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フィンネルの紅剣  作者: 楠楊つばき
Episode 1 紅の剣
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04.火と水

ネーセルは女性です。彼女という言葉はネーセルをさします。

 "フィンネルの紅剣"に敵う者などいなかった。

 王国の国旗は跡形もなく焼け(ただ)れ、人も馬も死に絶えた。血液を沸騰ふっとうさせたのだ。生きているはずがない。


 王都ヴェインの残党が"フィンネルの紅剣"を求めて商業街・ワタリにやってきた。

 周囲は炎に包まれ、全ての生物が等しく死を迎える。

 残党はいくつかの街に分かれたのだろう、数十騎しか来なかった。


「知能が足りてないのね。炎を放ったって――あたしに実害はないというのに」


 すでに炎は燃え広がっていた。

 火を消す専門機関が近隣にないため、雨を待つしかない。

 商業街まで火が移るかもしれない、と紅剣の頭によぎった。

 ここまで大規模な火災になってしまったら、炎のあるじといえど抑えられない。


「……派手にやりすぎたか」


 体が重い。

 けれども倒れるわけにはいかない。主がいなくなったら、眷属(けんぞく)の力を助長してしまう。

 そうなっては手に負えず、降水を待つしかない。

 今はまだ統制下にある。倒れる前にどうにかしなくてはならない。

 己の意識が消える前に、早く。


 残党の中に見知った顔があった。彼はフィンネルの部下だったはずだ。だから自制できなかった。

 一番初めに彼を焼き殺した。じっくり焼いていく趣味はないため、丸焦げにした。

 狙われているのは自分だ。町の人に危害を与えてはならない。


(フィンネ、ル……?)

 

 ぼやけた視界の中で何かがはっきり見えた気がした。

 紅剣はその"何か"に向かって手を伸ばした。


「この……化け物!」

 

 罵声(ばせい)が幻想を打ち砕く。

 まだ生きていたのか。しぶとい人間だ。そのまま()いつくばって消えろ。


(さか)らい……やがって!」

「フッ……丸焦げにしたつもりだったんけど。どこの所属?」

「……オレは第二小隊……隊長だ。……ケホッ」

「ああ、そういえば隊長にはあたしの加護を与えていた。だから生きているのか」

「軍を……潰しやがって。殺してやるぞテメェ!」


 隊長の目がギラギラと輝く。まるで虎視眈々(こしたんたん)と獲物を狙う狼のようだ。

 体は刻々と死んでいくというのに、精神だけで生きている。体の自由がきくならば、今にもとびかかってきそうだ。


「生憎、国にも軍隊にも興味がない。フィンネルがいたから、あたしは軍にいた」

「ふざ……けるな!」

「あたしは、いたって真面目だ」

「くそっ……化け物め」

「お前はその化け物に殺されるんだよ」

 

 ――断末魔をあげるまえに殺してあげる。

 炎が隊長であった人間を焼き尽くす。髪も皮膚も臓器も残しはしない。死体を残すのも面倒だ。骨まで焼いてやろう。

 生きながらにして火葬された気分はどうなんだろうと紅剣は考えてみたが、眠気に襲われて思考を止めた。


(フィンネルがいてくれれば、それで良かった――)


 紅剣はついに炎に飲み込まれた。


     *   *   *


 颯瑪さつば、ネーセル、ラグリの三人は急いで発火場所へと向かった。

 炎の勢いは強すぎたため三人はあまり近寄れなかった。三人の身長よりも高い炎が周囲を飲み込む。

 不幸中の幸いはここが草原であったことだろう。山火事の可能性がなく、見渡しもよい。

 

「……想像以上だな」


 ネーセルは空を仰いだ。赤い空は幻想的だが、他に優先すべきことがある。


「"フィンネルの紅剣"ってやっぱり(すご)いなあ」


 隣にいる恋する乙女のような青年をネーセルは理解できなかった。

 あの火の中、颯瑪さつばは王都ヴェインを突っ走ったのだ。平常な人間であれば逃げることを考えるだろう。だのに彼は逆に火の中へと足を踏み入れた。"フィンネルの紅剣"を恐れず、真正面から話したらしい。

