25.先天性
村から離れたところに人の手で切り開かれた一角があった。木は伐採され、雑草も取り除かれている。あるものというと風だけだ。小春日和に吹き降ろす風はどことなく温かい。この場所は訓練の場として村人に愛されてきた。山であるために平らな土地はほとんどない。作物の栽培も段々畑で大半が行われている。
颯瑪と兜はその場所で斬り合った。使用したのは木刀であるけれども、真剣を持っているかのような気迫で一騎打ちをした。
勝負で倒れたのは兜だった。彼は強く拳を地面に叩きつける。
「なんでお前に勝てないっ!? オレだって練習したんだぞ。お前に勝つためにっ」
兜は言葉を続けていく。膝も手も土に触れたせいで汚れていた。彼の無念さや込めてきた思いを理解するには颯瑪は幼すぎる。
「力の使い方を教わり、確実に昔の自分とは違う。風の流れを読み、お前の太刀筋だってわかったんだ。負ける可能性はなかったんだよ!」
「…………兜。……ごめん」
「強者が弱者に言葉をかけるな」
「うっ……ごめん」
「謝るなって言ってんだろ!」
体の内側から爆発してきた激情に任せ、兜は捨てておいた真剣に手をかけて立ち上がった。そして颯瑪を袈裟懸けに切ろうとする。
「兜が僕に勝てないのは仕方ないんだよ」
颯瑪の体に刃が触れることはなかった。
兜が手にしていた刀が颯瑪の直前で止まっていた。まるで鎧が颯瑪を守っているようだ。どんなに力を込めても、颯瑪の体に触れられない。衣服さえも切り裂けない。
「僕は万籟だよ。万物の、風に鳴る音」
「…………」
颯瑪は緊張した様子もなく、兜が手にしていた刃をつかんだ。
するとどうだろう、刃が錆つきボロボロと崩れ落ちていく。
「――コルグレス。兜は知っているんだよね?」
「その名前をどこで聞いた。一部の人間にしか公表されていないものだぞ、颯瑪」
「兜は知っているんだね……」
すうっと颯瑪は深呼吸をした。下ろされた視線は自らの手に向けられている。颯瑪の両手はところどころ皮膚が切れている。マメは潰れており、決して綺麗な手とはいえない。
「僕は変なおばさんに剣をもらったんだ。触れただけで意識が遠のいちゃったんだけど。それからかな、声がずっと僕に問いかけてくる。『コルグレス』って何度も言ってくるよ」
「……オレが知っているのは名前だけだ。あの二人なら教えてくれるかもしれない」
「金髪の子、怖いよね。蛇に睨まれているみたいで怖いよ」
無表情のまま率直に印象を言う颯瑪を見て、兜は「変わったな」と言葉をもらした。
* * *
こうして三人はそれぞれの試練を終わしてきた。
平然としているのは颯瑪だけである。
紅剣とラグリは思いつめたかのような暗い顔をしていた。両者の差はそれを外に出すか内に秘めるかの違いだろう。
「ラグリ」
「…………」
「ラグリ、聞いているか?」
「……はははははい? どうしましたか、紅剣さん」
「それはあたしの台詞だ。お前、あのリンネという奴に何を言われた? というか、どういう関係なんだ」
「リンネ様は私の祖先の友人です。私ではお目にかかれないほど高位な方です」
「お前の祖先? あたしらに家系なんてあったかのか」
「あります。紅剣さんが忘れているだけです。恐らく紅剣さんもリンネ様と面識はあるはずです。現在"太陽"を語れるのはリンネ様だけですから」
「太陽とはなんだ?」
「……それも忘れてしまいましたか。紅剣さん」
愛想も小想も尽き果てたようにラグリは言った。
忘れている、という一言は紅剣の胸に刺さった。フレイから教わった以外にも、忘れていることがあると自覚したからだ。己の種族や特性。それらを知っていなければどこかで命を落とすかもしれない。
「あたしは一体何を忘れているんだろうな……」
「案ずるな、紅剣。天命を待て。"最後の冠"は汝を愛している」
