14.救出
颯瑪とネーセルが紅剣とラグリの居場所を特定するのには時間がかかった。
王国が襲われたのは帝国の仕業だろう、という考えには早いうちに到達していた。問題はそれからである。帝国のどこに連行されたのか。帝都のような厳重に管理された地か。あるいは人がいない荒野か。それとも第三の地――王国と帝国以外であろうか。
「……何があったんだっけ……」
颯瑪は先日のことをあまり覚えていなかった。記憶の糸をたぐりよせようとしても、何かがひっかかる。記憶の統合がうまくいかない。
「ああ苛々する。ラグリが暴走したまま精霊時間になるなんて、どんな因果だっていうんだい。図らないとできないだろクッソぉ!」
ネーセルが怒りを吐きちらしていても、颯瑪の耳には届かない。自身が最優先である彼に何を言っても馬の耳に風だったのだ。この騒々しさの中、もの静かに考えられることは長所であり短所になるかもしれない。
颯瑪は自問自答をすることによって記憶を取り戻そうとしていた。
「……雨が降って……そんで……気付いたら、いなくなっていた……?」
「オメガとクライムもいけ好かない奴だ。"フィンネルの紅剣"とラグリの顔見知りみたいだが……精霊時間で動けるということは人間ではないんだろうけどさ。……ううむ」
「ネーセルさん」
「なんだい? 颯瑪くん」
机で頭を抱えていた颯馬はぶつぶつ呟いていたネーセルの言葉に反応を示し、顔を上げた。
ネーセルは工房の中をしきりに歩き回るのをやめ、彼が深刻な顔をしていることに気付いた。
「精霊時間ってなんですか」
本来ならその質問を一蹴しただろうネーセルは、今回颯瑪から視線を離せなかった。まさかそんなことに興味を持たれるとは、と雷が落ちてきたような衝撃に耐えられず吹き出した。それからげらげらと大声で笑う。
「ネーセルさん、唾をとばさないでください。剣についたらどうするんですか」
「いっいや、ごめんごめん。……ぶっ、ぷふぉ」
笑っているネーセルから距離を取ろうと、颯瑪は無言のまま別の椅子に座りなおした。
「颯瑪くーん、この錬金術師・ネーセルから離れるなんてひどいじゃないか。んまあ、冗談はこれぐらいにしておいてさ質問に答えようか」
ネーセルは白衣の裾で眼鏡を拭くと、再び語りだす。
「精霊時間――あくまでも便宜上の言葉であって、正式名称かは知らないがね――その名の通り精霊のための時間だ。かくいう私も存在を知ったのはラグリと契約してからさ。神出鬼没な彼らが精霊と謂われるのも頷けるよ。……颯瑪くん、以上だ。何か質問は?」
「精霊時間……その時間、僕らは時が止まっている状態になるんですか?」
「そういうことになるかね。ラグリによると」
精霊時間という言葉を颯瑪は己に刻み付けるように反芻した。その呟きを近くにいたネーセルが聞き逃すことはない。
「おや? 颯瑪くんは精霊を信じているのかい? 人とは違った力を持つ存在。驚異的な力を秘め、元素を操る人とは相容れない存在を」
「信じているのは、むしろネーセルさんではないのですか?」
精霊時間と名付けるくらいなんですから。
そう指摘されネーセルは目を細めた。ニヤニヤと好奇心をあらわにしながら、近くにあった適当な書物を読み始める。テーブルに置いてあったカップに口をつけながら、ページをめくった。
「ネーセル様、お口に合いますか?」
「ほう……ラグリ2(ツー)はまた腕を上げたね」
「はいっ」
頭を撫でられ、えへへとラグリ2は頬を赤らめる。主人に褒められた嬉しさは余程大きいものだったのだろう、頭上にお花畑ができているようだ。
「ラグリ2は、あんまりマスターにご奉仕できないんですけど、だからこそ精一杯頑張ります!」
「いい子だね、ラグリ2。ラグリよりも純粋で汚れを知らない純白さで私の心は蕩けてしまいそうさ」
「蕩ける……? あっネーセルさま、お伝えしたいことがあるんでした」
ラグリ2はラグリの一部であり、広場に行く前に工房を守るという指名を受けた。女騎士と相打ちになるという結果になったものの、どういうわけかピンピンしていた。ラグリよりも色素の薄い水色の髪は透明感があり濁っていない。
「毎日少量ではありますが、本体よりラグリ2のほうへ水が移ってきています。あと数日すれば本体の居場所を補足できるほどの力を得られるはずです」
「……信憑性は? それと、ラグリより力を譲渡されているという証拠は?」
「え? えっと……ふええ……」
「目で見える変化が知りたいなら、力比べとかどうですか」
傍目から二人のやり取りを見ていた颯瑪は腰にさした鞘に手を添えた。剣は"フィンネルの紅剣"と契約したものだ。宿主がいない今も赤い光が灯っている。
颯瑪は抜刀し、その剣先をラグリ2へと向けた。
「ラ、ラグリ2は……戦闘が……苦手です……いい気持ち。……ぶくぶく」
「僕はラグリ2と面識が少ないのでわかりませんが、ネーセルさんにはどう見えました?」
結果は颯瑪の圧勝だった。玉のような汗を浮かべたラグリ2は回復を早めるために衣服を着たまま水に浸かっている。頭まで浸かったので、桶の中に隠れてしまった。
