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海のものとも陸のものとも

 「古くは経済学者、トマス・ロバート・マルサスにより、人口増加によって生じる食糧問題は指摘をされました。

 彼は人口増は幾何級数的に… つまりねずみ算ですが、ねずみ算で増加するのに対し、食糧は算術級数的にしか増加しない、つまり普通の掛け算ですが、ので、必ず貧困層は誕生すると訴えました。農業技術の発展により食糧不足が緩和されたという要因はあったにせよ、この彼の主張は基本的には正しいでしょう。

 飽食の国、日本に住んでいると、あまり実感はできませんが、世界に目を向ければ、実際に飢餓人口は9億人ほどいると言われ、この指摘が正しいことを裏付けています。もっとも、これには貧富の格差という問題も絡んでいるのですが……。

 この食糧問題は、これから先はもっと深刻になるというのが一般的な見解で、農作物の収穫量を増やすのは、技術的にも資源的にも難しいと言われています。農業技術が発展したとしても、大幅に収穫量を増やす事は難しいでしょうし、リンなどの肥料の原料となる資源は枯渇が懸念されていますので、今後は国による資源の囲い込みなども、より行われていくでしょう…」

 先生が何やら、喋っている。まぁ、授業なんだけど。私はそれをやる気なく聞いていた。面倒くさい。どーでもいいよ、そんな事。なるようにしかならないでしょう。そんな風に思いながら。

 「さて。これが、水産資源となると更に問題が深刻です…」

 へいへい、そうですか。

 と、私は思う。まぁ、ここは水産系の専門学校な訳だし、食糧問題の話ともなれば、当然、そう繋ぐでしょうよ。

 ――私がその水産系の専門学校に進学した理由には、何と言ってもその立地条件の良さがあった。家との間、通学途中の駅にちょっとばかり栄えた街があって、遊びに寄るのにも、バイトに寄るのにも都合が良いのだ。就職事情は気になったが、まぁ、きっと何とかなるだろう。

 つまりは、私は別に水産系に興味があった訳でも何でもないのだ。だから、夢に燃える熱い奴とか発想だとかは、ノーサンキューだったりする。こんな話を目を輝かせて聞く奴の気が知れない…

 と思って横を見たら、友人の小牧なみだが目を輝かせて、先生の話を聞いていた。なんだか、うんうん、と相槌まで打っている。そういえば、こいつは、そんな奴だった。単純バカで子供っぽいのだ。ま、友人と言っても、何故か一方的に懐かれているというだけの間柄なのだけど。

 「漁業と農業や畜産との、根本的な違いが分かりますか?」

 先生が突然、そんな質問をした。

 知らんわい、と私は思う。隣では、小牧がその質問に大袈裟に反応していた。なんだかノートを取る手を止めて考えている。と言うか、どうしてこいつは、こんな講義のノートなんて取っているのだろう? 実はこの講義にはテストがないのだ。

 やっていられない、と思って教室の中を何気で見回してみると、私以上の“やる気ないオーラ”を出している奴が目に入った。ぼっさくれな髪形と力のない瞳、着ている白のシャツはヨレヨレで、黒いズボンは古くて擦れている。いかにも非モテな男の生徒。一応、前を向いてはいるが、手を組んで頭の後ろに回し、ノートもペンも出していない。絶対に、“早く終わらねーかな”と思っている顔だ。

 私はそいつの存在に何だか安心した。

 そうそう、こういうドライな奴の方がいい。気楽に一緒にいられそう。まぁ、そう思えるのは、小牧なみだのやる気満々の態度にうんざりしていたから、という要因もなきにしもあらず、なんだろうけど。先生が先の自分の質問に、自ら答え始めた。

 「農業や畜産は、人間が自然環境を管理して生産をしているのに対し、漁業は飽くまで狩猟なのですね。つまり、自然界で勝手に増えた生物を捕っているだけ。当然、生産管理なんてできません。しかも、海の中の所為で、資源枯渇の現状が実感し難い。要するに、危機を感じ難い。既に海の生態系はボロボロになっているのに、人間はそれを充分に認識できていません。

 だからこそ、より水産資源の枯渇は、深刻なのですが。

 皆さん、知らないかもしれませんが、タコやマグロはどんどん、獲れなくなっています。タコもそのうちに、高級魚になるかもしれませんよ」

 マグロは流石に知っているよ。漁が禁止されそうになってニュースで少し騒いでいたじゃないか、タコは知らなかったけど。などと私が思っていると、隣で小牧が「タコが…」と、そう呟いた。明らかにショックを受けている。なんだ、その反応は? タコがそんなに好きなのか? と私は心の中でツッコミを入れた。まぁ、別にどうでもいいけど。

 「だからこそ、これからは、養殖が重要になって来るのです。魚の値段が上がれば、養殖でも採算が合うようになるでしょう。

 さて。そんな事情も踏まえて、養殖が重要だと分かったところで、本校では、養殖の研究所を見学する事にしました。もちろん、授業の一環です。この中から、みなさんが見学してみたい養殖研究を選んでください」

 そう言って先生はプリントを配る。

 養殖の研究所を見学ぅ?

 その先生の言葉を聞いて、私は眉を歪めた。なんて、面倒くさそうな… そう思っていると、横から突然に話しかけられた。

 「ねぇ、ねぇ、立石! タコの見学行こうよ。タコの!」

 小牧だ。なんだか、本当にタコが好きらしい。何故?

