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箱庭  作者: 梅木しぐれ
9/13

「寂しくなるほど認めたくないんだ」

『彼は、現在1184歳になります』

「せっ? えぇ?」

 まさかの4桁の年齢に、君唯を改めてみる。

 正直なところ、30歳前後にしか見えず、だいたい27から34歳ぐらいだろうか。そんな人間が2桁を飛び越え、4桁なのだから、紬の脳は理解するのを拒むかのように、考えることができない。

「大往生どころじゃなくね? 実際、そんなに人間生きられないだろ」

『通常ならありえませんが、技術の発展は確かに人の寿命を延ばしたのです。なにより彼には、倫理観以上に大切なものがあったから、と言っておきましょう』

 M2の言葉に、君唯は眉を寄せた。

「……8q090800+1(アセビ)としての発言ですか? 今の名前はM2ということを理解していますか?」

『えぇ、きっとあなた以上に理解していますよ』

 君唯とM2が話している間に紬は、結が座っている移動用ドローンの電源を落とし、結に怪我がないか目視で確認する。打たれたであろう両頬以外に目立った怪我はない。これ以上怪我がない安心と、結の両頬を打った君唯への怒りの二つの気持ちを隠して、結の両頬を両手で包む。

「………ん」

 小さく呟かれた音に、柔らかな頬に、零れた息に、細められた瞳に、安心とは違う安堵から思わず口角が上がる。

「なに、わらっへんだ。はあく、はなせ」

 不満気で、生意気な態度に「ごめんごめん」と笑いながら、両頬から手を離す。移動用ドローンから降り、紬の横へと並んだ結は問いかける。

「ところでお前、いつアイツのこと知ったんだよ」

「アイツって、結城さんのこと?」

「他に誰がいんだよ、タコ」

「んーと。あの時更生プログラムじゃなくて、結の居場所と結城さんのことをM2から教えられたんだよ。教えられたけど、まさか1000歳超えとは聞いてなかったな」

「あ、あの時っていっても知らないか」と、頬を掻く紬に、結は「知ってる」と素っ気なく返した。

『先ほどもお伝えしましたが、柊唯の友としての最後の約束を果たす時が来たと判断しました。私は彼の、彼らの隣人として人類の長い休息の終わりを、この箱庭の終わりを認め、再び歴史を動かしていきます』

「彼が望んだもの、だって?」

『そうです。あなたも覚えているでしょう。一緒にいたのですから』

 ゆらゆらと体を左右に揺れ始めた。男の異様な空気に、紬も結も固唾を飲む。

「ダメですよ。この箱庭はまだ終わらない。彼がどこにもいない。彼がいないのに歴史が動くはずないんです。彼が凍っているかぎり、この世界は凍ったまま。そもそもあの人の願いは、動き出すことじゃなく――――――赦されることだった」

 ぴたり。と揺れが止まる。

 それから、ゆっくりと、真っ直ぐと、唯を見た。

 ぽっかりと落とし穴のような、光を一筋も通さない君唯の黒い瞳と視線が絡まる。捕まって、石になってしまったかのように動けなくなっていく。前に踏み出そうとする意志が、花のように咲き誇っていたはずの淡い思いが恐怖で枯れていく。

「――――――大丈夫だから」

 言葉が聞こえたと思ったら、指先が震えていることに気がついた。それから指先が冷たくなっていることを知った。そっと握りしめられた温かい手のひらを、結は握り返すことができなかった。

 それでも盗み見た彼の横顔は、あの日と似ていて、不思議で、不気味で、素敵で、結の身体はどこも悪くないはずなのに、胸が苦しくって、呼吸ができなくって、苦しいはずなのに、気持ちよくって、ずっと、ずっと、ずうっと見ていたくって、その頬に触ってみたくって、手を伸ばせば届く距離にいるはずなのに、あの時と違って透明な硝子だって無いのに、やっぱり距離はどこまでも遠かった。

 ぎゅう、ぎゅう、ぎゅっと結を安心させるかのように、握りしめられた手のひらは手汗でぐちゃぐちゃで、確かに紬の緊張と恐怖を表していた。それが笑えるほど面白くて、悲しくなるほど嬉しくて、涙が溢れるほど愛おしくて、小さじ3杯の砂糖が紅茶に溶けるように、結の気持ちだって紬の温度に溶けていく。

