第9話 亡命当日
ーーねぇ、お母さんには、将来の夢って、あるの?ーー
ーーどうしたの……? 急にーー
ーーほら、この前お母さん、僕に将来したいこと聞いてきたでしょ? それで、お母さんはどうなのかなってーー
ーーそうねぇ……。あ、小さい頃の願いなら、一つだけあったわーー
ーーえ、なになにっ?ーー
ーーそれはねぇ、世界を見て回ることなのーー
ーー世界を、見て回ること?ーー
ーーそうよ、昔から私は王女として、まるで籠の中の鳥のように育てられてきたわ。別に、家臣や世話役の人がいい人たちだったから、生活に不満は無かったんだけどね。でも、王女という立場では、同年代の子達のように自由に外に出て回ることは出来なかったの……。だからかな。いつからか、誰も見たことのないような、素晴らしい風景を見に行きたいって思うようになったのよーー
ーーそっかぁ。じゃあ、一緒にここを出たら、たくさんたくさん色んな所を見に行こうね!ーー
ーーうふふ、そうね。たくさん、見に行きましょうねーー
ーーうん!!ーー
ーー……でもね、私はテラスちゃんが生まれてくれただけで、私の腕じゃ抱えきれないくらいいっぱいの幸せをくれたわ。だから、私は、もう十分に、幸せよーー
………………
…………
……
とうとうこの日がやって来た。
あれから一年半、七歳の期限までもう幾ばくの時間も残されていない。このままここに残ってしまえば、俺はろくな人生を歩ませて貰えないだろう。
だが、今日というこの日に、俺達は国から出ていく!
あの日から今日まで、俺と母さんは今日の計画を綿密に練ってきた。時間、タイミング、ルート、予定通りに行けば問題なく亡命できる。
もちろん、何らかの問題が起こったときのためのルートや手段も、しっかり計画に入れている。
何も一年半を計画だけに費やしたわけじゃない。
母さんから、今じゃ方法が分かってないような古代文明の知識を一年ほど徹底的に叩き込まれた。
これからしばらくは逃亡生活になるから、落ち着いて教えてもらう時間など確保できないだろう。
そのため、この先色々な状況で少しでも役に立つためにも、できる限りのことを伝授してもらったのだ。
古代の知識が備わった俺は、さらに超人的な幼児になっていることだろう。
もっとも、古代知識の大半はきちんとした設備があることを前提に考えられたものが多いという欠点を持っていた。
旅をしながらでは、あんまり活用できる場所は無いかも知れないな。
残りの半年は、身体の強化、魔法、そして気の運用の総仕上げだ。
奥義と呼ばれるような気の特別な運用は習得できなかったが、それでも必要最低限戦うための基本は習得できた。
それはさておき、今日の亡命だ。
今日は、皇帝の息子が成人を迎える日となっており、それに伴いパレードが行われることになっている。
そのパレードに、大勢の兵士の大行進が予定されているため、国中の兵士が皇帝のいる帝都の大通りに集うのだ。
つまり、様々な場所の兵士がどうしても減る。
そのため、監視が弱まる今日こそが、亡命に適していると判断したのだ。
もちろん帝国側も、各所で起きる兵士の減少による問題に対して、様々な対策を立てているだろう。
確かに対策を立てねばならない程何かしらの事件が起きやすい状態というのは、こちらにとっては好都合なのだが、もうひと押し欲しいところである。
そこに、協力者の手助けが入るというわけだ。
俺達が亡命をするタイミングで、協力者が各地で騒ぎを起こし、警備役の兵士たちの目を釘付けにする。
それにより、亡命計画の成功率はさらに上がること間違いなし、ということである。
母も言っていたが、ここまで手伝ってもらうというのは、本当に感謝してもしきれない。
協力者本人は、母さんに何かの恩を感じてやってくれているそうだ。しかし、俺達を放置しても何の損もないし、むしろ協力すれば損をするぐらいなのに……ありがたいことだ。
ちなみにその協力者とは、裏の世界を生きていく人間だから顔を知るだけでも危険が伴うという問題により、俺は一度も会うことがなかった。
今回の亡命計画の最中も一度も会うことは無い予定だし、結局名前も知らないのだ。
だが、母さんも彼も望んだことだそうなので、そこに文句を言う必要は感じなかった。
タイミングは、そのパレードの大行進が始まった瞬間だ。
行進が始まってしまえば、メンツの問題もあり余程の事が無い限り行進中の兵士は警備に割く事は出来ない。
俺達はパレードのある同じ帝都内に住んでいる。
その帝都の中のスラム街と言われる場所で、国境にある関所まで連れて行ってくれる馬車を持った商人と合流する手筈となっている。
そして逃げ出した事がバレる前に国境を越えれば、この亡命計画は成功となる。
さて、亡命の前に、母さんの隷呪の首輪と魔封呪の腕輪だ。
これによって、母さんと一緒に行けるか、一人になってしまうかが決まる。
さっきから喉の乾きが止まらないし、手が震えるまくるが、怯えたままではいられない。
覚悟を決め、まず最初に差し出された魔封呪の腕輪の戒めを解く。
「じゃあ、いくよ?」
「ええ、大丈夫よ。やっちゃいなさい!」
ググッ…………パシュッ!!
