第10話 母の願いは
「……そのしがない護衛さんが何の用かしら?」
母さんは腰のベルトに刺さった石の短剣に手を沿え、最大限警戒しつつそう尋ねた。
「ネズミが二匹、ここから逃げようとしているという噂を小耳に挟んでね。しかもそのネズミは、少し前の戦にて《銀色の魔女》と畏れられた人形達のリーダーというじゃないか。俺はどうも魔法が苦手でね。せっかくだから、ぜひともご教授願おうかと思った次第だよ」
バンディットはとても友好的な喋り方で母さんの問いに答えたが、体から溢れ出る威圧感は一切薄れていない。
抑える気がまったく感じられないその威圧感に、俺と……おそらく母さんもガリガリと精神力が削られていく。
「ネズミとは結構な言われようね……。まあそれはいいとして、私の魔法は簡単には扱えないものだから、魔法が苦手というなら、申し訳ないけれど他を当たってちょうだい。それに護衛と言うなら主の側に居なくていいのかしら?」
遠回しに戦闘を避ける提案をしつつ、この亡命がバンディットの主であるクラップにバレているのかを探る。
戦闘を避けるのは当然だ。
母さんのスキルと魔法はもちろん強力ではあるが、しかしバンディットに対してはあまりにレベル差が開きすぎて通用する可能性が低い。
一年半の間に俺が【叡智の選定者】にて《鑑定》を使えることを母さんには教えており、それと合わせて家に居た人たちのステータスはできる限り伝えている。
故に、その格の違いを感じさせる威圧感だけでなく、明確な数値としての実力の違いも理解しているのだ。
母さんのレベルは、研究所にいたころはまだ実験途中であったため、せいぜい小隊長クラスと言ったところだ。戦力として実用するためのレベル上げが行われていないという事は、王女だった頃と、【同胞】の村の頃に上げた分しか無いということだ。
まだ試作段階であった改造人間達のレベルはその人によってバラバラらしいのだ。
これらのことから絶対に戦闘は避けなければならない。ここは逃亡の一択であろう。
ただし、それができれば、の話だが。
「雇い主様はネズミが逃げたことを知らないからな。俺が知れたのはとある情報源があったからこそだ。今はちょっと用事が出来たとか言って抜けさせてもらっているよ。まあそんなことより、固いこと言わずに、魔法、教えてくれよ。報酬としては…………命、って所かな」
バンディットはとてもとても楽しそうな声で、俺たちに対して腰に刺さった剣を抜いた。
その剣は禍々しく、紫色と黒色と赤色がグシャグシャに混ざったような色をしている。
鑑定をしたいところではあるが、とても気を抜けるような状況ではなく、少し集中が必要な鑑定は使えない。
今はまばたきにすら気を使うような極限の緊張状態なのだ。次の瞬間には首が飛んでいるかもしれない状況で、俺にそんな余裕はなかった。
以前よりハッキリした威圧感、いや、殺気に体がガタガタと際限なく震え、汗が顔中から溢れ出て顎までつたり、とうとう少し漏らしてしまった。恥ずかしいとかそんなことを考える暇など無い。
バンディットは俺の様子を見て楽しそうに見ているが、その視線すら首を絞められるような苦しさがあるのだ。
「………………せめてこの子を見逃してあげることは出来ないかしら?」
母さんは冷や汗を掻きながら決意した表情でそう尋ねた。
違う、二人で、僕だけじゃ嫌だ。
喉元まで上がった言葉の数々は極度の緊張により、口を無様にパクパクとさせるだけに留まってしまった。
「言っただろう? 報酬は命だ。俺はヤりあいたいだけだからな。お前が俺を昂らせてくれたら、気分が良くなって見逃すかもしれない。だが、つまらないものを見せられたら……つい道端の石ころを蹴飛ばしてしまうかもしれないなぁ?」
挑発的な顔で俺をチラッと見てくるバンディット。
それに対して、母さんが等々動いた!
「ならば見せてあげるわ! 食らいなさい! サンドストーム!!!」
母さんはそう宣言して、高速で風と土の中級合成魔法であるサンドストームを使う。
バンディットの目の前で展開された魔法陣は常人には不可能な速度で構築され、その暴風でバンディットを飲み込もうとする。
中級合成魔法であるサンドストームは、その二つの属性を同時に扱うが故に魔力操作がとてもむずかしい魔法だ。
鉄の鎧すら貫通する小石の群れはまるでマシンガンの掃射を彷彿とさせ、細かい砂は皮膚を切り裂く、総合的な攻撃力で言えば上級魔法の下位に匹敵する威力を持っている。
巻き込まれれば死は免れないであろう対人において十分な魔法といえた。
だが、バンディットはその竜巻の中に自分から悠々と入った!!
