02.契約の掟
新キャラ登場します。
「着いた。ここが僕の拠点」
着いたところは人であふれ、活気づいている街だった。城壁が街の一部を取り囲んでいる。
(拠点ってまるで住み家じゃないような言い方だ)
思わず足を止めた紅剣は颯瑪の背中を睨み付けた。
フィンネルとそれほど変わらない体格。
もしかしたらフィンネルの方が少し小さいかもしれない。
ただ現契約者は若い。青二才だ。なのに時々年齢不相応な発言をする。
(こいつは……つかみずらい。って、一人で先に行くな!)
いつの間にか紅剣は颯瑪と離れてしまった。
追いつこうとすると、紅剣は通行人にぶつかった。謝りもせず、颯瑪の後ろに隠れる。
「……おめー、颯瑪じゃないか」
「ロッケルさん、ご無沙汰しています」
颯瑪は一礼した。
紅剣がぶつかった人物――ロッケルは目を細めた。
「その赤い着物の子、連れか?」
「はい、そうです。ここに来たばかりで緊張しているみたいです。もし何かあったら、大目に見てやってくださいませんか? なにしろ人ごみに慣れていないようなので」
「ハッハッハッ、そうなのか。新しい人は大歓迎だ。これからはぶつからないようにな」
朗らかに笑うロッケル。
彼に染みついた臭いに気付き、紅剣は顔を上げた。
「お前、鉄の臭いがするな」
紅剣の呟きでロッケルは一瞬だけ表情を曇らせた。
すかさず颯瑪が助け舟を出す。
「ロッケルさんは鍛冶屋だからね。いつもお世話になっています」
「鍛冶屋なのか。護身用の武器を持っていないとは不用心だな。狙われるぞ」
「ハハハ……お嬢ちゃんの方が狙われないよう気をつけな」
「あたしは平気だ」
「威勢がいいな。颯瑪、ちゃんと守ってやれよ?」
「はい」
手を振るロッケルの姿が人波に消えた頃、紅剣は口を開いた。
「あの鍛冶屋、かなりの腕前だな。武器に好かれている」
「武器に気持ちがあるのか?」
「手入れをしなければ嫌われるぞ」
「へぇ~、じゃあ僕は好かれてるんだろうな。血が付いたままにしていたら悪いし。切れ味も落ちる」
(さりげなく"血"と口にした)
紅剣は己の嗅覚に神経を集中させた。
颯瑪からも鉄の臭いがする。腰にさげている剣とは別の臭い。
生臭さが鼻につく。
(万籟といったか? この男。只者ではない――何を企んでいる?)
人を知らない紅剣に颯瑪の考えなど分かるわけもなかった。
街中で颯瑪は人を上手く避ける。
慣れない紅剣は時々ぶつかったり、足元をすくわれそうになった。
また着物姿も浮いていた。
膝丈しかない赤い着物と赤い髪はまるで炎そのもの。
ほとんどの通行人は紅剣を気に留めなかったが、立ち止まる者もいる。
紅剣が視線に耐えられるはずもなく、
「……なんで人が多いんだ? 聞いてないぞ」
と愚痴を漏らした。
「なんでって言われても。商業の街だからかなー。自然と四方から人や物が集まってくるんだ」
紅剣は納得がいかない顔であたりを見回した。
交易の場ということもあり、出店や露天商が目につく。
雑踏がやまず、体臭や香水が混じる。鼻が曲がりそうだ。
紅剣はさすがに店の区別がつかなかった。売っているものが理解できていないようだ。食料も装飾品も紅剣の興味をそそらない。
珍しいと思えたのは老若男女の容姿だった。
(フィンネル。一緒に来たかった――)
「……っ」
(感傷に浸ってはいけない。どんな生き方であろうと、目の前にいるのは人だ。フィンネルを利用したあいつらと同じ。思想も。その身に流れる血の色も)
突然、颯瑪が腰に差している剣に異様な熱がこもった。
そこでようやく颯瑪は紅剣の異変に気付いた。
「大丈夫か!?」
紅剣はうんともすんとも言わない。視線は動き続け、一点を見つめられない。
颯瑪は人通りが多いところは危険だと思い、紅剣の手を引いて走り出した。
(手――、フィンネル?)
紅剣は、つながれた手を自身があたかも第三者であるかのように眺めていた。
あたたかくもなく、だからといって冷たいわけでもなく、柔らかくも硬くもない。
けれども、誰かが手を引いてくれている。
初めて手を差し伸べてくれたのはフィンネルだった。
(フィンネル……あたしを一人に……)
この感情は怒りか悲しみか。誰か答えを教えてくれ。
意識が遠のく。歩いているのか走っているのかわからない。
炎がささやく。フィンネルはお前を捨てたのだと。
大地がささやく。フィンネルが帰ってくるまで別の人の世話になればいいと。
水がささやく。人は裏切る生き物だと。
風がささやく。危険が迫っていると。
危険?