 私はタコになんか興味はなかったのだけど、別に他の養殖所に興味がある訳でもないので、「考えとくわよ」と、そう応えた。行くのが面倒じゃなければ、タコでも良い。他の方が楽そうだったら、他のにするけど。

 「では、今日の講義はここまでで終わりにします」

 先生がそう言う。どうやらこの講義は終わりらしい。ゾロゾロと生徒達が席を立つ。次は昼休み。やっと昼食だ。

 ああ、かったるかった。そう思って私は食堂に向かう。小牧は弁当なので、そこで別れた。適当に定食を選んで、空いている席を探していると、どっかで見た顔がいるのを見つけた。ボサボサの髪の男。一番安いざるそばを食べている。一瞬の間の後に気付く。ああ、そっか、さっき授業中に“やる気ないオーラ”を全開で出しまくっていた男だ。ちょうど、隣の席が空いていたので、私はそいつの横に座ることにした。まぁ、空席を見つけたついでに、話しかけてみようと思ったのだ。この男に、多少は興味を覚えたのである。

 「はぁい、お兄さん」

 と、席に座りつつ私はそう話しかける。すると、やる気ないお兄さんは、目を大きくして私を見た。“まさかオレに話しかけているのか? こんな女知らないぞ”ってな顔だ。予想通りの反応だったので、私は少し嬉しくなった。

 「うん。そう、君で良いの、君で。私はあなたに話しかけたのよ。実はさっき、同じ講義を受けていたんだけどさ、偶然、あなたを見つけちゃって。

 あんた、随分とやる気なさそうに聞いていたじゃない? それが印象的でさぁ」

 それを聞くと、やる気ないお兄さんは、ちゅるんとソバを吸い取った。何を言われているのか理解していないって感じ。あははは、と私は心の中で笑う。面白い。

 「金ならないぞ?」

 と、それから彼はそう言った。

 「そんなんじゃないわよー 学校で、そんな事する奴いないって」

 それを聞くと彼は次にこう言った。

 「随分と物好きだな。オレ、女から声かけられたのなんて、初めてだぞ」

 「おやおや、そういう方面に捉えちゃいますか。それはそれで気が早い」

 「なんだ、からかってただけか。悪いな、モテないもんで、慣れてないんだ、こーいうのは」

 「いや、まぁ、完全にそうじゃないとも言い切れないんだけどさ」

 そう言って私はご飯を口に入れた。

 「なんてぇか、喋りやすそうだと思って。そのやる気のなさ具合に興味を覚えたのよ。少し話してみようかってね」

 「ノリが軽いな」

 「軽いわよー」

 彼はそう答えた私を見ると、無料のお茶をゴクリと飲み込んだ。そして、言う。

 「あのさ。そーいうの、男は勘違いするし期待するぞ。断っておくけど」

 私はその返答になんとなく笑った。

 「なになに? ってことは、君は勘違いしたし期待したの?」

 そして、そうからかってみる。

 「したよ」

 と、彼は答える。おぅ、淡白… でも、ないのかな?この場合は。私はその返答で、何だかまた彼を気に入ってしまった。

 「ね? じゃ、試しに一緒に今日、帰りに街を歩いてみようか?」

 そして、そう軽く言ってみる。

 「デートか?」

 「デートってほど、大袈裟なもんでもないわよ。一緒に歩くだけ。デートがいいってのなら、デートって事にしておいてもいいけど」

 その私の返答を聞くと、彼は頭を掻きながら、こう返す。

 「なんだかな。そりゃ、一体、どういう精神状態で臨めば良いんだ?」

 私はそれを聞いて、声を出して笑った。

 「あははは。面白いね、あなた。わたしも、そんなにモテる方じゃないし、そんなに気を遣わないでよ。気楽に、気楽に」

 「そりゃ、何となく分かる」

 「何が?」

 「お前がモテないって話」

 「言うやんけ」

 それから私達はお互いに名乗った。彼は崎森孝という名らしい。因みに私は、立石望という名前だ。こんな流れで、初対面の男とデートするのは初めてだった。自分では自覚していなかったけど、私は実はこの彼をかなり気に入っていたのかもしれない。


 「……この先にそのクレープ屋があるのよ。そろそろ潰れそうな」

 私は彼を先導して歩いた。目指すは私がよく行くクレープ屋である。ま、別に今日はそんなにクレープを食べたかった訳でもないのだけど、他に行く所もなかったし、そのままじゃ気まずいってので、取り敢えずの目的地として無難なその地を選んだのである。

 「なんで、潰れそうだって分かるんだよ?」

 「最近、値下げしまくってるのよねー、そこ。でも、客はそんなでもない。どう? 末期症状な感じじゃない」

 「どうしてそんな所に、わざわざ行かなくちゃならないんだよ?」

 「うるさいわね。味は普通なのよ、味は。値段は安いんだから、お得でしょう? てか、文句を言うなら、自分で行先を決めなさいよね」

 「だから、オレはこの街、知らないんだって」

 何のかんのと言いながら、クレープ屋に着くと、彼はがっつりチョコブラウニーを選択した。しかも、食欲満点って感じで食べ始めた。甘いの好きなんじゃないの、と私はそれを見てそう思う。