「……一瞬だけラグリとダブって見えたねぇ。どの道、ラグリ2しか頼れないから仕方がない。で、颯瑪くんも仕事欲しいよね」
「いりません」
「いるよねぇ」
「いりません」
「遠慮しないで、ね?」
「……はぁ、わかりました。ツェードを呼んでおきます」
「君の手腕に期待しているさ」
* * *
馬車に揺られ数時間。
ラグリ2はだいたいの方向しか示せない。足りない部分――通行できるところ――はツェードの土地勘で補うことによって目的地に近付いていた。
馬車をひいているのはネーセルが改造した馬だ。普通の馬よりも速く、持久力もある。自動車のような長距離の乗り物はあまり普及していないため、馬車のほうが愛用されている。
空間転移術のような高度な魔術を使える者もひと握りであり、実用的ではない。
先程までと同じようにしていたラグリ2が突如違う反応を示した。
「あっちです! ……!? あわわ、誰かこっちに近付いています。どうしますか、マスター」
「危険性はあるかい?」
「勘付かれました。たまにジャミングされてます!」
針のむしろに座っていたせいでラグリ2の顔色は悪い。水の循環の速さ以上に己の力を使ってしまっていた。声を張り上げるのも精一杯のようで、時々歯を食いしばって根性をみせた。
「直接しかけてこない理由はなんだ? 遠距離から攻撃する方法は少ないだろうに。颯瑪くんはどう考える?」
「確実に罠ですね。僕が行きますよ」
「それは最終手段だよ。簡単に行かせるものか」
ネーセルはしばし考え込む。土地や天候を気にせずに敵に命中するような攻撃は術しか考えられない。空を飛べる物体が気球しかない技術では空撃など不可能だ。爆弾は錬金術師がすでに開発していたが、広範囲を一気に消滅させるほどの威力はない。直接狙うほうが確実なのではないか。
「……ラグリ2、接触するまでの時間は?」
「あと十分ちょっと……?」
ラグリ2は首をかしげた。計測が終わると、やや口早に声を張り上げる。
「違います、急に速度を上げました。数分でこっちに来ます! 防御結界を張りますので頭を下げてください!」
「俺はどうする!? 進路変えるか!?」
間を空けずにツェードが叫んだ。この馬車の御者は彼だ。乗客の命を預かっているという責任が彼の判断を煽る。
「このままでお願いします。もし誰か来たら颯瑪さんが対応してください」
「わかりました。折をみて僕が行きます」
「ラグリ2、頑張ります。成功した暁には自分にも名前をくださああああああい。全速全力全身、当たって砕けますぅ」
水色の膜が薄く広がり、弾力のあるそれは風を受けて形を変えた。硬質な結界のように力を跳ね返すのではなく、力を吸収することに特化しているようだ。
ラグリ2は顔をしかめながらも、結界の維持に全力を注いでいた。
「うぎゃらああああああああ。こいよおおおおおおおおおお。ラグリ2さまが受け止めてやるうううううううううううううう」
奇声に慣れていない颯瑪が耳を押さえた。彼はラグリ2の奇声が終わるとネーセルに囁く。
「ラグリ2さんって、一体どういう人なんですか……」
「ラグリの一部さ。本体みたいにМ気味だけど、出てくることが少ないせいか稀にS化するんだよ」
視界が大きな光球をとらえた。
かなりのスピードで迫ってきているそれは白い。
光と音と不可思議なエネルギーの塊は徐々に接近してくる。
「光属性か……?」
「違います、ネーセルさん。ラグリ2さん、光に惑わされるな。目を開けて絶対に力を弱めないでください!」
ネーセルの呟きに颯瑪がすぐさま反論していた。
眩しい光で目をつむりたくなる欲望を抑え、ラグリ2はしっかりと己を保ち結界を制御する。
「2だからって舐めるなあああああ」
雷鳴のような轟きが発せられ、力の反動でラグリは後方に飛ばされた。
二つの力がぶつかって馬車が大きく傾く。
「俺に任せろ!」
御者のツェードが雄々しく咆吼した。
力の衝突の反動は大きいというのに、ツェードは馬の進行方向を変えさせ、曲がろうとする。
馬車の荷台の中に入っていた三人は、慣性の法則で曲がった方向とは逆向きの力を受けた。
「ラグリ2、車体を支えろ!」
「はいマスターっ」
倒れていたラグリ2は這い上がり、意識を集中する。短い詠唱をした後、車体全体が水泡に包まれて浮いていた。
「助かった……のか」
「まだです! ここから数キロ先に別の力を感じました。これは……?」
一息おいたあと、ラグリ2は矢継ぎ早に告げる。
「ラグリ本体の力を察しました! でも暴走しているみたいです!」
「……ふぅ、ラグリも"フィンネルの紅剣"も生きているようだね。ツェードくんは待機、颯瑪くんには別の任務さー。じゃあ、とっとと馬車走らせろ」
「はいよ、ネーセルの姐さん」
「なんだ、ツェードくん。私を姐さんと呼ぶとは……わかっているじゃないか」
「姐さん! ネーセルの姐さん!」
「はははははは」
ネーセルとツェードを横目で見る颯瑪。
「なんだ……この人達。僕は任務通りに動くつもりだけど。……ん?」
剣が熱をおびていた。不審がった颯瑪は抜刀し、刀身を見る。
何かに呼応するかのように剣は紅色の光を発していた。その色は紅剣の心を表しているのかもしれない。