はっきり言って自殺行為だ! いくら強いといってもヒト種の耐久力には限界があるはず! 何の対策もしなければ最低でもダメージは免れないはずだ!
……何か防御系統のスキルでもあるのか?
そう訝しんだ俺だったが、その答えはわからないままになる。
そこから行われたのは……常識が崩れ去る演舞。
「いいねぇ! いいねぇ! 魔女って言われてんだからそれぐらいのことは出来なくちゃなぁ!! じゃあ俺も戦士ってやつを見せてやんよぉ!!!!!」
昂奮しているのか口汚く叫んだバンディットは、竜巻の中に入った後目を瞑り、無数に迫るすべての小石を剣や手甲で弾いた!!!
よく見れば最小限の動きで躱しているのもあるが、それも理解できない行為だ。砂を含んだ風の刃は、どういうことか一切効いていない。
おそらく常人には体の動きは残像のようなものしか見えず、手の動きは全く見えないだろう。
俺は相対した瞬間から【思考加速】を使っているため、本当にうっすらだが見える。
しばらくの間、いや数秒間舞うように小石を捌いていたバンディットは、フンッッ!!! という掛け声と共に思いっきり剣を横薙ぎにし、サンドストームを消し去った。
俺はその光景に唖然とすることしかできず、一歩も動くことも出来なかった。
だが、母さんは違った。
「凄まじい動きね……。でも、思った以上に時間が稼げてよかったわ。残念だったわね! こっちが本命よ! スパイラルウォーターキャノン!!!!」
また同じく中級ではあるが、高威力の水の単体魔法を母さんが使った。
水の中級攻撃魔法では高い破壊力を誇る三十㎝の回転する水球を作り出し、音速に迫る勢いで母さんの手のひらに構築されている魔法陣から放たれた。
ドッシュゥゥゥン!!!!!
本当に大砲を放ったような音と共に放たれた水球は、勢いを失わずにバンディットへ向かう。
バンディットとはそれに対して………………目が眩むほどの膨大な気を剣に送り込み、赤く発光するそれを振りぬいて回転切りをした。
それによって、母さんの手から放たれた水球は切り裂かれ、バンディットの後ろから迫っていた風の上級魔法と思われる無数の大鎌はかき消された……。
ーー今まで母さんは無詠唱で魔法を使えるにも関わらず、毎回魔法名を呟いていた。
そこで決め技を無詠唱にすることによって、小さな錯覚を起こし、気づかれないようにしていたのだ。
しかも今のは母さんの最強の魔法であるオリジナル上級魔法の《千の大鎌》だ。
一度見せてもらったときは庭の大岩が綺麗にバラバラになったほどで、実際は鋼鉄すら切り裂く絶対的な切断力を持っているらしい。
だが、バンディットはそれを一振りでいとも容易くかき消した。
母さんは唖然として、信じられないような目でバンディットを見た。しかし、それも一瞬で、すぐに短剣を構え隙を見せぬよう警戒する。
――――その時、バンディットは視認できる速度を軽く越え
ッシュッッ! ッザ! ズシュッッ!!!!!!!!!