 「美味いかい?」

 と、会話が途切れたのを少し気にして、私がそう言うと、「美味いよ」と彼はそう返してきた。

 「少し、ブルーベリーチーズにしようかと悩んだが、これで正解だった。だが、太りそうだな、これ」

 私はそれを聞いて、彼の体型を眺め観た。少しも太っていない。というか、むしろ痩せている。

 「体重気にするような、体型か? むしろ、太った方が良いくらいじゃない」

 「これでも気にしているんだよ。油断してるとやばいんだって」

 と、そう言う割には、それから彼は豪快にクレープを平らげた。

 「あー、まだ入るわ」

 と、その後で言う。

 「まだ、頼む?」

 と私が尋ねると彼は首を横に振った。

 「うんにゃ。安いから、頼んでも良いけど、太るからやめておくわ。しかし、確かに穴場だな、ここ。値段の割には、美味い」

 「でしょう?」と気を良くして、私がそう言うと、彼はこう尋ねて来た。

 「しかし、よくこんな穴場を知っているな。この街にはよく来るのか?」

 私はこう答える。

 「来てるわよ~。なにしろ、この街が気に入って、今のガッコを選んだくらいなんだから、私は」

 それを聞くと、彼は呆れた声を出す。

 「おぅおぅ、スゲェ動機だな」

 それを受けて、文句を言うように、私は彼にこう訊いた。

 「そう言うあんたは、どんな動機なのよ?」

 すると彼は、多少、困ったような顔で鼻の頭をポリポリと掻くと、「楽な仕事に就けそうだからだよ」と、そう続けた。

 「楽な仕事?

 へぇ、あのガッコで、そんな就職口があるんだ」

 「ま、上手くいけば、だけどな。ネットを使って、色々と」

 と、そう自信なさそうに彼は言ったが、そういう方面で確りしているのは、私としてはポイントが高かった。熱いのも困るが、将来設計ゼロも(もちろん)困る。ちゃっかりしている部分があるのは、とても良い。いや、その方向性が“楽”のベクトルに向かっているのが良いのか。

 「さてと。じゃあ、そろそろかな?」

 私が食べ終えると、彼はそう言った。解散って事だろう。今日は、元々、軽く街を歩くくらいの予定だったのだ。これくらいが、頃合い。

 「値段が安かったし、得した気分だよ。まぁ、楽しかった」

 そう続ける。楽しかったと言われれば、悪い気はしない。

 「いやいや、どういたしまして」

 と、私はそう返した。正直に言うのなら、少し照れていた。そのまま私達はそこで別れた。そして、総体として、私は彼を気に入ったのだった。


 それから数日が過ぎた頃、友人の小牧なみだがこう話しかけてきた。

 「ねぇ、あたし達が見学に行く、タコの養殖場だけどさ」

 私はそれを聞いて、ちょっと待て、とそう思った。どうして、私がタコの養殖場を見学する事になっているのだ。確かに、考えとくとは言ったけど。が、文句を言うのも面倒くさいから、私はそれをスルーした。そのまま話を進める。

 「なんか、凄い人も来るらしいよ」

 「凄い人?」

 「そう、凄い人。何でもねー、そのタコの養殖と販売ルートを紹介して結んで、商売にしようって動いている人がいるんだって、うちの学生で。あたしも詳しくは知らないんだけどさー。先生が、そんな事を言ってた」

 「なんで、先生とそんな話をしているのよ、あんたは」

 「いや、タコの養殖場見学が楽しみだって雑談していただけだよ」

 「本当に、タコが好きなのね…」

 その私の呆れ顔を無視して、小牧は語り続けた。

 「先生の話によるとね、その人は魚やなんかが本格的に獲れなくなる前に、養殖産業をもっと日本に根付かせなくちゃ、本当に日本の水産産業は危機的状況になるって、そんな事をやっているらしいわよ。養殖産業を育てるんだって!

 大したもんばい!」

 小牧は目を輝かせていた。私はそれに多少、うんざりする。そして、こう思った。“という事は、こいつみたいな、いや、こいつ以上の熱血野郎が、他にもこのガッコにいるってのか。遭遇したくないわぁ”。なんだか、想像しただけで疲弊しそうだった。

 「いやいや、それは本当に熱い話ねぇ。大変そう…」

 「そう! 大変な話なんだよ! あたし、その人は凄いと思う。しかし、インターネットって凄いよね。学生でも、そんな事ができるんだから!」

 私の皮肉は小牧には通用しなかったようだった。

 「なんで、そこでインターネット?」

 「その人が、そういう養殖場と販売の斡旋みたいな事をやっているのってインターネットでらしいよ」

 「ほーん」

 確かに、インターネットなら、学生でも上手く繋がりを作って、コネを使っていけば、それくらいの事はできるかもしれない。いや、学生の方が、時間がある分、有利なのかもしれない。今は、ソーシャル・ネットワーキング・サービスとか、色々あるし。

 「なんだか、そーいう話を聞いてたら、あたしも燃えてきちゃった! タコで、なんかしたいねぇ」

 なんで、タコ縛りなのよ…

 私は心の中でツッコミを入れた。


 休み時間。

 小牧の熱気に中てられた私は、うんざりした気分で廊下を歩いていた。熱い。あいつは、熱過ぎるのよ… 正直、息抜きがしたい気分だった。そんな私の視界に、歩き方からしていかにもやる気のない人影が目に入る。

