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設計者の墓標 ― 虚構のアーカイブと、再起動の予兆

熱気が引いた後の館内は、深海のように冷たかった。


 十戒の執行者を粉砕したフィリップの余韻が、俺の意識の表層を波立たせている。だが、精神の深度を落とすたびに、俺は自分という存在が「空洞」になっていることに気づかされる。  先刻、俺は何を失った?  指先の温もり、初めて誰かの体温を感じた瞬間の、あの震えるような戸惑い。  検索しても、そこには「データ破損」を告げる無機質なエラーコードが並ぶだけだ。


(……これで、いいんだ。俺が空っぽになればなるほど、フィリップという名の神は完成する)


 そう自分に言い聞かせながら、俺は螺旋状の回廊を一人で歩いていた。  セラフィーヌたちは、少し後ろを歩いている。彼女の視線を感じるが、振り返る勇気は今の俺にはない。俺が彼女を見る時、脳は「ヒロイン:生存優先順位 A」というタグを自動的に貼り付ける。その機能的な思考が、かつての「真白悠真」をより深く傷つけるのだ。


『――エリア認証完了。悠真、あなたの目の前にあるのは、秘密の館・第3階層。通称「事象の書庫」です。アンドレが世界の全ログを保存している、管理外領域オフライン・ストレージですね』


 ジュージュの声に導かれるように、俺は巨大な光の繭が並ぶ空間に足を踏み入れた。  壁面には、この世界の過去、現在、そして「計算された未来」が、滝のように流れるバイナリデータとして表示されている。


 そこで、俺は見てしまった。  かつてシステム設計員として、俺がアンドレと共に構築した『プロジェクト・ハッピーエンド』の、真の仕様書を。


「……何だ、これは」


 指が震える。  仕様書の末尾に記されていたのは、使徒たちが奪い合う100億ノヴァの魔力の、本当の用途だった。


『――世界のリセット(再起動)に際し、現存する全人類の意識を統合、単一の演算ユニットへと変換する。個の苦しみ、絶望、そして「ノイズ」を排除し、完全なる停滞をもってハッピーエンドと定義する』


 つまり、使徒の戦争は、魔力を精製するための単なるプロセスに過ぎない。  最後に残った王が何を願おうと、その瞬間に人類は「意識」という名のノイズを剥奪され、巨大な計算機の部品へと変わる。  アンドレが求めていたのは救済ではない。  「不確定要素のない、完璧な静寂」だ。


「……悠真、何を見てるの?」


 いつの間にか隣に立っていたセラフィーヌが、光の壁を覗き込む。  俺は咄嗟に表示を消そうとしたが、間に合わなかった。


「これって……私たちが、みんな一つにされちゃうってこと? 感情も、思い出も、全部消されて……それが、アンドレの言う『ハッピーエンド』なの?」


「……そうだ。俺が、俺たちが作ってしまった世界の『正解』だ」


 俺の声は、掠れて消えそうだった。  俺が彼女を守るためにフィリップを演じ、記憶を捨てて戦っているこの時間さえも、アンドレにとっては「効率的な魔力精製」の一部でしかない。    俺たちの抗いは、すべて計算の内側だったのか。


『――警告:真白悠真の精神状態が臨界点を突破。絶望による「自己消去プロセス」が開始されました。……やれやれ、これではフィリップ人格の再起動も難しくなりますね。悠真、あなたはここで「失敗作」として終わるのですか?』


「……笑わせるな、ジュージュ」


 俺は、光の繭の一つに拳を叩きつけた。  ひび割れた表示盤から、青白い火花が散る。


「アンドレが絶望を正解とするなら、俺はそれを『間違い』だと断じる。たとえ人類が愚かで、不完全で、ノイズだらけだとしても……。誰かの指先の熱を忘れてしまうことが、これほどまでに痛いと思えるこの『エラー』こそが、俺たちの生きる価値だ」


 意識が混濁する。  視界が再び、蒼い王道の光に侵食され始める。    俺の中の悠真が、最期の力を振り絞ってログを書き換えた。  ――「アンドレの全仕様を否定し、真の希望を上書きする」。


「セラフィーヌ」


 俺は、彼女の方を向かずに呟いた。  もう、彼女の顔を直視するための「感情の予備」が底をつきかけている。


「……もうすぐ、俺はまた俺でなくなる。君との記憶も、今感じているこの悔しさも、すべて消えて……ただの『無敵の王様』が戻ってくる」


「悠真、待って! 行かないで!」


「だが、これだけは信じてくれ。……次に俺が君の名前を呼ぶ時、そこに『心』がないように見えたとしても。……俺の魂の最深部にあるこの『否定のコード』だけは、君を守るために動き続ける」


 パキッ、と脳内で何かが砕ける音がした。  真白悠真としての意識が、暗い、暗い底へと沈んでいく。


『――強制上書き開始。人格:フィリップ、フルブースト。消失する記憶領域……「真白悠真としての全生涯」。……さようなら、設計員の悠真さん。ここからは、英雄フィクションの時間です』


「――フッ。何を深刻な顔をしている、セラフィーヌ!」


 立ち上がった「俺」は、力強く、傲慢に笑った。    真白悠真が何を絶望し、何を誓ったのか。  今のフィリップには、もうその断片すら思い出せない。    だが、右手に宿る蒼き魔力は、かつてないほどに荒ぶり、熱を帯びていた。    第16話。  設計者は死に、王が生まれた。    秘密の館の深部で、運命を上書きするための「最終戦争」が、ついにその幕を開けようとしていた。

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