08.冠
やや本編からずれます。
一人の少年が覚束ない足取りで彷徨っていた。
人ごみをかき分けながら、時々立ち止まって周囲を見遣る。
少年は帽子を深くかぶり、あまり目立たない色の上着とズボンを着ていた。ちょこまかと人混みを通り抜け、忙しなく視線を泳がせた。
少年は気付かぬ間に裏道にそれていた。
「……っ、母さん、どこ?」
人気のなさに少年は異変を感じた。表と裏の差に戸惑いながらも、ゆっくり歩みを進める。
怖いと思っても、好奇心が少年を駆り立てた。
視界の端で何かがきらりと光った。
なんだろう、と無警戒なまま光に引き寄せられた。
「こ、ども……?」
あの光は一体なんだったのだろうか。一筋の光さえもなかった。絶望の光だけがそこにある。
少年の無垢な瞳は一瞬曇った。
細い道に止まっている馬車。
小さな家から出てきた子ども。必死に抵抗しているようだが、大人に敵うはずもない。
悲鳴が聞こえてくるようだった。
――何もできなくてごめんなさい。
そう少年は心の中で呟き、現実から目をそむけて走り出した。
道に迷ってしまった。
息が上がっている。
表の道に帰れていない。
闇雲に走ってしまったのがいけなかった
「はぁ……はぁ……っ、母さん……どこに……。父さんも……僕を置いていかないで」
背後から何者かが近づいてくる。
少年は泣きじゃくり、そのまま立ち尽くしていた。
「……坊や、迷ったのか? 良ければ親御さんのところまで連れて行ってやろうか?」
少年は帽子のつばを掴み、きょろきょろと見渡した。頬には涙の筋がくっきりと残っている。
「お母さん……お母さんっ!」
「やはり迷子なのか。どこで別れたのかい?」
「おじーさん、じけーだんの人?」
男は頷いた。
「坊や、こっちにおいで」
自警団の一員だと言う男は、満面の笑みで少年に手を差し伸べた。
少年は手をだそうと、まず腰に手をかけた。泣いて目が赤い表情を崩さず、男へと近づく。
「ねぇ、おじーさん。近くに馬車が止めてあるね。自分と同じくらいの子どもが何人かいるよ。その近くに、じゃらじゃら宝石いっぱいつけてるおばーさんもいるね。おじーさん、そこまで案内してくれる?」
「お、おう。坊やみたいな迷子を送り届けているんだ。さあ……行こう」
男の数歩後ろを少年は歩いた。少年は俯きながら嘆息する。
(人間は……わからない)
ふと少年は足を止めた。すぐさま男がどうした、と振り返る。
少年の耳には聞こえていた。もう一つの足音が。
馬車は先程とは違うところに止まっていた。ここが落ち合う場所だったのだろう、男は宝石女とひそひそ話をしていた。
少年は二人のことを気にせず、馬車に近づいた。
中にいた子どもの中に少年の見知った姿があった。
「……リンネ?」
「お前か。難儀だな」
リンネと呼ばれた少女は金髪のツインテールと橙色の瞳が特徴的だった。髪を結ぶ用のリボンには不揃いな赤い線が描かれている。
「我がここにいるのは酔狂だ」
「……はあ」
「真に受けるな。会いたい奴がいる」
少女が視線を動かした。少年もその方向を見る。
「……任せろ」
外見の割に芯のある少女の声。
男と宝石女の会話が終わる頃には、少年と少女のやり取りも終わっていた。
「おじーさん、お話終わった? ……お母さんはどこ?」
「げへへ……、いるわけないだろう? 坊や。今からお前らは売られに行くんだよ! 特にその金髪の女の子はいくらで売れるかな。ぐへへへへへ」
下卑た笑いをする男は馬車に近づいた。
金髪の少女――リンネは顔を上げ、口を動かし始める。
「なんだこいつ、ぶつぶつ言いやがって……!?」
「――浄化せよ」
少女の呟きで男は異変を察した。
風の流れが変化した。
集められていた子どもは後ろの方で寄り添い、抱き合う。
「なに!? くそっ。こいつ魔術師かよ!」
「魔術師は滅多にいないわ! 捕まえなさい!」
男も女も血相を変えてリンネに近寄ろうとするが、すでに術式は完成していた。