――――次の瞬間、母さんの警戒など鼻で笑うかのようにその胸から一本の刃が生える。バンディットは、俺の横にいた母さんの後ろから、剣を、突き刺していた。
「なかなかいい魔法だったぜ? 魔法陣を気づかせないその技術も相当なもんだが、単純に威力が50レベル越えに十分匹敵すらぁ。ふぅ……久しぶりに面白かった。だが、その程度だ」
「お母さんっっ!!!!!!」
俺はバンディットを牽制するため初級相当の氷の魔法を放ち、俺が出せる全速力で母さんに近づく。
バンディットは剣を胸から抜き、氷の魔法を避けその場を離れた。
俺はバンディットを警戒しながら、剣を抜かれたことによって一気に血を吹き出し倒れた母さんをゆっくりと抱き起した。胸からの出血を塞ぐように手をかざし、必死に回復魔法を使う。
その母さんは大量の血を吐いた後、俺に怒鳴るように喋った。
「ッッグフ!!! ぁはっ! ハァッ、はぁ! 逃げ、なさい!!」
「ッハ! まあそんな心配しなくていいぜ? 《銀色の魔女》さんよぉ。俺は十分楽しめた。宣言通りこのまま帰らせて貰うさ」
俺は母さんを刺された怒りによって目の前のクソ野郎を殺してやろうと思ったが、しかしさっきの戦いを見て立ち向かうことができず、憤怒の目線をぶつけることしか出来ない。
何もできない屈辱と膨れ上がる怒りに飲み込まれそうになるのを、母さんの治療に集中するために唇を噛み切りながら押さえつける。
そんな俺を見てバンディットはとても満足そうな顔をして、続きを話す。
「お前じゃ、俺に触れることも叶わんよ。お前は、弱い。そんな弱いお前は、この状況で母親を治す事すら出来ない。その傷は特殊なスキルによって簡単には治らないからなぁ。例え回復魔法が使えたとしても無駄なんだよ、人形の息子さんよ。…………さてさて、先が楽しみだ。それじゃあな、弱者!」
バンディットは俺に対して嗤ったあと、【思考加速】を使った俺の目でも見えない程速く、消えるようにその場から去った。
俺は腸が煮えくり返りそうな感情を覚えつつも、それをわずかに残る理性で抑え、母さんに対して回復魔法を全力で使い続けた。
だが、母さんの胸にあいた穴は一向に塞がらない。延々と血を流し地面に赤い池を作り上げていく。
いくら俺が初級相当の魔法しか使えないとはいっても、膨大な魔力を使っているのに止血すらままならないのはおかしい。
…………もしかしたらバンディットが言った通り、不可能なのかもしれない。だからと言って、俺は治療魔法をやめることは出来なかった。
「ッっ……もう、いいのよ。テラスちゃん……」
「でもっ!!!!」
「……なお、らないのは、たぶん、彼が言ってたことが、本当だから、よ……。――っくっぅア! ゴホッ! ゴホッ!! っはあぁ……、なんとなく、邪魔されているのが、わかるの……。これが、呪いじゃなくて、スキルなら…………あなたの、力でも無理、だと思うわ……」
「――――っっ!!!!」
俺は、自分の不甲斐なさや、理不尽に対する怒りと、バンディットに対する憎悪で頭がどうにかなりそうだった。
それを堪えるため、さらに無意識ながら唇を噛み、口の端から一筋の血を流す。
母さんは血反吐を吐きながらも、最後になるであろう言葉を語り掛ける。俺は、一言も聞き逃さないように母さんの言葉に耳を傾けた。
「ここに……通行手形と、向こうで使える、お金があるわ…………。一年は、暮せる額があるから、無駄遣い、しないようにね……? あと、これ……」
今まさに激痛と、死に至る睡魔の様なものが母さんを襲っているのだろう。母さんはそんな状況にも関わらず、まるで痛みなど存在しないかのように、微笑んだ。
そして、俺に対してポケットから一つのアクセサリーを渡してくる。
「……本当は、七歳の誕生日に、送りたかったんだけどね……。私が、心を籠めて作った、魔道具よ……。っぐ、ふぅ……」
「おかあ、さん…………」
「……ありがと、ね。テラスが、生まれてきて、それで、無意味に死なずにすんだわ……。本当は、もっと成長した姿、見たかったんだけどな…………」
「まだ!! 一緒に生きようよ!!! 生きてよ!!! まだ! 教えてもらってないこと、たくさんあるもん!! お母さんと、一緒にいろんなとこ見に行くって、言ったじゃないかぁ!!!」
俺は溢れる悲しさから涙を抑えることが出来ず、母さんの頬をぽたぽたと濡らす。
そんな俺の頬に母さんは手を添え、わがままを言う子供をあやす様にやさしく撫でた。
「……愛してるわ、テラス……。お母さんは、幸せだったよ。あなたも、幸せに、ね……………」
「そんな……嫌だ!!!! いやだ!!! お母さん!!!! お母さん!! ――ぁぁああああああアアアアアア!!!!!!」
頬に添えられた手が、ポチャッと、真っ赤な血糊が広がった地面に落ちた。
それはまるで、……終わりを告げる、合図のようで……。
母さんは、最後はなぜか、とても幸せそうに目をつむり、息を引き取った………。
********の母親の死亡を確認。
*****のスキル干渉により、ユニークスキル《根源を喰らう者》の****が発動されました。




