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レーゼインの絶対法理――  作者: 左式貢恐
史上最悪の告白
6/11

5.導きの光



円形闘技場『オーエルネス』――選手控え室、深い息を吐いたのはゼントだ。腰に佩いた真剣に手を添え、心を落ち着かせる。

一週間という短い期間だが、ゼントは自分ができることはやった、と思う。後は実践でどこまでやれるかに掛かっている。

ため息は止まず、緊張の抜ける気配はなかった。

そんな少年を三人の少女が遠巻きに見ている。


「ゼント君……大丈夫でしょうか、肩に力が入り過ぎなければ良いのですが」


幼馴染のセレナは心配しつつ、ゼントの集中を途切れさせたくはなかったので静かに見守っていた。

レーゼインはここぞとばかりにセレナの腕を抱く。


「今から緊張しても仕方ないけどね。でも、今日のために剣術も頑張ってたからやってくれるよ」

「そ、そうですよね。後……嫌という訳ではありませんが、近くないですか?」

「そうかな?」


惚けたレーゼインは更に距離を詰めた。

顔を紅くするセレナを見上げてニヤニヤするレーゼインをノアが途轍もない眼光で見下ろしていることにも勿論気づいていた。

女性陣には緊張感というものはなく、いつも通りの一見和やかな空気が流れる。





「――では、私はそろそろ行きます」


初戦を担当するノアはレーゼインに一礼する。制服姿でもメイドにしか見えないのは長年で染み込んだ所作の賜物だろう。

レーゼインはひらひら、と手を振った。


「うん、行ってらっしゃーい」


応援の言葉がないのは絶対の信頼から来たものだ。

手ずから育てて来たノアが負けるはずない――レーゼインは確信していた。

セレナは指を組んで前のめりに言う。


「ノアさん、頑張ってくださいね! 応援してます!」

「はぁ……ありがとうございます」


嫉妬心を由来とする言葉だけの感謝を述べ、ノアは控え室を出た。今の今までレーゼインとセレナの距離だけしか見ていなかった。

緊張が嫉妬を凌駕することはなかったものの、人前で試合をする経験はなかったので多少の不安を抱えていた。


「レーゼ様――」


本当はレーゼインの言葉が欲しかった。

その手で触れて欲しかった。

ただそれだけで全ての憂いは晴れたのに。ノアの頭は、独占と妬みの衝動で頭がおかしくなる。

地下発掘場のような暗い通路の先が白飛びしている。燃え上がる黒い心を押し殺し、闘技場に足を踏み入れた。


眩しさに目を細めながら見上げた観客席に合計百人程度が疎らに座っている。そこは闘技場とは思えない静寂に包まれていた。


所詮一年同士の小競り合い、物見遊山が殆ど。

しかし、目を光らせる数人は選手プレイヤーの魔術師としての潜在能力を確かめに来ていた。

反対側の入口に対戦相手である後方腕組み貴族男子。

直径百メートルもの巨大フィールドの中央には審判と思しき黒いローブを纏った教師が立っている。

一〇メートル程を距離を空けて選手は顔を見合わせた。

鬱屈として暗い声音で審判が宣言する。


「『連覇術技ストライク・プレイヤー』第一回戦、シャバル・アルシア対ノア――試合開始」


開始と同時に審判は黒煙と化し、風に乗って消えた。

煙の行方を追っていたノアへシャバルは速攻する。


「《風刃》」


薄緑に発色する等身大の斬撃が幾重に放たれる。

到達よりも尚早く、ノアは面の《結界》を正面に展開した。危な気なく斬撃を受け止める。

視線を前に遣ることで両者の視線が交錯した。


「…………」

「それなりに準備はして来たみたいだな。だが、平民如きに敗北するなどあり得ないんだよ」


次は、直径一メートルはある赤色の魔法陣が展開された。

内部に刻まれた幾何学模様を追えば、中級魔法に分類される《業火炎》ということがわかる。学院で習うとすれば一年の後期、平民にはまず扱え切れない魔法。

人など簡単に丸呑みする紅炎がノアに襲い掛かる。


「《結界》」


対応は変えず、面の結界で隔てる。

しかし、結界へ激突することはなかった。軌道が不自然に弧を描き、直接ノアを捉える。直後大爆発を起こす。

シャバル・アルシアは勝利に頬を歪め、審判による試合終了の合図を待った。しかし、その時がやって来ることはない。

