23 都市保卫戦 決戦!
「アンタたち、正気なの!? 最悪でも街の中で時間を稼いで、救援を待てばいいでしょ! 正面からぶつかるなんて、自殺と同じじゃない!」
最初に大声で反論したのは、雛原舞だった。
「どうせこのままじゃ逃げ切れない。なら、他のSaliveに削られてから追いつかれるよりも、権能を温存して直接決戦に挑む方がまだマシだ。Salv4さえ倒せば、それに引き寄せられているSalive群も自然に散る。」
氷宮詩玖は冷静にそう言い切った。
「でも……どうやってSalv4を殺すつもり? まさか自分たちがゼr──」
舞が詩玖を問い詰めようとしたその時、途中で何かに気づいたように、俺――レンの方を見た。
同時に、氷宮も静かに俺に視線を向ける。
「だめ……! レンに危険な真似はさせない!」
舞は突然俺のもとへ駆け寄り、強く抱きしめた。
そして、氷宮を睨みつける。その姿は、まるでレストランの裏で見た、餌を守る子犬のようだった。
「彼が失敗したら、全員死ぬ。つまり、危険を冒しているのは彼一人じゃない。」
氷宮の声は、あくまで落ち着いていた。
「レンはまだSalv3とも戦ったことがないのよ? どうして彼の力がSalv4に通用するって言えるの? たとえ成功しても、あの権能の負荷、彼の身体がもつわけない!」
「どうあれ、これが最善の選択だ。たとえ失敗しても、Salv4の動きを止めることができれば、他のみんなの撤退時間を稼げる。」
氷宮と舞が言い争う中、Saliveの群れが再び近づいてくる。
もう、考えている時間はなかった。
「……私も詩玖の意見に賛成。」
星月蓮が静かに口を開いた。
「チッ……」
舞は舌打ちをして、それ以上何も言わなかった。
「全員、出発する!」
氷宮の一声で、俺たちはすぐに引き返した。
「一・二級Saliveが“低階”に分類されるのは、人類の科学では完全に殺すことができなくても、制御はできるからだ。
一方で、三級Saliveは“中階”として扱われている。まだ人類に壊滅的な脅威を与えるほどではないが、高出力ミサイルを絶えず消費しなければ一時的な抑え込みすら難しい。
そして、それ以上のもの――それが“高階Salive”。人類にはもう抗う術がない。」
先頭を進みながら、氷宮詩玖が淡々と説明を続ける。
「巨大な体躯と莫大な権能……それだけじゃない。高階Saliveが厄介なのは、彼らが“領域”という能力を持っていることだ。」
俺は首を傾げた。
「領域……?」
「簡単に言えば、自分の権能を周囲の環境に拡散させ、その範囲内の物理法則を部分的に書き換えることができる。
しかも、その性質は個体ごとに違う。火炎、氷結、腐蝕、重力……何が起こるかは、相手次第だ。」
「じゃあ、今回のSalv4の能力は?」
俺が問い返すと、氷宮は表情を変えずに答えた。
「今回のSalv4の名は“恐鰐”。世界で観測されている個体は四十三体。そのうち十六体は討伐済みだ。
だからこそ、情報は比較的揃っている――それが、数少ない幸運だな。」
「平均高さ二十五メートル、全長約七十メートル。外見は巨大なワニに似ていて、最大の特徴は背中の水晶状突起。そこから放たれるレーザーは、三級適応者の全力攻撃に匹敵する威力がある。」
「そして、その最も大きな結晶の中に“権核”がある。
俺とジンでそこに突入し、ジンが防御を破壊した後、レン――お前が権核を吸収する。」
……最初に決まったとおり、作戦の鍵は俺だった。
自信なんてない。
けれど、それが全員の決定なら、俺に拒む権利はない。
ただ、やるだけだ。
Salv4に近づくにつれて、周囲のSaliveが減っていった。
戦闘は減ったが、その分、みんなの表情はどんどん険しくなっていく。
「ねぇ、レン。君、死ぬよ……」
いつの間にか隣に並んだ舞が、小さな声で呟いた。
その声には、いつもの明るさがなかった。
「……そうか。」
任務の危険さはわかっている。
だが、彼女のように“死ぬ”と断言されたのは、これが初めてだった。
