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フィンネルの紅剣  作者: 楠楊つばき
Episode 1 紅の剣
9/55

06.愛刀

颯瑪視点。

 颯瑪(さつば)の朝は早い。

 彼は街が眠りから覚める前にネーセルの工房を出た。紅剣を宿す愛刀を左腰に、もう一本の剣を右腰に携え、それらと必要最低限の荷物を持ち、深刻そうな面持ちだった。


 商業街のせいか、まだ夜明け前だというのに仕事を始めている人もいる。商品の流通の準備だろう。移動手段は人力や馬しかないので、一度に大量には持ってこれない。なので、この時間から始めないと店を開けられないのだろう。


 颯瑪は商業区に足を踏み入れたが、(きびす)を返した。

 人気のない裏道を選ぶと、街の印象はがらりと変わる。


 頬で風を感じた。やや香ばしい匂いも運ばれてくる。朝食の準備でもしているのだろうか。


「……この街も物騒だよな」


 ボソッと呟いたはずの声がやけに大きく聞こえた。


 城壁はあるけれども、商業区以外の道は飾り気がない。住居区あたりでは道端に雑草が生えている。道路は舗装したというよりも土埃(つちぼこり)が立たないようにしただけだ。砂利(じゃり)を使用している場所もある。


 街の流通口以外に自警団の人はいない。まだそこまで手が回っていないのだ。

 抜け道を使ったので、颯瑪は誰にも見つからずに街を出ることができた。

 


 

 街を抜け、少し歩くと障害物に囲まれた場所がある。

 周りを樹木に覆われた秘境。小さな天然要塞。

 しっかりした足場のわりに、雑草がよく伸びて足もとへの注意が散漫(さんまん)になる。これだけ雑草があれば罠を一つや二つ隠していても気付かれないだろう。


 颯瑪は一際(ひときわ)大きな木を登り始めた。

 背の高い木のおかげで彼の姿も隠れる。


 心を落ち着かせていると、突如ざわざわと木々がいい始めた。

 風を頼りに颯瑪は視線を持ち上げた。耳は音を拾う。

 人の声。草をかき分ける音。


(……来たか)


 ――突風が吹き下ろした。


     *   *   *


 その一族は風の元に生まれた。風に祝福され、厄災とは離れた生活を送っていた。

 歴史書にも地図にもない街などこの世界には多くある。

 颯瑪が育ったのは、その一族の中でも周囲との関係を絶った里だった。


「じいちゃん、今日も稽古なのか?」

「颯瑪は稽古が嫌いなのか?」

「そうじゃないんだけど……今日は荒れそうだよ。風が、そう言ってる」

「…………ううむ」


 まだ彼が齢八歳であったころ。

彼も里の子と同じぐらいの年齢で風を読めるようになった。その一族は風に愛され、風の加護を受けたものたちの集まり。だがどんなに風に愛されても、鳥のように空を飛ぶことは叶わなかった。

 魔法を使える人間に彼らはなれなかったのだ。

 颯瑪はそこまで風に魅入られてはいなかった。風の声がきこえる。それが一体なんだというのだろう。あっけらかんとした顔で彼は別のものに惹かれていく。

 



 里を出て何年たっただろう、と考えてしまうほど彼は一人で旅していた。危険なことに巻き込まれても、風の加護により命は取り留められた。

 今日も仕事だ。

 彼は普段どおりに街を突っ走り、旅の途中で知り合いになったツェードにお世話になって他の街に出向く。そんな頃、一つの転機を迎える。

 王都のはずれにある貧民区。

 颯瑪は目的地に行くためにそこを通っていた。


「…………旅の方、ちょっとお待ちください」


 声をかけられ、颯瑪は足を止める。

 そこにいたのはみすぼらしい格好をした老婆だった。

 老婆は何か細長いものを持っていた。幾重にも布が巻かれ、よほど大切なもののように見える。


「旅の方、あなたは風に好かれているのでしょう? ですが、その剣はあなたに合わない。……これをお持ちください」


 差し出されたのは剣だろうか。

 颯瑪は警戒することなく、老婆に近づいた。


「どうぞ、持っていってください」


 老婆は頭を下げ、剣らしきものを取ろうとする。

 それから何が起こったのか彼は覚えていない。




 目を覚ますと石造りの床に倒れていた。

 体の節々が痛くて体を起こすことはできない。

 痛いとは思わないが、体が悲鳴を上げていた。


「……なんだ、これ……」


 見えないものが見えていた。

 聞こえないものが聞こえていた。

 頭が混乱する。何が起きているんだろう?


