6.預言の書
◎
学院の裏手に位置する広大な草原、その中空に魔法陣が投影されている。幻影を生み出す魔法――《幻想》による立体映像だ。
学院一回生は投影された手本の魔法陣を再現して、魔法を行使する。
「――《眷属召喚》」
焼き切れた紫色の魔法陣は異界の扉を開いた。そして、時空の歪みから己の精神に根ざした化物が這い出て来る。現れた眷属は『遣い魔』と呼ばれる。
遣い魔の召喚――『基礎召喚術』の序章である。
学生は草原のあちこちに散り、召喚魔法を発動した。成功すれば紫色の魔法陣が焼き切れ、時空の歪みから遣い魔が現われる。失敗すればスパークし、使用者に襲い掛かる。
「なかなかハードな授業だね」
「本当にそう思ってます?」
心にもないことを呟いたレーゼインにノアは半目を向けた。
「ほらそこに電撃受けてる人いるじゃん」
「ゼントさん……」
すぐそこで身体から煙を吹いて倒れたゼントをセレナが介抱している。相変わらずの情けない姿にノアでさえ溜息を吐いた。
レーゼインはルンルンスキップで彼らの元へ駆け寄った。
「セレナー! 元気ー?」
「おはようございます、レーゼ様。私は元気ですが、ゼント君が……」
「魔術失敗してるじゃん、頑張ってよね」
セレナと話している時だけのハイテンションさに若干の気持ち悪さを感じつつ、ゼントは上体を起こした。
スパークするとは言っても、稲妻に打たれるような衝撃には程遠く、体表面を光熱に晒され、吹き飛ばされる程度。
そして――ゼントの傷は一呼吸の合間に消え失せた。
「魔力操作の勘が掴めないんだ。あんな細かい模様を描くなんて常人にはできない」
闘技場の一件から、ゼントは不可視の魔力を認識出来るようになった。この力を彼の思う正しいことに使うため、操作できるように研鑽を積むフェーズに入ったのだ。
他の者とはスタートが遅れているため力を扱えても成績は劣等生のそれだが。
「ゼント君はどうでも良くて、セレナの使い魔みたいなぁ」
「私ですか?」
困ったように眉を八の字にしたセレナは《眷属召喚》の魔術を十全に発動した。ゼントとは違い、不可視の魔力を使いこなしている。
魔法陣が焼き切れた。しかし、発生した空間の歪曲がすぐに霧散してしまう。
「先程から魔法を発動すると消えてしまうんです」
「はーん、これは悩ましいね」
レーゼインはチラリ、と空を見上げた。
青空に漂う雲間に太陽以外の煌めきがある。眩しさも相俟ってはっきりとは見えないが、細長い生物が蜷局を巻いて高高度を悠々飛んでいた。
口から変なものを吐いてセレナの召喚魔術を妨害しているようだ。
変なものに取り憑かれると大変だな、と他人事程度に思っているとセレナが手を叩いた。
「私、レーゼ様の遣い魔が見たいです! 魔術がお得意と聞きましたから!」
「……誰から?」
「ノアさんからです」
「ノアちゃん? 何を言ったのかな?」
隠し立てするつもりはないが一応、メイドに釘を刺しておく。
「魔術が得意か訊かれたので、世界一と答えただけです」
「大きく出過ぎだね! 世界一は盛ってるよ!」
ノアは冗談なのではなく至って真面目に答えたつもりのようだ。畏敬を向られるのは悪くないが、過剰に持ち上げられるとなると話が変わる。
こうして嘘を突き通すしかなくなる、なんて物語は今時珍しくもない。
セレナに敬われるのは歓迎だが、強さアピールは避けたい。小さくて弱そうなのがレーゼインのあるべきアイデンティティだからだ。
「……普通にやるからね――《眷属召喚》」
描いた青紫の魔法陣に魔力を流し込む。魔力現象が励起、黒ずんだ渦が異界に接続された。
ノアが背後からレーゼインに耳打ちする。
「レーゼ様――また『あんなもの』を召喚するつもりですか?」
