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レーゼインの絶対法理――  作者: 左式貢恐
史上最悪の告白
9/11

8.覚醒当夜



――助けて。

そんな儚い声が聞こえたのは眠るに眠れずにいた深夜のこと。初めは衣擦れ音にさえ掻き消されるほど小さかった。声は徐々に主張を強め、はっきりと認識した時にはゼントの意識も完全に覚めていた。


「これは……」


二重三重に連なった声に聞き覚えはない、はずなのに知っている気がした。

声は止まない。まるでゼントを呼ぶように。

はっ、として少年は部屋を飛び出した。向かったのは寮の女子部屋。一室をノックし、声を殺して尋ねる。


「セレナ、セレナ。起きてるか? セレナ」


鍵は開いていた。悪い、と思いつつ部屋に入る。


「いない……」


壁際にある寮部屋共通の机の上に寝間着が置かれていた。外に出掛けていることは間違いない。

依然として声が脳内に響く。魔法現象であることは改めて確認するまでもない。


「まさかセレナなのか?」


ゼントは自室に戻ると制服に着替え直し、腰に木剣を帯びる。武装は持って行くべきだ、と判断した。

非日常の中で冷静に判断できたのはレーゼインによる教育の賜物だろう。考えなしの無能にできることはない、と何度も精神攻撃のように囁かれた。

足音を殺して寮を出ると、僅かだが声が鮮明になった。音源に近づくほどに声がはっきりと聞こえて来る仕組みのようだ。

道標を辿って、ゼントは走り出した。冷たい風が身体を吹き抜け、思考は研ぎ澄まされる。


ゼントは立ち止まり、学院校舎を見上げた。

声はこの先に続いている。躊躇なく学院の正面扉を開け放った。


「なっ!?」


貴族邸宅のような豪奢な学院の廊下はそこにはない。

息を呑む光景。室内のはずが、扉の先に淀んだ藍色の空が広がっていたのだ。

振り向けば、慣れた通学路は変わらずある。

一本の煉瓦道はレイスが住み着きそうな幽玄な館へ伸びている。

更にはっきりと声が聞こえて来る。ここまで来ればセレナの声だ、と確信できた。


「《眷属召喚》みたいに次元に干渉している?」


――学院校舎正面入口を起点として転移門……?

