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箱庭  作者: 梅木しぐれ
4/13

『またのご来店お待ちしております』

「あのぉ、お気に召しましたか?」

 伺うように結へと話しけるが、返ってくる言葉はなかった。なかったのだが、とくに不快感はないのか、家主よりもくつろいでいる。今、結は簡素なベッドの上で猫のように丸くなりつつ、紬を真っ直ぐ見つめていた。

 何も言葉を発しない結に、そうそうに会話をあきらめた紬は椅子に座り、端末を使って星について調べ始めた。もはや習慣であり、惰性だ。今回は、どの星雲を調べようかと液晶に指を滑らせていれば結が言葉を発した。

「腹へった」

 その言葉に振り返れば、なにを考えているかわからない二つの瞳とかちあった。深い、深い海に溺れて、沈んでいくように、体が重たくなっていく。

 振り返って動かない紬にもう一度、「腹へった」と告げた。

 端末で時間を確認すれば、12時を過ぎていた。時間を認識したからか、なんだか紬もお腹がすいてきた気がした。のそりとした動作で椅子から立ち上がった紬を見た結も、ベッドから起き上がった。

「それじゃあ、食堂に行くか」と、二人は一緒に食堂へと向かう。

 部屋を出たのはいいのだが、いかんせん話題がない。

 気まずさはないのだが、悠解が隣にいたときは楽しく会話しながら廊下を歩いていたからか、なにか話題を提供しなくては! と、一人焦る。紬の半歩前を歩く結は、隣で移動用ドローンに乗って流れていく人間を見ていた。

「あれに乗りたいのか?」

 会話の糸口になればいいと話しかければ、ノータイムで大きな舌打ちが返ってきた。結の舌打ちに慣れてきた紬は、気にすることなく半歩の隙間を埋めて、結の隣に並ぶ。乗りたいと言われても、紬は一度も乗ったことないうえに、今朝のできごとが頭を埋め尽くしているから――断ってくれ。なんて考えていた。

 なにかを考えるように結の足が止まった。つられるように足を止めた紬の左手を、目にもとまらぬ速さで掴んだ。

「痛い痛い痛い痛い痛い!!!」

 あまりの痛さに叫ぶ紬なんて見えていないのか、ぎゅ! ぎゅう! ぎゅ! と、にぎにぎする(こんな可愛らしいものではない)結の何かを確かめるような動きに、痛い! とは叫んでも、止めろ。とは言えなかった。

「あんな機械、興味なんてねぇよ」

 満足したのか力こめることを止めた結に、紬は息を吐き出す。相当痛かったのか、両目には涙が今にも零れ落ちてしまいそうであった。

「ほら、早く行くぞ」

 少しだけ紬を馬鹿にしたように、懐かしむように、ふわり、と笑った。その柔らかな表情に目を奪われる。お互いの温度が同じになるように、分け合うように、結は自分勝手に紬の手を引いて再び歩き出した。

 成り行きとはいえ、仲良く手を繋いで食堂に行った二人を出迎えたのは、昨日と同じドローンであった。

『いらっしゃいませ。こちらの席へどうぞ』

 プログラムに登録された言動を忠実に遂行するドローンに従い、案内された席へと移動する。四人掛けのテーブル席に案内された紬は、とくに考えることなく結と向かい合わせになるように座れば、それを結が咎めた。

「おい、なにそこに座ってんだ」

「は? ……え、えぇ? なんでって、ダメなのかよ」

 困惑する紬に、今日何度目かの舌打ちをする。あまりの理不尽な態度に、眉がぴくりと動くが、我慢だ、我慢。と自身に言い聞かせる。

「俺が向こう側に座ればいいのか?」

 努めて冷静に、優しく問いかける紬の言葉が気にくわないのか、結はまるで熱さでアスファルトの上をのたうち回るミミズを見るような冷ややかな視線を向けた。なにがこんなにも気にくわないのか理解ができない。いい加減怒ってもいいだろうか。なんて考え始めた紬の思考を遮るように、結は紬の肩を軽く押す。