「いやいや、それは流石にしないよ」
――流石にね、いや本当で。
冗談半分で笑んだものの、彼女らには召喚術にまつわる思い出すだけでも恐ろしい過去がある。レーゼイン初めての召喚魔法は事件と呼ぶべきものだった。
約五年前、年齢にして一〇歳の頃。
ヴァイススター邸から数キロ離れた丘向こうにある視界の開けた湖でレーゼインはよく魔法の実験を行なっていた。
メイドとしてノアも付き合わされ、遠くから事の成り行きを見守っていることがよくあった。
そのトライアルの一つ――。
『――《従属召喚》』
使用者の血を媒介に発動することで完全に主従関係を結ばれた生物を召喚する魔法。レーゼインは初めての召喚魔法でいまいち勝手でわからず、条件を絞らないまま魔法を発動した。
そして、おどろおどろしい闇色の魔法陣か龍かと思ったのも束の間、逆三角形の頭部と歪んだ牙が顕になった。
先端が二つに分かれた舌が目の前に垂れ落ちた。
『キングコブラ――』
レーゼインは茫然と巨体を見上げ、目を擦る。
錯覚ではない、大蛇が二匹いた。鏡合わせにその身をくねらせ、左右両方からレーゼインを見下ろした。
二頭一対の蛇の四つの縦長の瞳孔の色は各々異なっていた。
『レーゼ様ぁ!』
レーゼインは幼くも緊迫したノアの声に振り向いて、素っ頓狂な声をあげた。信じられない光景が目の前に広がっていた。
『何じゃこりゃ!?』
麗らかなはずの草原が橙色の炎に包まれたかと思えば、草木が変色して崩れ落ちていた。岩の裏に隠れていたノアは突然倒れ込み、地面に沈み始める。
大蛇を召喚を引き金とした魔力現象ということはすぐに理解できた。レーゼインの周囲三メートルに限り、効果が発動していないことにも繋がった。
『お前ら、一体何を――』
妙な魔力を発しているのは大蛇の四つの眼。
この魔獣は魔眼を有しているのだ。
《石化の魔眼》
《熾炎の魔眼》
《茫我の魔眼》
《泥闇の魔眼》
非常に危険な権能がその視界内で際限なく発露する。主にだけは牙は剥いていないが、それ以外の全部に反しているのなら大問題だ。
取り分け面倒なのは――全身から吹き出ている毒の霧である。生物どころか大地すらも汚染する毒が常時展開されていた。
『遣い魔、ってどうやって出し入れすんだ?』
遣い魔と言ったら掌サイズのものか、と考えていたが途轍もない勢いで環境破壊する害悪巨大遣い魔は想定外。
毒が湖に侵食し、血のような赤黒に変わり始めた。
レーゼインの焦りも尋常ではないものだった。
『これはまっずい! ――《封印》!』
すぐさま、二匹の大蛇を身につけている宝石に封印、魔眼と毒の侵食を止めたものの、既に漏れ出た分は処理しなければならない。侵された大地と水を丸ごと結界で切り取り、炎熱魔法で焼き尽くした。
この一件から、レーゼインは召喚魔法を軽い気持ちで使うことはなくなった。
召喚される遣い魔の要件を変化させる術を学んだのだ。
レーゼインは《眷属召喚》で召喚される遣い魔のサイズに条件を課した。ついでに見た目が可愛くなるように魔力を込める。
魔法陣から稲妻が散った。空間が歪み、遣い魔が飛び出す。小さな影がレーゼインの掌に飛び込んだ。
「え、虫!?」
セレナが顔を引き攣らせて後退る。
「違うよ。ほら、よく見て――」
レーゼインの掌に乗っているのは体長三センチほど超小型の鳥だった。空色の小鳥は指先を器用に登り、顔を近づけたセレナの方を向く。
「本当です……こんな小さな鳥もいるんですね。とっても可愛い」
遣い魔はセレナが指を伸ばすと飛び移り、首を左右に振った。
小鳥のあまりの愛おしさにセレナは悶える。
「うっ、可愛過ぎます!」
「うおっ、可愛過ぎるよね!」