ゼントにはその原理を理解できなかったが、罠だったとしても進むしかない。やるからには迷わずに進む。

道の脇に生える緑紫の葉の草木は特有の魔力を浴びた自然界には存在しない植物。

雲間に瞬く三日月の光に照らされながら、館へと歩みを進めた。

そして、学院制服を纏った男が門番の如く立ち塞がる。


「――何人たりともここを通すな、と言付かっている」

「誰に?」

「お前には関係ない」


濃青色の髪で右目が隠れた青年が掌に魔法陣を生成する。陣から取り出したのは三〇センチ程の魔法杖だ。先端には魔力を発する宝石が嵌められている。

腰に提げている真剣は主装備メインではないようだ。


「魔装具だっけか」


宝珠などで魔力が付加された武器のことを魔装具と呼ぶ。一般に、魔力放出や魔法の追尾性能を補助するために使われる。

魔法陣が刻まれた物品である魔道具とは明確に分けられている。これもまた連覇術技に際してレーゼインに教えられたことだ。


「倒さなければセレナを助けに行けないのなら、強引にでも押し通る!」

「一年風情が、調子を乗るな。圧倒的な格の違いを見せてやる――《墓標》」


魔法杖の先端に展開された魔法陣を地面へ振れば、石煉瓦が隆起し、十字架のオブジェクトが迫り上がる。

ゼントは木剣を抜いて身構えるが、この魔法に害的効果はなかった。

次いで、青年が発動した魔法はゼントにも見覚えがあるものだ。


「《眷属召喚》――出でよ、魂を誘いしものガヴオン」


這い寄るように現れた煙を纏う黒骸骨。下半身はなく、常に浮遊する魔法生物由来の遣い魔。

骸骨は青年の背後で腕を広げると、直径一メートルはある薄灰色魔法陣を展開する。


「《霊魂招来ホロ・ドグマ》」


打ち出された白く発光する塊は墓標をすり抜け沈んで行く。ボゴッ、と地面から黒い腕が飛び出した。十字架を引き込んで現れた影の人型。


「これは、死霊術……?」

「死者の軍勢よ、侵入者を轢き殺せ」


少なくとも三〇以上はいる黒影が一斉に迫り来る。

死霊は思いの外機敏な動きを見せた。映画の出て来るゾンビのような鈍く本能的な行動ではない。あるのは自律思考。知能は高くないが一つ一つの行動は最適化されていた。

戦いの素人でも囲まれたら負けることくらいはわかる。ゼントは挟み込まれないように駆け抜けた。

剣の表面に魔力を流し込む。魔剣術の基本――《武装強化》を発動、身を翻し、敵へ剣を振り下ろす。

一息で真っ二つになった黒影は魂ごと消え去った。


「できたぞ、魔剣強化術……これなら行ける!」


型は毎日馬鹿みたいになぞって来た。身体は思い通りに動き、次々と黒影を斬り裂く。

軍勢が削り取られる光景を眺めた死霊術師は茫然と呟いた。


「おかしい……平民程度の《武装強化》で僕の影を斬るなんてあり得ない。いや、そもそも魔力を感じない……何だこいつは?」


目の前にいる正体不明の少年の異常性に気づくと、死霊術師はもう一度《墓標》と《霊魂招来ホロ・ドグマ》を重ね、戦闘員を補充した。念入りに五〇は追加する。

大地からわらわらと昇って来た黒影は怒濤の勢いでゼントへ向かった。弓なりに広がって進撃したのは死霊術師の命令によるものだ。

大外回りで囲まれ、ゼントは徐々に中央に追い込まれた。


「ならば――《眷属召喚》」


今のゼントには魔法を複数発動するだけの魔術の練度がない。自然と《武装強化》が途切れた。その隙を逃さず黒影の軍が一気に走り出す。


「出て来い――イデア!」


頭上に掲げた魔法陣から眩い光が溢れ、『ホロローン』という奇妙な鳴き声が響き渡る。黒影を掻き消す光の柱から白馬が姿を現した。

暗夜を照らす輝光の如き未完のペガサス。

ゼントが背に乗ると言葉を介すことなく、イデアは真っ直ぐに死霊術師本人へ突撃を敢行した。

黒影の軍勢や崩れた墓石という障害物を物ともせず、館へ駆ける。


「ガヴオン――」


死霊術師は遣い魔に魔法発動の命を下した。

煙を纏う黒骸骨が魔法陣を展開する。


「――《死霊魂撃ホロ・ブリンガー》」

「イデア……!」


遣い魔同士がぶつかり合い、凄まじい魔力が吹き上がった。

イデアは魂を打ち明ける術式により核を揺さ振られる。肉体が部分的に消滅し、薙ぎ倒された。

それよりも早く背から跳ねたゼントが剣を振り下ろす。《身体強化》を《武装強化》に切り替え、縦に一閃――しかし、遣い魔ガヴオンと死霊術師の二重結界に敢えなく防がれた。