 狂気の沙汰(さた)だ。肝が()わりすぎている。颯瑪さつばの年齢を疑うのは何度目だろうか。数えていない。


「ネーセル様、目の前のことだけに集中しましょう」

「そうだな。……来い、ラグリ」 


 ネーセルに(こた)え、先頭に立つラグリは目を見開いた。両手を合わせると、姿が一気に崩れた。足もとには青い光を発する水溜り。

 ネーセルは荷物の中にあった厚い本をかかげていた。


「……ネーセル様のお心のままに」


 青い粒子はネーセルの体を包み込み、彼女が持つ本へと注がれる。

 本の表紙の文字が光り始めた。


「我が心を聞きたまえ」

 

 ネーセルとラグリの声が一致した。

 ラグリのネーセルを守る青い(よろい)が完成すると、颯瑪の剣がカタカタと動いた。


「契約を結びし水よ。火を従わせ、静寂(せいじゃく)を取り戻せ」


 青い光は川のように流れ、「お借りします」と颯瑪の剣を(さや)から抜き放った。


 颯瑪は大切な剣が青い光に包まれて飛んでいくのを茫然と見ていた。開いた口がふさがらない。

 頭がついていけない。


 ネーセルの周りに渦がとぐろを巻いていた。清らかな水が何もないところから発生していた。

 そのおかげで辺りが湿(しめ)り、火の勢いが少しおさまった。


 何事かと先程まで火と一体化していた"フィンネルの紅剣"が人の形をとる。

 赤髪は燃え、瞳も炎に魅入られている。ゆらめく意志は弱さを表すのではなく、不屈ふくつの精神を連想させた。


「――貫け」


 ネーセルの言葉を合図として、周囲の火を消そうとしていた大量の水が矢となる。


「…………フィン、ネ……ル?」


 紅剣の胸に水の矢が刺さった。

 直後、爆発が起きた。大きな音だが、誰も耳をふさげなかった。そこまでする時間の余裕がなかったのだ。

 火によって水が蒸気へと変化した。爆発は水素爆発だった。

 熱湯は地面へと流れ、火を消していくたびにジュワっという音を出す。

 

 水の矢で射られた紅剣は人の姿でいるのが困難となる。

 紅剣の命は火そのもの。

 髪は濡れる前に粒子へと変わった。


 周囲にあふれた水が一点に集まったところに、青い髪のラグリがいた。

 以前よりも髪は長く、腰まである。


 ラグリはそっと紅剣を抱きかかえ、ネーセルのもとまで歩く。

 

 焼け野原はラグリの力によって本来の姿を取り戻す。

 硝煙も肉が焼けた臭いも水に包まれ外へと出ていかない。


 颯瑪は意識を失った紅剣を直視できなかった。視線をラグリに返された剣へと移すと、剣に赤い粒子が集まっていた。顔を上げる間に紅剣の姿は失われた。


「"フィンネルの紅剣"は長期間、依り代から離れました。前契約者ともかなりの期間わかれていたのでしょう。疲労が蓄積しております。火が不安定です。このままだと内側から爆発してしまう可能性があります」


 事務的な口調でラグ利紅剣の状態を述べた。

 青い顔した颯瑪さつば反駁はんばくする。


「疲労って、ラグリさんもほとんど人の姿でネーセルさんと一緒にいるじゃないですか。僕が……」

「責められる理由はない……ですか? 恐れ入りながらさつばさん、あなたは"フィンネルの紅剣"をどう思っていますか?」

「…………」

(わたくし)、ラグリのことは?」

「…………」

 

 颯瑪の沈黙に意地を切らしたネーセルが舌打ちをした。彼女はラグリの肩に手を乗せ、颯瑪さつばと向き合う。


「さつば君。君は武器の管理をおこたり、刃こぼれさせた」

「違います! 僕はそんな馬鹿な真似しません。剣は宝物。この身と一心同体です!」

「これだからガキは。現実を受け止めなさい。契約すること自体、重いことなんだ。特に"フィンネルの紅剣"は炎の意志。炎の意志がなくなった時、世界は終わる」

「ネーセル様。これ以上さつばさんに忠告しても無駄だと思われます。――さつばさん」

 

 名を呼ばれ、颯瑪はラグリと視線を合わせた。


「私は人でも武器でもありません。そのことを忘れないでください」

「人でも武器でもない……? ラグリさんはそれじゃ――」


 会話の途中でラグリは目を閉じ、ネーセルの本に吸い込まれた。


「ふぅ……全く君って子は。頭の中には剣のことしかないのかい?」


 本を閉じ、ネーセルはそれを鞄の中にしまった。


「拾ってだいぶ経つけどさ、そろそろ人間になりなさい」


 ラグリの力でできた虹も消え始めていた。


 

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