どう反応すべきか、わからなかった。
俺にとって“死”という概念は、実感を伴わないものだった。
俺が生きているのは、彼女たちが“生かしたい”と思ってくれたからで――それ以上でも、それ以下でもない。
「こんな判断を下した私を……レンは恨む?」
舞はうつむいたまま問う。
その声には、罪悪感が滲んでいた。
舞も、夙も、かつて俺に“好き”だと言った。
だが、夙は俺を生かすために命を差し出し、
舞は――俺を死地へ送り出す選択をした。
好きという感情は、本来どんな形をしているんだろう。
「どうして、恨むんだ?」
俺の答えに、舞は一瞬だけ目を見開いた。
けれどすぐ、哀しげな笑みを浮かべて目を伏せる。
小さく震える肩――彼女は何かを押し殺していた。
次の瞬間、舞は歩みを止め、周囲のSaliveも仲間も気にせず、俺を抱きしめた。
「レン……お願い、一緒に逃げよう。白羽も、晴おばさんも連れて……全部捨てて、誰にも見つからない場所で、一緒に生きようよ……」
舞の頭が俺の肩に沈み、声が涙に濡れる。
「お願い……お願いだから、一緒に行こう……」
彼女の口から出た名前を、俺は知らなかった。
でも、舞がかつて“同じ街で暮らしていた”と言っていたのを思い出す。
たぶん、俺たちの過去に関わる人たちなのだろう。
彼女の腕の温もりが震える中、俺は考えた。
もしここで舞を選ぶなら、氷宮たちは確実に死ぬ。
逆に今の作戦を続ければ、俺の命は消えるだろうが、彼女たちに希望は残る。
――正しいのは、どっちだ?
蓮の言葉が脳裏に浮かぶ。
“正しい方を選べ”と。
だが、正しいからといって、必ずそれを“選ぶべき”なのか?
正しいことを、必ず“しなきゃいけない”のか?
俺はまた迷った。
「……昔の俺なら、どうした?」
俺は、自分ではなく“かつての自分”に問いかけた。
「え? あ、うん……昔のレンなら、迷わず私と逃げたと思う。」
舞は少し戸惑いながらも、そう答えた。
「じゃあ――」
言いかけた俺の唇を、舞の指が塞ぐ。
「私は前にも言ったよ。好きなのは、レンの“存在”そのもの。
記憶でも、人格でもない。
誰かになろうとしなくていい。前のあなたである必要もない。」
舞は嗚咽をこらえながら言った。
“少しずつ、自分を作っていけばいい”
――それは、彼女が何度も俺に言ってくれた言葉だった。
けれど今の俺には、その“作り方”がわからない。
「……わからないんだ。」
俺は呟いた。
何をすればいいのか。
どうすれば“自分”になれるのか。
俺の天秤には、何も載っていなかった。
かつて救った蓮も、夙も――
俺が取った行動は、結局は“模倣”にすぎなかった。
もし“他人になろうとしないで”と言われるのなら、
俺は何を基準に“自分”を形作ればいいのだろう。
その時、
「ドンッ!」
不意に、背後のSaliveを蹴り飛ばす音。
荒塚悠が叫ぶ。
「今はイチャついてる場合じゃねぇだろ!」
「痛っ!? お前、何してんのよ!」
次の瞬間、舞の蹴りが悠の脚に突き刺さり、彼は情けない悲鳴を上げた。
その舞は涙を拭いながらも、ちらりと俺を見た。
その瞳には、悲しみも、決意も、混ざっていた。
「……うん、わかった。計画どおりに進めよう。」
無理に笑みを作ると、舞は俺の手を取り、歩き出した。
舞とのやり取りが終わったあと、俺たちは再び前へ進んだ。
誰も、さっきのことを口にする者はいなかった。
それぞれが、胸の奥で何かを噛みしめているようだった。
道中、Saliveの数はさらに減っていき、遠くに――それが見えた。
地平線の向こうに、山のような影。
それが、Salv4――“恐鰐”だった。
巨大な体が、地面をのたうつようにゆっくりと動いている。
だが、その“ゆっくり”は錯覚にすぎない。
四肢が一度地を叩くたび、大地が微かに震えた。
「残り三キロ。みんな、戦闘準備!」
蓮の声が響くと同時に、仲間たちは陣形を組み、俺を中央に囲んだ。
――その時だった。
