30.目を見開いて
暗闇の中、颯瑪は眠そうに目をこすっていた。ぼんやりとする視界には自分以外誰もいない。それが夢だとわかるまでに少々の時間を有した。
「久方ぶりだね、サツバ=セルヴァント=コルグレス。何度太陽が昇り沈んだだろう。クク……コルグレスだけでなくセルヴァントを名乗れるとは。世界に祝福されているのかい?」
声は天井から降ってくる。声の主の姿は見えず、中性的な声から判断すると若いかもしれない。言葉遣いは旧友に語りかけるように柔らかいが、見え隠れする老獪さが神秘性を駆り立てる。
「僕は君のこと知らないよ。会ったことある?」
「ないといえばない。あるといえばある」
「……謎かけ?」
「嘘偽りなきこと」
「へー、君ってなぞなぞが好きなんだね。奇遇だなあ、僕もだよ。言葉には意思が宿り、それは外へ出て、その力を体現するんだ」
「恩恵の呪文か」
「何それ? 知らないよ」
「一度テオ=ラグリ=ハーデンスが冷たい雨を降らせたと思うんがね。……まあいい、ボクがキミに言いたいことは一つだけ。世界の頂点に立たないか? 人として生き、身に属性を宿した精霊。キミこそがボクの求めていた最高傑作」
「……? ……独り合点しないでよ。なんのことかさっぱりだ」
へそを曲げ、斜め上に視線をそらす。颯瑪は内容をほとんど理解できなかった。詩人のような感性や遠回りの発言で悟るような物わかりのよさも彼は持ち合わせていなかったのだ。
「キミは切り札だ。ボクが直々(じきじき)に教えよう」
地水火風の四大属性から一人ずつ選出される。
水のテオ=ラグリ=ハーデンス。
火の"フィンネルの紅剣"。
風のサツバ=セルヴァント=コルグレス。
もう一人の土属性を加え、計四人がこの世界を動かす駒となる。
「精霊って?」
「……そこからか。キミは"フィンネルの紅剣"とどういう思惑で契約したんだい?」
「うーん……なりゆき?」
「区区たる問題だと言いたそうだな。そのような軽い気持ちで足を踏み入れたか。キミが力のないただの人であれば……無謀でしかない」
「僕からしてみれば君のほうが変。ただの人なんていないよ」
「変わっていることを言うものだ」
「変わってる? 僕が? 君みたいな人のほうがおかしいよ。みんな考えすぎなんだ。"フィンネルの紅剣"もネーセルさんも悩んでばっかり。世の中はね、簡単にできているんだよ。生きたいか、死にたいか。その二つ。死にたいなら殺してあげる」
颯瑪は帯刀に触れようとするも、そこには何もない。
「天然なのか淡白なのか。だからこそ世界は――コルグレスはキミを選んだのか。他に寄り添うことなく自立できる者。……興味が湧いた。キミが罪を犯さなければ、平和であったのに。終焉への引き金を引いたのは、キミだ」
「僕……?」
「言い逃れはできない。たとえキミが依頼を受けて行動した者であろうとも。生きてみろ、サツバ。生き抜いたら最高級のもてなしをしようじゃないか」
高笑いが響くと、だんだんその声は遠くなっていく。
「何をしたんだろう? 僕は……」
答えはいつもはぐらかされる。それに比べたら剣はいつも真っ直ぐだった。切っ先に心が現れる。どんなに歪んでいても、それが本人の正義であれば――湾曲しているように見えないかもしれない。
* * *
大きな音で意識が浮上する。頭は痛い。上下感覚を失ったかのような目眩もする。何かをしなくても、世界が揺れているようだ。気持ち悪い。頭の中で何かが音を立てて転がっていくような気分である。
「あ……」
言葉は周囲に溶け込んで、自分自身にさえも届かない。
「万籟、申し訳……ないな。いや、謝罪の言葉ではすまされない。守れなか……」