 おお、あの今の私を癒してくれそうな、かったるい気分バリバリのドライな雰囲気は…

 「崎森じゃないの! 久しぶり!」

 そう。それは、先日一緒にクレープを食べたやる気ない男、崎森孝だったのだ。その言葉と共に、私の姿を見とめると、彼はこう言った。

 「別に久しぶりって程でもないだろうが、テンション高いな」

 私はそれを聞いて、こう思う。

 “これよ、これ。この面倒くさそうな喋り方。落ち着くわー”

 「あんた、ホントにいいキャラしてるわ」

 と、それから私はそう言った。「なんだ、それは。オレを馬鹿にしているのか?」と、彼はそれに返す。

 「ま、いいから、いいから。ちょっと、そこの自販機の前で話しましょう。何があったか説明するから。あ、ジュース、奢ってね」

 「なんで、オレが奢らなくちゃならないんだよ」

 「女の子には奢りなさい」

 「お前が誘ったんだよな?」

 兎にも角にも、それから私は今日聞いた熱い奴の話を彼にしたのだった。自販機の前でジュースを飲みながら。因みにジュースは、結局、ワリカンだった。その熱い奴に触発されて、友人が一人、燃え上がっているというところまで語って私は言う。

 「……で、まぁ、熱いノリが苦手な私としては、勘弁して欲しかった訳よ。それで、息抜きがしたいって思っていたところに、“やる気なしオーラ”を全開に出したあんたが目の前に現れたって訳。

 で、私としては、オアシスを見つけたってなノリで、こうして愚痴っているのね。あんたなら、分かるでしょう? 私の気持ち」

 それを聞くと、彼は少し困ったような様子で、「まぁ、なぁ」とそう言った。反応が少し鈍いな、と思いながらも私は続ける。ここで激しく反応したら、ドライな彼らしくないかもしれない、と思い直して。

 「はっきり言って、そーいう面倒くさそうな事をやる奴の気が知れないのよね、私は。あんたも馬鹿だって思うでしょう?」

 すると、彼は今度は「確かになぁ、馬鹿だってオレも思うよ」と、明確に同意してくれた。私はそれに満足をして、「でしょう?」とそう言う。

 「もっと気楽な生き方を選べば良いのに、ご苦労様だとは思うけど、自分で意欲を持って積極的になんて、考えられない」

 私はそう続けた。彼はそれにも頷く。

 世の中の為とか、そういうのはノーセンキュー。それでこそ、私の見込んだ男である。そのはずだった、のに。


 タコ養殖場。

 見学に行った先のその場所で、私は信じられない光景を目にしたのだった。

 垂下式海面養殖カゴというらしい。その名の通り、海の中にぶら下げるカゴ型の養殖器。マダコを養殖するのに適しているのだというそれを、私達は見ていた。と言っても、海水の下のおぼろげなカゴを、何となく眺めていただけだが。そのうちに、説明担当の研究員が、そのカゴで育てたという一匹のタコを取り出してみせた。何でも、今度、販売店に出荷するらしい。

 小牧が横ではしゃいでいる。「タコだ!タコだ!」と。まぁ、ここまでは予想通り。異変は、例の斡旋みたいな事をやっている、うちの学生が呼ばれた時に起こった。何でも、その学生のお蔭で、今回の出荷は実現したのだという。

 「崎森君」

 そして、その名前が呼ばれた。

 そう。確かに先生はそう言ったのだ。崎森、と。“まさか”と私は思う。しかし、それから慌てて心の中で打ち消した。

 “――いや、偶然だ、きっと同姓なだけだろう”

 だって、熱い奴は馬鹿、という話題に彼は同意していたのだし、あれだけの“やる気なしオーラ”を出している人間が、そんなアグレッシブに活動するはずがないし。

 だが、そう呼ばれて頭を掻きながら、照れ臭そうに出て来たのは、間違いなく私の知っている彼、崎森孝だったのだった。

 “えー!”

 私は心の中でツッコミを入れた。


 「どーいう事よ!」

 と私は怒鳴った。学校の食堂で、奴を見つけた時の事だ。絶対に、一言文句を言ってやろうと思っていたのだ。

 「何がだよ?」

 と、それにいかにも面倒くさそうにそう崎森は返した。

 「だから、どうして私を騙していたのかって聞いているのよ! あんたが、熱い奴だったなんて」

 それに崎森は呆れた顔を浮かべる。

 「騙したつもりなんかねぇよ。お前が勝手に勘違いしただけだろう?」

 「あんたは、私が面倒くさそうな事をしている奴は馬鹿だって言った時に、同意していたじゃない!」

 「したよ。だって、オレ、実際に馬鹿だって思ってるもん。自分の事」

 「じゃ、なんで、んな事をやっているのよ! 面倒だったら、やらなけりゃ良いじゃない!」

 それを聞くと、彼は止まった。

 「うん。まぁ、確かに、そりゃそうなんだけどなぁ… なんつーか、何もしないでいるのもそれなりに疲れるんだよ。趣味も遊びも金がかかるけど、その金はないし」

 そして一呼吸の間の後に、そう応える。私はそれを訝しく思った。

 「金がないんだったら、バイトでもすればいいじゃない。それに、金のあまりかからない遊びだってあるでしょうよ」

 すると彼はこう返した。

 「それだよ、それ」

 どれだよ、どれ?