急に、背筋を這うような感覚に襲われた。
まるで、何かに“見られている”ような――そんな嫌な気配。
「これがSalv4の“領域”。
この範囲内では、Saliveや人間の存在を感知できる。
さらに恐鰐の領域は、適応者の権能の使用速度を鈍らせる効果がある。」
前方の氷宮が振り返らずに説明する。
そして、鋭い声で叫んだ。
「――攻撃が来る、構えろ!」
次の瞬間、恐鰐の背中がまばゆい光を放つ。
俺が反応するより早く、轟音が世界を揺らした。
前方からの閃光。
氷の壁が粉々に砕け散る音。
氷宮が即座に防御を張っていなければ、俺たちは一瞬で蒸発していただろう。
「悠っ!」
氷宮が叫ぶ。
「おうよっ!」
荒塚悠が返事をすると、横へと飛び出した。
「くらえぇ! これが悠様の――最強の一撃だッ!」
数秒後、彼の叫びと同時に、天地を貫くような炎柱が立ち昇る。
直径十メートルはあろうかという爆炎が恐鰐の頭部を直撃。
しかし、期待したほどの効果はなかった。
皮膚に、かすかな焦げ跡すら残らない。
だが、狙いは十分に果たされた。
恐鰐の眼が、悠の方を向く。
「――ッ!!」
背の結晶が閃光を帯び、再び放たれた。
轟音とともに、悠のいた場所が吹き飛ぶ。
土煙の中に、直径七メートルほどの大穴が穿たれた。
「大丈夫。悠は生きてる。ああ見えて、あいつは死に際だけは器用だからね。」
氷宮が言い、短く息を整える。
「でも――ここから先は、私たちの番。」
そう言うと、氷宮は前方に巨大な氷柱を作り出した。
それは恐鰐の背にまで届くほど高く伸びていく。
「行くぞ。」
バージョン・ジンが俺に片腕を伸ばした。
「掴まれ。」
俺はその腕を掴み、彼の背に乗る。
ジンは氷柱を駆け上がるように一気に跳んだ。
その速度は風を裂く。
背後では、舞が援護の風を放ち、氷宮の氷が次々と恐鰐に突き刺さっていた。
だが、その傷は瞬く間に塞がっていく。
「……ッ!」
恐鰐の背が光り、空気が振動する。
蓄積されたエネルギーが、一気に解き放たれた。
数十条の光線が雨のように降り注ぎ、
氷宮の氷壁が次々と砕け散る。
「下がれ!」
舞の叫びとともに、風が炸裂した。
光線が一斉に軌道を変え、空へと弾かれる。
それでも一部が逸れ、俺たちに迫る。
「身体を縮めろ!」
ジンが叫び、俺を抱えたまま宙をひねる。
かすめた光が、彼の脚を抉った。
血と骨が露出するほどの傷。
「ジン!」
「構うな……集中しろ。お前が成功しなきゃ、全員死ぬ。」
その声は苦痛に濡れていたが、芯は揺るがなかった。
氷宮たちの援護のおかげで、俺たちはついに恐鰐の背に手が届く距離にまで近づいた。
「ここからは、お前たちの仕事だ。」
氷宮の声が通信越しに届いた。
直後、足元の氷柱が微かに震え、空へと突き出す。
ジンはその勢いを利用して跳び上がり、
俺を抱えたまま、恐鰐の背へと飛び移った。
だが――
「ッ!?」
強烈な振動が走り、氷柱の中腹が砕けた。
あと少しの距離。だが、足場は崩壊した。
その瞬間、背後から風の渦が吹き抜けた。
舞の風だ。
俺たちは、その風に押されるようにして――
ついに恐鰐の背へと到達した。
恐鰐の背に降り立った瞬間、空気が震えた。
そこは、熱と光と死の匂いに満ちた世界だった。
「この領域の中では、権能の呼び出しが遅れる。
……俺でも、この防御を壊すのは簡単じゃない。」
バージョン・ジンは息を整えながら、低く言った。
血を流しながらも、その眼はまだ鋭く光っていた。
「だから、全力でいく。タイミングは俺に合わせろ。」
「……ああ。」
俺は頷いた。
すぐ目の前には、青紫色に輝く巨大な結晶――それが“権核”だった。
低階Saliveで見た、淡く青白い光とはまるで違う。
この光には、殺意と狂気が渦巻いている。
「……行くぞ。三、二、一!」
ジンの声とともに、俺たちは同時に動いた。
「はぁッ!」
剣を振り下ろす。
だが、ジンの刃は空間を裂くように消え――次の瞬間、俺の剣より早く結晶へと届いた。