レーゼインが可愛い、と思ったのはセレナだったが。
小鳥は指先から飛び立つと、レーゼインの肩に止まる。頬に擦り寄った。
「サイズを極限まで小さくした甲斐があったよ」
「そんなことをしていたのですか……」
「凄いな……」
何処か呆れ気味のノアと月並みな感想を口にしたゼント。
その時、プチッ――と何か瑞々しいものが潰れる音がした。音源はレーゼインの肩辺りからだった。
誰もの表情が固まった。ノアが恐る恐るレーゼインの肩を見遣る。
「レーゼ様、まさか……首を動かした拍子に……」
「……首が動かせないんだけど……血とか付いてる?」
「いえ、血は見えませんが」
思い切って首を逆方向に曲げる。
「……何もありません」
「魔力になって消えちゃったかな……あはは」
レーゼインの乾き笑いは至る所で発動される召喚魔法の発生音に掻き消された。
セレナが『あ』と声をあげた。
「ノアさん、肩に小鳥さんがいますよ!」
「――いえ、セレナさんの肩にいますが」
「私の?」
ノアとセレナがお互いの肩を指差す。
両方を同時に見られる位置にいるのはゼントだった。
「鳥が二匹いるぞ」
「え、ゼント君の頭の上にもいますよ」
「は? いや、レーゼインの腕にいるじゃないか」
状況が混沌としていく中、次々と出現する極小鳥の魔力性質を見透かす。結論を得たレーゼインはゆっくりと口にする。
「この小鳥は……増殖するのかな。私が召喚できる遣い魔としてのスペックを持ってないから数で補ってるみたい」
言っている間にも肩に、頭に大量の小鳥が飛び乗った。その数は優に百匹は超えている。一匹潰したところで元々数えきれないので関係ない。
ノアは自分の肩を歩く小鳥を指先に乗せる。
「この子達全部でレーゼ様の遣い魔一匹という扱いなのですか」
「そうみたい」
「だからあの時、大蛇が二匹出たのですね……」
得心したようにノアは頷いた。遣い魔としてのスペックが異様に高かったのもリソースの配分の一端だったのだ、と。
《従属召喚》と違い、《眷属召喚》は初めから呼び出しと送還の効果が刻まれているため、好きに出し入れすることができる。そのトリガーが遣い魔の名付けだ。
「この子達の名前は――数極鳥。エイト、帰って」
「ピィイ」
レーゼインの命を受けてエイトは初めて喉を鳴らした。小鳥は光の塵と化し、消えて行く。草葉の間にも隠れていたようで足下からも燐光が舞っていた。
「――私の遣い魔はこんな感じ。ノアもやってみてよ」
「わかりました――《眷属召喚》」
時空の黒穴から姿を現したのは後光のような円盤だった。
◎
「――非生物型の遣い魔はかなり珍しいけど存在自体は確認されている。遣い魔は召喚者の精神性に依る、性格が不自然に形成されたものは非生物の遣い魔を召喚する傾向にあるわ」
『基礎召喚術』の講師である魔術師然としたローブの老婆――グロリア・クロノスが持論を交えて答えた。
召喚された円盤が本当に遣い魔であるか確認を取りに行ったノアとレーゼインは各々考え事をしながら、セレナ達の下へと戻った。
――精神の不自然な形成。
ノアには心当たりがあった。メイドとして拾われてからレーゼインにされた全てである。
「――合成生物はともかく、非生物の遣い魔は過分にして聞かないよね」
「……何? 大した用がないなら話し掛けないで」
「えー、教えてよぉ」
レーゼインのだる絡みに嫌気を隠そうともしないのは、もう一人の逸れ者寮の生徒――ミコノ。
教本を片手に一人で召喚魔法に四苦八苦しているところに、レーゼイン達が勝手に合流したのだ。
「ミコノちゃんの遣い魔見たいな」
「今から召喚するの! 黙ってて!」
怒鳴ってレーゼインを突き放すと、何度目かの召喚魔法に挑戦する。
