26.道化たち
一行は風飛の家に泊まることになった。なぜなら宿泊できる広さがある場所がそこしかなかったからである。風笙は山頂にある小さな村だ。入り組んだところにあるため、滅多に人もやってこない。それゆえ宿泊施設は用意されていなかったのだ。
誰もが山の料理に舌鼓を打ち、郷土料理――山菜が主の和食を楽しんだ。主食は白米。主菜と副菜は沢山の種類があり、見るものを楽しませた。
外には露天風呂が設置されていた。温かい泉。紅剣とラグリの力を足したらこんなものができるだろう。ネーセルが野太い声を吐きながらお湯に浸かっている様をラグリは嬉々として見つめていた。「お背中流しますか」と涎を垂らしながら駆け寄っていく。
だめだこいつ、と紅剣はラグリに呆れていた。その後、温泉で泳いでいるサヤカに冷たい眼差しを向けた。
寝る場所は男女別。男部屋は颯瑪一人。女部屋はネーセルとサヤカの二人。少しでもスペースを減らすために紅剣とラグリは己の寄り代の中で朝を迎えることになる。某錬金術師のいびきに気付かないほど全員熟睡していた。
日の出の頃、颯瑪は目を覚ました。ごそごそと準備を整えると、紅剣も覚醒をむかえ剣の中から飛び出してきた。久しぶりに静かな夜を迎えられたからか、紅剣はご満悦だ。
「おはよう。たっぷり眠れたみたいだね」
「奇襲を想定しない夜だったからな。気張らずに眠れたぞ。休憩は取れるときにとっておかないとな。いつ禁断症状が出るかもわからん」
「んーそれじゃあ僕はネーセルさんたちを起こしに行こうかな。でも女性の寝床に僕は行かない方がいいか」
「うむ、そうしておけ。サヤカが狂喜乱舞して暴れる姿を想像したくないぞ」
紅剣がそう言うと、部屋の襖が勢いよく開かれた。
「やーい、二人とも起きてるー?」
能天気な声だ。朝早いというのに、ネーセルは突っ走っていた。いつもよりも肌が綺麗に見えるのは、目の錯覚に違いない。
「酒臭いぞ、お前」
「久しぶりの酒だったからさ、歯止めがきかなくて~。あ、颯瑪くんの寝込みを襲うつもりだったけど、やっぱり無理か~。あははははははっ」
「あははは……じゃないですよ、ネーセルさん。おはようございます。僕、朝食の準備の手伝いにいってきますよ」
「いってらいってら~」
颯瑪は一足先に部屋を抜け出し厨房へと向かった。
彼の姿が見えなくなってから、紅剣はネーセルの顔に向かって水筒を投げつけた。蓋を緩めておいたため、中身がどろどろ流れていく。
「ばふっ」
「……酔いがさめただろ」
「いやあ~、肩から上がびしょびしょだねぇ~」
「酔っているなんて見え透いた嘘はつくな。昨夜、密会を開いただろうに。お前、酒など一滴も口にしていなかったぞ」
「まあねぇ……茶番を振ってくれたのは君なのに」
「あたしはフィンネルに会いにいく。お前はサヤカを連れて国に戻れ」
「随分とサヤカくんを肩に持つんだねぇ、"フィンネルの紅剣"。情でも湧いたのかい?」
「違うぞ」
「いーや、情が湧いているんだよ。蛇の道は蛇だからねぇ……」
「わかっていたのか」
「さーね」
二人は相手の心の内を探ろうと見つめ合った。
お礼を済ませると、一行は下山を始めた。早朝の寒気が体を蝕む。昨夜霜が降りたようだ。地面には霜柱ができているところもあり、余計に滑る確率が高くなる。少しずつ秋から冬へと変わろうとしていた。
山の麓、サヤカが口火を切った。下山中誰も口を開かなかったので、彼女の言葉が最初になる。
「ちんちくりん、行くのぉ? 王子様も……」
「情けない声を出すな。あたしと万籟は己の役目を果たすだけだ」
二手になることをサヤカだけが拒んだ。彼女には紅剣と颯瑪の行く先を伏せてあったため、納得がいかないのだろう。
「皆が無事だったら盛大に祝おうじゃないか」
「いいですね、ネーセル様。私が腕を振るいましょう」
「……ネーセルさんとラグリさんもお気を付けて。僕はなんとかなりますよ」
誰も笑わなかった。誰も泣かなかった。
「――おかしいよぉ。こんなぉ」
