40.伝わらない心
「普通なら作れないって追い返すんだけどねぇ、交換条件次第ではやってもいいさ」
「完成しない可能性を含めてか? その提案は」
「後ろ向きな思考だねぇ。絶対完成するとは言えないが、絶対完成しないとも言いきれない。軽ーい気持ちで賭けてみたらどうかい?」
「…………交換条件次第だ」
「まっ、そう来るよねぇ」
慣れた手つきでネーセルは煙草を吸い始め、ふはーと灰色の煙を吐く。その煙が顔面に直撃したので、フィンネルは顔をしかめた。
自分に会話の主導権があると自覚し、ネーセルは上機嫌に話を進める。
「交換条件って言っても、精霊剣の理論を確立するために色々と聞きたいだけさ。のんびりと構えてくれてたまえ」
「理論を確立するための口答なんて、自分は何も――」
「"フィンネルの紅剣"」
「――っ!」
「知らないとは言わせないさ」
「…………」
動揺を隠すようにフィンネルは無言になるが、時すでに遅し。
フィンネルの紅剣がただの武器ではなく精霊であることをネーセルもラグリも知っていた。そもそもこの工房に居候している颯瑪がフィンネルの紅剣と契約し、普通の剣に赤い力を宿したのが全ての始まり。いや、本当の始まりはフィンネルが王都から離れ、フィンネルの紅剣を一人にしてしまったことだろう。一人にされた悲しみでフィンネルの紅剣は暴走。軍を壊滅させた。
「"フィンネルの紅剣"は、我がフィンネル家の宝剣だ。それ以外に言えることはない」
「へー、『知らない』じゃないんだ。そうかいそうかい。言えることがなくても教えてもらうおうか。エベチャンク=フィンネル」
「貴様、どこまで知っている!」
狼狽したフィンネルは立って剣を抜き、怪しく笑うネーセルに剣先を向けた。
「直情的なお嬢さんだねぇ。私ぐらいの年齢になると感情を剥き出しにするのも億劫になるんだ。喧嘩しちゃあ、そちらの分が悪くなるだけさ。あくまでも依頼主という立場であることを忘れないでほしいねぇ」
「はい、そうなのか……って自分が言うと思うか!?」
「思わないねぇ、なんたって"フィンネルの紅剣"の元契約者なんだろう? ペットが主に似てくるのは仕方のないことなのさ」
「クレハはペットじゃないわ!」
「は、私だって精霊をペットだと思っていないさ。ただ例えにはちょうどいいだろう?」
「……老獪な錬金術師だ」
「褒め言葉として受け取っておくさ」
ネーセルという人物がつかめないまま、フィンネルは剣を収め椅子に座りなおす。紅茶が切れると、ラグリがすぐに入れてくれた。
「話を戻すが、自分は王国で本名を名乗ったことは一度もない。どこでエベチャンクという名を知った?」
「わからないのかい?」
逡巡するも、フィンネルは諦めて首を振る。
「私がこのワタリに根を下ろす前に帝国に在籍していたんだ。その時に何度かフィンネル家と関わることがあってねぇ。フィンネル殿の噂も小耳に挟んでいるよ。勇ましいお転婆娘だと」
煙草を灰皿に押し付け、また新しい煙草に火をつけたネーセル。その振る舞いは普段ラグリや颯瑪と接している姿とは違い、外見年齢よりも一回りずる賢く隙がなかった。これが錬金術師ネーセルの本来の姿であるかもしれない。
「その話が本当なら、良く帝国から逃げて王国に入国できたな」
「機転が利く助手がいたのでね。そう大変なことはなかったさ」
ネーセルに視線を向けられ、ラグリはにこりと微笑む。心の中では「きゃー、ネーセル様ぁ」とときめいていることを誰も知らない。
「……そうか」
「そうだよ。って私のことはどうでもいいだろう? "フィンネルの紅剣"についていくつか確証を得たい。嘘をついても私にはバレるから覚悟しておいてほしいさー」
「わかった。知っていることは話そう」
ネーセルが聞いたことはフィンネルの紅剣の持つ歴史やフィンネル家が精霊について知っていることだった。どう言うべきかと言葉を選びならがフィンネルは答えていく。
「"フィンネルの紅剣"――火の加護を受けた剣であり、我がフィンネル家の宝剣として祀られているということは言ったな。加えると、剣の中に宿る精霊は滅多に人前に現れない。あの子が自分の前に現れたのは、王国と帝国の争いが激化してからだ。己の名前さえも知らない子で、妹のように可愛がったわ」
「君は火の精霊について語るときにだけ、柔らかい口調になるねぇ。時には母親のように、時には姉のように」
「……かたぐるしい口調にしなくてもいいわね。人間だろうが精霊であろうが、生き物であることには変わりないのよ。会話もできる知識人。それなりに愛着を持ってしまうのは必然でしょう?」
柔らかい口調で語るフィンネルは騎士としての雄々しさが見られず、女としての部分を垣間見せていた。フィンネルと"フィンネルの紅剣"の絆はいちいち語る必要がないくらい深いもので、他者の介入を許さなかった。
「帝国の人間が全員君みたいだったら、奴隷制度なんてなく皆幸せに暮らせていたかもしれないねぇ。戦いなんて起きず、お互いがお互いを尊重し、それは夢のような生活を送れていたかもしれない」
「無理よ。世界が存続していくには戦いが必要なの。人類は戦いの中で色々な技術を生み出してきた。動機がなければ人々は動かない。そんなものだから」
「一国の英雄が戦いを援護するとは、たまげたたまげた! 私は戦いなんて嫌いさ。死ぬまで研究をしていたいんでね」