晴れた煙の中にノアは平然と立っていた。


「軌道を捻じ曲げるとは……味な真似をしますね」


シャバルは傷一つない己より長身の少女に目を見張った。体表面に隙間なく結界が張り巡らされていたのだ。

平民が《業火炎》を耐える程の結界を生成した、という事実はとても信じられるものではなかった。


「どこかに結界の魔導具を隠しているな……どんな手段で手に入れたか知らないが、良い気になるなよ……」


それらしい考察を呟き、シャバルは魔力を練り上げる。様子見・小細工は止め、本気で叩き潰すつもりのようだ。

右手に炎の中級魔法陣。

左手に風の中級魔法陣。

別々の魔法陣を複数展開する技術は魔術師の必須スキルの一つであり、多くの魔術師が躓く初めの難関。


「俺は五年以上、魔法を学んで来たんだ。平民如きに敗北する道理はないッ!」


シャバルは二つの魔法をぶつけ合う。

《高炉炎》+《渦風刃》――炎と風という凶暴な組み合わせは互いを助長し、本来以上の威力を生み出す。指向性を得た火炎の温度は爆発的に増加した。


「耐えられるものなら耐えてみろ!」


そんな咆哮がやけに遠くから聞こえて来る。

ノアは掌に新たな魔法陣を描いた。

これもまた結界魔法。しかし、一味違う。それは幼い頃のレーゼインが好んで使用していた強力無比な付与結界。

迫り来る灼熱に掌を伸ばし、魔法陣を起動――。


「――《反射結界》」


キィィィン、という魔力激突による不可解な高音が空に伸びる。次の瞬間、ベクトルの向きを変えた炎が発動者であるシャバルを飲み込んだ。


「その理論が成立するなら、私があなたに敗北する道理はありません」


ジャバルは黒焦げの状態で倒れたが、卵でも魔術師なら死ぬことはないだろう。


「試合終了、第一回戦勝者ノア」


いつの間にか闘技場に戻っていた審判が終了を告げた。





レーゼインとセレナは控え室に戻って来たノアに労いの言葉を掛ける。


「ご苦労様、ノア」

「ノアさん、とても恰好良かったです!」

「いえ、それ程でもありません」


セレナを出場させないために勝利は必須だったが、ノアはあっさりと勝ち星を得た。レーゼインにしてみればここまでは既定路線。本番はこれからだった。

二回戦目出場選手のゼントは既に敗北したかのように沈痛な面持ちである。


「ありがとう、ノアさん……」

「全くありがたそうな顔ではありませんが」

「そんな顔に出てたか……」


ゼントは自分の頬を抓んだものの、強張った頬が緩む様子はない。

余りにも情けないのでレーゼインはセレナから身を離し、ゼントの背中を叩いた。バシッ、と魔力を込めて。


「痛ッ……! いきなり何だ!?」

「緊張したらその背中の痛みを思い出せば良いから」

「……ありがとう、そうしてみる」


落ち着きを取り戻したゼントは一息吸って、吐いた。目的を真っ直ぐ見据えているのなら、修練の成果も出ることだろう。

セレナはゼントの手を両手を握った。


「ゼント君、あんまり無茶はしないで下さいね……痛いのは嫌ですから」

「大丈夫、そのために特訓して来たんだ。必ず勝ってみせる」

「信じてます、ゼント君ならやれる、って」


今にも抱きしめ合いそうな質感の会話にレーゼインの瞳は半分くらい腐り始めていた。どちらも肉体的接触に躊躇がない辺り、当然の距離感なのだ。


「恋人みたいなやり取りに見えなくもないないけど気の所為だよね」

「私は交際しているのか、と思っていましたが」

「嘘だ」

「……彼はかなり――いえ、地獄の沙汰のような鈍感さですからセレナさんの一方通行でしょうね」


幼い頃から共に生活して来た弊害なのか、主人公属性によるものか。何にせよ、罪深い性質なのは間違いない。女性を待たせる男は無条件に最低だ。

セレナの言葉を受け取ったゼントはレーゼインの前でも立ち止まった。


「訓練に付き合ってくれてありがとう。無駄にしないようにするよ」

「そんな戦争に行く前みたいな覚悟しなくても良いから、死にはしないから」

「そんなこと言われても……俺には――いや、その通りかもな」


そう言い、ゼントは闘技場へ歩んだ。

やはり、その背中に頼り甲斐は感じられなかったが、背筋を伸ばし、顎を引いていたので少しは様にはなっている。

レーゼインはセレナの手を引いた。


