第15話 オークとの決着
呼吸を整え、オークが突っ込んでくるのを静かに待つ。
――チャンスは一回。
斧に纏っている【闘気】は気を抜けば今にも消えてしまいそうだ。少しでも集中力を欠けばいとも簡単に霧散してしまうだろう。
ある魔法を使っているため、体も長くは持たない……。
何より殴られたダメージで目が霞んでぼやけてしまっているし、今にも気絶しそうなほど意識が朦朧としている。
それでも現状を打破すべく立ち向かうために、歯を食いしばって意識を覚醒させ、迫りくるオークに視線を固定する。
オークは途中まで駆け足で寄ってきていたが、こちらが逃げないと分かるとすぐに速度を落とし、ゆっくりと歩いてきた。ヤクザの様な威圧的な歩き方をしていて……相変わらず俺を脅して遊びたいらしい。
致命傷ではないとはいえ、胸に小さな穴が空いてしまっているにもかかわらず気にしない所を見ると、未だ興奮状態は収まっていないようだった。
しかし、俺にとって肝心のその穴はすでに血が止まっていて、動きもあまり阻害しているように見えない。相手のダメージは当てにせず、万全の状態であると仮定して気を引き締めていくべきだろう。
「グゥウ!!! ンゴ!! ンゴォォォォオォ!!!!」
オークがあと一歩で密着するという所まで歩いて来て、そこで立ち止まり右手に持った折れた剣を上から降り下ろしてくる。
あまりにもわかりきった動作ではあるが、本来素早く動けない怪我を負っている俺に対しては十分だと言えるだろう。
折れた剣とはいえオークの力で切られれば、俺の腕一本程度たやすく叩き切られてしまう。パワーも申し分ない。
だが、俺はその斬撃を見極め紙一重に避け、転がるようにオークの後ろへと回った。
オークもそれを追いかけるように、下ろした剣を強引に横に向け、半回転切りを行った。
振り回した剣からビュンッ! という風切音が出て、俺が回った後ろの位置まで振り切られるが………………そこにはすでに、俺はいない。
俺は並列思考をフルに使って、ある魔法を使っていた。
だが使った魔法は特に特殊なものではなく、ただの身体強化魔法だ。
しかし、それを全力全開で、そして四重に、身体強化魔法を使ったのだ。戦いと闘気の維持に使っている思考の一つを除いた、すべての並列思考を使ったからこそできる方法だ。
もちろん、身体強化魔法を過度にかければ、それは体の許容限界を超えるドーピングに等しい。
そんなことをして体が無事に済むはずがなく、だからこそ、まだ体の動く一回しかチャンスがないのだ。
その身体能力を使えば――――。
オークが剣を振りぬいた先にはただの地面しかなく、はて? と疑問に浮かべ奴はキョロキョロしている。
消えた俺はどこに行ったかというと…………無理矢理上げられた身体能力にモノを言わせ、オークの上空へとジャンプしていたのだ。自分の体重を超えていると思われる斧を持ちながら、数メートル上にある木の枝まで跳ぶ。
その枝の上には乗らない。枝に到達する前に、体を宙返りのようにクルリと半回転させ、逆さになって枝の下を踏みつける!
狙うはもちろんオークの頭、踏みつけた枝が大きく揺れたことによって奴は上を向こうとしたが、もう遅い。
ここまではうまくいっている。
しかし、ここでまた威力が足りないなどという展開になられては、体の負傷によってもう同じことを出来ないために、確実に死んでしまうだろう。
なればこそ、最後の仕上げとして、母さんと共に編み出した技を使う!
俺はグググ……っとしなった木の枝の反動を利用し、まるで大砲のような速度で打ち出された。
そこで俺は跳ぶときに、木の枝につま先を強く打ち付けた。それによって残像が見えるほどの高速縦回転をしながらオークへと跳んでいく!
姿勢を保つために体を丸め、そこから斧だけを外に出すことによって、まるで球体から斧が飛び出しているかのようになる。
ピンボール、もしくはパチンコの様に打ち出された俺をオークは見つけたが、既に下ろしている剣を持ち上げてガードするような時間はない!
「はぁぁあああああ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!」
ビュンッ!!
オークに衝突する寸前、あらん限りの力を振り絞り、高速回転にさらに腕の加速を上乗せする。
そうして繰り出された一撃は鉄をも粉砕する破壊力を持ってオークの脳天を穿つ!