「……―に、――ろ」

「え、なに? もう一回言って、聞こえなかったんだけど」

 結の言葉を聞き漏らさないように、耳を澄ませば結構な力で肩を押された。

「うわっ?!」

 押された勢いのまま、横の椅子に雪崩れ込んだ紬が文句の言葉を放つ前に、結は紬が座っている椅子に座ろうとしたため、慌てて雪崩れ込んだ椅子に座りなおした。

「おっ前なぁ」

 呆れたように零れ出た言葉に、結は「なんか、文句あんのかよ」と返す。

「文句しかねーよ! ちゃんと言ってくれれば、横にずれたよ」

「お前が聞いてなかっただけだ」

「はぁ? あ、もしかして」

 先ほどの小声は、もしかして、もしかしてなのだが「奥に詰めろ」って言っていたのではないのか? と思い至る。なんだか無駄に疲れた気がした紬は、溜息一つ吐き出した。

 そもそも、テーブル席だというのに隣に座りたがった結の考えが理解できない。結

を盗み見れば、何が楽しいのか口元を緩ませていた。自分よりも背が高く、それに伴って体格もいい男のせいで窮屈であるが、それも「まぁ、いいか」と流せてしまった。

『ご注文はお決まりでしょうか』

「うわっ」

「なに驚いてんだ」

「いや、だって」と意味がない音を繰り返す紬を無視して、結は二人が座るのを待っていたドローンに礼を述べてから注文をした。

「お前って」

「あ?」

「お礼、言えたんだな!」

 心の底から驚いた! と瞳を輝かせる結に「お前は、煮干しだけな」と冷たく返す。煮干しを食べないといけないのは、お前だろ。あ? はっ倒すぞ。なんて小競り合いしてれば『かしこまりました』と、冷静に仕事をこなすドローンが一台、厨房へと消えていく。

「アァっ!」

 悲痛な叫びに、肩を揺らして笑う結は本当に楽しそうである。

「え? 本当に、煮干しだけ? 嘘って言ってくれ」

 そこまで落ち込まなくても、戻ってきたドローンに追加注文すればいいだけのことを二人はちゃんと理解している。もっと言うなら、紬は持っている端末から、今すぐにでも追加注文すればいいだけだ。こんな茶番に意味はない。けれど、意味がないことは存外楽しいものだ。

 結とのやりとりが楽しいと思えるのは、悠解との時間があったからだ。悠解と出会う前は、周りの人間を気にすることなく(それは今も同じだが)、自分の世界に引きこもっていた。移動用ドローンは優秀で、周りの状況を常時把握し、誰とも、なにともぶつからずに移動できる。これは端末がM2と常時繋がっているからできることだ。紬はM2を信じでいたため、前を見ることなく、お手元の端末を操作しながら移動するのが常であった。

 その日も、同じように端末を操作しながら歩いていた。

 曲がり角をいつものように曲がろうとすれば、勢いよく何かとぶつかった。受け身を取ることはできず、そのまま尻もちをつく。思えば、これが人生において初めての“痛み”であった。初めてのことで混乱する頭を突き抜けるほどの快活とした声が、上から降って落ちてきた。

「おいおいおいおい! ダメだろう、前見て歩かねぇと」

 差し出された手の意味なんてわからなかった。

 一向に手を掴まない紬にしびれを切らした悠解が、無理やり腕を掴んで立ち上がらせる。どこまでも強引だけど、僅かに優しさも感じた。もうあの優しさに触れることはできないと思うと、名前の知らない感情で胸がいっぱいになって、喉を通って口から勢いよく吐き出てしまいそうになるのを我慢する。