 先ほどと同じように、紬は結を庇うように前へ出る。

 強く冷たい手のひらを――――――、痛むほど震える指先を――――――思いきり握りしめる。

「結城君唯」

 輪郭を持った言葉に、君唯は初めて紬を見た。

「なんとなく思った。違ったらごめん」

 淡々と時計の針が進み続けるような、そんなあたりまえのように、朝の挨拶のような気軽さで紬は言葉を続ける。



「柊唯博士のことが、大好きな分だけ許せないんだな」



 あまりに静かに、大きく聞こえた言葉に、君唯は二つの瞳は見開いて、息を飲む。それは図星だったからなのか、それとも的外れだったのか、君唯はフリーズしたパソコンのように固まった。

「俺は柊唯博士が、どんな人間だったかなんて知らないけどさ。M2もあなたも、その人のことが好きってことは伝わってくるよ。だから――――――」

 少し恥ずかしそうに話しながら、言葉を区切った紬は、浅く息を吸って、深く吐いた。

「だからこそ、あなたは寂しくなるほど認めたくないんだ」





「は?」





 事実だ。

 的確に、明確に、紬の言葉は事実であった。

 事実とは、指摘されれば居心地が悪くなる。

 事実とは、見透かされれば怒りが湧いてくる。

 事実とは、自覚すればするほど現実になる。

「―――ッ?!」

 ジャキ。

 黒く、重く、冷たく、暗い銃身が瞬きの間に紬を捉える。どこから出したのかもわからないそれを、認識したときには、紬の体は傾いていた。

 ゆらり、と、切りそろえられた髪の毛が揺れる。

 するり、と、水のように繋いでいたはずの指先が解けていく。

 かちり、と、銃口と目が合う。

 なにもかもが、ゆっくりと進んでいく。頭ではこんなにも遅いことはありえないと理解しているのに、それでも目の前の光景はゆっくりと進んでいき、頭の冷めた底では打開策を必死に検索している。

 自身の前へと躍り出た結の背中に手を伸ばすが、掴めるものは空気ばかりだ。近いはずの結の背が、何億光年先に輝く恒星のように遠い。

「――――――、待ッ」

 紬の制止の声は、花火が弾ける時に似た乾いた音にかき消された。

 風で花びらが舞うように、赤色が宙を舞う。見開いた視線の先で、結の体が重力に引っ張られるまま倒れていく。紬が先か、結が先だったか、二人の体は、どさり。と大げさな音を立てて固く、冷たい床へと転がった。

「……ゅ、ゆい」

 自分の喉から出た声が、頼りなく、情けなく震えていた。僅かに上下に揺れている体は、まだ結が生存していることを紬に教えてくれた。

 ―――カラン。

 重たくも、軽やかな音に顔を向ければ、君唯の手に握られていたはずの銃が床へ落ちていた。そのまま視線を横にずらせば、同じタイミングで君唯が尻もちをついた。痛みだって感じられないほど、その顔は驚愕と、恐怖と、なにかに染まっている。

「ぁ、……ッ、ちが、違う、……ぁあ、こんなこと、て」

 ぶつぶつと呟きながら首を震えるように左右へ揺らす男は、どうやら目の前の現実を引き起こしたくせに受け入れることができないようであった。君唯は放っておいて、紬は結へと駆け寄った。どくどくと自分の行動が脈打つほどに、結から赤色の液体が漏れていく。

