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白亜の停滞 ― 聖地のアルゴリズムと、亡霊の囁き

そこは、死ですら計算の一部に組み込まれた、残酷なほどに完璧な楽園だった。


 ラ・シテ・デュ・ゼニス。  ブレイブ・フェニックス号を降り立った俺たちの前に広がっていたのは、重力を無視して空中に浮かぶ水の回廊と、白磁のように滑らかな幾何学建造物の群れだ。風はない。埃一つない。ただ、一定の周波数で鳴り続ける魔導機関のハミングだけが、この街が「生きている」ことを証明していた。


(……この感覚、知っている)


 俺、真白悠真の脳が、防衛本能に近い嫌悪感とともに過去のデータを呼び出す。  ここは、かつて俺がアンドレと共に設計に関わった「プロトタイプ・ワールド」の完成形だ。すべての感情はノイズとして平滑化され、争いも、飢えも、そして「変化」さえもが存在しない、停滞した永遠。


「ねえ、フィリップ……ここ、不気味なくらい静かね。誰もいないの?」


 セラフィーヌが不安げに俺の腕を掴む。彼女のような「予測不能な変数」にとって、この整然とした空間は精神的な毒に近いのだろう。


『――環境診断:大気中の魔力濃度、帝都の400倍を計測。真白悠真の精神防壁ファイアウォールに過負荷が発生しています。警告。この高濃度環境では、あなたの記憶の「揮発」が通常の3倍速で進行します』


「わかっている。……言われなくてもな」


 俺は眉間を押さえた。  視界が時折、砂嵐のように揺れる。  さっきまで確かに覚えていたはずの、カイトと初めて拳を合わせた時の感触が、急速に色褪せていく。代わりに流れ込んでくるのは、この聖地の管理コード、座標データ、そして「フィリップ」という人格を維持するための冷徹な戦闘数式だ。


 英雄として輝けば輝くほど、俺という人間は「薄く」なっていく。


「……悠真、大丈夫?」


 セラフィーヌが俺を「フィリップ」ではなく「悠真」と呼んだ。  一瞬、思考の霧が晴れる。彼女だけは、俺が俺であることを諦めるのを許してくれない。それが、今の俺にとって唯一の救いであり、同時に最も残酷な呪いだった。


「ああ。……少し、情報の同期が乱れただけだ」


 俺たちは白銀のメインストリートを、主塔『秘密の館』に向かって進んだ。  だが、その行く手を阻むように、広場の中央に「それ」は立っていた。


 無機質な白い仮面をつけ、身体の半分が魔導部品で置換された、かつての同僚。  ――いや、俺がかつて「廃棄処分」の判定を下した、システムの犠牲者だ。


「……使徒No.7、アルベール。まさか、お前までアンドレの操り人形になったのか」


「……真白、悠真。……お前ハ、失敗シタ。感情トイウ、不純物ヲ、選ンダカラダ」


 アルベールの声は、スピーカーから流れる合成音声のように感情を欠いていた。  彼の背後から、数十体の自律型戦闘ドローンが起動し、赤色のアラートが聖地の静寂を切り裂く。


『――緊急事態:使徒No.7による「領域削除」の開始を確認。悠真、今のあなたの状態では、フィリップに主導権を渡さなければ生存不可能です。しかし、今の出力でフィリップを再起動すれば……あなたの「セラフィーヌに関する記憶」の60%が消滅します』


 ジュージュの警告が、心臓に冷たい楔を打ち込む。  彼女の名前を。彼女と一緒に食べた、あの泥だらけの林檎の味を。  それを捨てなければ、ここで彼女を守る力は得られない。


(……アンドレ、お前の仕掛けた論理回路(迷宮)は、どこまでも性格が悪いな)


 俺は隣で剣を構えるセラフィーヌを見た。  彼女は俺が何を失おうとしているのか、まだ知らない。  ただ、俺が俺であることを信じて、戦おうとしている。


「……セラフィーヌ。……ごめんな」


「え? 何が――」


 彼女が問い返すより早く、俺は心の奥底にある「王道」のスイッチを、自らの手で引きちぎるようにして入れた。    熱い。  脳が焼けるような異臭がし、目の前が真っ白な光に包まれる。  俺の意識が、深い、深い水底へと沈んでいく。    最後に見た彼女の笑顔が、パズルのピースのようにバラバラに砕け、光の中に溶けて消えた。


「――フッ。待たせたな、ノイズの少女よ。……いや、今はその名を呼ぶ必要はないか」


 立ち上がった「俺」は、蒼い外套を翻し、尊大に笑う。  そこに真白悠真の憂鬱はなく、ただ敵を殲滅することのみに特化した、眩いばかりの「希望の記号」が完成していた。


「去れ、ガラクタの人形。王の往く道に、過去の亡霊など不要だ!」


 フィリップの咆哮が、白亜の街並みを震わせる。  俺は、彼女を救うために、彼女を愛した「俺自身」を殺した。    聖地ラ・シテ・デュ・ゼニスの空は、どこまでも澄み渡り、そして何も映さないほどに空虚だった。

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