虚無の回廊 ― 漂白される自己、あるいは再会の定義
音が、消えた。
戦略的ゲームオーバー。 自らの存在定義をシステムごと強制終了させたあとに訪れたのは、色彩も質量も存在しない、純白の虚無だった。 俺――真白悠真の意識は、薄い膜のようにこの空間に引き延ばされている。 思考を維持するためのリソースが、一パーセントずつ、確実に削り取られていくのがわかる。このまま意識が「ゼロ」に収束すれば、俺という個体は世界のキャッシュデータと共に完全に消去され、二度と再構成されることはない。
(……これで、良かったのか)
ジャックの絶対秩序を止めるための、唯一の最適解。 だが、合理性の果てに辿り着いたこの「無」の中で、俺の深層意識は、計算式には現れない激しい拒絶反応を吐き出し続けていた。 胸の奥に、焼けつくような熱い「ノイズ」が残っている。 『――生存確認。悠真……聞こえますか。あなたの精神核は、現在「待機モード」にあります。再起動のためのフックが見つかりません。……このままでは、論理的な死が確定します』
ジュージュの無機質な声が、遠く響く。 再起動のためのフック。つまり、俺が「俺」として再びこの世界にログインするための、唯一無二の執着。 その時、真っ白な視界の端に、一つの「歪み」が生じた。 「――見つけた。バカ王子……。こんな何にもないところで、一人で寝てるんじゃないわよ」 声がした。 論理を超え、空間の暗号を物理的にこじ開けて、その少女は現れた。 セラフィーヌだ。 彼女は、漂白された世界の中で唯一、鮮やかな色彩を放っていた。泥に汚れ、息を切らし、今にも消えてしまいそうな俺の意識の残滓を、その温かい手で強引に掴み取る。
「セラ……フィーヌ……? なぜ、ここに……。君のデータは、安全な領域へ退避させたはずだ」
「データの退避? そんなの知らないわよ。あんたが勝手に終わらせようとしたって、私が『つづきから』を選べば、物語は終わらないの。……わかる? これが、私のやり方なのよ!」
彼女が俺の胸ぐらをつかみ、強引にその顔を近づける。 至近距離で交わる視線。 その瞬間に生じた莫大な熱量が、俺の精神基盤を強引に再点火した。 システムログが、猛烈な勢いで視界を埋め尽くしていく。 [警告:未知の外部入力(愛)を検知] [プロトコル:英雄人格の再構築を開始します] [条件:記憶の断片を燃料として消費――承諾しますか?] (……ああ、承諾だ。たとえ、この先で彼女との思い出をすべて失うことになっても。今、ここで彼女の手を握り返すためなら、そんなものは安い対価だ) 俺は、彼女の細い指を握り返した。 「……再起動だ、ジュージュ。……俺たちの『つづき』を書きに行くぞ」 純白の虚無が、パリンと硝子のように砕け散る。 崩壊したラ・シテ・デュ・ゼニスの瓦礫の上。 俺たちは再び、残酷で、不自由で、けれど愛おしい「現実」へとログインした。




