製錬されている金属をどうこうすることは出来ない。
剣術もさっきも言った通り武器がないから不可能…………だと思う。
実際に試してないからどこまで剣術スキルが適用されるか分からないが、失敗したら音でバレるだろうし手刀剣術も却下だ。実際の所、鉄格子を切れるかどうかは剣があったとしても怪しいところだが。
あとは可能性があるとすれば【闘気】なのだが……、
「すぅぅぅぅぅぅ…………ひゅぅぅぅぅ…………っっふ!!!」
オーク戦の要領で【闘気】を展開しようとするも、途中で気が霧散してしまった。
はぁ……だめか。
一度いければ後は何度でも使えるのかと思ったが、世の中そんなに甘くはないらしい。火事場の馬鹿力で出来ただけであって、平常時の俺にはそんなこと出来ないようだった。
【闘気】が使えれば今後かなり楽になると思ったんだがなぁ。
……手詰まりのように感じてしまうが、一応最終手段はある。
俺が大きな声で呻き、出血するのだ。
ただ痛いと言うだけなら無視されるかもしれない。しかし、もし大事な商品が失血死されては困るだろうから、血を流せば無視はできないだろう。
血止めするために近寄ってきたところを一網打尽、という作戦だ。失血はなかなか回復魔法が効かないし、回復しても何故か少しフラフラするから出来れば使いたくなかった手段なんだがな……。
あちらから扉を開けるのだから多少は警戒も強めてしまうだろうし、賭けになるだろう。
仕方なく、腹を括っていざ行動開始と思ったとき、見張りをしていた盗賊達からこんな声が上がった。
「それにしても、今夜は少々冷え込みやすね。何かあったまる方法は無いんでやしょうか」
「……てめぇのソレ。前から思ってたんだが、その似非敬語はなんなんだ?」
「あ、これはもちろん強い奴や金持ちが嫌な気分にならないようにするためでやすよ。オイラはしたたかに生きたいんで、親分に取り入れさせてもらってるんでさぁ」
「ああ、確かにてめぇ、すげぇぐらい親分を持ち上げてたなぁ。まあそれで気に入られてんだからうまくいってるってぇことか。オレもやった方がいいのかねぇ……」
「やめといたほうがいいでやすよ。おまえがしたら失敗しそうでやす」
「まあそうだな。それにかてぇ言葉なんて使いづらくてめんどくせぇし。……それにしてもさみぃな」
「話戻るんでやすね……。うーん……、そうだ!」
「おお、なんかあるのか?」
「寒い時は、食事かお湯か毛布か…………女と相場が決まってるでやす」
そういって手下Aは、誰が見ても同じ感想を抱くんじゃないかという見事な小悪党面を浮かべた。手下Bはそれに対し、とてもいやらしい笑みを浮かべて賛同し、こっちの檻へと向かってくる。
興奮気味にニヤニヤしながら、手下Bが尋ねる。
「大丈夫か? 親分に怒鳴り散らされるのはごめんだぞ?」
「大丈夫でやすよ。あいつらどうやら家族の様で、亜人の女は母親のようでやす。処女じゃないなら、ヤっても商品価値はそう変わりやせんよ。親分にはオイラから取り成しておきやす。一つ貸しでやすよ?」
「わかったよ。んで、どうするよ? 見張りはいるだろ?」
「あーそうでやしたね。お先、させていただきやす」
「てめぇ……、まあいいか。さっさと終わらせろよ?」
「もちろんでやすよ!」
まるで当たり前の日常であると言わんばかりの二人に吐き気を覚える。
こっちへと来た手下Aを謀るため寝たふりをしながら、俺はしかし、と思う。
手下A! お前はどうしてそんなに都合がいい奴なんだ!
寝る前に、街まであとどれぐらいの距離なのかを知りたいと思った時も、この手下Aがサッと聞いてくれた。
そして今、鉄格子を開ける方法が無いと思えば、鍵を使って開けようとしてくれている!
