39.動き出す時
冷たい廊下をエミルとオメガは歩く。二人は真顔であるが、常人であれば顔をしかめるような冷風が体をすり抜けた。二人が寒さに強いのは土の精霊であるからだろう、慣れているのである。
「オメガ、クライムは動いてくれたかい?」
そう問いかけながらエミルは自室の扉を開き、入るや否や飲み物の準備を配下であるオメガにさせる。
「はい、渋々受けてくれました」
数秒後にはオメガの手元に湯気の出ているティーカップが握られている。魔法で生み出されたそれは本物と遜色ないが、味までは保証できない。出されたティーカップに口をつけ、エミルはクククと喉を鳴らして言う。
「なに、あいつがどう動くかは計算済みだよ。火を消しても問題ない。エグスは一体ではないんだ。最後の冠はこちら側につけたいけれども、コルグレスからやって来ているかどうか」
最後の冠・ファイナルエグス。紅葉やラギを筆頭とする火の子の中で、最後に生まれたエグスは特別にファイナルエグスと呼ばれている。身に宿した聖火は消えることがないため不死であり、同時に他のエグスよりも秀でた能力を持つため一部の者からは血眼になってまで探されている。その探している者の一人が、ここにいるエミルだった。
「エミル様、準備はお済みで?」
「勿論だ、抜かりない。ふふ……これからが楽しみだ。そうだオメガ、ボクと一緒に行かないかい? 城下はきっと面白いことになっている」
「私も楽しませていただいてもよろしいでしょうか」
「楽しめる時に楽しむといい。キミらはボクがいないと花を咲かせられないんだ」
裸になった木の下に落ちた枯葉。踏むとカサカサし、簡単に破れる。冷気を運ぶ風に煽られて、また一枚葉が誘われる。そして名も知らない者に踏みつけられる。
厚着で身をかためた者達が通り過ぎていく。どの人も疲れきった顔をしていた。この冬を越せるかどうか不安なような顔つきで、とぼとぼ横に振れながら奥に消えていく。
雪に埋もれると物資の運搬が困難になるため、どの家庭でも備蓄をしなければならなかった。運搬の主流が馬車である以上、速度も限られる。大量の荷を一度に運ばせるわけにもいかない。
「今年の冬は冷え込みそうだ」
人間の苦労を知ってか知らずか、エミルは呑気に呟いた。
「どれぐらいの兵が万全な状態で出られるでしょうか」
「足りなければボクの私兵を増やせ。足手まといは戦場に連れ込むな。邪魔だ」
「わかりました」
処刑を行おうとしたあの日以来雪は降っていない。次の行動を起こす際には雪になるだろうか。そんな考えがエミルにふと浮かぶ。
「さて、火はこちらと正面衝突するとして水はどう動くかな。アレは生い立ちからするに人間と敵対すると思うが」
「いえ、とある人間を慕っているようでした。その人間をこちらに引き込めばいいのではないでしょうか」
「簡単に事が進むといいけどね。……待っていてよ大精霊。こんな箱庭すぐにでも壊してあげるから。うふふふあはははは!」
* * *
工房でくつろいでいたネーセルが突然「……ごふっ」と飲み物を吹き出した。
「わわわ、ネーセル様大丈夫ですか!?」
「けほっ……すまいないね、ラグリ」
「いえいえ、これが私の仕事です」
コーヒーがテーブルに小さな水たまりを作る。ラグリはそれを布巾で拭き取り、新しい飲み物を準備しますかと問うと断られた。
咳を何度か繰り返し、ネーセルは落ち着きを取り戻す。カップをテーブルの上に置くと大きなため息をついた。
「困ったねぇ。本当に困ったねぇ。二人だけじゃあどうにもならないねぇ」
困った困ったと呟くネーセル。いつもと表情は変わらず、口調も明るいので本当に困っているようには見えない。
「ラグリ、手を貸してくれそうな手練を知らないかい? 私とラグリだけではどうにもならないんでね。颯瑪くんらは別行動だろうし、それ以外に私を守ってくれる人が欲しいんだ」
工房に賊が入ってきたせいで精霊剣の資料がなくなり、街の惨状のせいで薬や道具が足りない。ネーセルとラグリは工房から出られないため、材料を取ってきてくれたり直に街の人に会って要望を聞いてくれる第三者が必要となってくるのだ。
「すみません、私……街の人ぐらいしか面識がなくて。自警団の人はどうでしょう? ネーセル様のお眼鏡にかないますか?」
「んー、無理だねー。たいした訓練のない雑魚が集ったって強い奴に一発で負けるんだ。せめてラグリと同等かそれ以上……」
「ネーセル様ぁ、私一人でもなんとかなります! ですから私以外の人なんて雇わないでください!」
