6 今さらそんなこと言うの
「では、もう少しお考えいただいても構いません。ただし、どうか忘れないでください。この選択は、あなた自身だけでなく、この世界に残る人類全てにとっても非常に重要なものなのです。」
「……うん。」
「それと、もう一つ。これを。」
男は話題を変え、目の前の机の上に置かれた箱から、淡い紫色の水晶を取り出した。
「これは、あなたが恐鰐と戦った場所で発見された“権核”です。この色からして、恐鰐の権核で間違いないでしょう。」
俺はその水晶を見つめた。確かに恐鰐の権核に似ている。ただ、少し小ぶりだ。
「この権核はすでに“活性”を失っています。しかし、あなたが以前に受けた実験の記録では、そういった報告は見られませんでした。」
彼は続けたが、俺には少し疑問が浮かんだ。
「……ああ、やはり誰も説明していなかったようですね。」
俺の表情から察したのか、男は説明を始めた。
「Saliveという存在は、どれだけその身体を破壊しても、周囲の物質を取り込みすぐに再生してしまいます。そのため、人類の科学ではどうすることもできませんでした。しかし、Sprobeが“適応者”の存在を発見し、権核吸収技術を確立したことで、ついにSaliveを“完全に殺す”手段が生まれたのです。それが、“適応者の権能をSaliveに触れさせる”という方法です。そうすると、Saliveの権核は全ての活性を失い、権能によって構成されていた肉体は崩壊し、水晶状の“権核”だけが残る。おそらく、異なる権能同士が互いに打ち消し合うためだと考えられています。」
あの研究室で、俺に話しかけてくれたのは舞だけだった。氷宮たちは、記憶を失った俺にわざわざ説明する必要もないと思っていたのだろう。だから、こうした話を聞くのは初めてだった。
「そして、これが理由で、異なる適応者が得た権核は共有できません。つまり、適応者の育成には莫大なコストがかかるのです。たとえば、あなたも知っている雛原会長――彼女でさえ“第3級適応者”に過ぎません。それ以上の段階に到達するには、“領域能力”を持つSaliveを自らの手で倒さなければならない。高位の適応者を雇って補助してもらうことは可能ですが、コストも危険も極めて高い。だから、あの地位にある彼女でさえ3級止まり。それが、通常の育成環境で達成できる限界です。それ以上は、本人の努力次第というわけです。」
「Saliveと適応者の“レベル”って、何を意味しているんですか?」
男が一息ついたところで、俺は疑問を口にした。
「……なんと、それも聞かされていませんでしたか。仕方ありません、説明しましょう。高位を除き、Saliveと適応者には厳密な“等級”は存在しません。これは権能の量によって便宜上分類されているだけです。権核に含まれる権能の量は計測できませんが、その色によってある程度推定が可能です。たとえば、青白は1級、緑は2級、青は3級、そしてこの淡い紫は4級です。適応者も、吸収した権核を基に体内に自身の権核を生成するため、その基準はSaliveと同じです。ただし、4級の場合だけは例外で、“権核の色”ではなく“領域能力を習得しているかどうか”が基準になります。そしてその領域を開花させるには、悟りを得るか、一定数の高位権核を吸収して強制的に突破するしかない。だから、現状の大多数の適応者は3級止まりというわけです。」
「じゃあ、俺は何級なんですか?」
俺は自分の体に手を当て、体内に“権核”というものがあるのか確かめようとした。
「はは、探すだけ無駄ですよ。あなたはZeroと同じく、体内に権核は形成されません。その代わり、権能を直接体内に“貯蔵”するタイプです。」
そう言って、男は引き出しから数枚の紙束を取り出し、机の上に並べた。
「これは、あなたがリプルの研究所にいた頃のテスト資料です。ご覧になりますか?」
以前の実験では、俺はただ指示されたことを繰り返していただけで、結果を聞かされることはなかった。まさか目の前の男が、それを直接見せてくるとは思わなかった。