「直接見に行こうよ」


闘技場は魔法により控え室でも観覧できるが、ゼントの試合だけは近くで見る必要があった。

但し、剣を教えた師匠としての責任なんてものは皆無。文字通り必要があるだけだ。

案の定、セレナは了承したのでノアを含めた三人は闘技場への入口付近で試合を見守る。





連覇術技ストライク・プレイヤー第二回戦、ヴァルカン・デルタ対ゼント――試合開始」


影のように消え失せた審判を視界の端に、ゼントは抜剣する。鉄の剣。訓練用の木剣とは異なる重みを感じながら、ゼントは修練の日々を思い返した。

教練場の片隅、手を広げたレーゼインが宣った。


『本気で斬り掛かってみて』

『危ないだろ、それは』

『今できないことが本番でできる訳ないでしょ。後、君程度の剣じゃ傷一つつかないから』

『でも……』


全身に結界を纏っていた、という絡繰りだが、肩に、腹に、頭頂部に幾ら斬り掛かっても言葉通り傷つけることはできなかった。

そのお陰で人へ斬り込むことに対しての恐れはなくなった。その心意気が必要だから、レーゼインは初っ端からこの訓練を行ったのだ。


対戦相手である後方嘲笑貴族――ヴァルカンも剣を引き抜いた。その小慣れた出で立ちから、戦闘スタイルが魔剣術であることが察せられる。


「読み通り、と言うべきか懸念通り、と言うべきか……」


ゼントは目を凝らし、ヴァルカンの全身を観察した。

レーゼインのような存在するだけで発される圧は感じない。アクションを起こせばどこかに隙が出来そうだ。

しかし、本当に見たいものは見えなかった。


「腹を括るしかないか――」


言葉にしなければ心が挫けそうになる。

これから始まるのはそういうレベルの戦いだった。

ヴァルカンは一歩刻み、次の瞬間、滑るようにゼントの間合いに侵入する。

王宮剣術・拡張歩術『ステップ・シフト』――跳ねて間合いを詰め、相手の距離感を狂わせる技術だ。

辛うじて反応したゼントは振り下ろされた斬撃に刃を合わせた。凄まじい負荷に耐え切れず、剣を縦に傾ければ斬撃は外側へ逸れた。

ゼントは間合いを取り直し、呼吸を繰り返す。内心を満たしたのは達成感だった。

――できた、受け流すことができた。

安堵の息を吐くゼントにヴァルカンは問う。


「お前、今の感触……まさか魔法が使えないのか?」

「…………」

「おいおい、冗談だろ? 魔法を使えない無能が出場してるのかよ、笑い死にさせるつもりか?」


ヴァルカンは厭らしい嘲笑を湛える。

彼の言う通りをゼントには魔法を使うことができない――どころの話ではない。

魔力を知覚する能力が欠けていた。

魔剣術の基本である《身体強化》・《武装強化》の使用は勿論、魔力の流動による行動の察知すらできない。

一般人と魔術師――平民と貴族が明確に隔てられているのは圧倒的暴力の差があるからだ。


――それは初めからわかっていた。

訓練中、レーゼインが一番懸念していたのはこのことだった。魔力視できないハンディキャップを小手先の技術でどう埋めるか。

同時にこうも言っていた。


『正面から戦ったら絶対に勝てない。私が教える技術を習得したら……勝てない』

『勝てないのかよ』

『土壇場に覚醒すれば良いんじゃない?』

『…………』

『冗談じゃなくて』


最終的に投げやりになっていたことを思い出して、ゼントは何だか笑いそうになっていた。

――ここで勝利できればあの余裕顔も少しは崩せるだろうか。

不利は諦める理由になり得ない。

逆境は立ち向かわない理由になり得ない。

――あの時、自分を救ってくれた何者かもきっとこうするだろうから。

原点を心に宿し、集中という海に身を委ねた。


「簡単に寝てくれるなよ? 平民」


ヴァルカンは無造作に剣を振り上げた。

動作は隙だらけだ、というのにゼントには反応するのがやっとの速度と威力が込められていた。

剣を横に倒して受け止め、剣身を傾けて受け流す。


「――同じ手が通用すると思っているのか?」


刃を立てたヴァルカンに強引に押し込められ、ゼントの膝が地に着く。更に押し込まれ、刃が肩を掠めた。

身体を強引に横方向に押し出し、剣圧から逃れる。


「見え見えなんだよ」

「――ぐッ」


回避先が読まれ、腹にヴァルカンの蹴りが突き刺さる。