ネーセルのぼやきでラグリが騒ぎ出す。こうなることを予想していたのか、ネーセルがまた大きなため息をついた。
「わーかってるって。ラグリ以上なんていないさ。……噂のフィンネルぐらいの手練がいれば……」
チリンチリン。
言いかけたところで来客を告げる鈴が鳴った。自然と視線がそちらに向けられる。
「――自分に何用か」
「ぶふぉっ!?」
「え……」
視線の先にいた人物を目にして、ネーセルとラグリは驚きで言葉を詰まらせる。
女性としては高めの身長、獣のような金色の瞳と新緑のような緑の髪。艶のある髪は光を反射し、淡い黄緑色を髪にのせている。キリリとした眼差しは志を持つ証拠であり、伸びた背筋は心が引き締まっている証拠。予想だにしていなかった女騎士の登場に、ネーセルは眼鏡の位置を直した。
「黙るな。自分に何用かと聞いている」
「えーっと、どちら様で?」
「む? 知らないはずがなかろう。自分がそのフィンネルだ」
「はあああぁぁぁ!?」
「ふええええっ」
小さな工房に二つの絶叫が木霊した。
「ウワサノフィンネルドノガ、コノコウボウ二ドンナモクテキデ……イラシタノ、デスカ」
「そう緊張するな。……ありがとう」
「いえ、ごゆるりと」
ラグリが紅茶を用意するとフィンネルは礼を言う。その礼を受けラグリは小さくお辞儀をし、主を立てようと数歩下がった。
「王国の英雄に会えるとは思っていなかったからさ、似合わない緊張をしてしまったさー。それでここに来た目的は? まさか雑談しにきた――って訳はないよねぇ」
「――王国か。自分はもうこの国を捨て、故郷に帰った。名前だけ有名になっているだけで、この姿は周知されていなかったから、幾分この国に入国するのは楽だったわね」
「へー、言われてみれば最近フィンネルという名前を聞いていなかったさ。時期としては……そうだ、王都の軍が何者かに壊滅させられた時ぐらいかねぇ」
ここで敢えて"フィンネルの紅剣"のことは口に出さなかった。フィンネルの紅剣について知られていることは、フィンネルが使用している紅の剣だということだ。人型をとれる精霊であることは周囲に漏れておらず、軍を除いた一部の人間しか知らないであろう。
「それは……」とフィンネルの視線が泳ぐ。どう言えばいいのか、答えあぐねているようだった。
そんな彼女を目にして、ネーセルは逡巡する。
「軍は消えたのに、街の被害はそうでもなかったみたいなんだよねぇ。襲撃者はどんな手で軍のみを相手にしたのか」
「…………」
「おやー、思い当たることがおありで?」
「錬金術師、今日はこの話をするために来たのではない。個人的な依頼だ」
「私としては、依頼者の国籍を知りたいんだがねぇ……まあ、錬金術師として応えられる依頼は聞くよ」
口から出てくる言葉は嘘だとネーセル本人は知っている。先日帰ってきた颯瑪がフィンネルに――"フィンネルの紅剣"の元使い手に会ったと言っていた。そしてフィンネルという言葉を否定した元"フィンネルの紅剣"――紅葉の言葉。この三人の間で何かが起きたことは明白であった。フィンネルがこの国から抜けたということが本当ならば、戦争の相手であった帝国と考えるのが妥当かもしれない。
「とある武器の作成だ」
「これは……ッ!」
フィンネルが出した資料は、紛れもなく工房から消えていた精霊剣の資料であった。勝手に奪っておいて今更何を言ってるんだと腹の虫が治まらなかったが、依頼だと表面上は冷静に振舞う。
「貴殿の工房から盗んだことを許して欲しい」
「はっ、怒りたいけどいいさ。これを作成して欲しいのかい? フィンネル殿は」
「話が早くて助かる。知り合いの誰もがこれを見て作れないと言ったんだ」
「考案者である私なら作れるだろうって? 甘く見られたものだねぇ」
「では、作ってくれるのか!?」
「んーや、この剣について甘く見られたって言いたかったのさ。媒体の剣はある程度の硬度があればいいが、力の源が見つからない。これは精霊剣。精霊の力を宿すとしても、その精霊はどこにいる? どの程度の力をどれぐらいの間込めていられる? 理論はできていても色々穴だらけのブツなんだよ、これは」
トントン、と資料を指で叩く。
ネーセルが言った精霊剣について説明したことは嘘ではない。剣を媒体として魔法剣を作り上げる。それをただの魔法ではなく紅葉やラグリのような精霊の力を封じるためにこれは立案された。
「普通なら作れないって追い返すんだけどねぇ、交換条件次第ではやってもいいさ」
そうネーセルは提案した。
今年の三月終わりまでに完結させたいです。