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フィンネルの紅剣  作者: 楠楊つばき
Episode 6 精霊
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48.遠き日の幻影

過去と現在。

 吹きゆく風は木々を揺らし、どの地にも平等に恩恵を与える。鼻をかすめる火薬の匂いはこれから丘の下で何が始まるのかを予感させた。常に燃えている瞳から涙は零れず、諦観してしまったという雰囲気が漏れていた。


「これは何度目の戦いなのだろう」


 遠き日の記憶の中、紅の髪を揺らし女が呟く。


「いつまで、これが続くのだろう」


 丘の下で両軍がいがみ合う。この戦いをお膳立てしたのはこの紅の女であり、それゆえどこか胸に残るものを感じていた。

 隣には水色の髪と目をもつ女が感情を殺すように押し黙り、紅の女に声をかけようか迷っていた。


「そんな顔するな、テオ」

「ラティアさん……」


 紅のエグス=ラティア=グランドールは隣にいたテオ=ラグリ=ハーデンスの髪に触れ、柔らかく微笑んだ。懐の大きさを感じさせる表情は、ラティアの次の契約者となるフィンネルに似ており、見ているだけで元気にさせる魔法を持っていた。

 開戦を知らせる汽笛が聞こえてくる。その音を耳にし、ラティアは目を細めた。


「……やはり、間違っている」


 ラティアの呟きに、何がとラグリは顔を上げた。


「戦いを続けて何になる。人の死は楽しいのか?」


 前線で雄々しく戦っていた兵士が矢に射たれ倒れた。何人も何人も。風が弓矢を後押しし、普通なら届かないであろう距離まで真っ直ぐと進む。しかしその矢は突如現れた土の柱によって遮られ落下した。土は猛風もうふうから人間を守り、固い殻で屹立している。

 風と土が勢力を競い合う。神秘的な力に導かれ、戦場は酔っていた。血と快感が人を狂わせ、死という概念が価値のないものへと変貌していく。寄り添う精霊はそんな人間の気持ちに応え、凶悪な魔法を発動させて絶望へと導いた。


「――間違っているんだ」


 己が駒と理解しているのに、なぜわざわざ駒としての演技を続けなければならないのか。疑惑は心を侵食し、戦う気力さえも奪っていくというのに。


「戦いが呼んでいる」


 そう思ってしまうのはなぜなのか。戦場はラティアという戦女神いくさめがみの降臨を今か今かと待っている。それはもう、待ちすぎて時間が止まっているのではないかと誤認するほど。

 緑風に誘われラティアは視線を戦場へと移す。紅の瞳はぎらつき始め、獲物を見つける狼のようだ。


「待ってください」


 ラグリがラティアの腕を心配そうに引いた。泣きそうな頼りない表情で、ラグリは問いかける。


「わかっているのに行くのですか。あなたは誰よりも慈悲深い。それに罪のない人を傷つけられない心を持っています。それでも、行くのですか」

「慈悲深いのはお前の方だろう? テオ。あたいは知りすぎた。次会うときには記憶を弄られているかもしれない。……早く終わらせよう。嘆き悲しむ者は少ない方がいい」

「行かないでくださいっ。行ったらあなたの心は壊れてしまう」

「ああ、そうかもな」


 何事もない、というようにラティアは不敵な笑みを浮かべた。ラグリが考え直してと迫っても、聞き入れようとはしない。

 この時、どちらかが"元凶を止める"という方法を考えついていれば、戦いを繰り返す歴史を止められたかもしれない。二つの国を競わせるという方式を崩せたかもしれない。

 ラティアはフィンネル家の宝剣として立ち住まいを正す。味方は帝国。敵は王国。一人でも多くの王国民を焼き払ってみせる――。

 戦場に戦女神いくさめがみが降臨した。神々しい美しさは火を生み出し、空に花火が上がる。誰も真上を眺めている時間などなかった。王国の兵士は火だるまとなって死に至る。空中で輝く戦女神は感情のこもっていない目で眼下を見下ろしていた。

 帝国が沸き立ち、一気に攻め上げる。そして間もなく帝国勝利として戦争は終わった。




 戦争を終え、ラティアは塞ぎ込むことが多くなった。先の大戦で将の首を得たため、駒としての役割を終えたということになる。次の戦いまで上の命令で眠りにつかなくてはならない。辺境の土地で生活するという手段もあるが、ラティアはフィンネル家の宝剣という依り代から離れられないため、長い眠りを選んだ。