ゼントは音にならない嗚咽を漏らし、浮き上がった身体は闘技場の壁まで叩き付けられた。咳き込んでいられる余裕はなかった。

呼吸の苦しみを精神で捻じ伏せ、走り抜ける。刹那前にいた場所にヴァルカンの斬撃が降って来た。

逃げ回りながら戦う、というのは想定の時点で候補に上がっていた。


「ッ、想定はしていたが……! ここまでの状況とは……!」


想定以上に防戦一方。

想定以上の運動量。

体勢を立て直す余裕がなく、咄嗟に飛び回って回避するしかなかった。

その場凌ぎが簡単に綻びることは自明。最悪のケースを意識する余り、剣を避けることに傾倒してしまった。すれ違い様に蹴りを叩き込まれ、転がされる。


「あがッ……!」

「おいおい、もう終わりか? 詰まんねぇな。まぁ、良いか。お楽しみはこれからだ。シャバルは黒焦げにされたんだ、お前にも相応の姿になって貰わなきゃなぁ?」


ヴァルカンが起き上がったゼントの背中を斬り付ける。


「ぐあああああ――ッ!」


血が噴き出し、仰向けに倒れるゼントを踏み付けた。

貴族は残虐な瞳を煌めかし、嗤っている。


「はっ、この程度で死にはしねぇよ。こんなことされてもな――!」

「ぐッ、があああああ――ッッッ!!!」


肩口に刃の先端を突き刺し、捻じる。

凄まじい激痛がゼントを襲った。身動きは許されず、金属板を爪で引き裂くような細い絶叫だけが響く。

ヴァルカンは悦楽のために剣を振るった。


観客の誰もが静かに、残虐な光景を見下ろしていた。





闘技場内へ駆け出そうとするセレナをレーゼインは止めた。振り向いたセレナはキッ、と今にも涙を零しそうな瞳を吊り上げる。


「離して下さい、レーゼ様! 試合を止めに行くんです!」


目の前で繰り広げられている試合と呼ぶことを躊躇われる惨状は原始的で、暴力的で、異常な光景だった。

観客は傍観者ですらなく、二人の選手プレイヤーを試している。何かが起こる瞬間を見逃さない、とばかりに目を凝らすのみ。

レーゼインは手を離さなかった。魔力の通った腕力でならばセレナを止めるのは簡単だった。


「まだ駄目」

「どうしてですか!?」

「諦めてないからだよ」


試合前に『降参しても良い』とは言い含めておいた。

本当に死にそうなら宣言しているだろう。それでもしないのなら、策があるのだ。

しかし、プライドのために黙っているとしたら期待外れも良いところ。死んだ方がマシだ。命とプライドなら命が大事に決まっている。

命があれば次があるのだから。

――そんな愚か者じゃないよね、君は……。


「もう少し待ってみようよ」

「……ゼント君っ」


セレナは祈るように倒れている少年を見遣る。レーゼインが片腕に縋っていなかったら指を組んでいただろう。


「……――」


レーゼインの意識がゼントの試合から、セレナの腕に灯る熱に集約された。

熱を視覚化する魔法で見れば、不可視のエネルギーがセレナを包み込んでいた。淡い熱は彼女の願望を叶える、とでも言う風に闘技場の中央へと手を伸ばして行く。





明滅する視界、張り裂けんばかりの喉、味わったことのない痛み――ゼントの世界は狂いに狂い、夢と現実の境界線が溶けていた。

そんな幻は次の痛みで掻き消された。ヴァルカンの蹴りで闘技場を転がされ、その度に吐血し、耐え難い痛みに晒される。


「ッッ――ぐ、ぁ……」


偶然、選手入口に立っているセレナとレーゼインが視界の端に収まった。

セレナが悲しそうな顔をしている。それだけで立ち上がらなければならない、と沸き立つ。

レーゼインの硝子のような眼球にゼントはただ映っているだけだった。それだけで心が折れそうになる。


「俺はまだ何もしていない……」


悔しい心が原点を呼び起こす。

あの人のように誰かを救いたい、それだけで。

汚れていない純粋な気持ちがゼントの背中を蹴飛ばした。立ち上がり、剣を構え直す。出血に伴う体温の低下により雑念は失せ、ここに来て最大の集中力を宿した。

今ならレーゼインが教えてくれた全部をこの手で表現ができる。


「生意気なんだよッ! 平民風情が!」


衝動のまま地を蹴ったヴァルカンの縦振り。

見切れないが剣筋の行く末は予測できた。隙がようやく見えた。斬撃を受ける振りをして回避、隙だらけの腹部目掛けて斬撃を見舞う。

――躊躇するな、振り向け!

