31.後悔先に立たず
颯瑪サイド。
土の力を込めた鉄格子が、空気を分け隔てていた。日の光は少しだけ窓から入ってきており、昼になると日なたぼっこができそうだった。そんな心の余裕はないけれど。
自分の行動で周りに迷惑をかけたのはいつぶりだろう。覚えてないや。里を出て一人旅をするようになってから、ネーセルさんとラグリさん以外を頼った覚えがあまりない。痛い。刺された場所から悲鳴が聞こえるようだ。助けてくれと何かが叫んでいる。
足は動かせるだろうか。
「動いた」
気にかける必要はなかった。叫ぶほど痛かったというのに、もう傷口は塞がっている。大した体だ。本当に化物じみている。でも里の人間も怪我を受けることは少なかったと思う。四肢を切断されるような大怪我を負った人間は知らないし、ほとんどの住民は寿命で亡くなった。それは風の加護ゆえか。あるいは――。
短刀を突き立てられたときの痛みは本物だった。肉が抉られるような痛みは天命を全うするまで忘れないだろうが、喉元過ぎれば熱さを忘れるものであり、完治した今となっては何も感じない。肉体の反応が遅くて歯軋りをしたくなるぐらいか。
「傷つけたら痛みを感じられるのかな……? だめだ、武器を自分の血で汚しちゃだめだ」
死はこんなにも近くにある。鋭利な刃物で首を撥ねれば、即死できるだろう。いつまで自分という感覚が残っているかは置いといて。自分は生きていかなければならないから、死ぬわけにはいかない。それに人間としての体と精霊としての体がどういう風に結合し絡み合っているのか知らない。
「コルグレス。君は僕に何をさせたいの――?」
救いの手はどこにもない。
* * *
数日が過ぎた。生理的な欲求は睡眠欲しかなかった。食事も排泄も必要ない。颯瑪は己の体の異常性に改めて認識した。
処刑の決行は翌日に迫る。逃げるなら今しかない。
「万籟……、逃げるぞ」
紅剣が土の場を火へと変え,全力でぶつかればこの鉄格子を壊せるかもしれない。一か八かでやってみるか。それは颯瑪本人にかかっている。
「ううん、僕は平気だよ。君こそ機会を伺っていて。今は時期じゃない」
颯瑪は首を振った。やや沈んだ顔つきであるものの、決して痩せ我慢をしているようには見えない。
「お前、事の大きさをわかってるのか? 死ねるのかと聞いてんだよあたしは! ……もっと命を大切にしろ。悲しむ奴がいるだろ」
「いないよ。僕は剣を振るえればそれでいい。他人なんて関係ない。僕は僕であり続ける」
「死を正当化するな。お前は大馬鹿ものだ。里の人間が泣きまくって枯れるぞ」
「……じいちゃん……。僕が死んだら、じいちゃんは悲しんでくれるのかな」
「当たり前だ。きっとあの老いぼれはショック死するぞ」
「そうか……そうかも……。僕は生きたい。まだ集められてない武器だってあるし、本能が生きろって言っているんだ。でもさ、第三王子だっけ。彼を殺したのは僕だ……っていう実感もあるよ。後悔っていうのかな、……君と外に出たとき、殺害した人物だと思う」
「あの、死体が風解していったやつか。顔つきは覚えていないがな。……気にするな、これからはあたしが教えてやる。間違いそうになったら、あたしが助けてやるから」
紅剣が後ろから颯瑪を抱きしめる。火の属性をもつためか、じんわりと温かい。心にあいた穴が気にならなくなるくらい、温かい。
「あったかい」
「おい、こらっ」
颯瑪は体の向きを変え、紅剣を正面から抱きしめ返した。互いの視線がぶつかる。
紅剣は抵抗しているものの、本気で逃げようとはしなかった。頬を赤く染め、ぷいっと目をそらした。
「……僕はどうすればいいのかな。八方塞がりだよ。策なんてなくなっちゃった」
「陰険なあいつのことだ、精霊を消滅させるような力を使ってくるぞ。逃げたって、何も変わらないな。……悪かった、あたしの方が軽率だった」
「君はなんにも悪くないよ」
颯瑪の体が震える。瞳から雫がこぼれ落ち、紅剣の頭に触れて気化した。
「思う存分に泣け。明日生き残れたら、泣くんじゃないぞ」
「わがっだ……」
静かに夜はふけていく。二人は逃げずに、眠りについた。
運命の朝。
帝国の朝は寒かった。今にも雪が降りそうだ。
冷たい風が隙間から侵入してくる。颯瑪がくしゃみをする前に、紅剣は火を分け与えて温めた。二人に生まれた信頼関係はより深くなっていくであろう。
約束の時間になると童顔の茶髪少年が訪れた。眉にシワを寄せ、颯瑪を見下す。背筋が凍るような気味悪い表情である。
「……脱走するかと思ったんだが、的外れだったようだ」
「うん、僕は逃げないよ」
少年はキョトンとすると、すぐに口の端を持ち上げる。顔に似合わない怪しい笑みだ。考えが深く、腹の中も真っ黒なのだろう。白いところが一点もないくらい黒一色で染まっているのだろう。
「来い、サツバ=セルヴァント=コルグレス。世界の名を語ることを許さし唯一無二の精霊よ」
少年は牢獄の鍵を開け、颯瑪に手枷をはめる。紅剣の宿る武器は没収された。
一人になったというのに、颯瑪は臆せず爽やかな面持ちで少年の後ろを歩いていった。
「オメガ、クライム。配置につけ」
「はっ」
「めんどくさ……」
少年の後ろにオメガとクライムがいた。少年に命令された二人は全身を黒で固めている。作りが似たそれは正装というのであろう、目を引く金糸が襟や袖を彩っている。
「このアホ面が"フィンネルの紅剣"の現ケイヤクシャか。優男って感じ。キメーな」
「あぶないな、もう……」
クライムの素早い蹴りを颯瑪は難なく避けた。手錠をしているのにも関わず、横に飛んだ。
「……無能ではねーか」
フンと鼻を鳴らすと、クライムは一人で先に行ってしまう。オメガは一礼すると、歩いてクライムの後を追った。
「元気な男の子だねー。野山をかけて動物でも追っかけまわしてるのかなー?」
「怖くないのかい? サツバ。キミは下手したら死体になるんだ」
「死なないよ。ボクは死なない」
きっぱりと断言すると、少年は眉を曇らした。
「暗示かな? 恩恵の呪文に頼るか」
「何度も言うけど、僕はそのブレなんとかは耳にしたことないよ。……囁いてくる。僕はここで死なないって――」
颯瑪が視線を上に投げる。
紺碧の空に灰色の雲が浮いていた。無風といってもよい状態で、颯瑪は目を細める。
「……精霊ごときがボクを通さないで会話するとは。驕りにもほどがある」
「君は土属性だっけ。声が聞こえないの? 風に紛れて土の声も聞こえてくるよ」
「いちいち癪に触る奴だな」
目指すのは血に濡れた処刑台。さあ君の血も吸わせておくれ。