「だめだ、違うんだ」


 そう零したラティアが最後に出会ったのはラグリであった。火と水という相容れない属性であるというのに、二人の仲は良好であった。もちろん良好にいたるまでに多くの衝突をしたが、喧嘩するうちに互いの理解を深めていった。己の一番の理解者が犬猿の仲である属性だなんて、誰が想像しただろう。


「聞いてくれ、テオ。終わってから気付いたんだ。我々が本当に戦わなければならないのは人間ではないということを。この世界の管理者をどうにかしなければ、精霊は無駄な戦いを強いられる。人間との共存なんて夢のまた夢になる」


 静かに語るラティアの瞳には決意の炎が宿っていた。


「さようなら、テオ。できたらまたお前と再会のさかづきを交わしたい」


 多くは語らず、ラティアは一人で世界の管理者へと至る道を探り出しに行く。だがそんなラティアの危険性を危惧した大精霊に、名前と一部の記憶を奪われるのであった。

 



「一人で立ち向かったことが最大の敗因だった」


 名前を取り戻し、紅葉は過去の己を思い出す。気の遠くなるほど長く生きてきたため、フィンネル家の宝剣として祀られるようになった経緯などは思い出せないが、何度か上の命令で戦況をかき回したことがおぼろげに蘇ってくる。魔法という奇跡に人間は恐怖を感じてひれ伏した。初めて魔法を見た者の中には驚きすぎて気絶する者もいたぐらいだ。皮肉も魔法が真価を発揮するのは戦いの中であった。人間の生活のためには使われず、精霊が恐怖の対象となるのに時間はかからなかった。


「……エミルがいなければ、あたしは過去の自分を思い出せなかったかもしれない。名前も奪われたままだったかもな」


 目を閉じて行われた自問自答は他者の介入を許さない。自分の心と向き合い、ゆっくりとしかし強い意思を込めて紅葉は目を見開いた。

 目を開けてすぐに紅葉は自分の置かれた状況を把握する。自分が倒れてラグリが癒してくれていること。颯瑪が盾となって守りに徹していること。好戦的なエミルでさえも防戦を強いられていること。


「ありがとう、ラグリ。ずっと前から今まで色々迷惑をかけた」


 紅葉は立ち上がり、感謝の意を示す。話の脈絡をつかめなくてラグリは目をぱちくりさせていた。

 後方に目をやるとフレイがリンネのそばにいた。フレイの手に収まっている剣が精霊剣なのだろうと瞬時に判断する。

 コルグレスからの贈り物を取り戻した紅葉は不敵な笑みを浮かべて仁王立ちする。溢れ出る力が紅葉を支え、活力と戦意を蘇らせる。


「大精霊。あたしはお前らのやり方が気に食わなかった。前回は邪魔されたが今回は成功させる。こうして出会えるなんて夢のようだ。幻じゃないんだよな? 幻だったら本物を引きずり下ろすだけだが」

『ふははは! 思い出したのか、エグス=ラティア=グランドール。余と戦おうなどと世迷い言をほざいたのが運のつき。今回も二の舞にしてみせようぞ』

「残念だがあの時のようにはさせない。あたしは一人じゃない。一人ではできなかったことを、四人なら成し遂げられる。……感謝するぞ、エミル。お前のお膳立ては無駄ではなかった」


 紅葉に感謝されエミルは硬直していたが、すぐさま凶悪な笑みを浮かべた。エミルは王国と帝国を巻き込み、内側から崩壊させ、戦争ができない状態まで混乱させた。世界の管理者にとっては邪魔な存在でしかなかったかもしれない。しかしエミルは戦局を面白くさせるという動機で行動し、裏では大精霊をはじめとした存在の寝首をかこうとしていた。その行動力と決断力に紅葉は舌を巻いたのだ。


「フレイ。剣を貸せ」

「後悔しないようにね」

「お前に言われたくはないな」


 苦笑して、紅葉は精霊剣に魔力を流す。すると精霊剣は赤く光を放ち始め、他を圧倒するほどの輝きを纏わせた。


「これが精霊剣か――」


 己の宿願が果たせることを信じ、紅葉は大精霊に切っ先を向けた。


 


 


 

 

 




私のバイブルであった『薔薇のマリア』と『ムシウタ』が完結しました。このニ作品は生きる希望を与えてくれて、今こうして自分が生きているのも素晴らしい作品に出会えたからだと思っています。

この世にある全ての作品に敬意を。私は死ぬまで創作していきたい。

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