41.世界の亀裂
エミルの声を耳にし、その場にいた全員がそれぞれ反応を示す。
颯瑪はしゃんと目覚め、紅葉は鼻を鳴らし、ネーセルは眼鏡の位置を直し、ラグリは顔を曇らせ、フィンネルはそんなはずはないと声を張り上げる。
「そんなはずがない……? いいや、事実だ」
虚空からエミルが舞い降りた。後ろにオメガを待機させ、悠々と構える。
「こんばんは、ボクの駒たち。精霊王もとい大精霊と戦う準備はしてきたかな?」
「エミルっ、なぜ帝国までも嵌めた!? 貴様の野望の為に我々帝国は手を貸してきたはずだ!」
フィンネルがエミルの胸元につかみかかる。身長はほぼ同じ。しかし体から溢れ出るオーラが、エミルを外見以上に大きく見せる。クククと笑うと、エミルはフィンネルの右腕をつかみ、凶悪な笑みを浮かべながら彼女の腕を握りつぶそうとする。
「ああああっ」
痛みのあまりフィンネルはエミルの胸倉をつかんでいた手を放し、後退した。「フィンネルさん!」とラグリが駆け寄り、痛みを軽減させる魔法をかける。
「それぐらいで音を上げるとは、弱い生き物だ。ボクら精霊が奴隷として酷い扱いを受けていた時代を知っているかい? 精霊はそもそも属性の象徴。一つの精霊の死が属性バランスを崩し、世界の基盤を狂わせる。かつて精霊世界コルグレスで起こった悲劇のように。……愚痴を言っても仕方ないね。ボクが来た理由は一つ。そこの人間に精霊剣を完成させてほしいんだ」
エミルはネーセルを指さした。ご指名か、とネーセルはエミルを睨みつける。
「……どいつもこいつも精霊剣精霊剣うるさいねぇ。完成させるとしても、何に使うつもりだって? どうせつまらない娯楽なんだろう?」
「娯楽なんかじゃないさ。ボクの崇高な願いのために使わせてもらうよ。加護を受けた武器・精霊剣は人間だけでなく精霊にも効果を持つ万能武器。一本や二本、簡単に作ってもらわないと困るなぁ」
「王国の英雄を来させたのも君の仕業なのかい?」
「うん、そうだね。それで――」
あっけらかんとエミルは言い、ネーセルからフィンネルへと視線を移す。
見つめられ、フィンネルの肩がぶるっと震えたが、すぐさま喧嘩を売るように見つめ返す。
「なあフィンネル、かつての相棒と再会した感想を教えてよ。帝国に直帰してこなかったのも、その火の精霊と一緒にいたかったからだろう? 会いたいと泣いていたキミをボクは知っているんだから」
「戯言を。エミル、自分は貴様のことを信頼していない。王国と帝国ときて、次は何を破滅させるつもりだ!」
「――世界だよ」
世界。エミルの一言に周囲の温度が下がる。それほどエミルの言葉は驚きと猜疑心をもって迎えられた。
「うあー……私の想像通りだねぇ……」
ネーセルの予想は当たっていた。エミルは箱庭を壊すことで大精霊のような干渉をなくすつもりなのだ。箱庭を壊されたらこの世界はどうなってしまうのだろう。このままであるか、最悪全ての生き物が息絶えるのか。という疑問は何人かの心に生まれた。
「ボクが目指すのは新世界。この箱庭を滅ぼして、精霊世界にリンクさせる。そうしたらこの小さな監獄はコルグレスの管理直下となり吸収される」
「コルグレスの直下になったらどうなるの?」
首を傾げて颯瑪は話の腰を折った。そんな空気の読めない彼に向かって紅葉が万籟、と声を張り上げた。何? と颯瑪は眉をひそめる。
「エミルの発言にいちいち反応するな。狂人の言葉に耳を貸す必要はないぞ」
「風は目覚めたばかりだから詳しく知らないんだよ。火の精霊、ボクを狂人扱いするとは、一度調教してあげようじゃないか。サヤカのように」
「断る。誰がお前なんかに」
「つれないね。その孤高さゆえに前回の大戦で活躍したのかな。ボクは興味があるんだ、キミ自身と……キミの真名に」
「反吐が出る気持ちの悪い台詞だな。その程度の芝居でどうやって手下を操れたんだか」
紅葉の反応にエミルは目を細める。まるで楽しいおもちゃを手に入れたかのように。
「ククク、言うね。最後の冠を被れなかった、ただの冠風情が」
「……最後の冠。それが貴様の探しているものか」
「ああ。それがボクの探し物だ。エグスなんだから己の歴史ぐらい本能が覚えているだろう?」
「フレイから聞いた。聖火は人間のために生み出された精霊だと。火の民族にとって聖火はなくてはならないものであり、最後の聖火が生み出されいつかその民族から忘れ去られても、最後の聖火だけは消えてはならない」
「要約するとそんな感じだね。指摘することがあるといえば、普通の冠と最後の冠の絶対的な力の差。最後と謳われているだけあって、最後の冠の方が魔力の量も実力も桁違いだ。ボクはキミのような火の精霊じゃ物足りない。敗北はいらない」
「……戦い好きなアホめ」
