05.土人形
今回は短めです。あっさりしています。
紅剣は颯瑪の剣からぬっと現れ、足音を立てないよう慎重に降り立った。
紅の着物は陽炎のように揺れる。
みなぎる炎は紅剣が回復したことを証明していた。
夜の街にも趣がある。王都は夜中でも警備員がうろついていたが、この街にはいないらしい。もしかしたら商業区の流通を司るところにはいるかもしれない。
暗闇は嫌いではない。
人の姿にならなければ、人間を欺くのは容易いことだ。
暗い夜では一寸先も見えない時がある。
(フィンネル……どこで何をしているの?)
独りになると、どうしても前契約者を思い出してしまう。
仕方のないことだ。フィンネルとの生活は長く、忘れることなどできない。
(もう……置いていかないで)
人間の成長は想像以上だ。気付かない間に心身ともに成長していく。時には己の力で。時には誰かの力を借りて。
テオも自分とは同族のようなものだ。異なるのはテオがラグリという家名を名乗っている点。
自分は長く戦いに明け暮れすぎた。それはもう己の名を忘れてしまうほどに。
(考えても変われないな。日は昇り、沈む。フィンネルと会うまで、ずっと答えは出ない)
もしも、フィンネルに会ったら現契約者との契約を破棄するのだろうか?
紅剣は首を振り、考えてはいけないと自身を諌めた。
* * *
紅剣がネーセルの工房に戻ると、青い髪をもつ女が出迎えてくれた。女というのは容姿だけで、中身は人間よりも水分が多い。衣服も水分を多く含んでいる。
「……心は静まりましたか?」
調理中のラグリに微笑まれ、紅剣はそっぽを向いた。
ラグリが着ていたフリフリのエプロンから目を背けたかのようにも見える。
「あたしのことはどうでもいい。まさかここで会うとはな。テオ=ラグリ=ハーデンス」
ラグリは野菜を切る手を止めた。
その様子で紅剣はラグリが聞いていると判断し、言葉をつづける。
「お前は……参加するのか?」
「私が参加すると言ったら、あなたはどうしますか? "フィンネルの紅剣"さん……あら、食べ物を粗末にしてはダメって習いませんでしたか?」
調理場にあった食材がいくつか炭になった。
「口が達者になったな」
紅剣は近くにあった木製のテーブルの上に乗り、足を組んだ。
裾の短い赤い着物から、すべすべな白い太ももがのぞく。
「この巡りで私は錬金術師の助手になりました。人間っておもしろいですね。我々とは異なる方法で文化を発展させる。無から有をうみだすのも時間の問題かもしれません」
ラグリが炭になった食材に触れると、みずみずしいものになった。燃えたことが嘘のようだ。
新鮮なそれらは燃える前の状態よりも良いものになっていた。
まるで息を吹き返したように。採りたてのもののように。
「……これからはお前をテオではなくラグリと呼ぶべきか?」
「"フィンネルの紅剣"って呼びましょうか? ……あらまあ。私、あなたの名前を存じておりません。長いお付き合いのはずなんですけど」
「仕方ない。あたしも名前など覚えがない。覚醒してから長いときをフィンネルと共に過ごしたからな。名前を呼ばれる機会もなかった」
明後日の方向を見ていた紅剣は何かが割れた音を耳にし、ラグリに顔を向ける。
「ん? どうしたラグリ」
固まったかのようにラグリは瞬き一つしなかった。
人ではないので瞬きをする必要はない、ということは横に置いておく。
ラグリの足元で皿が割れていた。
「ふええ――!?」
間をおいた叫びは間抜けだったに違いない。
紅剣はテーブルから降り、手で着物に着いた埃を払った。
「やめろ、起きるだろう」
「誰も起きません。この時間は私たちのものです。わわ……どうしよう。どうしよう、どうしよう、どうしよう。ネーセルさまぁ。ど、どどどうすればいいんでしょう」
「この時間って何の時間……?」
「うわーんっ。もう来ちゃったよー」
涙ぐむ声を出しても助けに来てくれる者はいない。
ラグリの異常な怯えを目にし、紅剣は臨戦態勢をとった。小規模の爆発を起こせるよう集中する。
固唾をのみ、来訪者を待つ。
来訪者は扉を開けてくる気はないらしい。
火と水の空間に異物が入り混じってくる。
紅剣は即座に牽制しようとしたが不発に終わった。
何かがいる、とわかっていても紅剣の視界に入らない。
ラグリは頭を抱えてうずくまっている。
「……初めまして。"フィンネルの紅剣"殿」
声は足元から聞こえてきた。
最初に見えたのは頭。それ以外も地面からにょきにょきと生えてきた。人型をとっているが、人でないのは明白だった。体は土で作られた人形。手足はボロボロと崩れ始めている。
「ラグリ殿。定期報告の時間です。本日は――」
「いやぁぁぁあぁぁ」
ラグリの耳をつんざく声で紅剣は顔をしかめた。
こんな性格だっただろうかと昔を振り返ろうとしても、別の記憶を掘り返しそうだったのでやめた。
「何も言えることなんてないよぉ。帰って……!」
土人形は執拗に言おうとはしなかった。
ばたばたと落ち着けないラグリはまるで子どものようだ。あたふたしながら部屋を彷徨い、最終的に物陰に隠れた。
土人形がラグリの隠れ場所に近付くと、ラグリは脱兎のごとく逃げ出した。次の隠れ場所は紅剣だった。ラグリは紅剣の後で体育座りをして、ぶつぶつ呟いている。
必然的に紅剣はラグリと土人形の間に立つこととなった。
(震えている、人形に対して。自身の水の力で土など泥に変わるのに。……あの人形と関わりたくないのか。あるいは、あの人形の背後にいる奴と関わりたくないのか)
紅剣は後ろにいるラグリを盗み見た。咳払いをし、土人形へに体を向けた。
「このままだと埒があかないな。お前はラグリとの連絡員なんだろう? また来たらどうだ?」
「……わかりました」
紅剣の助け舟で土人形は折れた。
能面である土人形の表情など知ったこっちゃないが、さぞかし呆れているだろう。
「後日、再びお伺いします。次は別のものがやってくるでしょう。その頃には決めていらっしゃいますよう願っております」
脅迫だ、と紅剣は思った。
役目を果たしたのか、土人形は崩れ、土に還った。黄土色の土の塊がマットの上に取り残される。
「掃除しないといけませんね。"フィンネルの紅剣"さんは部屋にお戻りください」
「あたしの帰る場所は部屋ではない。フィンネルの隣だ」
「……契約をしたのでしょう? 現契約を破棄しなければ新しい契約は結べないはずです。さつばさんとの契約を破棄なさるおつもりですか?」
「今のところその気はない。あたしは剣を依り代とする。剣があたしに耐えられるならばどれでもいい」
「さつばさんはあなたのお眼鏡にかないますか?」
紅剣は逡巡した。その質問は難題だった。
ラグリの顔色が変わろうとしたとき、紅剣はやっと口を開いた。
「あいつは……本当に人間なのか?」
次回は、さつば視点です。