人体なら間違いなく真っ二つになる横薙ぎ。刃はめり込み、ヴァルカンの顔面が痛みに歪んだ。


「ぐッ、おお……貴様ァ――!」

「足りなかったか……!」


腹を抑えながら距離を取ったヴァルカンは伸ばした掌に魔法陣を描いた。

追撃への牽制、遠距離からの一方的な砲撃だ。これは考え得る最悪のシナリオ、絶対に止めなければならない。

わかっているというのに、ゼントの身体は今にも崩れ落ちそうだった。

後一歩でその腕を薙ぎ、魔法陣の行使を止めることができるというのに足は微動だにしない。


「あ――」


その時、ぬるり、とした熱味が背中をなぞった。

溶けるような甘美な感触が全身に絡みつくと、全身の痛みが嘘のように消え去る。

想い望んだ一歩は容易く為され、ゼントの斬撃が瞬いた。胴を逆袈裟に裂かれたヴァルカンが瞳を見開き、そのまま仰向けに倒れた。


「試合終了、第二回戦、勝者ゼント。これにより『連覇術技ストライク・プレイヤー』の勝敗が確定。勝者ノア・ゼント・セレナ」


茫然と立ち尽くすゼントの前に現れた審判は無感情に『連覇術技ストライク・プレイヤー』の終了を告げた。

カラン、と少年の手から剣が取り落とされる。

ゼントは俯いたまま選手出入口へと歩みを進め、笑顔のセレナに迎え入れられる。


「――ゼント君、おめでとうございます! とっても凄かったですよ!」

「ああ……」


おざなりに相槌を打つと二人はそのまますれ違い、ゼントは闘技場を出て行った。

取り残された三人の少女は顔を見合わせる。

セレナは不思議そうに首を傾げる。


「どうしたんでしょうか」

「……どうしたんだろうねー」


レーゼインは白々しい返事をした。





学院は逢魔の夕陽に包まれる。影は不気味に色を増し、昼とは様相を一変させた。

木の葉が風の揺れがやけに鼓膜を揺らす。

試合終了直後、闘技場を後にしたゼントは宛もなく学院内を歩いた。辿り着いたのは敷地の外れに鎮座した銅像の前。

一体いつからここにいたのか自分でも覚えていなかった。


「――気づいたみたいだね」


不意に声がした。足音一つしないままゼントの背後を取った何者かが言った。

幼くも、迷いない一筋の信念が宿った高音。

この一週間で聞き慣れたレーゼインの声だ。


「知っていて……いや、気づいていたのか、君は……」

「それだけべったり香りを漂わせてたらね」


意識的にか、無意識的にかは知れないがゼントには自分の所有物、と主張するようにセレナの魔力が塗りたくられている。

吐き気を催す程の甘い芳香。どれだけの感情を向けられたのか、あまりの闇深さにレーゼインですら底を見透かすことができなかった。

レーゼインはセレナに直接触れることで不可視の力を知覚する術を開発した。ゼントが知覚できるようになったのは魔力を五感で捉えようという意思を強く持ちながら、セレナから流出した力を浴びたからだろう。