ガギィッッ!!! プッシュゥゥウウウウゥゥ………………。
まるで手が無くなったのではないかというほどの衝撃と痺れが伝わり、遅れて硬い頭を切り砕いた感覚がオークの頭に埋まった斧から伝わってきた。
オークは死の絶叫を上げる暇もなく、体の動きを統制する脳が破壊されたことにより息絶えた……。
ドサッ、という音と共に俺とオークは地面に投げ出される。その衝撃によって集中力が切れ、【闘気】、【四重身体強化】、【思考加速】、【並列思考】の効果が消えてしまった。
呆然と辺りを見まわせば、オークが張り倒した木々や、抉られた地面、飛び散った血が広がっており、如何に今の戦闘が激しいものだったかを語っていた。
「――っぁ! …………勝……った! 俺は、勝てたんだ…………!」
胸に浮かぶ、小躍りしたくなるような勝利に対する喜びと、もう何もしたくないような疲れによる安堵が、ごっちゃになって浮かんでくる。
だが――――そんな余韻は与えないとばかりに、【四重身体強化】による反動で引き裂かれるような激痛が走った。
「――――――――ぁぁぁあああああああああああァアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」
まるで神経が直接焼かれるような痛みに断末魔の叫びを上げる。
死の叫び声すらあげられなかったオークの代わりを果たすように上げられる絶叫は、木々の乱立する森中に響き渡る獣の咆哮だった。
急いで体に回復魔法を使い、痛みを和らげようとする。しかし、使っている間にほんの少しだけ痛みが和らぐものの、それ以上は治ることはなく、損傷事態は抑えられない。
それも当然だ。
【四重身体強化】の反動は、肉体だけではなく【気】にまで大きな負担をかけるのだ。
【気】とは常に体を巡っているものであり、身体に密接に関わる重要な要素である。
【気】強くなれば体は強くなり、逆に【気】が弱まれば体は弱くなる。
そして……【気】酷く傷つけば、体は大きく不具合を起こし、激痛が走るのだ。
回復魔法とは、体力までも回復するため、長時間戦闘において要のような存在である。
だが、その本質は
【気】に合わせ正常に稼働しようとする肉体に手助けをする
ということである。
つまり、【気】が傷ついてしまえば前提が崩れ、もはや自然回復に身を任せるしか治癒方法がなくなってしまうのだ……。
回復魔法が無駄だと悟った俺は、どうにかしてこの場を離れようとする。血の臭いに誘われ、空腹に飢えた獣が近寄ってくる可能性があるからだ。
今、何かに襲われれば、あの一瞬で倒した兎にすら負けてしまうだろう。
懸命に足を動かそうとするものの…………ボロボロになった体はいう事を聞かず、次第にどんどん視界が狭まっていく。
くそ……こんなところで……。
視界が真っ暗になり、体を襲っている筈の激痛が感じなくなったところで、俺の意識は完全に暗転した…………………………。
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………………ラス……ん……テラスちゃん……!
「っは! ……あれ……お母さん……」
「いや、ごめんね……、つい力が入っちゃって……気絶させちゃったみたいなのよ」
「気絶させちゃったって……いつつっ……」
鍛錬中に母さんから刃の潰された石剣で吹き飛ばされ、頭に大きな衝撃が走ったことを思い出す。
「あー、完全にたんこぶになってるわね……回復魔法で治せるかしら……?」
「一応大丈夫だけど……」
そういって俺は頭に回復魔法を使って、たんこぶを治療する。傷は浅く、すぐに治療を終えた。
「本当にごめんね…………」
母の申し訳なさそうな顔が眼前に映し出されるが、俺はそれに対してやさしく笑い返す。
「大丈夫だよ、お母さん。それより、どんな感じだった…………?」
今まで練習していた技、縦回転切りについて母さんに聞く。母さんにその技をぶつける相手になってもらって、その結果、母さんがついうっかり反撃してしまったのだ。それでたんこぶが出来たという訳である。
「悪くないと思うわよ? ちゃんと私を見失っていなかったし、最後の回転速度を加速するタイミング合わせも完璧だったわ。ただ……」
「ただ……?」
「やっぱり打ち出す初速に不安が残るわね……」
「速度が遅いから、避けられる?」
「そういうこと。テラスちゃんが軽くて、武器の重さの比率が大きいから、回転は速くて安定してる。それで遠心力によって破壊力を増せるんだけど……どうしても技の特性上、攻撃が直線になってしまうから、避けやすいのよ。だから、対処できないような速度になるのが望ましいんだけど……」
その後も様々な対策が行われた。
魔法で先に準備するだとか、上空から一気に落ちるだとか、大砲を用意するだとか、木のしなりを利用するだとか。
一部馬鹿らしいものまで混じっていたりしたけれど、やるからには全力を、という母の意向のもとに俺の新しい技が追加されようとしていた。
「じゃあ今言ったことを踏まえて、続きをやりましょう!」
とてもとても楽しそうな母さんのもと、使いどころが途轍もなく見極めづらい技の開発が大真面目に行われていた。
初めのきっかけは些細なことだ。
母さんがいくつか持っている必殺技、《千の大鎌》や《風の一閃》などの母さんの切り札を見て、つい自分も何か欲しいと言ってしまったのだ。
まるで子供のような発言だったから恥ずかしく思ったのだが、母さんにとっては幼いにもかかわらずめったに我儘言わない息子の貴重なお願い、という事で大事にしたかったらしい。
だから、こんな大真面目に考えられているのだ。
もともとまだ未熟で基本がなっていないのに必殺技なんて、おかしな話である。でも、母さんとの遊びの延長な所もあって、俺もとても楽しかったのだ。
この時は、明確に倒したい敵なんていなくて、ただ母さんと強くなることだけを考えて鍛錬していた。
もちろん辛かったし、きついこともたくさんあったけど、それ以上に充実してて楽しくて、幸せだった。
明日が待ち遠しくて、甘える心地よさで胸が満たされていた。
だからこそ、だからこそ、
現実が、如何に残酷であるかを思い知らされるのだ――。
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ガタガタと体が無造作に揺すらされ、目が覚める。
目が覚めたことによって――さっきの光景が夢だと思い知らされ、諦観と悲しみが巻き起こる。
だが、俺の復讐の念を再確認し、強い意志をもって弱気な自分に喝を入れ、完全に意識を覚醒させた。
「……ん? おお、親分! 起きたようですぜ!」
誰かが声を上げているところを見ると、どうやら俺は獣に食われずに済んだらしい。……だからと言って、全然安心できることはないようだ。
どうやら俺は別の獣、いや、それ以下の畜生どもに捕まってしまったようだ。
目覚めたのは檻状の馬車の中、どうやら俺は盗賊か何かに捕えられたようだ。