「わたしだって好きではありません。ですが、この世界に定期的に火種は芽吹く。それは基本、外部からの……この世界の上層部からの力で」
「この世界が箱庭で道楽者の遊び場であることを君は知っていたんだねぇ。それでよく国のために戦おうと思えたものだよ」
「錬金術師さんこそ、知っていたんですか」
「ラグリが全部教えてくれたのさ。精霊についても、世界についても全部。恐らく颯瑪くんも紅葉くんも世界の真実にたどり着いているところさ。二人がどの選択肢を選ぶか興味は尽きないなぁ」
颯瑪と紅葉が得た真実をネーセルとラグリはすでにわかっていたのだった。紅葉は記憶があやふやなので知らなくても仕方はないが、ラグリは水の精霊として何度も戦場に降りたった。戦ううちに知ってしまったのだろう、戦いを生み出す世界の仕組みに。
「地水火風の四大精霊が集まった今、世界はどう動くのかねぇ」
「風の精霊……?」
「ああ、フィンネル殿は知らないのか。真面目な男だよ。その驚き方から察するに、土の精霊については知ってるのかい?」
「ええ。土の精霊の名はエミル。帝国の参謀として働いています。外見は幼い少年でありますけれど、中身はれっきとした殺人鬼だわ」
「エミル、か。そいつはどう動くのかねぇ。帝国につくつもりなら、争いは激化しそうだが――」
ネーセルとフィンネルが会話している最中に来客を知らせる鈴がチリンチリンと鳴る。
「ただいま……」
「帰ったぞ」
入ってきたのは疲れた様子の颯瑪と紅葉であった。前者は疲労感で今すぐにでも倒れそうな状況であり、後者は覇気がなく物憂げな瞳をしていた。
「……!? クレハっ!?」
「フィン、ネル……」
フィンネルと紅葉が顔を合わす。偶然であるだろうが、まるで誰かに仕組まれていたのではないかと疑ってしまうぐらいタイミングが良かった。
「会いたかったわ、クレハ」
「ふん。あたしはクレハではない、紅葉だ。フィンネル、ここに来た理由によってはその体の贓物を燃やし尽くすぞ」
フィンネルの気持ちは嘘ではなかった。数年間戦場を共に歩いたのでそれなりの愛情はあり、それが所謂吊り橋効果であっても、彼女はかつての己の半身に会いたいと思っていた。
しかし彼女のそんな気持ちは紅葉には伝わらない。自分を捨てた存在を友人と思えるほど、紅葉が得た感情は軽くなかったのである。
「まあまあ二人ともそれぐらいにして。颯瑪くんも紅葉くんもこれからについて聞いてほしいことがあるんだ。一言も漏らさずに聞いて欲しいさ」
「ネーセル、それは帝国の奴にまで聞かせなければならない話か?」
「全員に聞いてもらいたいねぇ」
「……わかった」
ネーセルの言葉に納得したのか、紅葉は近くの適当な棚の上に飛び乗った。赤い着物の裾は汚れており、伸びる素足も普段よりは血色の悪い色だった。
「ネーセルさん、僕は休んでもいいかな……流石に今日は歩き回って疲れたんだ」
「少し我慢してほしいさ」
「ふぇー」
目をこすり、颯瑪はネーセルの隣の席に座る。フィンネルと対面する形となったが、本人は気にしていないのか敵意を持たず眠気と必死に戦っていた。
「君がクレハの現契約者? クレハがいつもお世話になってるわ」
「んー、誰でしたっけ」
「フィンネルよ」
「僕は万籟颯瑪です。よろしくお願いします」
「よろしくね」
フィンネルと颯瑪が挨拶したところで仕切り役であるネーセルが口を開いた。
「エミルという土の精霊の目的は、精霊に喧嘩を売ること。この世界を支配する精霊を打ち破った時にもたらされる変化……それが土の精霊の目的なのさ」
「"精霊世界コルグレス"。それが土の精霊の目的ならば……全面戦争になるかもしれません」
「失礼。その"精霊世界コルグレス"とは何かな?」
フィンネルの質問にラグリは答える。
「私達精霊の生まれ故郷です。精霊はコルグレス様の恵みを受けて存在し、持って生まれた使命を果たすことでコルグレス様に恩返しするのです」
「ということは僕もその精霊世界で生まれたのかな?」
「はい、颯瑪さんも真名を思い出せば自分がどの一族の生まれでありどのような使命を受けているのかわかると思います」
「ラグリ。それはあたしに対する宣戦布告か」
「構いません、そう思われても。紅葉さんは自分の名前を知らなくても納得できるんですか?」
「……エグスであることは知っている」
「エグスはエグスであることの共通名です。個体名ではありません」
「…………」
「精霊にとって真名は命の次に大切なものです。お分かりくださいませ」
颯瑪は明後日の方を向き、紅葉は俯いた。
「まあ知らないことを知る楽しみがある、とでも思ってればいいさ。で、近日中に土の精霊がまた仕掛けてくると思うんだよねぇ……例えば帝国が奪われる、とか。……なわけないか! うんうん、妄想も大概にしないとねぇ」
その時、大変だ大変だと急に外が騒がしくなった。
誰かが動き出す前に、騒ぎが工房にいた全員を包み込む。
『やあ、こんばんは人間ども。我が名はエミル。オド=エミル=グーシー。この声はボクの力により王国にいる者全ての脳内に直接届いている。聞け! 人間。帝国は我が軍隊が支配した! 王国もすぐに我が力にひれ伏すだろう! 我が目指すのは新世界の幕開け! 最後の一日を楽しむがいい! くははは、はーっはっはっは!』
箱庭の世界にヒビが入った。
これにて第五章終了です。