「コル、グ、レス……?」


 風の音に混じって雑音が耳を打つ。


 ネーセルに拾われたのはその直後だった。

 


     *   *   *



 無心になるまで"フィンネルの紅剣"は愛刀を振っていた。

 "フィンネルの紅剣"が宿る愛刀は妖しく輝いている。

 まるで生きているかのように。まるで胎動しているかのように。

 力強く、また美しさも秘めている。

 この光に焦がれてしまう。喉から手が出るほど欲しい。

 

 朝持ってきたもう一本の剣は颯瑪の近くになかった。

 足を草に取られ、颯瑪は手を止めた。

 朝日が愛刀に反射された。

 颯瑪は口角を持ち上げ、荷物の中から砥石を取り出し、愛刀を研ぎ始めた。


「……お前、気持ち悪いぞ」


 あらわれた紅剣は開口一番にそういった。


「そうかな? 剣は大切にするものだよ。この前、ネーセルさんに手入れを怠っていると言われてしまったんだ」

「ふーん。その言葉に二言はないよな? お前はあたしを大切にするのか? しないだろう」

「大切にするよ。"フィンネルの紅剣"は名高いからね」

「"フィンネルの紅剣"か……まあよい。あたしは剣だが、剣そのものではない。あたしの加護がある剣をどう使っても構わない。付着した泥も血もあたしが浄化する。だがな、全てあたしの意志ありき」


 颯瑪は紅剣の言葉に耳を傾けながらも、愛刀を研いでいた。


「まるで……いや、なんでもない」

 



 赤い血が緑色の草を染めていた。

 颯瑪は血にまみれた場所など最初からなかったかのように扱う。

 血の臭いは風で拡散された。

 けれども、この色は消えない。気付かれるのも時間の問題だ。


「これは僕が始末する。手出ししないでくれ」


 颯瑪は息を整える。


「白き風 我凄む日よ 願い訊け 万籟(ばんらい)のため 吹けよ木枯らし」


 切り裂くような気流がうごめく。

 彼は願いの内容を言わなかった。願掛けのようにも見える。


「……!?」

「僕は帰るよ」

「……あたしも」


 豆鉄砲を食らったような顔をしていた紅剣は、やがて真顔になり剣の中に入った。


「そんなに驚くことなのかな? じいちゃんから教わった(まじな)いだけど」




 二人が去った後、風が全てをさらっていった。

 土の上に無造作に置かれた遺体も風に誘われ――風解した。




 人になれ、ほど難しいことはない。

 なぜなら元々人であるからだ。

 人が人になるって理解できるかい?

 僕にはできないよ。

 今日相手にしたのは誰だったかな。依頼主はお金をはずんでくれたから、貴族だったりするかもしれない。相手が誰だって僕には関係ないや。顔は覚えている。名前などいらない。AとかBとかでいい。

 僕よりも年下の少年だった。ここまでおびき出すのは苦労した。骨が折れそうだったもん。

 

 そっと剣の柄に口づけた。


 愛刀には"フィンネルの紅剣"が宿っている。

 "フィンネルの紅剣"。

 夢物語ではなく、この手の中にある。

 祖父がよく語ってくれた話。

 初めはその話の意義がわからなかった。

 成人した今ならわかる。

 "フィンネルの紅剣"は僕のためにあるんだ。



    

 街に戻ってくる頃には日が高く昇っていた。


「おや、颯瑪くーん。出かけていたのかい?」

「はい。日課ですから」

「いい心がけだねー。……おっと、訊きたいことがあるんだった。剣が一本足りないってラグリが騒いでいたよー」


 ネーセルは葉巻を吸いながら、手に持った資料を見ている。ずれた眼鏡をなおし、たまにうーうー呻った。


「剣……? そういうことですか。今朝、切れ味を確かめたくって、勝手に持っていきました。すぐに刃こぼれしちゃったんで、途中で処分しちゃったんですけど」

「処分、ね。使い心地はどうだい?」

「試作段階ですよ、あんなの。足元にも及ばない」


次回は紅剣とラグリ中心。

まだ紅剣の名前の話が遠い……。

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