 「まぁ、楽なバイトなら一つやってるんだがあまり金にはならない。で、それ以上、がんばってやる気にもならないんだな、オレは。そこまで遊びたいとも思わないし。

 でも、あれだろう? お前は違うんだろう? バイトして金稼いで、あの街で遊びたいとか思っているんだろう? 熱いの嫌だとか言いながら、けっこう、楽しんでるじゃん」

 まぁ、確かにそれはそうなのだけど。そう思いはしたが、私は何も返さなかった。いや、返せなかったのか。

 「で、疲れるから、何かやる事を探そうと、思ったんだけどよ、オレはこの通りの見た目だから、人から良い印象を持たれるタイプでもないし、人に会うのも疲れる。そういう機会が多くなるのはご免なんだ。だけど、ほら、今はインターネットがあるだろう? 実際に会わなくても、ネット上で交渉とか取引とかできちゃったりする訳だ。

 それに、ほら、ネットでは、人格変わったりする奴いるだろう? 実は、オレってばそういうタイプでさ、ネット上だと普通にコミュニケーションができるんだよな」

 なんか、妙なカミングアウトをされたような気がするが、それはスルーして、私はこんな質問した。

 「それにしたって、なんで、養殖業なのよ? そのチョイスは何?」

 「ああ、そりゃ、あれだよ。何しようか悩んでた頃に、CAS冷凍庫ってのの存在を知ってさ、使えると思ったんだな」

 冷凍庫?

 「なによ、そのキャス冷凍庫ってのは?」

 すると彼はこんな声を上げる。

 「なんだよ、知らないのか? けっこー、有名なんだぜ?」

 発言の内容だけ聞くと馬鹿にされている感じだが、口調はそうでもなかったので、腹は立たなかった。いや、実際、本人は馬鹿にしたつもりはなかったのかもしれない。続けて彼は説明をした。

 「CAS冷凍庫ってのは、特殊な電磁波を使って、細胞を破壊せずに凍らせる技術を利用している冷凍庫の事だよ。細胞を壊さないから、長期間の保存も可能で、医療なんかでは臓器保存に使われている。もちろん、食品の保存にも使えて、2年でも3年でも保存ができるんだ」

 私はそれに目を円くして(と言っても、わざとだけど)、こう言った。

 「うわ、あんたが難しい事を語っている。なんだか、あんたじゃないみたい!」

 もちろん、皮肉である。彼は面倒くさそうにこう応えた。

 「一応、商売にしようって事に絡んでいるからな。覚えなくちゃいけなかったんだよ」

 「それで、その冷凍庫を使って長期間保存を可能にしたら、どうだってのよ?」

 「アホか、お前は。長期間保存可能なら、在庫を抱えるリスクが減るだろう? 廃棄処分が減るんだから」

 「あ、そっか、保存期間が長くなるって事は売れる期間が長くなるのか。廃棄になる無駄な在庫も減るのね、ほーん」

 「お前、わざと言ってないか?」

 まぁ、もちろん、わざとだけど。彼はその後でこう続けた。

 「とにかく、その通りだよ。だから、養殖でかかるコストがそれで帳消しにできるんだな。それだけじゃ足らないけど」

 本気で馬鹿だと思われるのも癪だから、次に私はこんな事を言ってみた。

 「でも、そのCAS冷凍庫って、そんなに安くないのでしょう? コストがかかるじゃない。いくら、在庫リスクを減らせるって言ってもさ」

 すると、彼は大きく反応した。

 「それだよな」

 どれだよ?

 「そこに、オレが関わる意味が出てくるんだよ。普通に用意すればコストがかかる。だからオレは、ネットを利用して、CAS冷凍庫の中の一部を間借りさせてくれそうな業者なり人なりを探して、小売業とか飲食店とかに紹介するってのをやってるんだよ」

 「どういう事? レンタルって事かしら?」

 「レンタルともちょっと違うな。CAS冷凍庫自体は持ち主の元にある。その中の余っているスペースを、使わせてもらっているってイメージだ。まぁ、養殖業の社会的必要性を訴えて、協力してもらうんだけど。ほとんどの所は、無料で間借りさせてくれるよ」

 私はそれを聞くと、少し考えてからこう言った。

 「ちょっと待って。それって、場所とか難しくない? 都合良く、見つかるもんなの?」

 「難しいよ。養殖場からも販売店からもある程度は近くなくちゃ駄目だからな。だからこそ、探す役割に価値が出てくる。商売にもなるって訳だ」

 確かに、簡単にそんな業者だとかが見つかるのだったら、彼に頼る必要も意味もないか。少し考えると、私は次の質問をした。

 「でも、それって、そのCAS冷凍ってのが溶けたら、お終いじゃないの? 売れなかったら、またCAS冷凍庫まで運ぶとか?」

 その質問に、彼は首を横に振る。

 「まさか。売れたのが確定して初めて、CAS冷凍庫から出して、お客に届けるんだよ。つまり、完全予約注文制。飲食店なんかだと、またちょっと違って来るけどな。因みに、客にも養殖の社会的必要性を極力、説明しているんだ。広告とかチラシとかで。それで、その制度と商品が届くまでのタイムラグに納得してもらっている」

 それを聞いて、私はなるほどと思う。

 「そうなると、在庫を抱えるリスクは、更に低くなるって事ね」

 「そうだよ。今のところ、無駄な在庫はゼロになると予想している。馬鹿にならないコストカットだ…… が、実を言うと、まだこれだけじゃ足りない」

 「まだ、なんかあるの?」

 「あるよ。と言っても、単純な話なんだけどな。

 養殖場から販売までの、中間業者をほぼ全て省いたんだよ。仲介するのは、CAS冷凍庫がある所だけだし、そこも協力してもらっているから、実質コストにはならない。運送料だけはかかるけどな」