「お前程度の平民では術式の同時発動はできないようだな。貧弱な遣い魔、未熟過ぎる剣の腕――差は歴然だ」

「そんなの、まだわからないッ!」

「どこが?」


消え行くペガサスを視界に捉えながら、死霊術師へ斬り掛かる。尚早く、骸骨が塞がり、圧倒的膂力でゼントは吹き飛ばされた。

墓石に躓きそうになり、一瞬振り向いたことで背後も影の軍勢により完全に取られていることを認識した。


「死ぬ前に見せてやる、魔道の真髄を――《武装変換アームズ・ガヴリオル》」


幽玄の黒骸骨の輪郭が溶け、エネルギーの塊になると死霊術師の掌の中で再形成される。細長く、先端で弧を描くように伸びた。

草刈り、と言うにはあまりにも殺意が込められた大鎌――『死屍魂鎌ガヴリオル』へと変貌を遂げる。


「眷属の武装化。これが使えないお前は、こちら側に来れない。辿り着いたとしても自力の差は覆らない」


ガヴリオルの刃から蛍光する白煙が漂う。

イデアが呆気なく倒されたのは、対処の仕方を知らない魂への攻撃だったからだ。あの鎌も同様の効果があるのだろう。

あの刃で人間を斬った場合はどうなるのか考えてゼントは身震いした。


目の前には本物の魔術師、後方には死霊術で呼び出された黒影、およそ七〇――絶体絶命の状況。プライドなどかなぐり捨てて逃げるべきだ。


「だとしても、立ち向かわなくてはならない」


身体が震えていてもゼントは逃げない。何故なら、助けを呼ぶ声がするから。

八年前、人攫いに遭って泣きじゃくったあの夜――。

どうすることもできずに助けを求めたゼントの下にヒーローは現れた。

涙が溢れてよく顔は見えなかったが、心の底から嬉しかったのだ。差し伸べられた手に希望を感じた。


「……なりたいんだ、彼女のように誰かを助けられる人に――だから、セレナを必ず助ける」

「お前は何も為せずに死ね」


ゼントが《武装強化》を帯びた剣で死霊術師を斬り上げる――よりも早く、死を纏う大鎌の刃は煌めいた。

剣ごと身体を斬り裂かれ、ゼントはその場で膝を折る。凄まじい痛みと、生命力の喪失だけが思考を支配した。

月光によって作り出された影が次の一撃を前もって示す。避けなければ、首を刎ねられる。

歯を噛み締めながら顔を上げた瞬間――死霊術師が吹き飛んだ。物凄い勢いで玄関に叩き付けられている。

男は頭から血を流し、苦しげに息を咳き込んだ。


「――この魔法と久し振りに使ったなー」


場違いな軽い口調が背後から聞こえて来た。

小さな金髪の少女。

大きな銀髪の少女。

レーゼインとノアがまるで散歩とでも言うような優雅さで歩み寄る。


「……どうして?」


ゼントは思ったままの質問を口にした。


「セレナが黒の組織に拐かされたからに決まってるでしょ」

「レーゼインも声を……?」

「声? は知らないけど、見るからに怪しい《異界接続》された扉があったから」


《異界接続》という魔法により、校舎に繋がるはずの扉は別の空間に繋がっていた。その先でゼントと死霊術師が戦っており、土壇場で《魔弾》を撃って命を救った、という訳だ。


「沢山いた黒い奴は?」

「全部消した」

「どうやって?」

「胴体真っ二つにしただけだよ」

「……物音一つ立てずに?」

「そう」

「…………」


最早、レーゼインの全能に疑いはなかった。驚きを通り越して、無反応である。

胸の傷口が塞がったことを確認してから、ゼントは頭を下げた。


「ありがとう、助かった」

「無茶し過ぎだよ。あれ、多分学院三年生でしょ? 今の君に勝てる訳ないじゃん」


魔法に対するありとあらゆる理解で劣っていた。地力も知識も場数も、度し難い差がある。何度やってもゼントはこの死霊術師に勝利することはできない。


「それでも……こいつを倒さなきゃセレナを助けられないんだ」

「だろうね。だから、私が来た。私ならできる」


レーゼインならば死霊術師に対抗し、勝利をもぎ取ることも容易だろう。セレナの救助においてこれほどスマートな手はない。迷わずにレーゼインに任せるべきだ。

それでも――認めることができないことがある。

ゼントはレーゼインの前に立ち塞がった。


「……俺に任せてくれないか」

「は? どういう意味?」

「俺がこの男を倒す、ってことだ。わかってるだろ」


ゼントは真剣な眼差しを向けるが、レーゼインは首を振って天を仰いだ。あらゆる理由においてゼントの意思を肯定する理由がない。

少年を無駄死にさせる意義も。

レーゼインを一番に助ける役目も。


「ゼント君さぁ……プライドを履き違えるな、って前教えたでしょ。命よりも大切なものはない。死んだら全部終わるんだよ――次があるなんてあり得ないから」


数ある前世の記憶の中でも、瞬間瞬間まで色褪せずに残っているのは終わりの間近だけ。耐え難い苦痛の中、自分を構成する全てが曖昧に消えて行く感覚は生まれ変わっても刻まれたまま。