たった一人を除いて。
* * *
雲がゆっくりと流れていく。
乾いて静電気が起きそうな空気の中、紅剣と颯瑪は全速力で草原を駆け抜けた。
二人は何者かに追いかけられているような形相だった。――本来ならフィンネルを追いかけるという立場であるというのに。
平野を駆け抜けているため、二人は両軍の規模を知らない。高台から見てしまったら、怖気づいたかもしれない。あるいは意気込んだかもしれない。
走っている間は雑念を忘れられた。フィンネルの思惑を考えて悩む必要などない。気になるなら本人に直接問えばいい。
視界が開けた時、紅剣は目敏くフィンネルの姿を発見した。そして一直線に向かう。
「クレハ。待っていたわ」
銀色の鎧を身にまとった兵士がそこにいた。兜の下から長い金髪が風でなびいている。身長は男性の平均ぐらい。腰からさげている一本の剣は、"フィンネルの紅剣"だった。
「フィンネル」
ごくりと紅剣は唾を飲み込み、眦を決した。怯まずに、フィンネルと視線を合わせる。
フィンネルの後ろには大勢の兵士が控えていた。この中にはフィンネルと同格かそれ以上の者もいるだろう。またここにいる者だけが全てとは限らない。伏兵がどこかに潜んでいるかもしれない。
反対側には王国の国旗が小さく見えた。
「なぜ帝国についたのか、という野暮な問いはしない。お前に聞きたいことは一つ。今挙兵した理由だ」
「第三王子が逝去されたからだ」
「王国の人間がやったと判明した理由は何だ。お前が挙兵するんだから確かな情報なんだろう?」
「確かな情報かは知らない。ただ王子の存在は一部の人間しか知らない。帝国の上層部しか知らされていないだろうね」
「暗殺された、という考えはもたなかったのか?」
「もった。クレハの隣にいるような部族がいるからね。風の一族……わたしの情報網を抜けたぐらいの手練」
「ここで帝国が攻めれば、一瞬で王国は落とせる。クレハが王国軍を壊滅させてくれたから。……王国の滅亡、それもいいわ」
「させないぞ、フィンネル。お前に歯向かう者がいないというならば、最後まであたしがお前の敵として立ちはだかるっ」
「強くなったね、クレハ。それも全部、その男のせいか」
フィンネルは颯瑪に剣を向けた。かつて"フィンネルの紅剣"と謳われた宝剣は、血で塗りたくられたかのような赤黒くておぞましい光を放っていた。
「男って僕のこと? 見てわかるよね、そんなこと」
「……気が狂う奴だ。わたしも若かりし時は、そうだったかもね。常に前を見ているだけでいいなんて羨ましいものだ」
「フィンネルは二十代じゃないか。あたしよりは若いぞ」
紅剣がそう言うと、フィンネルは口の端をあげた。顔は笑っているが、目は笑っていない。
ほぼ反射的に紅剣は後ずさりした。
「これ以上話してもキリがないわ。止められるなら止めてみなさい」
フィンネルが指示すると、遠くから開戦の合図が聞こえてくる。
「まずい、逃げるぞっ」
紅剣と颯瑪は両軍の間に立っていた。このままでは挟み撃ちにされて殺されてしまうだろう。前列に構えているのは歩兵だが、騎馬兵が現れたら戦場はより複雑になる。味方の兵を誤って殺すなんてことが発生する戦場で、二人一緒に生き残れるという望みはほとんどない。
「いや……僕は迎え撃つよ」
「無理だ! 隊の大きさも知らないんだぞ!?」
「大丈夫だよ。風が――戦えって言ってる」
紅剣の制止を受け入れず、颯瑪は一人で戦場の中心へと逆戻りしていく。
いがみ合う両軍の中、立ち尽くす青年。一体彼の姿は他人にどう見えたのだろうか。
弓兵が高所から矢を放つ。丘がなければ木に登り、自軍に当てないよう勢いよく射る彼らは容赦なく颯瑪を狙った。
「万籟いいいいいいいっ!」
「――心配しないで、僕普通の人間じゃないから。ネーセルさんに事あることに『人間になれ』って言われていた人間なんだ。だからね、僕は普通の人間じゃないんだよ」
「お前、そんなことしたら!」
「平気だよ、僕は風に愛されている」
Episode3終幕。