「ギィィィィンッ!!」
火花が散り、外殻の結晶が砕けた。
――やった、と思った。
だが、権核はまだ生きていた。
残った膜のような層が、みるみる再生していく。
「チッ……間に合わねぇ……ッ」
ジンが顔をしかめた。
そのときだった。
「――ッ!?」
背後の光が一気に収束する。
恐鰐が、俺たちを“敵”と認識したのだ。
「避けろ!」
ジンが俺を蹴り飛ばした。
次の瞬間、数本の光線がジンを貫く。
「うおおおおおッ!!」
彼の腹部が抉れ、煙のような血が空に舞った。
だが、その顔には微笑みがあった。
「……あとは……頼んだ、レン。」
俺は転がるように権核の前に叩きつけられた。
砕けかけた結晶が、再び光を放ちながら再生していく。
終わった――
そう思ったその時、
耳元をかすめる銃声。
弾丸が風を裂き、権核の中心へ突き刺さった。
「……っ!?」
砕け散る音。
防御層が、完全に消えた。
誰の援護かは分からない。
白夜花か、それとも他の仲間か――もう、そんなことはどうでもよかった。
今しかない。
俺は剣を突き立てた。
触れた瞬間、剣が権核に吸い込まれたように固定される。
次の瞬間、全身を貫く激痛。
「――ッッ!」
骨が軋む。
脳が焼ける。
右手が勝手に開こうとする。
だが、放すわけにはいかない。
仲間たちの犠牲を、無駄にはできない。
俺はもう一度、剣を握りしめた。
そして――
「ガキッ!」
左手で、自分の右腕をへし折った。
「ァアアアアアアッ!!」
耳を裂くような悲鳴が、喉からこぼれる。
それでも痛みは止まらない。
Salv1のときの穏やかな温もりとは違う。
この力は暴走していた。
吸収した権能が、俺の全身を焼き尽くしながら修復する。
折った腕が、勝手に再生される。
「……チクショウ……!」
だから、もう一度折った。
再生、破壊、再生、破壊。
その地獄が、永遠に続くように思えた。
意識が遠のき、時間が歪む。
その中で――ふと、疑問が浮かんだ。
――なぜ、俺はここにいる?
――なぜ、こんなことをしている?
どうして逃げない?
どうして、生きたいと思わない?
「なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?」
頭の中に、同じ言葉が無限に反響した。
悪夢のように、終わりなく。
目を閉じても消えない声。
俺が目覚めてから、ずっと胸の奥でくすぶり続けてきた問い。
――俺は、なぜ生きている?
「……レンさん。好き、です……」
突然、夙の声が頭の中に響いた。
その一言が、すべてを貫いた。
彼女は、自分の命を捧げて、俺を生かした。
ああ、そうか――。
俺は、そのために生きているんだ。
「特に、花はレンのこと好きだから、照れてるだけだよ。」
「そうか、俺も花のことが好きだ。」
「こんな日が、ずっと続けばいいのに。」
「舞が望むなら、また一緒にいよう。次は逆かもしれないけどな。」
記憶が、光の粒になって流れていく。
“好き”という感情があるのなら、それは“好きになってくれた”という事実に対する返礼なのかもしれない。
俺が白夜花や舞、夙を好きなのは、彼女たちが俺を好きでいてくれたからだ。
俺が優しくするのは、誰かが俺に優しくしてくれたからだ。
俺がSaliveを殺すのは、
Saliveが俺を殺そうとしたからだ。
俺の感情は、他者の影響でしか生まれない。
白い紙が、触れた色に染まるように。
それは模倣じゃない。
誰かになることでもない。
他者との関わりの中で、自分が形づくられていく。
それが、俺――レンという“存在”だ。
これからも、迷うだろう。
選べないことも、きっとある。
でも、今の俺にはわかる。
誰に優しさを向けるべきか。
誰に刃を向けるべきか。
どう、生きるべきか。
――あとは、時間に任せよう。
その結論に辿り着いた瞬間、身体の限界が訪れた。砕けた右腕が支えを失い、力の抜けた脚が膝をつく。視界が、黒に染まっていく。