レーゼインは死を軽んじる者を許せない。意地や矜持、という詰まらない理由で失われることに怒りを覚える。


数刹那、沈黙が降りた。

ゼントは憧れに向き合う。

レーゼインはいつだって正しい。

自分はきっと間違っている。

その上でも、譲れないものがあった。


「俺は、助けを求める誰かを助けられるようになりたい。強くなりたいんだ。でも……これから先とか、将来とか待ってられない。いつか届くじゃ遅過ぎる」


譲れないのなら想いをぶつけ合うしかない。

どちらかを踏み躙る覚悟をした者のみ前へ進むことができる。

憧れの人物の言葉だった、としても自分の道を突き進む覚悟をゼントは決めていた。


「今できなければ意味がない、今後悔してたら意味がない! だから、愚かな俺を許して欲しい」


折れた剣を拾い、少年は強大な敵へ勇敢に立ち向かう。

――ごめん、セレナ。もう少しだけ待ってくれ。

勇気の一歩だった。蛮勇の一歩でもあった。

レーゼインは冷然と問い掛ける。


「死ぬよ?」

「そうかもな。でも、逃げ出すことを覚えたら……俺はきっと立ち上がれなくなる。俺が俺であるために、君に助けられる訳にはいかないんだ」


少年は矜持の一歩を刻む。


「死んだらセレナは悲しむよ」

「『そんなこと考えてる暇があるなら頭を回せ』――そう教えてくれたのは君だ」


少年は成長の一歩を刻む。


「その在り方は危ういよ、いつか後悔する日が来るよ。アニメで知ってる。それでも、その想い……絶対に曲げない、って言えるの?」

「曲げない。なりたいものがあるんだ……それは――」


ゼントは身を翻し、薄く微笑んだ。それはまさに人々を鼓舞する英雄の笑み。

その瞬間、ゼントの記憶が鮮やかに照らされ、憧れの少女の顔がはっきりと見えた。仕方ない、という風な子供へ向けた呆れ笑いが。


「――こうやって誰かを迎えに来るもんだろ?」


ゼントの満足気な笑みに、レーゼインは特大の溜息を吐いた。呪いの言葉を跳ね除け、己の道を切り開いた少年への称賛の呆れ笑いだ。


「ノア、ゼント君を手伝ってあげて。流石に一人じゃ普通に死ぬだろうから」

「は、はぁ……それは構いませんが、レーゼ様は?」

「ちょっと散歩してくる。それまでに倒せなかったら私が終わらせる」


ビシッ、と人差し指を少年の額へ立てた。

ゼントは噛み締めるように頷く。譲歩の結果であったとしても、レーゼインが自分の想いを認めてくれたことに心から歓喜した。


「ありがとう、レーゼイン。必ず勝利するよ」

「情けない姿見せんなよー?」


パラパラ、と手を振ったレーゼインは道を引き返す。傍観していれば良いものを、律儀に散歩に出掛けるようだ。

ノアはその後ろ姿に一礼してから、ゼントの横に並んだ。


「レーゼ様の命です。今回限り、あなたのサポートを致します。くれぐれも期待を裏切るような真似は慎んで下さい」

「善処するよ……まぁ、装備は心許ないけどな」

「全く」


ノアは物質生成の魔法陣を描いた。飾り気のない鉄剣生み出し、ゼントに渡す。


「不恰好ですが、あなたにはこの程度で十分でしょう」

「いつも一言が多いが、ありがとう。助かる」

「《結界》と《身体強化》は私が代替します。あなたは何も考えず《武装強化》した剣で敵を斬って下さい」

「それは分かり易くてて良いな……!」


死霊術師はゼント達がうだうだ話している内に、レーゼインに付けられた内臓へのダメージを治癒魔法で回復していた。走り出すゼントに合わせ、大鎌を振るう。

刃同士はぶつかり合って、魔力燐光を散らした。

二人は剣戟を重ねた。

戦況、僅かにゼントが押している。ノアの《身体強化》は死霊術師のそれよりも高精度だからだ。

そして、少年は防御の一切を委ねている。迷いない攻勢が術師を追い込む。


「《墓標》」

「うおっ!?」


ゼントが更に前へ踏み出すタイミングが地面から石造りの十字架が隆起し、バランスが崩れる。

その隙を逃さず、死霊術師の斬撃がゼントの肩口に振り下ろされた。

しかし、斬撃はノアが展開した《結界》に阻まれる。

身を引いて、青年は素直に驚いた。


「この結界の硬さ、一年が使って良いレベルじゃない! 見えないのは魔力、馬鹿硬い結界、《魔弾》遣い。お前ら……一体何者なんだ!?」

「それはこっちが知りたいッ!」


ゼントの斬り上げが死霊術師の頬を裂いた。仰け反った体勢になった敵へ、更に連撃を加える。

舌打ちして死霊術師は魔力を衝撃波として発露し、ゼントを吹き飛ばした。


