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フィンネルの紅剣  作者: 楠楊つばき
Episode 1 紅の剣
3/55

プロローグ

色の説明は広辞苑を引用しました。

ファンタジー要素はありますが、大きな戦争に巻き込まれる予定。

 紅の火は激情を表していた。赤黒く燻る都。多くの人民が根を張り生命活動を行っている場。轟音や悲鳴が響く空に閃光を放つ光源が一つ。


「フィンネル!」


 叫び声に合わせ、紅の炎がうねる。ごおんと炎の渦は回転し、建物や地面を抉っていく。


「……フィンネル……」


 震える声とは対照的に炎の勢いは増す。炎は武器を溶かし、人間の皮膚までも焼き爛らせ死に至らしめ、小風に乗る火の粉は怪しく戦場を(いろど)った。


「一緒に……いつまでも一緒にいるって言ってくれた」


 そう、そこは戦場だった。多発する粉塵(ふんじん)爆発。人は成す(すべ)なく、荒れ狂う炎を前にして逃げ惑った。本来なら人を守る役目である騎士(ナイト)でさえ丸腰のまま走り去った。紅から逃げるために遠く、遠く。


「ねぇ……全部嘘だったの? 嘘だったというの!?」


 一人訥々(とつとつ)と語り続ける指揮者の背後で爆発が起きた。それだけでは怒りをおさめることはできず、空から鳥瞰すると米粒サイズほどの人民に牙をかける。


「……許さない。約束を破ったフィンネルも。そして―――」


 炎の指揮者は右腕を上げた。その動きに合わせて炎が一斉に指揮者を持ち上げるようにして空へと昇る。黒き世界に浮かび上がる光はまるで花火のよう。ただ、指揮者は地上を見下ろすのではなく、虚空を見据えていた。その瞳には誰も写らない。瞳の奥にあるのは燃え上がる感情。そんなに心を乱していては、特定の人物が写るはずもなかった。


「地上に群がる蛆虫(うじむし)め、蜘蛛(くも)の子を散らしたって無駄だっ。あたいにはわかる。お前らの考えも行動も手に取るように!」」


 この指揮者が操る炎は大地を焦土と化し、人間の命を奪う。いちいち一人に標準を合わせる必要などない。だから目をつむっていても支障はない。大規模な爆発から逃げゆく人民が面白くて仕方ない。さらにさらに炎弾を打ち出す。


「フィンネル。フィンネルフィンネルフィンネルっ」


 怒り心頭に発する指揮者に指揮棒(タクト)は要らない。あったとしても本人が燃やしてしまうだろう。


「あなただけが救いだった。あたいに人としての生き方を教えた最初で最後の友達だった」


 全て過去の話。もしかしたら一生会えないかもしれない、心の中にとどめておく人。一人ぼっちの指揮者に合わせるのは炎という演奏者たち。観客がいなくても演奏は続く。指揮者は煙が漂う中を逃げる人々を睥睨(へいげい)し、気持ち悪いと吐き捨てる。


「もう終わりにしようか。これこそがあたしからの断罪だッ」


 演奏を締めくくるために指揮者は頭の高さまで両腕を挙げ、指を絡めるように手を合わせた。最後の爆発は指揮者を中心に発生し、界隈かいわいを飲み込んだ。燃え盛る炎の中、指揮者は両腕を下ろし、ゆっくりと目を閉じた。


(フィンネル。どうして……あたいを残して……)


 そのまま指揮者は路地裏へと迷い込んだ。




 赤―――黒の対。原義は明の意。七色の一つ。血のような色。また緋色・紅色・朱色・茶色などの総称。

 紅―――紅色。ベニバナの汁で染めた鮮明な赤色。

 でも自分はベニバナを知らない。あた……しには名前がない。だからフィンネルは名前をくれた。いや正確には、フィンネルの隣にいたから"フィンネルの紅剣"という称号を与えられた。


「……フィンネル、の紅剣」


(紅剣に人としての権利はない。あたしは紅剣。時には傷つけ、時には守るための存在。あたしはフィンネルの紅剣。なのに、もう……フィンネルは……)