魔法陣の形成、震えているが発動に支障はない。
魔力の流し方、均等に流すことができず稲妻がミコノを襲った。
「キャアッ――」
事件性のある悲鳴が上がる。
ミコノは本を投げ出して尻餅をついた。稲妻が身体を駆け巡る前に回避はできたようだ。
その光景をレーゼインはニマニマしながら眺めていた。美少女顔なので厭らしさがない表情だが、いけない愉しさが見え隠れしている。
「魔力は均一の速度で流さないと駄目だよ」
「そんなことわかってる……あっち行っててよ」
イライラしていたのは同じ失敗を繰り返していたかららしい。
レーゼインはミコノの後ろに回ると、手を触れ合わせる。魔力路に沿って、自分の魔力の流れを伝導させる。
「な、何よ!?」
一回り小さな少女の指先は背中をなぞるような繊細に鳥肌が立つ。抵抗を奪うような甘く澄んだ香りが漂い、ミコノの体温は上がった。
「ほら、魔法使って」
耳元で囁かれる。生暖かな息に熱は更に増した。
意識している、思われるのは癪だったので平静を装って魔術を使用する。
「《眷属召喚》……!」
レーゼインという補助輪により魔法陣の形成の精度も上がる。流し込む魔力も脈動に合わせることで一定リズムを刻んだ。
黒い渦から遣い魔が飛び出す。
そして――ワン、と鳴いた。銀色の毛並みをした子犬が凛々しい立ち姿を見せる。尻尾が左右に振れていた。
「こんなのが……私の遣い魔?」
ミコノは悄然と項垂れた。
極小の鳥やら円盤やら、使えない遣い魔だと思って見ていた。そんな自分の遣い魔が一番下らない。
遣い魔が魔術師の精神性を映す、というのなら――。
「私には子犬程度がお似合い、って……?」
「わっ、可愛いなぁ」
レーゼインが撫で回すと子犬は嫌そうに暴れた。
遣い魔は魔術師の手足となって戦うものだ。戯れるものでは断じてない。
「ミコノちゃん、ほら触り心地も良いよ」
「…………」
美少女が満面の笑みでペットを可愛がる図に白けた気分になる。レーゼインにも同じようなことを思われているのかもしれない、と。
次の瞬間、子犬がレーゼインの手に噛み付いた。
笑みは凍り付く。貴族の娘に手を出した遣い魔。
「――可愛いねぇ」
「何事もなかったように……!?」
「犬なら噛み付いたりもするよ。本人の魔術師としての成長に合わせて遣い魔も成長するから、そんな落ち込まなくても良いんじゃない」
「…………」
放蕩娘と名高い少女な慰められる自分にまたしても辟易したが、悲観的になり過ぎていたことは事実。この子犬が成長するビジョンが見えないのは今の自分の現状そのもの、自分が変わらなければ遣い魔も変わらない。
「名前はどうするの? 決めてあげよっか? フェンリル、っていうのはどう?」
「了承してないから、私が決めるから!」
こういう時にぱっ、と決められないだけでレーゼインとの差を感じてしまうミコノ。
「あ、ミココ、っていうのはどう? ミコノのミココ」
「そんなダサい名前にする訳あるか! そう、あなたの前は……――バンカー」
「ワン!」
これから変わって行く、という意味を込めた名前だ。
子犬もといバンカーは主の命名を認め、遣い魔としての契約は完了する。
「わぁ、可愛いですね」
レーゼインと同じ反応をしたのはセレナだ。躊躇なく子犬を撫で回した。頬が緩み切ったところで豪快に噛まれる。
「とっても可愛いですね」
「……噛まれても痛くないの?」
「痛いですよ」
「何であんたら平然と笑ってるの……」
バンカーはレーゼイン同様に、敵意剥き出してセレナに噛み付いていた。それでも微笑みを絶やさない少女達には恐れを覚えるばかりだ。
セレナは頬を綻ばせる。
「私もこんな可愛いペット欲しいです」
