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崩壊する神話 ― 終焉のログと、名もなき指先の熱

耳鳴りが止まない。  視界の端々で、現実という名のテクスチャが剥がれ落ち、背後のワイヤーフレームが露出している。


 『秘密の館』の最上階。アンドレの胸を貫いた俺の拳からは、黒い粒子が絶え間なく溢れ出し、周囲の空間を侵食していた。自らを「破棄命令デリート・キー」に書き換えた代償だ。俺という存在が、この世界を構成する数式そのものと衝突し、互いに消滅し合っている。


「……ハ、ハハ……。実に見事だ、真白悠真。まさか、自分の存在をバグそのものに変換して、ルールを無効化するとは……」


 膝をついたアンドレが、吐血しながら歪んだ笑みを浮かべる。彼の身体もまた、デジタルなノイズとなって透け始めていた。


「アンドレ……なぜ、こんな世界を作った。全人類の意識統合……そんな停滞に、何の意味がある」


「意味、か……。私はただ、誰も傷つかない結末を描きたかっただけだ。感情という不確定なノイズが、どれほど凄惨な悲劇を生むか……設計員だった君なら、理解できるはずだ。……私は、失敗を、認められなかっただけなのだよ……」


 彼の言葉が、風化するように消えていく。  創造主としての傲慢の裏にあったのは、臆病な完璧主義者の悲鳴だったのか。だが、その答えを追求する時間は、もう俺たちには残されていない。


『――警告:秘密の館・メインフレームの完全崩壊まで残り120秒。悠真、あなたの存在保持率は0.02%以下。もはや、記憶を呼び戻すための領域セクタすら存在しません。……あなたはここで、世界と一緒に消えるつもりですか?』


「……ああ。それが、設計員(俺)としての責任の取り方だ」


 俺は重くなった瞼を閉じようとした。  だが、その瞬間。崩落する天井の瓦礫を掻き分け、一人の少女が俺のもとへと飛び込んできた。


「悠真!!」


 セラフィーヌ。  その顔を見ても、やはり何も思い出せない。彼女が誰で、俺が彼女の何であったのか。  しかし、彼女が俺のボロボロになった身体を抱きしめた瞬間、データの断片ではない「熱」が、氷のように冷え切った俺の魂に直接流れ込んできた。


「……バカ、行かせない。絶対に行かせないんだから……っ! 記憶なんて、また作ればいい。私が何度でも、あんたを見つけ出して、あんたの隣で笑ってあげるって決めたんだから!」


「……セラ、フィーヌ……。逃げろ。ここはもうすぐ、虚無に包まれる」


「嫌よ! あんたがいない世界なんて、アンドレが作った停滞した世界よりもマシなわけないでしょ!」


 彼女の涙が、俺の頬に落ちる。  その瞬間、消去されたはずのログの最深部で、小さな火花が散った。    システムが計算した「絶望的な結末」。  それを今、目の前の少女が、たった一つの「意志」で上書きしようとしている。    俺の心臓の鼓動が、一度だけ強く鳴った。   『――異常事態発生。対象:セラフィーヌを起点とする「感情同期」により、真白悠真の破棄プロセスが一時停止。……信じられません。論理的には不可能なはずの、愛という名の再起動リブートです』


「……そうか。……俺は、まだ、消えるわけにはいかないのか」


 俺は震える手で、彼女の髪を撫でた。  感触は冷たい。だが、確かにそこにある。    館が轟音と共に崩れ落ち、俺たちの足場が消滅していく。  俺は最後の魔力を振り絞り、彼女を抱き寄せて跳躍した。    眼下には、崩壊する聖地ラ・シテ・デュ・ゼニスの光景。  空からは「裁きの流星」ではなく、雨が降り始めていた。  管理された永遠が終わり、不確かな、しかし自由な「明日」が、泥臭く始まろうとしていた。


「……行こう。新しい、朝へ」


 俺の独白は、崩壊する世界の喧騒にかき消された。  俺の中のフィリップはもう眠っている。真白悠真もまた、記憶の多くを失ったまま。  だが、俺の隣で手を握る彼女の温もりだけが、今の俺を世界に繋ぎ止める唯一のアンカーだった。


 第22話。  神は去り、瓦礫の中から「人間」が這い上がる。    聖地の終焉、それは、一人の無能イナクティフと一人の少女が紡ぐ、真の英雄譚の序章に過ぎなかった。

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