「俺、文字が読めません。」
結局、俺は手を振って断った。舞に教わったいくつかの字しか分からないからだ。
「ああ、そうでしたね。失礼しました。では、私が説明します。これまでのテストと今回の戦闘を踏まえると、あなたの“等級”は身体の適応能力によって決まっています。初日のテストでは、あなたは1級権核しか吸収できず、強い拒絶反応と激しい痛みを伴いました。ですが、実験を繰り返すうちにその反応は徐々に軽減。32回の1級テスト後に2級権核を試したところ、再び拒絶反応が起こりましたが、吸収後には2級適応者としての権能を発揮しました。……いや、正確に言えば、平均的な2級適応者よりもはるかに高い出力でした。ただし、その分吸収した権能の保持時間は短く、たとえ2級権核でも1日も持たない。」
「そして今回の戦闘。あなたの仲間の証言によれば、恐鰐を倒したのはあなたですが、権核は完全に吸収されなかった。これは、あなたが“直接吸収”も“無効化”もできることを示しています。ただし、吸収能力には上限があり、その上限こそが“身体の権能適応力”、つまりあなたのレベルです。これはZeroと同じ仕組みかもしれませんが、Zeroには実験記録がないので断定はできません。彼自身が“権核はない”と言っているだけです。」
「現時点のあなたは、おそらく3級適応者クラス。わずか半月でそこまで到達するのは異例中の異例です。ですので、私たちはあなたを“Zeroに並ぶ存在”と見ています。もし我々の提案を受け入れてくだされば、5級適応者にまで育て上げることを約束します。そのレベルに到達した者は、世界中でも百人といません。どうです?悪くない話でしょう?」
男はまだ諦めていなかった。
確かに、その提案は魅力的だ。もし十分な力を得られるなら、赤尾小隊や舞に頼らずに済む。むしろ、今度は俺が彼らを助ける側になれるかもしれない。
――けれど、俺には一つだけ、どうしても分からないことがある。
代償は、なんだ?
何かを手に入れる時、きっと同じ数だけ“失いたくないもの”も生まれる。
「……少し考えさせてください。」
「分かりました。ですが、もう一つだけ。この権核、どうなさいますか?吸収しますか?それとも装備として加工しますか?私個人の意見では後者をおすすめしますが、これはあなたのものです。ご判断にお任せします。」
この権核は、俺にとって剣以外で初めて“自分のもの”と呼べるものだった。
「……二つの違いは?」
「前者――つまり吸収する場合は、予備の権核として保持することになります。これはほとんどの適応者がやっています。なぜなら、権能は自然回復しません。すべてをレベルアップに使ってしまえば、緊急時に権能が切れた時、補充する手段がなくなる。権能がなければ新たな権核も得られません。だから、適応者は常にいくつかの権核を“保険”として機関に預けておくのです。あなたの場合、体内に権能が存在しないので、予備権核の重要性はさらに高い。」
なるほど、確かに必要そうだ。
けれど、吸収には抵抗がある。
痛みもそうだが、何より“昏倒する”可能性がある。それが戦闘中なら、かえって危険だ。
「後者は――“戦闘服”です。Saliveとの戦闘では、普通の素材の服は全く防御になりません。現在の戦闘服はすべて、適応者が得た権核を基に製造されています。それは身体の要所を守るだけでなく、権能の伝導効率を高め、戦闘能力を飛躍的に上げる。一般的に、より高位の権核ほど優れた装備を作れます。あなたの場合、武器を新たに作る必要もありませんから、このクラスの権核なら最高の装備ができますよ。」
男は一息つき、そして、珍しく大げさな笑みを浮かべた。
「……私が後者をおすすめするもう一つの理由。それは――現在、全ての戦闘服の製造を担っているのは“雛原重工”だからです。その会社のトップこそ、雛原舞会長。あなたがそこへ装備を作りに行けば、きっと手数料なんて取られませんよ。――なにせ、“雛原会長が若い恋人を囲ってる”なんて噂、もう機関中の誰もが知ってますからね。」