「……っく」


 紅剣は縮こまり、腕で膝を抱き寄せた。いわゆる体育座りをするその姿はあどけない子どもだった。空中で演奏していた頃の目のギラつきはないが、また遥か遠くを見ていた。


生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり)。ゆえに……心を殺そう」


 数人の足音が耳に届いたか否や、紅剣は立ち上がった。


蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)の争いを繰り返す者に制裁を」


 自身への誓いの言葉を呟いた紅剣の髪が燃え始め、炎と一体化し、まさしく紅色になった。周囲が炎に包まれる。しかし、建物などに炎は燃え移らなかった。あくまでも今の対象は愚民のみ。これは制裁なのである。住む場所はほとんど奪った。ならば次に狙うのは命だけ。


「ここにいるはずだ、探せ!」


 鎧で身をかためた軍の隊長と思しき者が短く命令し、部下が動く。部下は路地裏だけでなく崩れかけの民家にまで押し入った。


「早く脱走兵を見つけろ! とくに“フィンネルの紅剣”は上からたっぷりの懸賞金がかけられているぞ!」


 宴会だ、と誰かが言うと、たちまち士気が上がった。兵士らは民衆には目もくれずに脱走兵を探していた。家の中を荒らしても、民衆とぶつかっても、彼らは脱走兵を追い求めていた。


(ああ……これがこの国の行く末―――)


 遠い目で地上を俯瞰ふかんしている紅剣に死角はなかった。だから嘆いた。人々の欲を知ってしまったから。人々が心の奥に潜ませているものに気付いてしまったから。絶望し、あきらめ、憎み、怒り、それから―――。

様々な思想がとぐろを巻く。大半はこの場に漂う、紅剣以外から発せられたもの。紅剣はまなじりを決し、炎の粒子から人型へと戻ろうと意識を集中する。


(全部、全部……終わりにしなくちゃいけなんだ)

 

 紅剣は兵士たちの鎧で隠れている部分を狙った。皮膚を。血管を。臓器を。静かなる狂気を伴った炎は外傷を一つも残さずに彼らを焼き尽くした。

 

「……あたしは紅剣。紅の剣」


 人型に戻った紅剣は赤い着物姿で舞い、優雅に不可視の火の粉をまき散らした。その幻想的な姿は生きている人間ができる業ではない。人目を惹き、その周辺だけが別の空間になっているようだった。


「いたぞ!」


 生き残った兵士たちは目敏く紅剣を発見し取り囲んだ。剣を抜き、じりじりと距離を詰める。民衆が自主的に非難したのを察し、紅剣は挑発的な笑みを浮かべた。

 ――さあ制裁を始めよう。

 それで一気に緊張状態が極限にまで達したのか、一人の兵士が単独で紅剣に切りかかろうと飛び出した。


「兵器の分際で雇い主に噛みつきやがって! うおおぉぉお!」


 雄叫びを上げた兵士は紅剣を袈裟懸けに斬った。斬られた紅剣は粒子となり散った。兵士がやったと安心した束の間、紅剣はもう一度人型へと粒子を再構築した。その光景を目にし、士気が下がっていくのを紅剣は感じていた。


「愚かな。"フィンネルの紅剣"を知らないのか?」


 紅剣は一瞬で主導権を握った。紅剣が人でないことを再認識させられた兵士は誰一人も動こうとはしなかった。いや、体が動かないようにさせられてしまっていたのだ。


「アハハ、つまらない。誰も来ないんだ。……本隊の方がもっと手強かったのに」


 兵士が次々と倒れていく様を紅剣は汚いものを見るような目で見つめた。




 いまだに紅剣は「フィンネル」と呟きながら彷徨っていた。

 時々襲い掛かってくる兵士を撃退したとしても、まだ歩き続ける。

 フィンネルを探して、あるいは死に場所を探して。

 

