第8話 火砕流
登り切って、振り返ると富士の山は姿をすっかり変えている。
白い雪化粧を被った山肌は、赤く焼けただれ、どろどろとし不気味に蠢いている。美しく神々しいものから、異形の禍々しいものに変容していた。
「あれが富士だなんて」信仰していた山が、人間達に罰を咥えているようにも思えた。
「ドドーン」突然、これまでよりはるかに大きな火を噴いた。それと同時に山全体が赤く照り出される。
「ズドー」熱風を伴って、土煙が一斉に山を駆け下って来る。火砕流だ。
軽石など火山岩が細かく砕かれ、小石、砂、塵などが入り混じり、激しい熱気に包まれ、こっちに迫って来る。
その速さは自動車並み。人も獣も敵わない。巻き込まれたらもう終わりだ。
一気に山を降り下ると、こんどは沢や川を見る間に飲み込み、小さな山、丘を次々越えてくる。
もう何者も押し留めることなど出来はしない。大木も一瞬は抗して耐えているように見えたが、木の末端まで土砂に飲み込まれてしまう。
ただ、なすがまま、火砕流の勢いに巻き込まれるしかなくなっている。
どんどんとケンたちのいる山にも火砕流が、ゴーという熱風を伴い木々をへし折り、なぎ倒してやって来る。
ケンは余りの恐ろしさに打ち震える。この山まできてしまうのか。
(この山まで上がってきたらどうしよう)そんな恐怖もある。ここまで来たら終わりだ、もう逃げられない。
そしてもっと心配はサクだった。まだ追いついてきてない。
(お父、何をしているんだ。無事でいてくれ、早く上って来てくれ)ただそう願って、サクが上ってくる方に目を凝らす。ただ立ちすくめていた。
恐ろしい勢いで流れがやって来た。土煙はケンのいる天辺にまで包み込む。
「げほ、げほ」しばらく息もできない。
だが、それは煙だけで、耐えられないものではなかった。火砕流本体は迫ってきたが、山の上まで、魔の手を伸ばして来なかった。
やがて火砕流の流れが過ぎ去り、数時間が過ぎた。夜が明け、しらじらと世界を映しだしていく。
一睡もしないまま、ケンは朝を迎えていた。でも、誰も来なかった。もう、待っていられなかった。
「お父を探しに行く」ケンはミイをラムに預け、一人で様子を見ることにした。
(お父は絶対大丈夫だ。あんな事で死ぬわけない)サクに対する絶対の信頼が、死を考えたくなかった、死んだなんて思いたくなかった。
下っていくと辺り一面、砂と土ほこりの灰だらけの景色に変わっていた。
青々とした林の姿はもうなかった。葉の緑は灰で隠されてしまっていた。朝だと言うのに、全く鳥のさえずり一つ聞こえない。
ただ、木だけが何事もなかったように立っている。
少し行くと、灰に埋もれかかっている物を見つける。
その形に奇妙さを覚え、灰を掻きわけるとツムだった。
「おい、ツム。大丈夫か」
「ケ・ン・か」薄目を開けて返してくる。
「みんなはどうした?俺のお父は一緒じゃなかったのか?」
「う、う。・・」だが、口ごもって何を言いたいのか聞こえない。急いで、竹筒の水を口に含ませてやる。
少ししてどうにか言葉が出る。
「ここまで来たら、灰が襲って来た。」
とぎれとぎれの言葉から、皆はここまで来た所で灰が一気にやって来たらしい。サクはもっと下にいたと言う。
ツムを庇いながら、もっと下へ降りるといくつか灰の降り積もりがある。その下から、村人の焼けた姿が現れる。
その一つを掘り出すとツムが「チビー!」と言って泣き出した。下の弟の変わり果てた姿だった。
もっと下は一面、灰で覆われていた。どれだけ深いか分からない。そしてサクの姿も見つからなかった。
小屋の集落のあったほうに目をやると、そこも土ほこりと灰だらけである。雪が降り積もったように、一面一つだけの色になっていた。
ただ、あまりに醜悪な色に染まっている。そこには悪魔のような意地悪さが滲んでいる。土の色とは違う、温かみのない岩の冷たさだけの嫌な色。
なにもかもが火山灰に埋もれていた。
その中を探し回る。少しでもこんもりした所には手を突っ込む、だが多くは倒木か石だ。
もう手は灰が爪先に染みこみ、毛穴まで入って、不気味な灰色の人形の手になっている。
「何も見えない。家も森も、そしてお父も」へたり込む。
悲しくてなんか涙も出ない。大事な物を失くして、探し回り、それでも見つからない。
諦められない、じっとしているのが耐えられなくて、そんな気持ちで探し回った。
薄ぼんやりした太陽が昇り、辺りを照らすが、何も見つからない。乾いた土埃が舞い上がっている。
あの中に埋まってしまうと肉体は焼けてしまう。骨だって数十年で溶け去る運命だ。酸性気味の火山灰は骨さえ溶かしてしまう。
日本の遺跡では人骨の見つかることが少ない。見つかるとすれば、貝殻が一杯捨てられてアルカリ性になった所ばかりだ。
(もうサクは永遠に見つからないかもしれない)
火山灰が沢の全てを覆い尽くし、今の山は灰の海に取り残された島のようだった。
(なんで、こうなった)そう思ってしまう。
(サクはどこに行った。どこにいるんだ!)切ない願いだった。
どれくらいの時間が過ぎたのか。諦めのつかないまま、ケンは探し回っていると、後ろから声が聞こえる。
「サクは?」ラムだ。ケンがなかなか戻ってこないのを心配して、子供たちを連れてきたようだ。
静かに首を振る。
すると気が狂ったように走り出そうとする。背中のミイを振り落とす勢いだ。慌ててケンが止める。
ラムがじっとケンの顔を見る。
「お父が見つからない」そう言うだけだった。
「う、うー!」灰で埋まった沢にラムの泣き声が震えた。