 なんでもかんでも悠解に、結びつけてしまう自分に自虐的な笑みが零れた。

「くだらねぇこと、考えてんなよ」

 怒りを隠していない声に、紬は目を丸くした。じっと紬を見つめる結のわがままは、今の紬にはありがたかった。それを言葉にすることはないが、軽い調子で「ごめん」と謝る。その行動に、結も満足気にふん、と鼻で笑った。

『お待たせしました』

 先ほどと同じドローンが、料理をテーブルまで運んでくれたようだ。紬の前に煮干しが盛り付けられた小皿が、結の前には美味しそうなドリア(半熟タマゴ付き)が配膳された。食欲をそそるチーズの香りに、紬は結の目の前のドリア(半熟タマゴ付き)を恨めし気に見る。

「なんだ、文句でもあんのかよ」

「いやいや、あるに決まってんだろ! まじで、煮干ししか頼んでなかったのか?!」

「目の前にあるのが現実だ、バカ」

 紬が喚けば、喚くほど愉快だと言わんばかりに笑う結。

 なんとも腹は立つのだが、配膳された煮干しには罪はない。ぽりぽりと煮干しを食べていれば、またドローンがテーブルにやってきた。

『お待たせしました。コチラ、あとからと指示された料理になります』

「あとから?」

 ドローンの言葉に首を傾げる紬を置いて、ドローンは淡々と紬の前にハンバーグ(目玉焼き付き)セットを配膳する。お腹をくすぐるソースの濃い匂いに、紬は唾を飲み込む。ちらり、伺うように結を見れば、興味ないのか黙々とドリアを食べている。あ、半熟タマゴを割った。

「………うぜぇ」と、紬の視線に辟易と呟いた。

 たったこれだけのことで、今までの不遜な態度が許せてしまう。我ながら、随分と簡単なやつだと思いつつも、嬉しいものは嬉しいので、ありがたく配膳されたハンバーグ(目玉焼き付き)を、食べようと思う。結のことは、名前しか知らないけれど悪い人間じゃないことは、もうわかっている。

「ありがとな」

 少し照れくさそうに笑いながら、「いただきます」と手を合わせた。

 黙々と食べ進める紬を、今度は結が静かに見ている。どんな表情で見ているのかわからないし、見てくる理由を聞いたら理不尽に怒られるのだろう。とにかくハンバーグの味に集中して、結を気にしないように食べ進めた。

 律儀にも結は、紬が食べ終わるまで待っていた。

 何か理由があるのかもしれないし、ないのかもしれない。それでも、やっぱり一人で食べるより、誰かと食べる食事は美味しいのだと、食べていたハンバーグはちょっとだけ、しょっぱい味がした。

『またのご来店お待ちしております』

 ドローンの挨拶を背後に、廊下へ出た二人。結が歩き始めたので、その後を追う紬。特に会話があるわけではない。素朴な足音だけが、二人を繋ぐ。

 どれだけ歩いたのだろうか。結はもともと居た場所に戻る気はないのか、気ままに突き進む。ずっとあの部屋に閉じ込められていたのかわからないが、前を歩く結は何度見ても楽しそうだ。自然と紬も歩く行為が楽しくなっていく。

「なぁ」

 紬の問いかけに足を止めた結が、振り返る。返事のない、返事に紬は怒ることなく続きを話す。

「結は、なにか好きなものとかあるのか?」

 なにかを思い出すように目を細める結は、どこか寂しそうだ。普通に考えて、あんな部屋に閉じ込められていたのだから、“好き”と言えるものと出会うことはなかったのかもしれない。かもしれないが、そうじゃないかもしれない。風が吹いたら飛んでいく綿毛のような期待でも、紬は期待してしまう。