ああ、これは。
いくつかの臭いの中に嗅ぎ慣れたものが混じる。
フィンネルと戦場をかけた際によく嗅いだ。
「――火の臭い!」
紅剣は颯瑪の手を振り払った。
「火があたしを呼んでいる」
「火の臭いって、ここは平穏な商業区で――」
颯瑪の話が終わる前に、紅剣は体を炎へとつくりかえる。
周囲は赤くなったが、それはほんの一瞬。
(火の臭い、火の臭い。火、火、火――)
煙ではなく、紅剣は火を直接感じる。
火薬などの人工的なものでも一度火を起こしてしまえば紅剣の眷属に成り変わる。
赤い光は上空へとのぼり、目敏く着火点を発見する。
火は乾燥していた草木から生じたのではない。故意につけられたものだ。
城壁の上に赤い光は降りたった。着火点はここから南東。
簡単に目視できない距離でも紅剣には見えている。
「フフッ……ここ一帯も軍の統治下にあるなんてね。あたしを追ってきたの? フィンネルのいた軍は滅ぼしてあげたのに」
不敵な笑みを浮かべる紅剣。まるでこの状況を楽しんでいるかのようだ。
「一晩しかたっていない。そんなにあたしを連れ帰りたいの? もういい……お遊びの時間だよ」
"フィンネルの紅剣"は腕を上げた。
* * *
颯瑪は本来の目的地へと急いでいた。
最初から"フィンネルの紅剣"をそこに連れて行くつもりであったが、今となっては言い訳でしかない。
ふと視線を上げると南東の空が赤い。
一心不乱に街を駆ける。
人通りの少ない道を行き、大通りに出たところにそれはある。
看板が立てられた工房。
息が上がっていた颯瑪は扉を押し、言葉を搾り出す。
「ネーセルさっ……! あ、ラグリさん」
ドアベルが鳴ったので、一階にいた女性が振り向いた。
ゆっくり羽を休めている暇はなかった。
水を飲んだ颯瑪はラグリに手短にいきさつを説明し、出発しようとする。
「待ちなよ、サッくん」
二階から白衣を着た人物が悠然と下りてきた。髪はぼさぼさで、白衣も汚れている。
「ネーセルさんっ!」
颯瑪はネーセルの姿を認めると、外に出るのをやめた。ラグリにした説明を繰り返そうとするが、感情が先行してしまった。
「聞いてくださいっ。僕、やっと会えましたよ!」
「ふーん、何に会ったというんだい?」
ネーセルが来たため、ラグリはそそくさと仕事に戻った。水を入れていたコップを片付け、二階に上がる。
焦る颯瑪と落ち着き払うネーセルが一階に残った。
「何って――」
「だから何だよ。こっちだって忙しんだ。邪魔しないでくれる? ああもう今の若者は――」
「――に会いました」
独り言を開始したネーセルは颯瑪の言葉を聞き取れなかった。
「……はい? 何に会ったって?」
「だ・か・ら、フィンネルの紅剣ですよ! 不思議ですよね。人になったり、剣の中に入ったり……ああもう解剖したい!」
「解剖はやめなさい」
解剖という言葉に反応したネーセルが、眉間にしわを寄せながら颯瑪の後頭部を叩き、説教し始める。
「"フィンネルの紅剣"? あれは都市伝説だよ颯瑪くん。軍を壊滅させる力をあの種族がもっているはずがない。ラグリも温厚だ。扱いは難しくても、人に危害を与えない。君はもう少し現実的になるべきだ」
「いいや、僕は本当に"フィンネルの紅剣"に出会いました。契約もしました!」
むきになって颯瑪は鞘から剣を抜いた。
刀身は妖しく紅の光を発する。
その光にあてられたネーセルは訝しんだ。
「契約ね。証拠として人型を見せなさい。そうすれば信じられるさ」
ネーセルの提案に颯瑪は口ごもる。
「…………いきなり火の臭いとか言い出して……一人で……」
「颯瑪っ! 君は契約者だろう、どうして離れた!? ラグリ、支度を!」
呼ばれたラグリが一階へ下りてきた。両手で大きな鞄を持ち、準備万端と言いたそうな得意顔をしている。
「上出来だっ」
誤字脱字の報告も待っています。
開戦はもう少し後になりますね。