37.迫られる選択
紅葉と颯瑪はネーセルの工房で目を覚ました。これまでのことは夢だったのだろうか? そう疑おうとしたが、サヤカが死んだという事実から目を背けられなかった。
工房にいるネーセルは何も言わずに作業に没頭していた。眼鏡は曇り、少し痩せたのかずれている。それに研究資料も消失したということだけあって思いつめた表情。そのため以前よりも増してラグリはネーセルに献身的に仕えていた。
どちらかといえば天然である颯瑪も二人の変化を感じ取っていた。互いに情報交換することもなく、時間だけが過ぎていく。
「……ふぅ、これで今日分の仕事は終わったかねー」
「お疲れ様です、ネーセル様。夕食の準備はできております」
「おっ、準備いいねぇ。流石私の助手!」
最後の一言でラグリは顔を赤らめた。そんな……とブツブツ独り言を呟く。きっと今頃お花畑でランランしているような妄想が展開されているのだろう。もっといじめてください……とラグリが誰にも聞こえないような小声で言い、慣れた手つきで食事をテーブルに並べ始めた。
「さてとさてと、颯瑪くんと"フィンネルの紅剣"が私の部屋の中にいつの間にかいてびっくりたまげたよー。侵入の技でも覚えたのかい?」
「ネーセル、これからあたしのことを"紅葉"と呼べ。あたしはもうフィンネルの紅剣ではない」
少々の間を置き、ネーセルは頷く。
「……へー、そっちでも色々あったんだねぇ。もちろんこっちも何もなかったわけじゃないさー。ちょいと街が荒らさちゃってねぇ。……王都にも寄ってみたが、ひどかったよ」
食事中だというのにネーセルが葉巻を吸い始めた。ラグリと紅葉に食事は必要ない。摂ったとしても己の属性と変換される。見た目を人間に似させようと汗を流し疲労や体の重さ等を感じてはいるが、中身までは人間そっくりではないのだ。
颯瑪も徐々に人から精霊へと変化し始めている。そのせいか、目の前に出された食事を見ても腹は減らず食指も動かない。娯楽という観点では口にできるだろうが、彼は摂らなくてもいいのなら摂らないだろう。
「颯瑪くーん、食べないのかい? ほらほら~」
「あ、いいです。お腹すかないですし、最近食べなくてもどうにかなってるんで」
「……いつから食べてないんだ?」
フォークで刺した肉をネーセルは引っ込めた。眼鏡の奥を光らせ首をひねった。
颯瑪は視線を斜め左に持ち上げ、記憶を手繰り寄せる。
「うーん……故郷を出てからー?」
「颯瑪くん……」
「……颯瑪さん、私と同じになってしまったんですね」
ネーセルは言葉を失い、食事を運び終え席に着いたラグリは眉尻を下げた。一瞬の沈黙は重く、これから話題が出るのか不思議なくらいだった。しかしそんな重さも颯瑪には軽いものであったらしく、真顔で返答した。
「ラグリさんはわかるんだね」
「はい。なんとなくですがわかります」
「……颯瑪くんもラグリと同じか。ここで人間は私一人ってことかいな……。んまー、颯瑪くんを拾ってきたときから何となく人間離れしてるなーって思ったけど、まさか本当にそうだったとはね……」
「ネーセルは驚かないのか。私は驚いたぞ」
「こうけ――紅葉の驚き顔見たかったねぇ。顔芸というか面白いものが見たくてさ」
「顔芸ってお前……あたしはしないぞ」
「んじゃ僕……にぱああああ。面白い? 面白い!?」
「面白いですか、ネーセルさばぁぁぁ」
颯瑪とラグリが揃って変顔大会を始める。頬を引っ張ったりへこましたり。目を見開いたり閉じたり。歯茎を見せたり唇を前に突き出したり。途中からネーセルも加わって賑やかになる。
(……自分の正体について、知らない方が幸せだったのかもしれないのに。あたしは受け入れられるか? エグスの歴史を。いつか知ることになる自分の真名を。……あたしもサヤカと同じだ……)
紅葉だけは一歩引いたところにいた。
この四人の中で最後に加わったのが紅葉であるからか。元々ここに居候するようになったのは契約のためだ。依り代がなければ存在できないせいで颯瑪の剣から離れなれない。それはラグリも例外ではない。ただラグリは一定の依り代をもたず、ネーセルの需要に応じて様々な武器に宿る。
(万籟はどうなんだ……? 依り代がなくてもこの世にいられるのか? というかその体こそが依り代なのだろうか。……あたしはどうすればいいんだろうな……。これからどうするべきなのか)
変顔大会は顔に落書きをするところまで進展していた。黒インクを顔に塗っていくのだ。何が面白いのだろう、と紅葉は首を傾げながらぼんやりと眺める。
「こらー、颯瑪くん待てぇぇぇぇ。誰がおばさんだあああああああああ!」
「ネーセル様、落ち着いてください。私の方が年上ですから安心してください……」
「僕の地元じゃ女性は二十歳前に結婚しないと行遅れって言われてましたよー」
「それはそこだけの伝統だ! 私はまだぴっちぴちで採れたてだぞ!」
「ぴっちぴちのネーセルさまぁ……うふふ。美味しそう……」
「ほら、そこ! なにやましいことを考えてんだっ」
「わわわわ、私はただ食べたいなって……あらいけない」
「ラグりいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
「きゃあああああん」
(……はぁ、何やってんだか。そろそろ寝るか)
被害を受ける前に火へと戻る。これなら落書きはされないだろう。颯瑪の剣の中に入り、静かに眠りにつく。温かくて気持ちいい。ここがあたしの――。
* * *
「……颯瑪くん、紅葉は寝たのかい?」
「はい」
「そうかい……」
「ネーセルさんは紅葉が心配ですか?」
「心配……というかフィンネルの武器として王都にいたんだろ? あの壊れた都を見たらどう思うんだろ……ってさ」
「王都ってどうなってたんですか?」
「……国としての体裁は保てなくなるだろう。そうなれば隣国から攻められ国自体が滅びるかもしれないねぇ」
「ねぇ……って楽観的ですね」
「あー、まーちょっと気になることがあってね……。んで、結局颯瑪くんはどうするんだい?」
「王国と帝国、どちらが壊滅しても僕はいいです。生きていける場所があるなら十分なんで。追い詰められたら故郷に帰ることもできます」
「……紅葉は王国を守るだろうけどねぇ。王都の被害がひどいのもどこかの誰かさんが軍をやっつけっちゃからさ……フィンネルとの思い出の場所なんだろう?」
「僕、フィンネルと会いました。気高い女性でした。今の紅葉に大きな影響を与えたんだと思います。言葉遣いや仕草。なんとなくわかるような気がするんで」
「颯瑪くんがそう言うなら……確信と変わるよねぇ……はぁぁぁぁあ、時間の余裕はあんまりないんだろうけどさ、やることが多すぎやしないかい?」
「でも少しずつやらないと。何も好転しない」
「そうなんだよねぇ……わかってはいるさ。颯瑪くん怪しいことしてるのかなぁ……ってあの子に調査させたけどさ、特に何もなかったみたいだし。はぁーあ、やんなっちゃうなー」
「ネーセルさん、僕のこと疑っていたんですか」
「んー? そりゃあ無条件で他人を信じるような人間ではないんでね。でも納得したさ、颯瑪くんも人間じゃなかったのか……って」
そして夜は更けていく。
次の選択は迫ってきていた。
次の話はなるべく早めに投稿します。