 ゆっくりと天井を見上げる。

 天井のさらに向こうを想像するように閉じられた瞳。あの二つの瞼の裏には、なにが映っているのか紬はわからない。

「………月」

 コトリ、と、置かれた言葉は、触れれば壊れてしまうガラスのような、融けて消えてしまう雪のような、そんな音だった。

「それなら、暗室にでも行く?」

 紬の提案に、ギロリ、と睨みつける。

「ざけんなよ」

 地を這うほどの低い声は、結の怒りをよく表していた。なにをそんなに怒ることがあるのか、紬にはわからない。結の言葉は紬にとって、理不尽な怒りだ。確かに理不尽な怒りであるはずなのに、まるで諦めたように、自身を落ち着かせようと深呼吸をする結に、何かを言いたいのに、伝えたいのに、思い浮かぶ言葉は一つもない。

 理解できない感情に、拳を握りしめる。

「おい、行くぞ」

「へ? どこに」

「………暗室」

 淡々と簡潔に告げた結は、紬を待っていた。そんな結の隣へと、紬は駆け寄った。




 ◆◆◆




「う、嘘だ……ッ」

 空っぽの部屋を見て、震える男が一人。

 どれだけ見ても、近づいても、遠ざかってみても、ガラス張りの部屋の中には誰もいない。動揺を隠すこともせず、部屋の前で右往左往する。10往復目に突入というところで、男は何かに気がついたのか、誰もいないのに話し始めた。

「どうして、なぜ止めなかったのですか? あなたなら、止めることができたはずです。これは職務怠慢ですよ。えぇ、えぇ、そうです、あの人をこの部屋から出したのは、あなたの落ち度です」

 淀みなくすらすらと出る言葉のすべてが尖っていた。

『彼が出ることを望んだのです』

 合成音声は、なんてことなく言葉を返す。

「望んだ? あの人がですか? 外に出ることを? そんな、そんな、そんな、そんなことが起きるわけがない!」

 怒りにまかせて叫ぶ男は、カツ! カツ! カツ! カツ! と靴音をわざと響かせながらガラス張りの部屋の出入り口に近づく。自身の端末と、扉に取り付けられた機器を繋ぎ、一緒に撮りつけられていたカメラの映像を確認する。

 画面いっぱいに映る、不審そうに眉を寄せる青少年に端末を握る指先に力がはいる。

「………この男の子を調べてください」

『かしこまりました。検索結果を端末へ移動、完了。確認をお願いします』

 合成音声に従い、送られてきたファイルを開けば、望む情報がそこにあった。

「下原紬。………紬くん、ですか」

 音にしてみた言葉に、接点なんてなにも思い浮かばない。事実、接点なんてない。だからこそ、どうして紬がこの場所に来れてしまったのか、わからない。ガラス張りの部屋は、中の人間のプライベートを守るために、カメラは設置されていない。ただ異変があればわかるように、365日24時間、脈拍数は計測している。なんとも言えない中途半端なカゴは、男の僅かな純粋な好意と、気持ち悪い好意が混ざって行為に現れていた。

「探す……となると、大事になる。あの人を傷つけることなく、回収しないと……。どうして、出たいなんて……」

 ぶつぶつ、ぶつぶつと、呟く男は考える。

最善の手を考える。

 何年と、何十年と、何百年と、何千年と刷り込まれたような、思考回路を止める人間は、男の周りにはいない。

「ん?」

 ある一つの記述に、男の視線がピタリと止まった。

 内容を舐め尽くすように読んだ男の口元が、三日月のような弧を描く。

「なんだ、実に簡単なことだったじゃないか!」

 曇天がスパッと割れて、消えたような喜びに男は今にも踊りだしそうであった。いや、軽いステップは踏んでいた。

「M2!」

『はい、なんでしょう』

 歌いだしそうな男は、陽気に話を続ける。

「紬くんを、更生プログラムへ。理由はなんでも構いません。今朝のうんこに異常があったでも、なんでもいいです」

『かしこまりました。それでは、早速明日の朝そのようにいたします』

「うんうん、よろしく頼みましたよ」

 ガラスに手を当てて、男は不快感を隠すことなく眉を寄せた。





「はやく柊博士を、ここへ戻さないと」







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