全員手足を縛られているから襲われる心配をしていないのだろう。本人はただの欲望から動いているだけだろうが、そんなことが些細に見えてくるほどのファインプレーっぷりだった。
敬意を表して、今度からこいつのことは手下Aではなく、語尾が印象的だからヤスと呼ぼう。
そんなくだらない事を考えているうちに、ヤスは錠前を外し檻の中へと入ってきた。手下Bは逃げられないように檻の扉の前に立っている。
なるほど、見張りとは外の見張りではなく商品の見張りのことだったらしい。縛られていると言っても、何するか分かったものじゃないからな。事実、俺は反撃するわけだし。
これでは姿をくらまして逃げるのは難しいな……なら、殺すしかないだろう。
元々、復讐のために始めた旅だ、こんなところでウジウジするつもりは毛頭無い。
俺はこれから起こるであろう悲劇に乱入し、人を殺す為の覚悟を決めるのだった……。
◇ ◇ ◇
ヤスは、寝ている女獣人に近づき髪を思いっきり引っ張った。
「ひっ!」
女獣人は、疲れで寝ていたところにいきなり痛みが襲ったため、わけもわからず短い悲鳴を上げる。思わず漏れたのであろう女獣人の声に、ヤスは無慈悲に顔をはたくことで答えた。
パァン!!
「黙るんでやすよ。いいでやすね?」
「い……いやぁ…………」
女獣人は、今の平手と言葉で自分がどんな目に合うか分かってしまったのか、まるで子供の様に泣く。
痕が残ればいい値段で売れないという事を恐れたのか、音の割に打撃としては強くは無かったが、それでも女獣人の心を折るには十分だった。
妙齢の女性とわかる顔立ちの女獣人が、哀れに泣き続ける姿にヤスは満足する。
「亜人は黙って人間様に使われればいいんでやすよ」
「貴様ぁ!!!」
いつから起きていたのか、獣人の中で年長に見える、話からして父親だと思われる青年獣人が激怒する。
だが、手足を縛られている状況では何もできず、その青年獣人は頭を殴られた。
女獣人と違って手加減の無い、相手を傷つけることを念頭に置いたその拳には、若干の血が付くほどであった。
倒れこむその獣人に対し、ヤスはまだ発散しきれないのか怒鳴り声を上げる。
「うるさいんでやすよ! この女を殺しやすよ!?」
ヤスは、余計な邪魔が入ったことに怒りの感情を露わにする。女獣人の髪を引っ張り、彼女はさらに喉を傷めるような悲鳴を上げた。
「い”っあ”あ”うぐぅ!!!!」
「「お母さん!!」」
若い方の青年獣人と子供獣人が同時に女獣人に対して心配の声を上げる。
この喧騒の中眠りから起きたらしい。既に子供獣人は泣いており、若い青年獣人は憎悪と悔しさを表情から滲ませている。
今すぐにでも助けてやりたい、今すぐにでも母さんを引っ張ってるやつを殺してやりたい。
青年からはそんな感情が窺えるが、当然手足を縛られているため呼びかけるだけしかできない。
そして、子供獣人は目の前の否定したい現実にただ泣き叫ぶ。
「そうでやす。亜人の女は黙って人間に犯されてればいいんでやすよ」
ヤスは満足そうに言って、行為に及ぼうとした。
悲しさ、怒り、憎悪、殺意。
そんな獣人たちから感じられる感情はやがて、何もできない自分への悔しさ、無力さ、絶望へと変わっていく。
若い青年獣人は、狂ったように叫ぶ。
「あぁあああああああああああ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!!!」
理不尽。
希望の無い光景が、そこにあった。
「ちょっとうるさいでやす!! これ以上騒いだら親分が起きるかもしれないでやす!! チッ! ちょっと、お前も手伝ってくれでやす! こいつらの口塞ぐでやすよ!」
そういってヤスは女獣人を放り、隅に積まれている布へと進む。
まったく、こんな風になるなら最初から口を塞いでおけばよかった、と愚痴をこぼしながら猿轡用の布を手に取る。
そして、そこでようやく異変に気付く。
なぜあいつは返事をしないんだ? 拒否するにしても返事の一つくらいするはずだ。
いや、それよりも、そんなことよりも
なぜ、急に静かになった?
「ヒュゥゥッ…………ヒュゥゥッ…………ゴポォェ…………」
ドチャ…………。
ピチ……ピチャ……ピチャ……ピチャ…………。
背後から聞こえる、今にも息絶えそうな呼吸音と、粘着質な、そう、まるで血が大量に出た時のような。
鉄の臭い。
寒気。
脳が、体が、本能が、危険だと警鐘を鳴らしている。
ガチガチと噛みあわない歯の根に、震え続ける手、だがそれでもヤスは振り向くことを止められなかった。
ヤスは、見る。
自分が今まで話していた仲間は、喉に何かを刺され、叫ぶことも出来ずに白目を剥いて息絶えていた。
そしてそのそばに、見た。
とてもとてもキレイな血に染まる、黒と銀を。
ソレは言う。
「よかったよ。お前達が、俺の殺意を昂ぶらせる外道で……。おかげで、気兼ねなく殺せそうだ」
ヤスは己の死を視た。