「お膳立てまでしたボクの苦労は認めてほしいんだけどな。最後の冠が誰であるか検討はついている。その前に早く箱庭を壊さないと。コルグレスの直下になったらボクらアセノスフィアは本物の精霊になり、より強力な力を手に入れられる。そうしたら人間に復讐できるんだ。楽しいとは思わないかい? 今回の戦いに選ばれたアセノスフィア諸君」
アセノスフィアは精霊世界コルグレスの精霊亜種である。精霊世界の精霊はこの箱庭の精霊――アセノスフィアをどう受けて止めているのだろう。自分もこうなる可能性があったと思うか、それともこの箱庭の存在さえも知らないのか。後者であれば、なんと報われない世界なのだろう。生まれは同じ世界であるのに、他の世界に送られてしまった同胞を知らないなんて。
「選択の猶予は与えたはずだ。ボクと共闘するか、対立するか選べ」
地の精霊の宣言に、水・風(颯瑪)・火(紅葉)は黙る。確かに選択の猶予は与えられていた。王国と帝国のいざこざが始まったあたりから。あのいざこざはこの二つの選択の布石だったのだ。土の精霊と共闘するか対立するか。それぞれのメリットデメリットを考え、己の願いと擦り合わせて近い方を選ばなくてはならない。
「箱庭を壊したら――」
選択を迫られた三者のうち、最初に言葉を発したのはラグリであった。胸に手を当ててエミルの真正面に立ち、対話を望む。
「無駄な争いはなくなりますか。つまらないことで人間同士が争わなくなりますか」
それがラグリの願いであった。生い立ちのせいかラグリは戦いに敏感であり、争うか争わないかが論点であった。
「いい質問だ。この箱庭を管理する精霊がいなくなれば、賭け事のような戦いはなくなるだろう。もっとも、コルグレスに吸収させることで多かれ少なかれ生活の変化はあるだろうけどね」
エミルの答えを受け止め、ラグリは決心するかのように深く頷く。その目には強い意志がこもっていた。
「でしたら、私はエミルさんと共闘を誓います。精霊世界が私達の本来の住む場所ならば……人間と別れた方が彼らの幸せに繋がるのならば……人間と精霊の将来をかけて、奮闘しましょう」
「ラグリっ。お前は、そんな奴と協力したいなんて本当に思っているのか!? 己の望みのために二つの国を追いやった奴なんだぞ!」
紅葉がエミルの蛮行を提示し、ラグリを思いとどまらせようと声を荒げた。
しかしラグリは両手を胸の前で合わせ、神に誓う聖女のように静かに語る。
「今更国がなんだというのでしょう。どちらも頭が足りないマヌケだったということです。颯瑪さんと紅葉さんはどうしたいのですか。私達には力があり、人間とは根本的に違う存在で、求めてもよい幸せは違うのですよ」
「……あたしは。あたしは……ない頭を使って考えてみたが、結局王国と帝国のどちらについて戦うのか決められなかった。あたしはお前と違い、幸せになりたいとも思っていないし精霊とか人間とかどうでもいい。あたしは武器。武器だから使い手に従うと思っていた。でもな、でもな……」
言い淀んでいた紅葉を助けたのは、かつての契約者であるフィンネルであった。
「クレハ、もういいわ。わたしはクレハを戦いから遠ざけたくて、人としての生活を選んでほしくて。なのに、クレハは戦いが好きで、心まで武器になっていて。そんな気持ちがわたしにはわからなかった。でも、わたしが知らない間にクレハは自分の心を持ち始めていたんだね。なぜ戦うのか、と疑問を持ち始めるようになっていたんだね。そんな気持ちが芽生えていなかったら、戦うって即決していたはずでしょう? クレハ、わたしは嬉しいの。知らない間にキミは大人になっていた。今のクレハをわたしは好きよ。だから胸を張って答えを選んで。精霊だからじゃなくて、自分自身がどうしたいかって決めて」
「あ、あたしは……」
「僕は平穏を守りたいな。こんな無益な戦い、一回で終わらせちゃおうよ。人間同士が争わなければ、平和な毎日が続く。うん、平和っていいよね。何も考えないで生きていける」
紅葉があぐねている間に颯瑪は自分の思いを述べた。まさか先を越されると思っていなかった紅葉は、颯瑪に視線を向ける。
「万籟……それがお前の選択か」
「うん。紅葉も早く決めようよ。グズグズしたって時間の無駄だしね」
「……了解だ。現契約者がそう望むならば、あたしも心を決めようじゃないか。エミル、あたしもお前とともに戦う。勿論お前のためにじゃない。これからの平穏のために」
「平穏が一番だよね、紅葉」
「今回の契約者は馬鹿だな……嫌いじゃないぞ」
「僕も紅葉のこと嫌いじゃないよ。むしろ好き」
「ひ、人前で何を言ってるんだお前は!?」
「えー、僕ら相棒でしょー?」
「わかったからこの話は無しだ無し!」
こうして四大精霊は戦うことを決意し、戦いの火蓋が切られた。