「そろそろ戻らないと……、あたしは」


 紅剣の左足が粒子へと変わりつつあった。

 幸いにもすでに民衆は避難しているため、紅剣の姿を見て悲鳴を上げる者はいない。


「フィンネル、どうしてあたしを一人、残したの?」


 右足も粒子へと変わり始めた。

 歩く術を失い、足が地につかない状態になった紅剣は変わりゆく己の姿を他人事のように眺めていた。


「やっぱり……あたしは剣なんだね。……せめて最後は人として散りたい」


 腰が粒子へとなった時、紅剣は自身の炎を集結させ、がむしゃらに火球を放った。

 一つは民家を全焼させ、一つは噴水を蒸発させ、また一つは追跡中の兵士を焼き殺した。

 そして紅剣は人の姿を放棄した。

 流星火(りゅうせいか)―――紅剣の欠片―――が地上に降り注ぐ。


 避難した人々は異変を少なからず悟っていた。

 火の海と化した故郷に後ろ髪をひかれそうになっても、彼らは自らの命を選んだのだった。


 紅剣は軍を保有する城下を燃やすことで、フィンネルを炙り出そうと目論んでいた。

 陸軍の本拠地を壊滅させたばかりだというのに、炎の勢いはとどまるところを知らない。


 炎が街全体を包み込んだとき、風が吹いた。


 初めは旋風(せんぷう)だった。

 炎を巻き上げて、これ以上炎が燃え移るのを防いだ。

 次に天狗風(てんぐかぜ)が吹いた。

 空中から吹きおろし、巻き上がる旋風とともに炎を囲んだ。

 次に魔風(まかぜ)が吹いた。

 それは粒子と化した紅剣へと人を誘った。

 誘われたのは一人の青年だった。

 青年は無言のまま紅剣に向かって走り、風を切った。

 最後に太刀風(たちかぜ)が吹いた。

 それは青年が太刀を振り下ろした際に生じた風。


 流星火が飛び散り、霧散した。同時に炎も消えた。

 

 うっすらと紅剣は人の姿で浮かび上がる。

 彼女はフィンネルへの執着心を忘れたかのように鳴り潜めていた。


「……同胞(はらから)よ」


 紅剣の視線は青年が握っている白銀色の剣へと注がれていた。


「紅剣であるあたしを斬ったというのか」

「剣で斬ったのは僕なんだけれど」


 ここで初めて口をきいた青年は頬が緩んでいた。

 一方、紅剣は眉をひそめて言う。


「人間に興味はない。帰れ。失せろ」


 罵声を浴びせる紅剣には青年など眼中にない。


「帰らないよ。僕は君に興味があるんだ」

「……お前も軍の関係者か」

「違う。剣が好きで、好きすぎて、報酬の半分以上を剣の収集のために費やす学生さ」

「学生とは、わかりやすい身分だな。あたしのことは師範学校で習ったのか」

「師範学校? 知らないな。それよりも僕は君に興味があるんだ。"紅剣"の異名を持つ君に」


 紅剣は黙り、(ただ)すような目で青年を見つめた。

 青年はそんな態度など痛くもかゆくもないと言わんばかりに話を続ける。


「いやはや恐れ入るよ、その力。というより、どうやって人の姿をとっているんだ? 君って剣なんだよね。僕の剣も人になったりするのかな。あ、そうしたら抱いて寝られなくなるな……」


 早口になった青年は、ついに己の世界へと突入した。


「何を言っているんだ、自分。寝るときだけ剣の姿になってもらえばいいんだよ。そうだ、そうすれば解決する。磨くときも剣の姿なら―――あぢっ」


 痺れを切らした紅剣は青年の黒髪に小さな火をつけた。

 髪がもえていることに気付いた青年はとっさに噴水に頭を突っ込もうと駆けたが、


「水がないッ!?」


 噴水は紅剣の力で蒸発してしまったのだ。


別火(べっか)だと思いなさい」


 紅剣がそういうと、青年の髪についた火は消え去った。

 燃えたはずの髪さえちりちりになっていない。


「すごいな。君への興味がまた湧いたよ」


 落ち着きを取り戻した青年は感心したという様子で噴水の前に立っていた。


「……! お前……」


 一息つき、紅剣は口を開いた。


「お前、あたしを剣として扱う覚悟はあるのか?」

「覚悟なんてなくても剣は扱えるよ」

「ええい、はぐらかすな! あたしはお前に契約をしてやろうと言っている」

「契約って、君が僕のものになるってこと?」

「その言い方は気に食わない。あたしは剣という依代(よりしろ)がないと現世にいられないからだ」

「いいよ。僕でいいのなら」

「安請け合いはよせ」

「頼んできたのは君だよ」


 逡巡した紅剣は剣を差し出すよう青年に促した。

 鞘から抜かれた剣を受け取ると、紅剣は粒子となり、剣に吸い込まれていった。

 紅剣が宿った剣は紅く(きら)めいた。

 その煌めきは脈動するかのように明暗を変化させ、青年は剣が生きているような錯覚にとらわれた。


「お前、名は?」

万籟(ばんらい)颯瑪(さつば)

「万籟……万物が風を受けてたてる音か。良い名だ」

「苗字なんだけど」


 やがて紅剣は剣というゆりかごの中で眠りについた。

 

当分の間、地文で"フィンネルの紅剣"を紅剣と表現します。

2014年3月改稿。

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