 「ほーん。それだけやれば、流石に利益になるのじゃない?」

 その質問を聞くと、彼は渋い顔をした。

 「ま、利益は出るはずだよ。ただ、あのタコの養殖場の研究費予算をプラスしてって制限付きだけどな。

 研究段階から、実用段階に行くには、まだまだ厳しい。実用段階にするには、スケールメリットを活かさないと無理だろうけど、CAS冷凍庫の間借りじゃ、限界がある。規模を大きくできないからな」

 私はその彼の説明で、肩を竦めた。

 「なんだ、じゃ、研究段階で終わりなんじゃないの? 諦めちゃいなさいよ」

 その私の言葉で、今までは何を言われても怒らなかった彼が、少し怒ったようだった。声を荒げる。

 「うるさいな。だから、ネットで色々な人に当たって知恵を求めたりして、方法を探してるんだよ」

 私はその彼の様子を見て、なんだ、やっぱり熱い奴じゃない、と思い、よく分からないけどイライラした。それで、ついこうそれに返してしまったのだ。

 「そんな方法ないって。終わってるわよ、それ。打つ手なし。投了。見事に詰んでる。ハチワ○ダイバーでも、勝利の一手は見つけられそうにないわねー」

 「うっせぇな! 将棋と一緒にするな。現実ってのは、駒の数も手段も決まってないんだよ!」

 そう言われて、私は更に頭に来た。こう返す。

 「投了って言ったのは、ただの冗談よ! 将棋と同じなんて思ってるはずないじゃない! 何を、本気にしているの? 馬鹿じゃないの?」

 彼は私の言葉に歯ぎしりしていたが、しかし、それからドライな彼がその本領を発揮したのか、一呼吸の間の後で、ふぅと息を吐き出すと、冷めた表情に戻り、

 「なんで、そんなに突っかかてくるんだよ?」

 と、そう尋ねて来た。

 「別に、突っかかってないわよ」

 と、私はそう返す。まぁ、ぶっちゃけ、突っかかってるんだけど。

 「お前さ、なんだかよく分からないけど、熱い奴だな。もう少し、肩の力を抜いて生きろよ。別にオレが養殖普及に努力してようが、何しようがどうでも良いじゃねぇか」

 この私が熱いぃ?

 その言葉に、私は反発した。

 「この私のどこが熱いってのよ? 心も体もホット! ホット! なーんて、冗談じゃないの。私はドライかつコールド。フリーズドライだってやってみせるわ!」

 「てか、そう言ってる今のお前が、まさに熱いだろうが。見たまんまだ」

 「熱くないわよ」

 「熱いって」

 その後で私は黙った。まぁ、こいつの言う通り、熱くなっていたからだ。そして、

 「もう、いい」

 そう言って私はその場を去った。と言うか、逃げたのだけど。そんな私を、彼はきっと呆れて見ていただろう。後ろを振り返らなかったから、分からないけど。

 何しろ、自分から勝手に絡んで、意味不明な怒り方で怒って、そのまま逃げたのだから。


 一人になって、冷静になると私は考えた。

 やっぱり、自分が馬鹿だったか、と。恐らくは、完全に嫌われただろう。家に帰って机に座り、頭を抱える。

 なんで、あんなに昂ったのだろう? というか、今私は、落ち込んでいるよな。どうして、落ち込んでいるんだろう? やっぱ、あいつを好きになりかけてたとか… いや、それはない。あんな非モテな奴。

 てか、あのキャラでそんな熱い事をやってるなんて、ほぼ詐欺よね。あいつが悪い。いくら本人に悪気なかったとしても、普通は分からないわよ。だから私は悪くない。確かにやった事は、ほぼ言いがかりに近いけど、悪くない。

 それから机の上のパソコンを私は見つめた。インターネット。あいつはネット上では性格が変わると言っていた。ネットでのあいつって、どんな性格になるのだろう? 多分、見つけたとしても分からないのだろう。もし見かけていたとしても、私なら絶対に敬遠しているだろうし。

 ……てか、絶対に嫌われたわよね、やっぱ。

 ため息を漏らす。

 そこまでを思って、私はこの一連の出来事を忘れようと思った。

 気にするな、私。これはもう終わった事なのよ。

 と、自分に言い聞かせる。

 “そもそも私は、あいつの事をほとんど知らなかった訳だし、あいつみたいな、海のものとも山のものともつかない奴なんて、どーでもいいはずなのよ… いや、海のものなのかもしれないけど……”

 そして、そこでふと気が付いたのだった。

 ん? そういえば、あいつは、海のものにCAS冷凍庫を活かす事しか考えていなかったみたいだけど、その冷凍庫って陸のものには使えないのかしら……

 それから私は目の前のパソコンの電源を入れた。インターネットを使えば、これくらい簡単に調べられる。

 もし使えるのなら、CAS冷凍庫の共同利用も可能じゃないのか。

 そんな事を、私は思い付いたのだった。


 で、

 「有機農法って言ったら、コストがかかって商売にならないと勘違いしている連中が多いけどよ、実はそれってやり方がまずかったりするんだよな。実は、上手くやれば、むしろ金になるんだよ。