「調子に乗るな、一年共ッ! ――《幽魔大車輪》!」


展開された魔法陣を大鎌で斬り裂くと、弧の刃が真紅に染まった。腕を思い切り背後へ引き絞り、鎌を投擲する。

高速回転した大鎌を横跳びでゼントは回避した。

しかし、躱されるのは織り込み済み。その先にいるノアが本当の狙いだった。


「ノアさん!」

「《結界》」


着弾地点に面の《結界》を展開する。

赫刃は結界へ激突する――かと思われたが、直前で大鎌は形を失って煙と化した。

死霊術師は魔法を発動している。


「――《変換解除リ・ガヴオン》。遣い魔の武装化を解いた……抉り取れ!」


結界を飛び越えた黒骸骨ガヴオンがノアの無防備な背中へ真紅に染まった指先を突き立てる。

体表面に張り巡らされた結界が削れる高音が響いた。


「私は傷つく訳には行きませんから、相応の対処をさせて貰います――《減衰結界》」

「戻れ、ガヴオン!」


ガヴオンは結界に閉じ込められる前に射程から抜け出した。だが、完全に躱し切ることは叶わず胴体の一部を《減衰結界》に食われる。

一平方メートルの立方体に飲まれた部位は魔力を吸い尽くされ、塵と化した。


「……結局、あいつの言う通りかよ、糞が」


死霊術師は舌打ちをし、眷属を回収した。左手を覆っていた包帯を外す。手の甲に無数の裂傷が見られた。


「これだけは使いたくなかったが、止むを得ない――」


傷で魔法陣が描かれていた。魔力を流し込むことで魔法は発動するが、迸る熱により出血を余儀なくされる。

見るからに禍々しい幾何学模様が薄紫色に灯った。


「――《暗澹降魔球》」


魔法陣から染み出した黒が球状に空間を侵食する。球状に範囲を広げる正体不明が館を飲み込んだ。

まるで世界そのものを闇に染めるように、急速にゼントとノアへ迫り来る。


「触れたらどうなると思う?」

「只事では済まないことは確実ですね」


ノアは結界の魔法陣を時計盤のように十二個並べて連結する。中央に魔力が流れ込み、新たな幾何学模様を描き出した。

あらゆる障害を阻む至高の結界――。


「――《天魔隔絶結界》」


虹色のプリズムを宿した結界がノアとゼントを包み込む。途方もない闇へ吸い込まれたものの、外界とは完全に遮断された結界内への影響はなかった。

しばらく、待ってからゼントは大きく肩を竦める。


「……とりあえず、ありがとう。やっぱり君も凄い魔術師なんだな」

「あなたに褒められても不愉快なだけですね。しかし、状況は芳しくありません」

「あぁ……これどうやって出るんだ? 上下も左右も捉えられない」


距離感の喪失。

永劫の暗闇。

身を晒せば、意識さえも簡単に飲み込まれてしまいそうだ。

この暗闇の中に死霊術師が隠れているのかさえわからない。


「そんなことはどうでも良いです」

「何?」

「レーゼ様は私がいれば何とかなる、と思って私をここに置いていったのです。だと言うのに、この体たらく……レーゼ様に顔見せできません」


大袈裟な反応に見えたが、時折垣間見えた激重感情を思えば、致し方ないのかもしれない。メイドと主というだけの関係性ではないのだ。

何と声を掛けるべきか、ゼントが慎重に考えていると――。


「――ですが、レーゼ様が敵の実力を測り違えることはありません。私達なら勝てる、と判断したはずなのです。例え、無限の暗闇に囚われたとしても方法は必ずあります」

「その信頼は俺じゃなく君へのものだろう」

「私が使えるのは結界の魔法だけです、戦闘要員として数えることはまずありません。だから、あなたがやるんです」

「俺が……」


レーゼインからの期待となると自然と顔面が強張る。

この果てない闇の中で自分ができることなどあるのだろうか。逆転の一手を全くイメージすることができない。

ゼントは《天魔隔絶結界》に手を触れた。透き通った壁の先の闇を感じることはできず、完全に遮断されている。


「俺ができること……」


鍔のない鉄剣を握り締める。できることは馬鹿みたいに剣を振るうことだけ。

これしかやって来なかったから。

これだけはやって来たから。

一撃ごとに想いを乗せることだけがゼントに許された唯一。そして、それで良い、と言ってくれた人がいた。


「《武装強化》」

「そんなことしても変わりませんよ、何も」

「俺はそうは思わないよ。アイデアを得られるかもしれない」

「適切な法理があればです。苦し紛れに意味はありません」

「法理か――あるよ、こんなところで立ち止まれない理由なら」