男と女の体が光り始めた。その異様な光景に他の子どもたちも騒ぎ始める。
リンネの髪結び用のリボンも赤く煌めく。線が動き、模様を変える。ただ誰もそこまで注意して見てはいなかった。
光り始めた二人の体は膨れ上がり、やがて内側から爆発した。飛び散った内臓が馬車の近くに降る。飛び散った鮮血は地面に絵を描いた。
休む間もなくリンネは別の術を唱え始めた。義務的な口調は一切の感情を込めていない。
詠唱後、子どもたちは眠りこけ、光に包まれながら姿を消した。
「……子どもたちは寝かせて転送しておいた。目が覚めた頃には家にいるだろう」
「リンネ、流石にあの死に方はなかったと思うよ」
「我々とは根底が違う。お前だって、武器を使おうとしていただろう?」
「それは……いや、その前にあの人をどうにかしようよ」
少年は自身が来た方向に体を向け、言った。
「……出てきてください。そこにいるのはわかっています」
紫がかった黒い髪の青年が屋根の上にいた。見つかったとわかり、素早く屋根から飛び降りた。
「傍観していたんですか? 嫌な人」
「よくわかったな、バレるとは思っていなかった」
青年は口元を布で覆っていた。くぐもった声は感情を表していない。恐らく気付かれていた、ということをわかっている。
表面だけ繕っても、出方を間違えれば正面衝突する可能性もある。少年は話し合うという意志を青年に見せた。力ずくで解決するならば、ここに来る前に男と共に始末しておけば良い話だ。
「影が動いていましたし、音も完全には消していない。――加護持ち風情が舐めないでください」
少年と青年の視線が交じり合う。
青年が黙っているため、少年は言葉を続けた。
「……風の加護。誰からもらったかは知りませんが、突っ走るのはやめたほうがいいですよ。僕らのような人種も少なからずこの世界にはいますから」
一陣の風が少年の帽子をさらっていった。
少年の赤い髪と赤い瞳が外気にさらされる。
少年の火は青年の風で打ち消された。
風が青年を守っている。それだけ青年は守る価値のある存在なのだろうか。
「貴方と僕は全てが違います。貴方は人間だ。どんなに風の加護があったとしても、天命は尽きる」
「……君はこの力を知っているのか?」
「一族全体が加護持ちなんでしょうね。個々の能力も秀でている」
「オレは……この力を自然に使えるようになりたい。協力してくれないか?」
「……それは貴方の努力次第ですね。今の貴方では協力したいとは思えません」
「オレは兜だ。君の名前を教えてくれないだろうか」
「僕は……フレイ」
「また会おう、フレイ」
「うん……また」
兜が風に乗って姿を消していた。ほぼ完全に風の加護をものにしている。それ以上何を望もうとしているのか、フレイにはわからない。
加護持ちは厄介だ。加護があるだけで他の人とは違うと勘違いする。
「人間の求心力は素晴らしい」
リンネは高みの見物をするようだ。鳥瞰している。
態度でそう勘付いても、フレイは尋ねた。
「リンネ、どこまで介入するつもり?」
「我は傍観者なり。直接の介入はしない」
「……過保護だね」
「…………待ち人が生まれる可能性を潰すことはできぬ。万に一つだとしても、待ってみせる」
「待ち人ってレセルカノン? いつまで執着する気?」
「いつまで、か……いつまでだろうな、本当」
物思いにふけるリンネを尻目に、フレイは空を見上げた。
昼間だからか、火の調子が良い。良すぎて勝手に発動してしまう。兜を牽制した火はフレイの意志とは関係なかった。相手を目にして驚くわけにもいかなかったので、平静を装っていたのだ。
こちらに来たのはリンネに誘われたからだ。個人的な興味や関心があったわけではない。
何をするか考えてこなかったので、当分は流れに身を任せよう。
赤い髪、赤い瞳。それは何かを彷彿とさせる――。
サブタイトルの意味は後々明らかになります。