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「……き……きんもっ」
笹はなんとか、それだけ絞り出した。怪異や人間の怨念の恐ろしさというのは、大吉には語ったことがないものの、十分に知ってはいたつもりだった。しかし予兆もなく、するりと近くに入り込まれるというのは、笹にとっても珍しい経験だった。
「ごめん!」
大吉は爪が食い込むほどに掴んでいた笹の肩から手を離した。
「お前じゃなくて、呪いのアルパカね!」
笹は床に落ちたスマートフォンを拾い上げた。通話は切れているが「がんばってね~。今夜ならなんとかなるかもよ」とメッセージが入っているのを確認して、小さく息をついた。
「見ちゃったの!?」
「いや、見てはないけど、向こうの行動がストーカーっぽくてキモいだろ。お前の説明からしてもキモいし。通話中に混線してくんなっつーの」
「……やっぱり、俺を追いかけてきてる、ってことだよね」
「まあ、呪いってのはそういうもん」
「そうだよな……」
笹の言葉に、大吉はしゅんと頭を垂れた。軽はずみな自分の言動を心底後悔しており、そのうなだれた様子からはありありと諦めが見て取れた。
「諦めるのはまだ早い。守りが無理なら、攻めに転じるまでだ」
笹はスマートフォンの画面を大吉に見せた。
「今夜ならなんとかなる?」
大吉は送られてきたメッセージを復唱し、目をぱちぱちと瞬かせた。
「心当たりはないらしいけど、そもそもその『たまゆら』の近くに竜神伝説のある大きな湖があって、その畔にあるのはウチの神社の総本社なのよ」
「うん」
「で、とりあえずそこに行けって」
「わ、わかった。ありがとう。助かるよ。行ってくる」
大吉が立ち上がり、テーブルに置かれていたカラオケの伝票を手に取った。
「いや、俺も行くって」
笹は慌てて大吉の後を追った。
「だめだ、巻き込めない。明日になったら、もう『俺』じゃなくなってるかもしれないし、どこへ逃げたって意味がないけど、あいつは俺についてくるだろうから」
大吉の声には、必死さがにじんでいた。
「もう遅いって」
笹の言葉に、大吉はぐっと言葉を呑み込んだ。
「お前がアルパカになって、次は俺を呪ってきたら困るし、お守りももうないだろ。俺がお守りの代わりになる。ま、予備のお札も常に鞄に入ってるから大丈夫だろ」
笹は自分の鞄を指し示した。
「……今まで聞かなかったけど、本当に霊能力者なんだ」
大吉は素直な感想を口にした。幼なじみだと思っていたのに、本当に知らない事ばかりだ。
「俺だってお前の親父の仕事の内容知らんし、そんなもんだろ」
「……そんなもんかな?」
「そんなもんだろ。別に知らねぇなら知らねぇままで良かったし。とにかく、俺にはこの界隈の人間としての責任感があるわけ」
大吉は床に落ちていたマフラーを首に巻き直し、さっさと電子マネーで会計を済ませ、笹を引き連れて駐車場まで戻ってきた。
「うわ、マジだ」
笹はバックミラーにぶら下がったままの、内側から破裂したような交通安全のお守りに触れた。
「……もし、このお守りがなかったら、戻ってもこられなかったと思う?」
「そうだな」
笹の返答はあっけらかんとしていたが、確信がこもっていた。
「お世話をかけます……」
「信仰あっての宗教だから」
これを機会によろしく、と笹は親指と人差し指をくっつけて、お金を示すポーズを取った。
「まずは『たまゆら』に行って、店主の遠藤ってやつと、その『こわいほん』を回収する。神社に行くのはそれからだ。急ごう」
「うん」
「ま、これでお前も『こっち側』の人間ってことだ」と笹が言うのを聞きながら、大吉は車のエンジンをかけた。