2 レイア、これが私の名前だ
その場で最初に目に入ったのは、私を救ってくれた人物だった。彼女は私をじっと観察し、やがて首を振って溜息をつく。
「蓮の言う通りね。初めて他人の顔にこんな呆けた表情を見たわ」
「でしょう?生まれたての赤ん坊みたいよ!」
蓮が合いの手を入れる。
「念のため確認するけど、本当に自分の名前も、どこから来たかも、なぜそこにいたのかも覚えてない?」
救い主の質問に、私は首を振る。
「言葉は通じるのに記憶がない……でも食事の意味すら知らないとなると、単純な記憶喪失じゃない。適応者の兆候もないとレンが言うし……」
彼女は独り言のように呟き、突然こちらに向き直る。
「あなた、相当怪しいわね」
「そうだぞ!超怪しい!」
先ほど怒鳴っていた赤髪の男性が同意する。
「とはいえここで放っておいたら確実に死ぬ。街までついてくることにしましょう。皆の意見は?」
「反対!こいつは危険だ!」
赤髪と黒い帽子の無言の人物が反対するが、ピンク髪の女性とレンが賛成する。
「多数決で可決。ちょうど任務も終わりそうだし、暫くは同行させましょう。レン、彼の面倒を見てくれ」
「反対だ!」
赤髪がまだ食い下がる。
「異論は却下。まずは食事」
隊長の号令で、渋々ながら全員が食事を始める。
誰も私を招かないので、隅で静かに観察を続ける。
「あなたがいつ目覚めるか分からなかったから用意がなくて……先ほどレンの分を食べたばかりだけど、まだお腹が空いてるなら私の分もどうぞ」
ピンク髪の女性が食事を差し出してきた。
「うん」
受け取った容器を観察する。先ほどの経験から、下の皿は食べ物ではなく、上の物体が「食事」だと理解している。
一口掴んで口に運ぼうとした時、ある疑問が浮かんだ。
「あなたはお腹が空いてる?」
空腹を訴えるなら食事をする――この理屈が少しだけ嫌だった。
「え?私?いや……」
彼女はそう言いながらも皿の食べ物をちらつかせる。
「じゃあ食べなくていい」
私は手の中の食事を独り占めしようと口に運ぶ。
「この子に嘘は良くないわよ!」
蓮が割り込んできた。
「花は嘘つきね。本当は腹ペコなんだから」
「ち、違いますって!」
ピンク髪の女性が抗議する。
「嘘?」
蓮は無視して続ける。
「言葉と本心が違うこと。空腹なのに『お腹空いてない』と言うのはなぜ?」
「生きるためだけに食事をするんじゃないから。理由は複雑なのよ」
「理解できない」
「まあ、これから学べばいいわ」
蓮の言葉はまだ理解できないが、一つだけ確かなことがある。この女性は空腹だということだ。私は食べ物を指で二分割する。
「はい、あなたの分」
「え……ありがとう」
彼女は空の皿を受け取り、皆の食事に加わる。
残りをさらに半分に分け、レンに差し出す。
「私の分もどうぞ」
「ねぇ、本当に私が空腹か確認しないの?」
「だって嘘をつくかもしれないから」
「……あなたには絶対に嘘はつかないわ」
「そうか。分かった」
「蓮、私の分をあげる」
突然、隊長が自分の皿を持ってきてレンに差し出した。
「いや、私は平気。任務後だからしっかり補給しときなさい」
「分かったよ」
去り際に隊長は振り返り、私を見つめる。
「氷宮詩玖。氷宮と呼んで」
そう名乗ると、彼女は去っていった。
「名前?」
目覚めた時も同じ質問を受けたことを思い出す。
「他人を区別するための呼び方よ。『あなた』ばかりじゃ混乱するでしょう?」
蓮が説明してくれる。
「なるほど……じゃああなたは蓮?」
皆がそう呼んでいたから。
「ええ。これからはそう呼んで」
「蓮……」
「うん」
名前を呼ぶと返事をしてくれる。でも少し寂しい。自分に名前がないから。
「そういえばあなたに名前がないわね。つけましょうか?」
「いいの?」
嬉しさが込み上げる。名前は自分で選べるものなのか。
「そうね……特別な願いを込めるものだから、簡単には」
「大丈夫。単に名前が欲しいだけ」
「じゃあ……レイアはどう?何も覚えてないあなたが、ゼロから始める意味を込めて」
「レイア……これが私の名前か」
その後、食事が冷めないうちに、レンと私は皿を分け合いながら完食した。