「この感覚、前にも感じたことがあったんだ。ここに来る前から――」

「大人よりも大きい熊と戦った時ー? それとも誘拐犯を相手にした時ー?」

「っ、そこまでわかっているのか……本当に凄いよ、君は」


本当に意気消沈している者に嫌味を言う程、レーゼインの性格は悪くなかった。しかし、良くもない。必要ならば徹底的に現実を突き付ける。

ゼントは強く拳を握り、台座に叩き付けようとしたが直前で力を抜いた。


「目の前の人を、助けを求めている人を助けようと思ったんだ。守りたかったから、できることをした。お礼を……言ってくれる人もいたんだよッ」


ゼントは悔しそうに奥歯を噛み締める。

彼の脳裏に過ぎる勇気を振り絞って強敵に立ち向かった記憶――。

盗賊に囲まれことがあった。

人食い熊に立ち向かったことがあった。

街道を襲撃する怪鳥と相対したこともあった。

その全部、ゼントの後ろにセレナがいたのだ。

彼女はいつも頑張れ、と言ってくれた。

だから、守らなければならない、と思った。

そして、追い詰められた時はいつも知らない熱が身体に灯った。身体が軽くなって、何でもできてしまった。本当はそんな実力あるはずもないのに。

皆、『ありがとう』と言ってくれた。自分が誰かを助けることができたのが心の底から嬉しかった。


「でも、俺がやって来たこと全部……俺の力じゃなかった。この試合もセレナとレーゼインに力を借りたからどうにかなっただけ――俺自身は何もしていなかったんだ!」


今度こそ、銅像の台座に拳を叩き付けた。

皮膚が破ける痛み。しかし、次の瞬間に淡い光に包まれ、傷は塞がった。

認識してしまった以上、気の所為にはできない。

こうして、セレナにいつも救われていた。ゼントが齎した『救い』はセレナによって演出されただけの張りぼてだったのだ。


「無謀な夢を追うだけ追って、助けられるだけの道化……これが俺の正体だった」


レーゼインは夕方の凩に吹き付けられた前髪を抑えながら。


「ゼント君、それは誰もが経験する挫折というものだよ。理想と現実の相違、平凡の受容……理解しつつ目を逸らす何でもないこと」


どんなにロマンティックに彩ろうとも、誰もが等しく体験する乖離。規模は違えど、必ず行き着く残酷な現実でしかない。

そうして人は大人になる――。

レーゼインにはそんな人生を送って来たかのような感覚がある。そのやるせなさは痛いほど理解できた。


「当たり前……どうしようない現実を――認める」


茫然と呟くゼントの瞳から光が失われて行くようだった。現実を知る、ということは夢を捨てる、ということに他ならない。

過去を、現在を、未来を――憧れを。

そして、残るのは意味なく続く停滞した人生。


「それでも――!」


話はまだ終わらない。

レーゼインは知っている、歯車に身を窶した人間が変わった瞬間を。

輝かしい未来へ羽ばたくことができたことを。

その機会を刮目していれば、いつか必ず叶うことを。

何かを求めて振り向いたゼントへ言葉を掛けた。


「それでも、何か残っているとしたら――それが誰でもない君そのものだよ」

「残ってるもの……」

「力なんて関係なかったんでしょ? 力がなくても助けたい、と思ったんでしょ?」

「――そう、だ」


助けを求める全てを守りたい、と思った気持ちは誰かに与えられたものではない。