「そうなの?」
レーゼインが食い気味に訊き返す。
「はい、昔から欲しかったんです。可愛いくて、癒されるじゃないですか」
「癒し、ね――それは良いことを聞いたにゃあ」
そんな中、突如、草原の一角が輝光に照らされた。
瞬いていたのは本来、紫色に光るはずの召喚魔法陣だ。
光の中心で「何だこれ!?」という驚嘆を上げたのはゼントである。ゼントが《眷属召喚》を発動したのだ。
異次元の扉から飛び出した光そのものの巨体はゼントの前に降り立った。光が収まるとその生物の全貌が顕になる。
「白馬――」
新雪が積もったような無垢なる白。
童話から出て来た、と言われても信じられる存在感を放つ白馬はゼントの下へ歩み寄った。
力強い水晶の瞳に目を奪われる。
「君が俺の遣い魔なのか……」
未だに信じられず、圧倒されているとセレナが隣に立った。
「これがゼント君の遣い魔ですか……神秘的な雰囲気に満ちていますね。優しいゼント君らしいと思います」
「そんなことはないと思うけど……」
謙遜しつつもセレナからの言葉は素直に嬉しかった。
ゼントは腕を組んで唸る。召喚魔法自体が危うかったため、名付けのことまでは考えていなかった。
「折角なら恰好良い名前を付けたいけど」
「恰好良い名前が良いんですね」
「だって、恰好良いじゃないか」
美しさと力強さが両立した奇跡的なフォルム。
こんな馬は見たことがない。適当に付ければ罰が当たる、というもの。
少しして、レーゼインとノアが遣い魔の白馬を目の当たりにする。
「召喚魔法、何とか使えたよ」
ゼントは少しくらいは上手くやれた、と思って自慢も込めた。自分には釣り合わないだろうが、この遣い魔ならば流石のレーゼインも褒めてくれるだろう。
そんなはずないのに――。
「あぁ、ペガサスね、ペガサス……まぁ、良いんじゃない?」
「そんなあっさりとしたリアクションを……」
驚く素振りを微塵も見せず、淡々とした評価を下す。
レーゼインに落ち込まされたことは数え切れないが、これが一番ショックだった。努力を評価されない、というのは精神に来るものがある。自信があればある程に――。
「ペガサス……っていうのか、こいつは」
「羽が生えた馬だから」
「羽――本当だ、ちっちゃい羽があるな」
胴体に人の掌くらいの大きさしかない羽が生えている。
羽根としての機能は果たしていないのは、この白馬の本来の力を発揮するだけの魔術師としての実力をゼントが有していないからだ。
「飛べるかは俺の成長次第、ってことか」
「頑張れば空を翔けるようになるかもね」
「空を――」
ゼントは空を飛ぶ白馬――ペガサスの背中を撫でる。
重力という軛から解き放たれた姿を連想しながら、名前を考えた。
「イデア――君の名前はイデアだ」
ペガサスは『ホロローン』という楽器のような鳴き声を出したことで、ゼントを主として認めた。イデアは粒子となってゼントに吸い込まれる。
一番の問題児であるゼントの召喚魔法を終えたとこで『基礎召喚術』の講義が終了した。
「……あら? 召喚できなかったの、私だけですか?」
セレナが思い出したように呟いた。
◎
夕暮れに染まった逸れ者寮への帰り道でレーゼインとノアを待っていたのは細やかばかりの人混みだった。
貴族・平民を問わず女子生徒が恍惚に顔を緩ませている。まるで貴公子でも通り掛かったかのようだ。
通り道のど真ん中で金髪の青年が腕を組んでいる。すこぶる美顔が出で立ちだけで周囲の女子をときめかせた。
基本的に男子を敵と見做しているレーゼインも彼には対応を変えざるを得ない。
「――お兄様……」
往来の中心で仁王立ちしていたのはレーゼインの実兄――ヴァルム・アスタ・ヴァイススターだ。