すぐに拡散してしまう魔力をできるだけ刃に圧縮する。

ノアは酷く詰まらなそうな息を吐いた。


「先程言っていましたね……誰かを守りたい、とか何とか」

「子供の頃、誘拐事件に巻き込まれた。本当に怖くて辛かったけど、助けてくれた人がいたんだ」

「……まさか、八年前のヴァイススター領で起きた誘拐事件ですか?」

「聞いてたのか? ……その時、レーゼインに助けられた。だから、なりたいんだ」

「…………」


少年の抱く眩しい憧憬は、真っ当で輝かしいものだ。その中でレーゼインは英雄のように語られた。

だが、彼女の本性を知っていれば笑い草である。

ノアは、ゼントがあの一件を美談のように語ることが許せない。あの少女のことを一番理解しているのは自分なのだ。


「その憧れは初めから間違っています。レーゼ様は善意で誰かを助けるような人間ではありません」


あの誘拐事件で救われたのはゼントだけではない。ノアが人並みの生活を送れるようになったのはレーゼインに牢屋き拾われてからだ。

憧れを抱いた時期もあったが、すぐに間違いだ、と気付かされた。


「利害があり、理合があり、理由があったに過ぎません。助けられたなんて烏滸がましい」


何としても否定し尽くす。

そうでなくてはノアが過ごして来た八年の意味が変わってしまう。ゼントだけが宝石のような綺麗な思い出を持たせる訳にはいかない。

ゼントは苦笑いを浮かべる。


「レーゼインが正義のために誰かを助ける、ってのは確かにイメージできないな」


邪魔するなら殺す、とさえ言われたのだ。良い奴とは冗談でも口にはできない。

都合が良かったから助けられた――これが真実なのだろう。


「俺は……誰かの正しさを自分の理由にすることは止めた。レーゼインは絶望的な状況をひっくり返してくれた。そんな人間になりたい、と思った。この想いは俺が決めたことで、ずっと変わらない」

「それは全て都合です。破壊活動の一端です。勝手に助けだけです。後のことなんて大して考えもせずやったことなんです」

「だろうな。俺はレーゼインに清廉や完璧を求めてないよ。ただ、感謝を伝えたかった……そんな想いをさせてくれたことに意義があるんだ」


実際は様々な柵があり、そんな単純な感情ではいられなかったが根本は変わらない。

進みたいと思える道を示してくれた。レーゼインが違う道を進んでいたとしても関係ない。


「レーゼインが打算で俺を助けたのだとしても……敵として立ち塞がっても――この憧れを後悔することは絶対にない」

「そんな……」

「だって、何度言っても足りないんだ」


言い切ったゼントは真っ直ぐと剣を掲げた。

刃が眩い光に包まれる。本来不可視であるはずの神聖力がノアの目にも確かに映った。

全方位に差した光が刃に収束し、頂へ伸びる。ゼントは一息に剣を振り下ろした。

その斬撃は、結界に傷一つつけることなく、果てなき闇を斬り払った。


斬りたいものだけを斬る光の剣――。


「――聖剣」


ノア呟きは顕になった月光瞬く宵闇の世界に響いた。術式が停止して元の光景に戻ったのだ。

そして、鮮やかな斬撃を同時に浴びた死霊術師が倒れた。

少年の手の中で鉄剣が砕け散る。


「……セレナ」


ゼントは押し寄せる疲労に顔を顰めながら、残る力で館へ乗り込んだ。

耳を澄ますと助けを求める声が微かに聞こえた。辿り着いたのは両開きの扉のある部屋だ。

片側だけ扉は空いていた。血の匂いが僅かに漂う。部屋は紫色の炎に照らされている。

その中央にセレナが倒れていた。


「セレナ……! 大丈夫か?」

「……っ、ゼント君……」


肩を抱くと、セレナは目を覚ました。

怪我はないようだ。

安堵と共に抱き締め、身を委ねたセレナとお互いの鼓動を交換した。子供の頃から変わらない暖かさを共有する。


「良かった……間に合ったんだ」

「うん。ありがとう、ゼント君」


勇者は逆境を乗り越え、姫を救い出すことに成功した。

――やっぱり、憧れは間違ってなかった。こんなにも嬉しい、と思えたなら。

ゼントは夢を抱いた日から連なって来た今日までのことを回想した。新しい記憶はレーゼインの顔ばかりが思い出される。


――憧れとは程遠いけど、いつか自信を持って並び立てるように……強くなるんだ。

少年は幼くも純粋な夢を胸に抱く。いつか叶うかもしれないし、叶わないかもしれないが、何にせよ尊い物語になることは間違いない。



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