「どうして外に出たいんだ?」
左腕が痛い。
腹が重い。
なにより、暑い。暑すぎる。
今まで感じ事のない不快感に、紬は目を覚ました。
視界に映るのは、見慣れたシンプルな天井。起き上がろうにも、不思議なことに動かすことができない。昔、呼んだ金縛りの症状によく似ている。似ているだけで、頭の冷静な部分が――これは金縛りではない。と、こんこんと左側の存在を認知していた。
不自由なく動く首を左へと回せば、そこには――――――さらりとした黒いものが、頬に触れた。くすぐったさに身をよじれば、動くなと言わんばかりに体を締め上げられる。
「痛い痛い痛い痛い!」
あまりの痛さに、隣にいる人物の肩を叫びながら叩く。
「……」
返事をしない結に、紬は困ったように笑い、結の肩を掴んで、優しく揺する。
「おい、起きてんだろ」
「………起きてねぇ」
「起きてんじゃねーか!!」
しっかりと言葉を返す結に、紬はじゃれるように今度は激しく揺する。
「うぜぇ!!!」と、怒りに任せ紬をベッドから蹴り落とした。
「イッテェ!!! おっ前なぁ!」
床に落とされて喚く紬を無視して、結は洗面所へ消えていく。その後姿を不満気に見送ったあと、小さく呼吸をしてから立ち上がった。
何をするのにも自由な箱庭は、基本的に誰も縛られていない。いろんな選択肢を与えられている。与えられているが、なにかを選択することは少ない。ほとんどの人間が端末のM2に聞くからだ。M2に聞いて、M2の提案を受け入れて、それを実行する。ある意味M2の言いなりになっていると言ってもいいだろう。この世界の神様だから提案に従うのは、普通のことなのかもしれない。
『箱庭のみなさん、おはようございます。本日も素敵で変わらない一日をお過ごしください』
いつもと変わらないアナウンス。
いつもと同じなら、悠解が部屋まで迎えに来てくれる。
でも、悠解はもう二度と紬を向かいに来ることはない。どうして、そうなってしまったのかは分からない。理由だって分からない。分からないだらけの中の、一つの事実に紬は静かに扉を見つめる。
「……変わらないはずの今日が、変わっちゃったな」
今にも開きそうな扉に、手を伸ばす。
伸ばしたところで扉には、指先も届きはしない。きっと悠解とは昨日と同じように、移動用ドローンに乗って、懐疑的だったはずの端末の画面を食い入るように見ていることだろう。
「なに一人で笑ってんだ、気持ち悪りぃ」
「だから! シンプルな罵倒が一番傷つくんだってば!」
「知るか」
まったく意に介さない結に、紬はなんだかおかしくなって声を上げて笑う。突然の行動に、目をまん丸にして驚く結の顔がまた面白くて、なんだか嬉しくって、それ以上に悲しくなって、紬は「俺も顔洗ってくる」と、洗面所へ向かった。
その背中を結は、黙って見送った。
脳みそが起きた二人は、空っぽだと訴えるお腹を満たすために食堂へ向かう。道中、和気あいあいとまではいかないが、会話は途切れることなく続いた。
利用者が二人しかいない食堂は、相変わらず貸し切り状態だ。昨日の反省を生かして紬は、案内されたテーブル席で結の隣に座る。どこか満足そうに笑う結に――なんで、隣に拘るんだろうなぁ。と昨日の就寝事件を思い出していた。
夜になれば人間は眠る。別に変なことではないし、あたりまえのことだろう。
「俺は椅子で寝るの慣れてるから、お前が―――」
「結」
「……結が、ベッド使っていいよ」
紬の提案に、これでもかってほど眉を寄せる。眉間の皺が刻まれそうなほど、深い。深すぎる。
「眉間に皺ついても知らねぇぞ」
「あ? つかねーよ、タコ」
視線だけで人を殺せそうなほどの、鋭い瞳に紬は目を逸らす。別に怖いわけではないこともない、こともない。
「俺の隣で寝ろ」
「―――は?」
何を言っているのか、理解できなかった。
ちゃんと聞こえていた。そう、確かに聞こえていた。聞こえていたからこそ、理解ができなかった。隣で寝ろ。この一言は、単純だ。この小さなシングルベッドで、小さくない男二人が並んで寝るってことだ。どう考えたって、ベッドの大きさが合っていないことなんて明らかだ。それは、目の前にいる結だって、わかっているはずだ。
「いやー……。それは、無理じゃないか?」
「無理じゃねぇ」
食い気味に返ってきた言葉に、紬は顔を顰めた。
その後は「無理」と拒否する紬と、「無理じゃない」と迫る結の攻防が一時間ほど続き、先に心が折れた紬を、ベッドへと引きずり込んだ結に軍配が上がった。
昨夜のことを思い出して、なんだか疲れた紬は昨日の記憶を隅に追いやるように、頭を左右に振った。