ヴァルムは妹に気づくと分かりやすく頬を緩めた。
「レーゼ、久し振りじゃないか! 入学したのなら会いに来てくれれば良いだろうに。リリシアも寂しがっていたよ」
「……お久し振りですね。相変わらずお元気そうで」
家族愛の溢れた兄に若干引きながらレーゼインはほぼ半年振りの邂逅を果たした。
昔から見上げていたが、一層身長が伸びたように思う。
「ノアも久し振りだね。元気そうで良かったよ。レーゼのお世話は大変かい?」
「ヴァルム様、お気遣い感謝致します。レーゼ様は相変わらずですよ」
「そうだろうね。もうトラブルを起こしたそうじゃないか、決闘騒ぎになったんだろう?」
ヴァルムは楽しそうに例の蛮行を語った。
手癖のようにレーゼインの頭を撫でながら質問を重ねる。
「学院生活はどうだい? 楽しいことはあったか?」
「少しだけね。でも、清浄度が足りてない感じだから大体詰まんないよ」
「そうか――学院の生徒会として不甲斐ないな」
「生徒会に所属しているのですか?」
「何で知らないんだ。リリシアもいるのに、結構有名なはずなんだけど」
「生徒会なんて存在すら知りませんでしたよ」
「――そうか、こちらではそんなものか……」
意味深に顔を俯けたのは刹那、ヴァルムは破顔して笑った。
「言いたいことも聞きたいことも沢山あるけど、こんなところじゃ何だ。ゆっくりできる場所で話そうか」
「今からですか?」
「そうだよ、今からだ」
「えー」
「行こうではないか」
例え兄でもこの年で我儘は通らないことを知ったレーゼインは半ば強制的にヴァルムに同行することになった。
機嫌が良さそうな横顔のヴァルムを眺めながらレーゼインが行き先を問うと『生徒会室さ』と爽やかに答えた。
学年毎の教室がある『校舎棟』を抜けると『総合棟』へと出る。更に別棟の『研究所』に行く前に階段を昇った先に生徒会室はある。
嫌に絢爛豪華な正面入口は権威主義の塊だ。
ヴァルムは扉を押し開き、中にいる人物に声を投げ掛ける。
「連れて来たよ、私の可愛い妹その二を」
「ありがとう、ヴァルム――」
長身の男子生徒が書斎机から立ち上がった。どこか聞き覚えのある声――記憶から思い返す前に相対することになる。
「約三年振りだな、レーゼ」
「……あぁ」
「何だその忘れてたいみたいな反応は?」
「そういう訳ではないですよ――レイザー・ルーン・ゾルステア殿下」
生徒会長であり、ゾルステア王国第三王子レイザーは満足気に頷いた。
快活そうな美丈夫は腰を折り曲げ、じっくりとレーゼインを見下ろす。記憶にある姿と重ね合わせているのだ。
「相変わらず小さいな、お前は」
「……殿下は随分と逞しくなられましたね」
「最後に会ったのが三年も前となるとそうだろうな」
「器の方は私よりも小さそうですが」
前振りの世辞はこの発言のためだった。
レイザーは目を丸くしたのも束の間、腹を抱えて笑い始める。
些か大きな反応にレーゼインは引いた。
「この私にそんなことを宣う者などお前らくらいのものだろう! 愉快なことだ」
「声と態度も大きくなってるよ」
「皇太子として必要なことだからな」
「はーん」
幼い頃はこうして軽口を叩き合える関係だった。だが、大人になって現実を知れば誰もそんなことはできなくなる。
それでも変わらずに居てくれる人はレイザーにとって快いものだった。
レイザーはポンポン、とレーゼインの頭を撫でる。
「嫌そうな顔だな?」
「別に」
野郎に頭を撫でられても嬉しくはない。思い出の美少年だった時代ならともかく。撫でられるなら美少女の胸の中に限る。
その時、ヴァルムの咳払いがレイザーとレーゼインの間を通り抜けた。
