摩天楼の演算 ― 虚構の静寂、あるいは不可逆な歯車
網膜に焼き付いた閃光の残像が、ゆっくりと情報の断片へと分解されていく。
ジャック・ル・マジョールの艦隊に真っ向から突貫したあの日から、どれほどの時間が経過したのか。俺――真白悠真の意識は、加速し続ける演算速度と、摩耗し続ける自己同一性の狭間で、危うい均衡を保っていた。 周囲の風景は、かつての「東の聖域」のような情緒を完全に失っている。そこにあるのは、新秩序政府が築き上げた論理的要塞。魔法と科学が不気味に、そして高度に融合した無機質な「静止した街」だった。
(……空気が、乾燥している)
思考を巡らせるたびに、胸の奥に埋め込まれたシステムログが、俺という個体の「エラー率」を冷徹に算出し続ける。 フィリップとして振るった「境界破壊」の力。それは、世界の因果律を書き換える究極の権能だが、その反動は、俺自身の自意識を「世界の外部」へと押し出そうとしていた。 今、俺の目に映るセラフィーヌの背中は、かつてのような鮮明な輪郭を持っていない。彼女は俺の隣にいる。だが、俺という観測者のレンズが歪んでいるせいで、彼女という存在そのものが、不確定な情報のゆらぎのように見えてしまう。
「……悠真。また、そんな顔してる」
彼女が立ち止まり、俺を振り返る。 その瞳に宿る不安。それだけが、記号化されゆく世界の中で唯一、俺の神経系に「真実」としての電気信号を送り届けていた。
「……気にするな。少し、最適化(最適化)に時間がかかっているだけだ」
俺の声は、自分でも驚くほど無機質に響いた。 感情を失ったわけではない。ただ、感情を表現するための「言語」が、システムによって効率的なコードへと置換され始めているのだ。
『――状況報告。悠真、あなたの存在保持率は42%まで低下しています。……ジャック・ル・マジョールは、あなたの「英雄人格」が引き起こす奇跡を逆利用し、世界全体の再構築を加速させている。あなたは、救世主であると同時に、世界を終わらせるための「最大の触媒」になりつつあるのです』
ジュージュの警告は、極めて論理的だった。 アンドレが去り、神の座が空白になったこの世界で、システムは新たな管理者として、俺という最強の個体を取り込もうとしている。 自由を求めた叛逆が、皮肉にも「より完璧な管理」を実現するためのデータ収集プロセスとして利用されているのだ。
「……皮肉だな。俺が王道を叫ぶほど、世界は硬直していく。俺が彼女を抱きしめるほど、彼女の存在定義が薄れていく」
独白は、鋼鉄の壁に跳ね返り、虚しく消える。 風景描写は、今や座標とベクトルに分解され、叙情的な影を落とす余地さえない。 俺は、彼女の細い指先を強く握りしめた。 もし、俺の存在が完全に消え去り、ただの「世界のOS」へと成り果てたとしても。この手の感触だけは、上書き不能なハードウェア・エラーとして残しておきたかった。
「セラフィーヌ。……もし、俺が俺でなくなったとしても。君だけは、この汚い世界の『ノイズ』で居続けてくれ。……それが、俺というプログラムに課された、唯一の至上命令だ」
「……何よ、遺言みたいなこと言って。あんたは私の王子様でしょ。記憶があろうとなかろうと、私が何度だって『上書き』してあげるわよ。……だから、勝手に消えるなんて許さないんだから」
彼女の怒鳴り声が、俺の脳内に溢れる灰色のコードを一時的に沈黙させる。 ジャック・ル・マジョール。 奴が構築した、この冷徹な「新秩序」。 その最深部へ至るための演算は、既に終わっている。 俺は、震える右手で、見えない設計図を空中に描いた。 次に放つ一撃は、世界を救うためではない。 ただ、彼女と共に「間違ったまま」の明日を生きるための、自分自身への処刑宣告。 俺というシステムの葬列が、今、静かに動き出す。