紅剣が隣で仰向けに倒れていた。額に浮かぶ脂汗は異常だ。下半身はチリチリと焼かれており、人と呼べるような形をとってはいない。口を動かしている最中に火の粒子に変わり、依り代へ戻っていく。
「歓迎するよ、サツバ。ようこそボクの城へ」
言葉をかけられ、颯瑪は視線をあげる。そこには茶色の髪と瞳をもつ少年がいた。身長は颯瑪よりも少し低い。童顔であり、外見で年齢を判断できない。体の線は細いように見えるが、筋肉のあるバランスのよい体だ。身につけている豪華な宝石や装飾も少年を飾り立てるものでしかない。それ以上の価値はなく、少年の前では霞んでしまいそうだ。
「君は……夢の」
少年は頷いた。腕組みをしており、身長よりも大きな風格がある。
「その通りだ、サツバ。そして、数日後キミの公開処刑が行われる」
「へ……?」
颯瑪の頭の中は完全に真っ白になっていた。公開処刑という言葉を理解できず、同じ言葉が何度も脳内を駆け巡っていく。
「"フィンネルの紅剣"の抵抗も目を見張るものがあった。ガス欠していると思っていたんだが、心が体を動かしたのかな。……そんな話はさておき、キミ自身の話をしようか。キミが第三王子を殺害したという一報が入った。よって処刑される。すぐにはしないさ。せいぜい何も知らずに死ぬがいい」
「……狩る側から狩られる側になっちゃのか。んー、予想より早かったな……。里で余生を暮らすつもりだったんだけど」
「ほう、絶望に打ちしがれていると思ったんだがな。そんなに死にたいのかい? ご希望なら今すぐにでも殺してあげよう」
少年が衣服の中から短刀を取り出した。茶色に染まり錆びているような短刀は、禍々(まがまが)しい力を秘めている。紅剣のような赤い星影と比べると、短刀は闇の中に紛れる暗器。
「土の力ー? 僕とは反対だね。で、どこを狙う? 心臓? 血管? 腱?」
颯瑪は怯えずに納得したような表情を浮かべる。短刀で急所を刺されたり切られたりすれば絶命するというのに、暗い顔にはならない。そんな底抜けた明るさが逆に化物じみている。
「……人間だと思っていたが、そうでもないようだ。キミは"死"を体感した経験はあるか? 生命活動の停止、でもいい」
「体が動かなくなることだったらあったよ。訓練後は大抵そうだったかな。時々倒れてじいちゃんに心配された。最近じゃあそんなヘマはしないし、風の声を聞けば仕事は上手くいくけど」
「ならば、ここで味わえ」
感情を込めない目で少年は颯瑪の左太腿に短刀を突き立てた。少年が力を加えるたびに短刀は奥まで刺さる。肉を食い分けるようにして奥へと刃が侵入していく。
「……う、ああぁあああああ!?」
「黙れ。声が大きい」
痛みのあまり、のたうち回ろうとする颯瑪を少年が制した。短刀を素早く抜き、今度は颯瑪の目と鼻の先に刃を突き出す。この位置だと颯瑪が動いたら眉間に刺さってしまうだろう。そうしたら泣き叫ぶだけでは終わらない。更なる地獄が待っている。
「足が動かなくとも手が動かなくても人間は生きていく。キミは精霊だろうが、粒子化と再構築ができない未熟を精霊と呼ぶのはいささか不本意だ」
刺された箇所から血が滲んでくる。大出血とはいかないが、このまま放置してしまったら取り返しのつかないことになるであろう。
「……人間に見せかけた精霊か。変わった構造をしている。血と涙を流せるならば、人の波の中で生きていけるだろうな。フッ……戻れないがね」
流れていた血が緑色の光となって消滅する。それはまさしく粒子化であった。
紅剣が出会った『旅人』と、颯瑪が出会った『少年』は同一人物です。名前が出るのはもう少し先です。
所々設定や世界観の用語が出てきましたので、Episode4終了時にあげられたらいいな、と考えております。