「再会の挨拶はその辺で良いだろう。話さなくてはならないことがあるはずだ」
「そうだな。心して聞かせねばな」
説明も心当たりがもないままレーゼインは王子様と兄に言われるがまま来客用の横に長い椅子に座らせられた。対面にヴァルム、書斎の席にレイザー。
「お前も座るといい」
壁と化していたノアにレイザーは言った。
「いえ、私はただのメイドなので」
「学院では身分差は関係ないらしいぞ」
「それは……」
生徒会長にそう言われて反論することができず、躊躇しながらもレーゼインの隣に腰を下ろした。
ぴたり、と隙間ない距離感にヴァルムは何か言いた気だったが話の前に飲み込んだ。
ホストのレイザーが口火を切った。
「レーゼ、お前はゾルステア王国に伝わる『預言の書』を知っているか?」
「話くらいは知ってるけど、そういうの気にしないタイプだから」
「この国の未来を映した伝説を気にしない、とはな。やはり、風変わりな奴だ。では、改めて『預言の書』とは何か説明しよう。とは言っても、そのままだがな」
ゾルステア王国が建国に当たり、ゾルステア家が重宝したのは現在の『八円剣』ととある預言者だった。
預言者ほ預言は必ず当たり、そのお陰で栄華を極め、建国に至ったのだ。
そして、その預言者は病で亡くなる前にゾルステア王国の行く先を預言した。その記述が『預言の書』と呼ばれている。
「――思った通り過ぎて特に言うこともないね」
「とても貴族の娘とは言えない台詞だな。だが確かに、肝心なのは内容だ。新生歴一七年からおよそ五年は激動の時代になる」
レーゼインは咄嗟に魔法学院は五年制と考えたが『必ずしも学院で事件が起きる訳がない』と首を振る。
あれから八年――何もなかったのだ。都合良くこの先の五年で大事件が続く道理はない。
レイザーは厳かに腕を組んで話を進める。
「そして――直近に起こる事象として『魔王復活』とそれに際した『勇者パーティの設立』とある」
「うわっ、来たよ……」
余りにもありきたりな展開に嫌悪を隠し切れなかった。魔王がいることにも、勇者がいることにも気持ち悪さを覚える。
「ここ五年の内に魔王が復活する、って?」
「預言の書には二年後とある。パーティは神殿聖騎士団により選定され、凄腕の戦士集団が出来上がる。その中に『聖女』という役職の者がいる」
僧侶やら拳士やら魔術師やら、勇者パーティにいそうな役職の筆頭だ。ヒロインポジションなのと定番だろう。
レーゼインは真面目ったらしい顔で、頭の中は聖女の聖水で埋まっていた。
「聖女は魔力とは性質が異なる『神聖力』を操るとされている。また、光属性や治癒魔法に長けている、という」
「…………」
どこかで聞いたことのある設定にレーゼインは自分が呼ばれた理由を完全に理解した。
「『神聖力』は魔力とは異なり観測するには特殊な目が必要だ。通常の魔力の流れが発生しないため、我々には無から力が発生しているように見える」
「そうなんだ。見つけるのは逆に簡単そうだね」
尤もらしいことを口にするとヴァルムに問われる。
「レーゼ、君の近くにそういう人はいないのかい?」
「近く、ですか。どうでしょう」
隠し切れるようなものでもない。バレる嘘を吐くよりは素直に答えた方が良いのだろう。
しかし、次の展開次第では口を噤むべきかもしれない。
思い出す振りをしながら思案しているとレイザーが薄く笑った。
「レーゼ、お前――気づいていたな?」
「何のこと?」
「無論、『神聖力』のことだ」
恐ろしい勘だ。確信八割といったところだろうが、ここまで自信満々に言われれば、否定する気にもなれなかった。
諦めて肩を竦めてレーゼインは吐き出す。
「神聖力なんて名前なのは知らなかったけど」