話題にあがっていたリンネが断言したおかげで、紅剣は胸がすいた。生き生きとした表情を取り戻し、周囲を見やる。
そしてフードを被ったフレイに目を留める。見とれそうな赤い髪はフードにおさめ、チラチラと時々目が覗いている。その何にも興味をもたなそうな虚ろな瞳は作り物のようだ。
「フレイ、恩にきるぞ」
「いえいえ……僕も会えて良かった。他にも僕を探している方がいるようなので、長居できないのが惜しいです……」
「ラギという奴が探していたのはお前だったのか」
「僕のこと……でしょうね……まだ時期ではありません……ので会いません。それでは……お暇させてもらいます。……気をつけてください、いつどこで狙われるかわかりませんよ?」
「さらばだ、皆の衆」
リンネが捨て台詞を残すと、二人は一瞬で消えた。魔法陣を描くとこもなく、姿を消した。
身勝手な帰り方だ。こちらに何も言わさず、一方的に言いたいことだけを言って帰っていく。しかも爆弾を落としていったのだから。
「これからどうするんだ、颯瑪」
兜が聞くと、颯瑪は下山以外に答えられなかった。下山した後を考えていなかったようである。兜に指摘されると、誰かに助けを求めようとはせず自らの頭で考えようとしていた。
「お待ちください、今お取り込み中です」
「ええい、行かせてくれい!」
一人の男が使用人を押しのけて、紅剣らがいる部屋に乱入してきた。肩で息をしており、足元もおぼつかない。服は汚れており、ところどころ泥も付着している。
「王国と帝国が小競り合いをしている、という情報が入った! しかも帝国を率いていたのは王国軍の将・フィンネルだという目撃情報がある!」
一同に衝撃が走る。
全員が驚きを隠せない中、最初に動いたのは紅剣だった。
「フィンネル……フィンネルが戦場にいるのか!? 行かせてくれ、あたしが話をするんだっ」
「……気の早い娘じゃのう。颯瑪、お主はどうする? 今から下山はちと辛いだろう」
「颯瑪、オレも風飛様の意見を尊重する。休んでいけ」
風飛も兜も一泊することを勧めた。太陽が沈もうとする頃合であり、これから次第に視界が悪くなっていくであろう。それに情報を信じるとするならば、すでに一戦繰り広げられている可能性もある。
「僕は――」
「万籟。お前は他を率いる術がわからないんだろうな」
単独行動を主体としているからだろう、と紅剣は呟く。
颯瑪は痛いところを突かれ、謝った。
「構わない、仕方のないことだ。お前が自ら考えられるまであたしが指揮をとろう。ラグリ、ネーセルとサヤカを呼んで来い。作戦会議だ」
「紅剣さんは、いいんですか? 追わなくてもいいんですか?」
「――フィンネルのことだ。九分九厘の確率で攻めあぐねているはず。あいつは幾多の戦場で勝利を飾った英雄。帝国についているならば、そう簡単には出てこない。あいつは王国の抜け道を知っているんだぞ」
「少数精鋭部隊を率い、王国軍の虚を突く可能性はどうせしょうか」
「それはない。まだ小競り合いなんだろう? どちらも大国だ。大きな戦いを簡単に引き起こすとは思えん」
「……君の考えを逆手にとって、両国が戦争する可能性もあるんじゃないかな……って僕は思うけど」
「いずれにせよ、ネーセルを待つべきだ。あたしはネーセルと話し合いたい」
「どうして紅剣さんはネーセル様にお力添えを願うのですか? ネーセル様は錬金術師ですよ」
「――ただの錬金術師がアレを研究しているとは思わないがな。あたしもアレを使わせてもらったことはある。万籟も試したんじゃないのか?」
「アレ……? ああ精霊剣のこと? うん、何度かね」
「ラグリ。お前に与えられた試練は知らないが、ネーセルを盲信するな。お前の身が滅びるぞ」
「……そんなことは」
ラグリは言葉を失い、うっすらと顔に影が差す。瞳の色は濁り始めていた。
ラグリに与えられた試練については明記しません。
文中で感じてください。