 ガハハハ、分かるか、ねーちゃん!」

 それはある農場だった。

 「はぁ…」と、曖昧に私は答える。

 何をやっているのだろう? 私は…

 と、それから思った。

 目の前には褐色の肌にマッチョな身体のオヤジがいて、その背後には、有機農法を実践しているという田んぼが広がっている。

 「この田んぼにはな、一切、農薬も化学肥料も使ってねぇ! 田んぼってのが、元々優れた農法だからこそできたもんでもあるが、充分な成果だろう!」

 褐色オヤジは、そう言ってまた「ガハハハ」と笑う。よく笑うオヤジだ。テンションが高い。

 CAS冷凍庫が陸の農産物にも使えるという話をネットで調べ、使えると分かったものだから、そのついでだと、有機農法をやっているという人を調べて偶々見つけたそのページが、気軽にメッセージを募集していたので、うっかりノリで、『知り合いにこんな事をやっている人がいるのだけど』、と崎森の事を説明してみたら思わぬ返信が来て、何故か流れでいつの間にか実際に会う事になってしまったのだった。会わなくちゃ分からない、とか言われて。で、崎森にその話をする訳にもいかず、仕方なく私が会っているのだけど。

 テンションが高い、褐色オヤジは喋り続ける。

 「堆肥はアミノ酸にするのを狙って、細菌達に発酵してもらえばベストな状態に持っていける。でもって、土の中にも良性の微生物や細菌を繁殖させる。そうして良い土作りを心がけると、植物が元気になって、無駄な農薬や化学肥料は必要なくなるんだよ。

 ほら、人間に例えるのなら、毎日、ヨーグルト飲んで、乳酸菌を摂取して、健康体を保っているようなもんだ。そうすれば、余計なサプリメントとか薬は必要ないだろう?

 因みに、雑草はオオタニシに駆除してもらっている。ただ、放っておくと、稲まで食っちまうから、水面の高さを調整して、それを防いでいるんだがな」

 放っておくと、いつまでも話し続けそうだったので、私はそこでこう言ってみた。

 「なるほど。それで、そのできたお米を、CAS冷凍庫で保存したいと言うのですね」

 ところが、それを聞くと褐色オヤジは「ガハハハ」と笑った。あんだよ…

 「そんなはずないじゃん。だって、米って保存性に優れた食物だぜ。ねーちゃん、米を冷蔵庫で保存とかって聞いた事あるか?

 しかも家の米は、全て大手飲食店に納めているから、なおの事だ」

 オイ。と、それを聞いて私はツッコミを入れる。褐色オヤジは続けた。

 「まぁ、米はさ、艱難辛苦を乗り越えて、なんとか成功まで持っていたんだけど、今やっているのが問題でさ」

 言い終えると、褐色オヤジは、私の背後を指差した。

 なんだ?

 と思って後ろを見ると、そこには緑色の植物が植えられている畑があった。よく見てみると、どうやらそれはブロッコリーらしい。初めて見た。ブロッコリーって、こうやって生えるものなんだ。ブロッコリーは花だって聞いていたけど、なるほど花っぽい(見たい人は、ネットで画像を検索してみよう)。

 「ブロッコリーですか?」

 「そう」

 それから、褐色オヤジはため息を漏らして続ける。

 「植物を元気にすれば、寄ってこない類の害虫は、植物を元気にしてやれば、それで解決なんだけどさ、そうじゃないのもいる訳よ。まぁ、アオムシな。この畑は実験的にやってみた訳なんだが、これが凄くてさ。取っても取っても、アオムシが沸く…」

 私は今度こそと頷く。

 「で、ブロッコリーをCAS冷凍庫で保存して、在庫コストを減らして、その手間暇分のコストを捻出したい、と」

 「まぁ、そうだな。ブロッコリーに限らないけど。他にも、ねーちゃんの話を聞いて、考えたぞ。実は、ホウレンソウ、小松菜、水菜なんかは、春先の時期を選べば、農薬なしでも充分に育つんだよ。だから、その時期に大量生産しておいて、そのCAS冷凍庫で保存しておけば、無理に不自然な農法で生産しなくても、一年中、出荷できるんじゃねぇか、とかな。

 どうだ、ねーちゃん、この話を通してみてくれねぇかな?」

 私はそれを聞いて困った。

 「いえ、あの、メールでもお伝えした通り、私は飽くまでそれをやっている人間の知り合いなだけで、私自身がやっている訳ではないんですよ」

 本当にテンション高いわね、このオヤジ。アドレナリンとか、ドーパミンとか、過剰分泌しているんじゃないの?

 そう思いつつ私が返すと、今度は褐色オヤジはこんな事を言う。

 「そうだ、そうだ。また、思い付いた。そこの畑で採れたアオムシを、そのタコかなんかの養殖の餌に使ってもらうってのはどうだ?」

 「タコがアオムシを食べるはずないじゃありませんか」

 「なんだ、ねーちゃん知らないのか? タコってミカンを食うらしいぞ。愛媛とかの話だったかな? 海に落ちたミカンをタコが食べていたとか、なんとか。アオムシを食ったって不思議じゃねーよ。アオムシとかって実は栄養豊富な餌だっていうし」