「……まさか、決闘騒ぎで彼女を試合に出さなかったのも、知っていたからなのかい?」
まるで妹がフィクサーかのように言うヴァルムに苦笑いを浮かべる。
「まさか。まぁ、そこで確信したんですけどね」
「――セレナ……だったか?」
「……殿下は生徒の名前全員覚えてるんですか?」
「そんなところだ」
入学式に代表として立った際、観客席にいた絶世の美少女が目に留まり、近くにレーゼインもいたから取り分け記憶に残っていたのだ。
「これから『聖女』には試練が待ち受けている。周りの人間も否応なく巻き込まれるだろうな」
「気をつけろ、って言いたいの?」
レイザーは真面目な顔付きで首を横に振った。
「違う。離れろ、と言っているんだ。巷では放蕩娘とか言われているようだが、『聖女』関連で『八円剣』の娘が学院で被害に遭うのは非常に困るんだ」
「何で?」
「神殿勢力といざこざを起こしたくない、それで分かれ」
魔王及び魔族の絶滅は神殿が掲げる至上命題の一つである。
政治的なこととは縁遠いレーゼインには知れない世界の話。とは言え、『八円剣』に生まれただけで発生する権力を考えれば当然なのだろう。
「だから、お前はセレナと関わるな」
「お断り致します。話はこれで終わりですね」
「待て」
真っ向から背反する意見をぶつけられれば誰だって心穏やかにはいられない。
レイザーの鋭い目つきが有無を言わせぬ圧を放つが、レーゼインは無視した。想い人の味方になれないなど到底容認できるものではない。
「レーゼ、お前は理解していない。聖女が辿る道の苛烈さを。どうにかなる、と軽んじていると容易く命を落とすぞ」
昔馴染みの脅しをレーゼインは可笑しそうに笑う。まさか命について説かれるとは思ってもみなかった。
転生者としての記憶が薄れた彼女だが――胸に刻まれた絶対法理は消えていない。
――生存権は自分の力で勝ち取るもの。
この世界に生まれ落ちてから、誰かに助けられるつもりなど毛頭なかった。故にレーゼインは切れていた。
「――私は私の生きたいように生きる。邪魔をする者がいれば叩き潰すだけ。誰かに道を決められる謂れはない」
第三王子に言い放つと、レーゼインは席を立ち上がる。
要件に対する解答は提示した。
王子からの令でも立ち止まる理由には足りない。その判断で害を被ったとしても受け入れるだけ。
「では、お兄様――元気な顔も見られたことですし、私達はこれにて失礼させて頂きます。ノア、行くわよ」
「かしこまりました」
弾頭のような勢いで生徒会室を後にした少女達をレイザーとヴァルムは見送ることしかできなかった。
密度が薄くなった一室に溜息がやけに響く。
目頭を抑えるレイザーにヴァルムは決めていた言葉を送る。
「言った通りだったろう?」
「あそこまで頑なだとは思っていなかった」
「レーゼは――レーゼインはいつからか変わったよ。だけど、自分の行く道だけは絶対に曲げなかった。貴族としての歩みを止めることも、父上との不和も、今回も同じだろうね」
とは言え、妹があそこまでの拒否反応を示すのは予想外だった。知らず知らずの内に、怒りに触れてしまったのかもしれない。
「だが、敵がいることは伝えられた。何もしないよりはマシだろう」
「そうだね。警戒していれば避けられるかも知れない」
心配は尽きないが、十分理解してくれた、と納得するしかなかった。彼らの役目は学院の統治。妹や幼馴染を守ることではない。
二人は切り替えて次の業務に取り組むことにする。
「……レーゼの奴、お前には敬語だったのに私にはため口だったな。全く巫山戯ている」
「君が少し足りなかったからだろうね」
「何が?」
「器が」
「お前ら……」
ヴァルムは堪え切れず声を出して笑った。




