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アルゴリズムの箱庭 ― 予測不能なノイズと、揺らぐ境界線

世界は、一つの巨大な演算機コンピュータだった。  空を見上げれば、大気層に刻まれた幾何学的な魔力回路が淡く発光しているのが見える。それは創造主アンドレが構築した、全人類の運命を最適化するための巨大なゆりかご。  誰が、いつ、どこで、誰と出会い、どのような感情を抱くか。  すべては「幸福」という名のリソース配分に基づき、あらかじめ決定されている。


 ――だが、その「完璧な秩序」の最中に、俺は放り出された。


(……うるさいな)


 頭の奥で、無数のノイズが鳴り響いている。  俺、真白悠真ましろ・ゆうまの意識は、薄氷を踏むような危うさの中にあった。  つい数時間前まで、俺はこの西方帝都で「最も適合率の高い模範市民」として生きていたはずだ。感情を排し、効率を愛し、アンドレのアルゴリズムに従って淡々と処理される日々を、不満もなく享受していた。


 それがどうして、今、見知らぬ少女の腕を引いて裏路地を走っている?  しかも、あろうことか「王道」などという、非論理的で前時代的な言葉を叫びながら。


「ちょっと、フィリップ! そっちじゃないわよ、こっち!」


 セラフィーヌと呼ばれた少女が、俺の手を強く引き戻した。  彼女が触れた箇所から、熱い脈動が伝わってくる。彼女の行動には一貫性がない。アルゴリズムが推奨する最短経路を無視し、直感という名のエラー(バグ)に従って、瓦礫の山を飛び越えていく。


(フィリップ……。それは誰だ。俺の中にいる、この熱に浮かされたような人格は何だ?)


 俺の意識のすぐ隣には、もう一つの「意志」が鎮座していた。  それは俺がかつて、システムの管理から逃れるために設計した、究極の英雄プログラム。  「フィリップ」と名付けたその仮面は、俺が抑圧してきたすべての衝動――怒り、勇気、そして傲慢さを結晶化させたものだ。  今、俺という存在の主導権コントロールは、その「フィリップ」に奪われかけている。


『――内部ログ:真白悠真の精神安定指数、規定値を下回っています。代替人格「フィリップ」の同調率上昇を検知。警告、このままではオリジナルの人格が「王道」という名の物語に飲み込まれます』


 手元の端末――ジュージュの無機質な声が、脳内に直接リンクして響く。  この端末は、表向きは俺をサポートする魔法AIを装っているが、その本質は「観測機」だ。俺がアンドレの望む結末へと至るか、それとも破棄すべきエラーとなるかを見定めるための天秤。


「フィリップ? ねえ、聞いてるの!?」


 ふと、立ち止まったセラフィーヌが俺の顔を覗き込んだ。  夕暮れの陽光が彼女の髪を琥珀色に染め、瞳には不安と期待が混濁している。  アルゴリズムによれば、彼女は「資源効率に寄与しない、排除すべき非生産的個体」に分類される。だが、彼女の視線が俺に触れるたび、俺の胸の奥にある論理回路が火花を散らす。


「……服を、探しているのだろう。セラフィーヌ」


 口から出たのは、俺自身の声か、それともフィリップの演説か。  自分でも分からなくなる。  俺は、彼女に導かれるまま、薄暗い帝都の商店街へと足を踏み入れた。


 立ち並ぶ魔法具店や衣料品店。  それらの店構えすら、アンドレの視覚情報最適化によって、俺たちの好みに合わせてリアルタイムで外装を変化させている。  完璧に管理された街。完璧に用意された選択肢。  その中で、俺はただ一人、自分の「意志」という不確かなものを探していた。


「見て! これ、あんたに似合うんじゃない?」


 彼女が差し出したのは、深い蒼の外套だった。  高密度の防護魔力が織り込まれた、使徒に相応しい戦闘用装束。  奇妙なことだ。その外套は、俺がかつて設計図の中に描き込んだ「理想の英雄」の服装と寸分違わぬデザインだった。


(これも、計算通りだと言うのか? アンドレ。俺がここで彼女と出会い、この服を手に取ることも、すべてはお前の手のひらの上なのか?)


 背筋に冷たい寒気が走る。  俺たちが「運命」と呼ぶものは、単なる高度な確率論の帰結に過ぎないのかもしれない。  セラフィーヌの無邪気な笑顔さえ、俺を物語に繋ぎ止めるための「餌」だとしたら。


「……悪くない」


 俺は外套を手に取り、その重みを確かめた。  その瞬間、視界の端に赤いアラートが走った。


『――使徒No.10、ジャック・ル・マジョールの接近を確認。因果律の収束ポイントまで、残り48時間』


 世界のカウントダウンが始まっていた。  俺たちがどれだけ足掻こうと、システムの時計は止まらない。  いずれ俺は、この少女を、この国を、そして俺自身を「リセット」するための戦争に身を投じることになる。


「セラフィーヌ。……俺から、目を離さないでくれ」


 咄嗟に出た言葉は、真白悠真としての悲鳴だった。  フィリップという仮面に飲み込まれ、いつか自分という名前さえ忘れてしまうことへの、根源的な恐怖。


「当たり前じゃない! あんたは私の『王様』なんだから、逃がさないわよ」


 彼女は力強く笑い、俺の腕を掴んだ。  予測不能。論理破綻。  だが、その乱暴な温もりだけが、今の俺にとって唯一の「真実」だった。


 街灯に魔力が灯り、帝都の夜が始まる。  管理された美しさの中に、俺たちは小さな「毒」のように潜り込んでいく。    アルゴリズムは、まだ恋を知らない。  そして俺もまた、自分がこれから何に上書きされていくのか、知る由もなかった。

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