 そこで、私はつい素が出てしまった。話が色々な方向に飛びまくったのと、強引なノリに、耐え切れなくなったのだ。

 「アオムシとミカンじゃ、まったく違うでしょうが!」

 と、ツッコミを入れてしまう。それを受けて、褐色オヤジは「ガハハハ」と笑った。その態度を私は不思議に思う。すると次に褐色オヤジはこう言って来た。

 「おぅ、やっと、ねーちゃんの本当の姿が出たな。あ、こいつ、猫被ってるなってオジちゃんくらいになると、分かったり分からなかったりするんだよ、これが」

 分からない事もあるのかよ。

 内心で私は、そうツッコミを入れる。

 「まぁ、アオムシをタコが食べたら良いのになってのは、多少は本気なんだけどな」

 「それは、本気なんですか」

 「うん。実験してもらいたい」

 それから、少し神妙な顔になると、褐色オヤジは静かな口調でこんな事を言って来た。

 「しかし、ねーちゃんの性格が、そんなんで良かったよ。この業界はな、商売として成り立つ成り立たない以前に、人間の妨害と戦わなくちゃならないからな。大人しい性格じゃ、少し心配だ」

 「妨害?」

 「ああ。農作物の流通は、農協がそのほとんどを引き受けている。そして、農協は化学肥料を売ってもいる。有機農法でかつ農作物の流通を省かれちゃうとな、農協はだから、困っちゃう訳だ。それで地域によっては、この農業の新しい流れに妨害が入る。

 おれぁ、水産系は詳しくないけどよ、その辺りの事情は漁協だって似たようなもんなんじゃないのか? 流通ルートを省かれれば、少なくとも、良い顔はしないよ」

 私はそれを聞いて、崎森はそんな事は少しも言っていなかったとそう思う。隠しているのか、それともまだ問題が表面化していないだけなのか。オヤジは更に続けた。

 「まぁ、農協の内部にだって、そんな体制に反感を抱いているのはいるんだよ。農協を変えたがっている。別に、有機農法にしたって農協に仕事はあるだろう。新しい事をやり始めればいいだけだ。肥料作るとかさ。そうすれば、生ごみも減るんだし、利益を出せそうじゃないか。

 ……これから先、リンなんかの肥料の元になる資源が減ってくれば、自ずから有機農法の割合を増やさなくちゃならないんだ。真に農業の役に立つ農協を目指すのなら、その道は避けられないと、オジちゃんは、そう思うんだがな……」

 それを聞いて、“なんだ、このオヤジ、ちゃんと真面目なノリもできるんじゃないか”とそう思った。そういえば、ガッコの先生が農業の資源が枯渇しそうとか言っていたような気がする。

 しかし、

 「だけど、ねーちゃん、こんな事に首を突っ込むタイプには思えないけど、なんで、やり始めたんだ?」

 と、それから、一秒で元のふざけたノリの戻り、そんな事を褐色オヤジは訊いて来たのだった。私は止まる。その私の態度で、何かを察したのか、次にオヤジはこう言った。

 「ガハハハ! なるほど、男絡みか! オジちゃん、そーいうの分かったり、分からなかったりするんだよ。いいねぇ オジちゃん良いと思うよ。そーいう動機でもさ。動物だねぇ、哺乳類だねぇ、霊長類だねぇ」

 私は怒鳴る。

 「うるさーい! 本当に、デリカシーがない、このオヤジ! セクハラで訴えるわよ!」

 ところが、その私の態度に、ますますオヤジは喜ぶのだった。

 「おぅ 元気いっぱいだ。いいねぇ いいねぇ 若さだねぇ!」

 それに、私は叫んだ。

 「うるさーい!」

 と。

 まぁ、それでも、このオヤジに、そんなに悪い印象は持たなかったけど。


 そして、次の日。

 私の目の前には、崎森がいた。

 「なんだよ?」

 と、彼は言う。相変わらずに、やる気のなさそうな顔をしている。こんな顔で、実は熱い奴なんだから、分からないものだわ。そう思いながらも、私は無言のまま、褐色オヤジの提案してきた内容を渡した。後日、ご丁寧にもメールで送って来やがったのだ。

 「あんたのCAS冷凍庫計画に、興味を示してきた有機農法をやっているオヤジがいたのよ。

 有機農法との共同利用にすれば、スケールメリットを活かせるから、CAS冷凍庫の購入も可能になりそうでしょう?」

 そして、そう説明する。それに、彼は驚いた表情を見せた。

 「一体、どういう風の吹き回しだ?」

 そして、そう尋ねて来る。私はそれにこう応えた。

 「仕方ないから、付き合ってやるって言ってるのよ」

 顔を赤くしながら。

 “ああ、恥ずかしい… こういうノリは、勘弁して欲しいのに”

 少しの間の後、彼はこう口を開いた。

 「それは、どっちの意味で?」

 「うるさい。そーいう事を聞くな」

 私がそう返すと、彼はキョトンとした表情を見せた後で、微かに笑った。相変わらずに、ドライな顔で。

 私は、それに釣られて、という訳でもないのだけど、同じ様にやっぱり笑った。まぁ、熱いとか熱くないとか、どーでも良いでしょう、そんな事。

 海のものとも山のものともつかないこんな奴なのに、どうして私は惹かれてしまったのだろう?

 まぁ、恋ってのは、そもそも、そーいうものなのかもしれないけど。

参考文献は、ネットの記事の数々と、

PHPサイエンス・ワールド新書「あまった食べ物」が農業を救う

です。


これは、良書だと思う…

ただ、生ごみの肥料化だけじゃ、絶対量が足らない気がしますが。


因みに僕は小規模福祉作業所で働いてた頃に、減農薬農業ならやっていました。ブロッコリーのアオムシは凄かったです。あれ、何かに活かせないかなぁ? と、当時から思っていたりして。

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