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演算の残照 ― 剥落する自己、あるいは設計図の黄昏

思考の深層に、灰色の砂が混じり始めている。


 視界の端で絶え間なく明滅するログの羅列。かつて俺――真白悠真にとって、それは世界を記述する絶対的な言語であり、平穏の象徴だった。だが今、網膜に焼き付く青い発光体は、俺自身の存在を削り取る「やすり」へと変質している。


(……一秒ごとに、俺が『俺』でなくなっていく)


 フィリップという英雄人格を維持し、ジャック・ル・マジョールの艦隊から放たれる論理爆弾を迎撃し続けるには、俺の脳のリソースは限界を超えていた。システムは冷徹に、優先順位の低いデータから順に「パージ(消去)」を繰り返していく。


[警告:長期記憶セクタ0x442に修復不能なエラー] [Status: 初恋の記憶――抹消完了] [Status: 故郷の風景データ――読み取り不可]


 不意に、鼻の奥がツンと痛んだ。  何を忘れたのかさえ、もう思い出せない。ただ、自分の魂の輪郭が雨に打たれた砂細工のように崩れ、排水溝へと流れ込んでいく喪失感だけが、生々しく胸に居座っている。


 ジャック・ル・マジョール。あいつが提示した「苦痛も迷いもない、永遠の最適解」は、設計員としての俺がかつて夢見た究極のユートピアそのものだった。  その正論に、俺の理性が膝を屈しそうになる。争いを憎み、不確定な未来を恐れた俺が追い求めた平和が、そこにあるからだ。


「……悠真? また……変な数字ばっかり見てる」


 現実からの呼び声が、俺の意識を強引に引き戻した。  ラ・シテ・デュ・ゼニスの、湿ったコンクリートの上。そこには、俺を覗き込むセラフィーヌの顔があった。  逆光に透ける彼女の髪。少しだけ汚れた頬。そのすべてが、システムが描く「完璧な黄金比」からは程遠い。けれど、どのアルゴリズムも、この「愛おしい不完全さ」を再現することはできない。


「……セラフィーヌ。俺の名前、覚えているか?」


「何言ってるのよ。あんたが自分の名前を忘れたって、私がその名前の『意味』を、あんたの心に叩き込んであげるわよ!」


 彼女は俺の手を、乱暴に、けれど祈るように握りしめた。  その皮膚の熱、脈動する鼓動。それこそが、ジャックの完璧な計算式から零れ落ちた「最大級の変数ノイズ」だ。


(……そうだ。俺が求めていたのは、静止した平和じゃない。彼女が笑い、泣き、そして明日を呪いながらも生きていく……そんな、予測不能な『生』だったはずだ)


 俺は、消えゆく記憶の残滓をかき集め、最後のリファクタリングを開始した。  自分自身を消去してでも、この世界に「ノイズ」を残すための、自壊的なプログラム。設計員としての俺が下す、最初で最後の、非合理的な決断。


 夜明けまで、あと300秒。  俺という観測者の存在が完全に剥落する前に、オレは、全宇宙の運命を上書きするための「破棄コード」に署名した。


 視界が、白く爆発する。  英雄フィリップが目覚め、設計員(悠真)が眠りにつく。  物語は、ここから絶望を希望に変えるための、非合理な奇跡へと突入していく。

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