「……なんだいきなり」
「なんでも!」
なにか言おうと結が口を開いたその時、『お待たせしました』と、昨日と同じドローンが料理を運んできてくれた。
今日は二人ともシリアルだ。ざくざっくざくざっくと、食べ進める。ぺろりと食べてしまった二人は、ドローンに挨拶してから食堂を後にした。
「今日はどうする?」
紬の問いかけに、答えは決まっていると言わんばかりに歩き出した結の後を追いかける。
「え、なに。なにするか決まってんの?」
「外に出るぞ」
その一言に、紬の足は止まった。
「……結は、」
「あ?」
足の止まった紬へ、振り返る。そこには、俯いた紬がいた。結には紬のつむじしか見えない。
「どうして外に出たいんだ?」
外に出たいと望んだ悠解は、紬の知っている悠解ではなくなった。
昨日会ったばかりの人間に、こんなことを思うのはおかしいのかもしれない。それでも、このまま外に出ようとしたら、今度は結が、紬の知っている結ではなくなってしまうかもしれない。もしくは、紬自身が変わってしまうかもしれない。
結が変わるのはいい。また紬が傷つくだけだ。たった、それだけだ。
だがもし、紬が変わったら? そんなことになれば、傷つくのは結だ。……傷ついてくれるかは、正直わからないけども。
「俺には目的がある。―――だから、お前が嫌がろうか、喚こうが好きにしたらいいが手伝ってもらう」
結の目的について聞こうと思ったら、続いた後半の言葉に呆れて言葉が出なかった。何様だ、なんて言いたくなるような物言いだったけど、紬にとっては結の横暴はどこか心地が良かった。先ほどまで感じていた不安が、どこかへ消し飛んでしまった。
「おっ前は、本当に」
「なんだよ」
拗ねた子どものように唇を尖らせる結が、なんだか可愛くて――悠解も、いやアニキも、俺に対してこんな気持ちだったのかな。と手を伸ばす。伸ばした指先が、頬に触れるその時、
『下原紬、止まってください』
結の後ろから聞こえた合成音声に、紬の身体はギシリと固まる。
医療用ドローンが一台、移動用ドローン二台、通常のドローンが二台、結の背後から現れる。医療用ドローンと移動用ドローンは、悠解を運んだドローンと同じであった。
『健康状態に異常を感知しました。要検査が必要です、こちらの移動用ドローンにお乗りください』
悠解の時とは違い、有無を言わせずに紬の腕を掴む。
「ちょ、ちょっと! いきなりなにすんだっ!!」
掴まれた腕を振り払おうとするが、相手は機械だ。紬の力では敵うはずもなく、無理やり移動用ドローンに乗せられる。
「おい、待てッ!」
移動用ドローンに乗せられた紬を下ろすために、腕を伸ばす。
『あなた様はこちらへ』
「あ?」
紬へと伸ばした右腕が、通常のドローンに捕まれた。
「何しやがる! 放せっ!!」
振り払おうとも、やはり人間である結にも振りほどくことができない。苛立ちから舌打ちをするが、何一つ解決しない。
「結っ!!」
紬の呼び声に顔を向ければ、移動用ドローンから身を乗り出し、腕をめいっぱい伸ばしていた。伸ばされた腕を、手を、指先を、掴むために、掴まれていない左腕を同じように伸ばす。あと少し、もう少し、お互いの身体を前に出すことができたなら、掴むことができる。けれど、現実はどこまでも非常であった。
『それでは移動を開始します。危ないので離れてください』
紬を乗せた移動用ドローンが移動を始めたことにより、二人の距離は急速に離れていく。
どこまでも、離れていく。
さっさまで手を伸ばせば、届く距離にいたのに。
今は手をどれだけ伸ばしても、届かない。
目の前には硝子なんてないのに、こんなにも遠い。遠くなっていく。
「紬っ!!!」
喉が切れてしまいそうなほどの痛々しい叫びは、身が裂かれたような怒りが、悲しみが、苦しみが込められていた。
『暴れないでください。危ないので暴れないでください』
「うるせぇ、放せ! 俺はアイツを追うんだよッ!」
怒りに身を任せ暴れる結を、ドローンたちが抑え込む。加減を知らないドローンに抑え込まれた結は、痛みに顔を顰める。だが、こんな些細な痛みで、結は止まらない。
『最終警告です。危ないので暴れないでください』
警告を無視して暴れる結の顎を、ドローンから伸びた拳が打ち抜いた。
「――――――ッ!?」
何が起きたのかわからない。
上下左右の感覚が霧散していく。体が言うこと聞かない。視界がぐるぐるぐるりと回る。紅茶に溶ける砂糖のように結の意識は、溶けて消えていった。