幼い頃、自分を助けてくれた英雄のようになりたかった。これはゼントが心で決めたもの。幼い憧憬を引きずったまま歩いてきた彼が選んだ道の原点。

力を与えらなければ進むことができなかったとしても、信じる正しさに力を使ったのは間違いなくゼント自身の選択。


「後悔なんてしてないんでしょ?」

「ああ」

「誰かの力だと知っていても、助けるために使いたいんでしょ?」

「ああっ……!」

「なら、それで良いんだよ」


気づけば、ゼントは涙を流していた。

たった一言肯定されただけで感極まり、救われてしまったのだ。

思えば、生き方を肯定されたのはこれが初めてだった。正義の味方なんて、余りに恥ずかしくて誰にも言えなかったからかもしれない。


例えば、セレナに言っても肯定されていただろう。

だが、この瞬間に意味が生じたのはレーゼインだったからだ。辿って来た道の意味を理解させてくれなければ、自分自身を肯定しようとは思えなかった。

何の力もなかった自分を知って、それでも認めてくれた誰か――それがどれほど尊く、救いになるかゼントは初めて知った。


レーゼインは崩れ落ちたゼントに手を差し伸べる。子供のように泣きじゃくる少年に仕方なさそうに息を吐いた。


「どれくらい嬉しかったのか知らないけど、そんな目腫らしてたらセレナに心配されるよ」

「っ、あぁ……そうだ、な……」


手の甲で涙を拭ったゼントはレーゼインの手を取る。

その瞬間、小さく温かな掌と西日に照らされた金髪が朧気な記憶に重なった。

助けてくれた人。

道を示してくれた憧れの人。

全てを理解する。

腕を引かれるまま立ち上がり、ゼントはどこか照れ臭そうに微笑んだ。


「――そっか、初めて会った時に言わなくちゃいけなかったんだな」

「ん?」

「レーゼイン、助けてくれてありがとう」


あの時は頭が真っ白になって言いそびれたが、ようやく伝えることができた。

セレナのついでであったとしても、学院ここに来られて良かった――きっと、この瞬間の為にここにいるのだから。





――日が完全に落ち、空に彩られた星々に見下ろされながらの帰途。

先にゼントを帰らせたレーゼインは隠れていたノアと合流を果たした。静かな帰り道、レーゼインの一歩後ろからノアは問う。


「どうしてあんな言葉を掛けたのですか?」


ノアが盗み聞きしていることを今更責める気もなかったレーゼインは何とはなしに口を開いた。


「……大人としての役割かな。迷える子がいたら導いてあげるのが理想の大人でしょ?」

「本当にそれだけですか?」

「……何であっても、終わりは悲しいから……少しでも世界に喜びが満ちれば良い、と思ったの。私みたいな変な奴よりも、ゼント君みたいな人がいた方が皆幸せになれるだろうから」


他人を救う、なんて自惚れたことを言うつもりはない。

全部綺麗事だ、行く先のない。希望を仰いだ台詞のせいでいつか本当の挫折を味わうことになるかもしれない。

それでも、人が夢を諦めて歯車のような人生を送るのは辛い、と思った。

諦めなければ誰でも夢を叶えられる、と信じたかった。


「それなら良いのですが……」


憂いを帯びたノアの呟きが闇夜に溶けた。


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