俺が母さんの手首にあるスキルを発動させると、ピッタリとくっついてた腕輪は、掠れるような音とともにただの腕輪となった。
鑑定しても、ただの腕輪に変わっており、完全に魔封呪としての効果が消えていることが確認できる。
「やった! 成功したよ!!」
母さんはその光景を見て表情に驚きと喜びが浮かび上がっており、俺はそれをみて改めて成功したという事を確信できた。
そのまま勢いを失わない内に、隷呪の首輪の方の呪いも解く。首輪の方もあっけなく効果が消え、俺達は強く安堵した。
「ありがとう…………」
そんな達成感の中、母さんは感極まった声で俺に礼を告げ、力強く抱きしめてきた……。
二つの呪いを消した秘密は、俺の一つのスキルに起因する。
俺のユニークスキルの一つ、【超越する魂】の効果だ。
【超越する魂】の能力の中に、呪い消去という能力がある。
呪いの作用を利用していることが鑑定を通してなんとなく伝わってきたことから、このスキルが有効なのではないか? と思い試してみたのだ。
すると結果は大成功。
どうやら鑑定は、伝わってくる文章的な情報の他に、感覚的な情報も伝わってくるようだ。
それのおかげもあり、今回の方法が思いついたのだ。
「っさて、もうそろそろ時間ね! 行きましょうか!!」
「うん!!!」
しばらく俺を抱きしめていた母さんは、首輪と腕輪を一気に外し、気を引き締めた表情になった。
俺は母さんと共に事前に用意された外套を被って、建物の影に潜みながらこの屋敷を抜け出した。
警報の結界は、協力者たる彼が結界の元に細工を施したことによって作動しないようになっている。
定期的な装置の点検により細工はバレてしまうだろうが、次の点検までの間までに逃げ切ればいいのだから、まったく問題ないのだ。
家の壁を乗り越え、狭い路地裏を走り抜けていく。
表通りのパレードによるお祭り騒ぎと、何処からか聞こえてくる事件が起きたような騒ぎによって、俺達の存在は匠に隠されていた。
作戦がちゃんと成功していることに安心しつつも、油断してはいけないと気を引き締めながらどんどんスラム街の方へと向かっていく。
この後、そのスラム街の一角にて、商人の馬車に乗せてもらうことになっており、それによって国境まで向かうことになっている。
ここで、帝国の地形について簡単に説明する。
帝国の領土は縦に長い楕円形をしており、
東が海、
西が山脈、
南が森、
北は平原
に接している。
そしてこの一つ一つに、正規出国以外出来ないという亡命不可な理由がある。
東の海は、《暴流海》と呼ばれ、沖を出ると荒れ狂う潮の流れが待ち受けており、余程大きくて頑丈な船でなければ航海に出ることはまず不可能となっている。当然、一般の船の大きさには制限がかけられている。
西の山脈は、《血竜山脈》と呼ばれており、ブラッティワイバーンという竜の巣になっている。
一匹に対して、国の兵士が数百人必要と言われる強力な竜が、実に数百匹以上はいるような山脈だそうで、これまた越えることは不可能だそうだ。
南の森は、《不帰の森》と呼ばれ、ほとんど未知の領域となっている。
様々な魔物や魔獣の巣になっていて、この森を抜けようと試みた人の生存者はゼロだそうだ。
森を抜けた先には街があるらしいが、そこまでの距離はだいたい1000キロ強もあるため、ここも越えるのは不可能だと言われている。
そして北には国境線があり、そこには長大な砦が築かれているそうだ。
ここは、前にも言ったとおり強固な警備が張られ、その外に出られない様子から《帝国の檻》と呼ばれている。
帝都は北の国境線から五十キロ程度南の位置にあり、関所までが他の街に比べると結構近い。
なぜそんな位置にあるかは知らないが、時間を掛けれない俺達には好都合であり、ありがたいことだ。
しばらく母さんと路地裏を走っていると、やっとスラム街に入ったようだ。
看板が付いているわけでもないのにスラム街だと気付いたのは、その酷く澱んだ空気が故だ。
貧しいを通り越して、もはや《死》すら臭う雰囲気は、詰まるような息苦しさを持っている。
現に、死んでいるのか生きているのかわからないような人が行き倒れていて、しかも近くにいる住民たちはそれに一切見向きもしない。
突然この区域に入ってきた俺達を、住民は怯えるように覗ってきており、その様子からずっと虐げられてきたことが分かってしまう。
できれば、こんな場所にずっといるのは遠慮願いたい。さっさと出ていくことにしよう。
「そこのお二人さん、どこへいくのかな?」
まるで、旧知の友人に話しかけるような軽い声とともに、一度味わった事のある、絶対強者の覇気とも言えるものが背後からぶつけられた。
一瞬で足が震え、もうダメだと諦めたくなるような重圧をかけられて、正気を保つことすら困難になる。
そんな……、なんでこいつがいるんだよ…………。
こいつは今日、パレードに参加する、アイツの護衛をしている筈じゃないか…………!
「改めて自己紹介をしよう。俺の名はバンディットという。ただのしがない護衛をやらせてもらっているよ」
それは、亡命の失敗を知らせる、絶望の訪れであった。