 汚れることも気にせず抱き上げれば、生ぬるい液体が紬を同じ色へと染めていく。また意識が残っていたのか、突然動かされた身体に唸る。

「よかった、まだ生きてるな。おい、しっかりしろ! 目を開けろ!」

 意識が戻るように、声をかけ続ける。

 腹部から溢れる血を、少しでも止めるために傷口を抑える。

「ッぅ!」

「大丈夫だからな、絶対に助かるからな! だから、目を開けてくれ結!」

『医療用ポッド起動確認、ここへの到着まで残り6分です』

 遅すぎる。

 とっさに湧いた怒りに、歯を食いしばる。

「……っむ、ぎ」

 吹けば飛んでしまう綿毛のような声に呼ばれた紬は、腕の中にいる結へ顔をよせる。ぐちゃり、と水分を含んだお互いの衣類が不愉快であった。

「ここだよ。俺はここにいるよ、結」

今までの態度からでは想像できないほどの弱弱しい結の姿に、紬は事態の深刻さから唾を飲む。生温かな塊が喉を通る不快感に眉を寄せる。

「―――ぁ、よか、た。ぶ、じで、す、ぇ、ゲホッ! ご、ぼっ?!」

 血を吐き出す結を、構わず抱きしめる。

「ッい、てェ……たこ」

「どうして俺なんかを庇ったりしたんだよ!」

 紬の言葉に、なにがおもしろかったのか僅かに肩を揺らす。揺れる痛みに悶える結は、血でべっとり汚れた指先で紬の頬を撫ぜる。氷のように冷たい指先を温めるように、紬は頬に触れる指先を握りしめた。





「ば、ぁか」





 痛いはずなのに。

 熱いはずなのに。

 辛いはずなのに。

 寒いはずなのに。

 そんなもの一切感じさせないで、結は笑う。

「なに笑ってんだよ」

 血が止まらない。

 ひゅーひゅー、と結の喉から音がなっている。

「……だれ、が、っ、おまえの、……ため、な、か………、おれの、ゲホッ! お、れのためだ、……ぁ、ゴホッ……ッ……」

 ―――かくん。

 糸が千切れた操り人形のように、突然意識を失った結の体はグンッ! と重くなる。

「結! 起きろ! 目を開けろッ!」

 紬は必死に呼びかけるが、うんともすんとも返事は返ってこない。溢れ出る血は気持ち悪いほど温かいのに、抱きしめている結の体はどんどん氷よりも冷たくなっていく。

「―――頼むから、――――――起きてくれよ」

 鼻がツン、と痛み。目頭が熱くなっていく。紬の意識とは反対に、視界が滲んで、輪郭があいまいに溶けていく。自分の頬を滑り落ちていく液体だけが、燃えるように熱い。滲む世界で結を失わないように、失くさないように、強く、強く、力強く抱きしめる。

『医療用ポッド、ただいま到着しました』

 M2の言葉に顔を上げれば、眼前に医療用ポッドが来ていた。

『医療用ポッドにお入れください』

 プシューー、と音を上げながら開いた医療用ポッドに結を入れる。助かるかどうかなんて、紬にはわからない。助かってくれ。と、祈ることしかできない。

『いまから処置を開始します』

 医療用ポッドはロックされ、治療が終わるまでどうすることもできない。

 ――そういえば、結城さんは?

 恐ろしいほど静かであった君唯へと振り返れば、自分のこめかみに拳銃を押し付けていた。いつ拾ったのかわからないが、なにをしようとしているのかは火を見るよりも明らかだった。

「はは、」

 ひきつった笑みで、虚空を見上げる君唯は正気ではない。引き金に指をかける動きに、迷いはない。

「待ってッ!」

 紬の声と銃声は、同時だった。

 まさに一瞬。

 ―――どさり。

 虚しいほどの静寂が、部屋の中に充満する。伸ばしたかけた手は、だらしなく下がった。

『生体反応消失。確認します………生命活動反応確認できません。よって、処理を開始します』

 M2の言葉に反応し、数体のドローンが死体に群がる。静かに響く駆動音は、恐ろしいほど淡々としていた。こうなることが初めから分かっていたような、そんな気持ち悪さに紬は眉を寄せる。

 ドローンによって、どこかへと運ばれていく君唯の死体をぼんやりと見つめる。とある一つの嫌な考えが紬の頭をよぎった。

「………なぁ」

『なんでしょうか』

 紬の呼びかけに応えるM2は、どことなく楽しそうだ。言い知れぬ恐怖が地を這う蛇のように、ずる、ずる、ずる、ずるりと、ゆったりと近づいていく。確信にも似たそれに、紬は固唾を飲んだ。

『どうかしましたか?』

 冷たく、固いその合成音は――――――喜んでいた。

「も、しかしてさ……、最初から殺すつもりだったのか?」

 理由なんて知らない。

 それでも、漠然と感じた殺意に紬は聞かずにはいられなかった。

 そもそもおかしいのだ。紬を殺す意味はあれど、生かす意味がない。

「……聞いているのか?」

 あいかわらず人間のような沈黙を使うM2に、紬は「沈黙は肯定だぞ」と続ける。







『わたしは結城君唯の殺害を――――――夢に見ていました』







 その人口知能は、恋に夢みる少女のようであった。








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