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レーゼインの絶対法理――  作者: 左式貢恐
史上最悪の告白
3/11

2.放蕩娘から始まる学院生活



「――やっぱり、何回見ても私可愛いわ」


汚れ一つない姿見の前で感嘆の漏らしたのは陽光のように煌めく金髪を垂らした少女。続けて前髪を弄り、満足気に頷く仕草はまるで乙女そのものだった。


――新生暦一七年、レーゼイン・アスタ・ヴァイススターは一五歳を迎えた。


あれから――八年が経った。

理不尽に抗う力と助けたい誰かを助けることのできる力を手にした『白々式水連』の願いは叶った。異界に来ても色褪せなかった後悔の記憶は薄れ、安らぎを手にした。

悲願を達成した白々式の精神は時を経るに連れ、肉体に宿った本来の精神であるレーゼインに溶け込んだ。元あるべき姿に戻った、と言うべきなのだろう。

一二歳を迎える頃には前世が男だった実感も失われ、記憶も曖昧なものとなっていた。有していた強靭な意志力も喪失し、正真正銘の乙女になったのだ。


少女は鏡に映った自分に酔いしれる。はっきりと発色するロイヤルブルーを基調とした軍服を想起させる衣装――所謂、制服。

『ゾルステア王国』では一五歳を迎えた貴族の子女は学院へ入学しなければならない。ただの学院ではない、魔法使いを育成する学院――なんてことはレーゼインにはどうでも良いこと。

制服を着られることの方が遥かに重要だった。


「私超可愛くない? ね? ノア」


レーゼインはわざとスカートを靡かせて振り向いた。

美貌をただ事実として受け入れていた八年前とは違い、今は見せる相手がいる。

礼儀正しく手を組んで主の背後に立つ長身の女性。レーゼイン専属のメイドは凍り付いた表情のまま望まれた言葉を口にする。


「とても可愛らしい、と思います」

「やっぱりそうだよね」


ノアと呼ばれるメイドは、八年前に起きた誘拐事件の被害者の一人だった。事件解決後、行き先がない少女をレーゼインが拾い、新たに名前を付け、専属メイドにした。

年齢はレーゼインと同じく一五歳なのだが、肉体の成長は不相応に早かった。

既に身長は一七〇あり、女性としてはかなり高い。プラチナブロンドの長髪を主人の好みに合わせてハーフアップに纏めている。

顔の美しさもさることながら、スタイルも極上のものとなっており、日々レーゼインからセクハラ染みた接触を受けている。


レーゼインはもう一度鏡に向き直り、自分を見つめ直す。しばらくしたら、鏡に映る自分に誰が最も美しいのか問い掛けるかもしれない。

太陽のように煌めく淀みない金髪。

生まれたばかりの赤子のような柔肌。

本能的に守りたくなる生来の甘い顔付き。

粧うまでもなく艷やかに光る唇。

肢体の細さと相反する溢れんばかりの胸囲の成立。

どこからどう見ても完璧過ぎた。

ただ一点を除いて――。

受け入れなければならない現実を前に、先程までの跳ねた声は失せていた。


「――何でこんな身長低い?」


レーゼインはとても身長が低かった。一般的な低身長より更に二回りは小さい。童顔も相まって年齢詐称を疑われることもしばしばある。

鏡越しに理想的なスタイルをしたメイドと目が合う。


「小さくて可愛いらしい、と思います」

「それはそうだけど、ロリキャラはなんか違うじゃん?」

「そうなのですか?」

「……可愛ければロリでも良いか」


決めポーズをすると観客から拍手が上がった。

ロリの需要の奥深さはレーゼインも認めるところだった。ランドセルを背負う覚悟はできている。スモッグはまだ早いかもしれない。


「――レーゼ様、もうすぐ出発の時間です。準備は終わりましたか?」


ヴァイススター邸宅前には絢爛豪華な馬車が停まっている。まるで建物かのようなキャリッジに二頭の馬が繋がれていた。今頃、馭者が立派な鬣を撫でつけていることだろう。


「私が準備するものなんかないじゃない」

「心の準備ですよ」


必要なものを荷台に詰めるのはメイドの仕事。むしろ、レーゼインは準備を待っている側だった。自分を可愛がることで退屈を紛らわしていたのだ。


「心の準備も何も。私はずっと前からこの家を出たかったから」

「……そうでしたね」


レーゼインはノアを連れて玄関まで来ると、妙齢の女性に呼び止められた。彼女はこの邸宅でドレスを纏うことが許された数少ない人物の一人。

実母――ジゼルは常に持ち歩いている東洋の扇子を閉じた。よく似た丸い瞳同士が視線を交わす。


「もう行くのね」

「お見送りですか? お母様。ありがとうございます」

「レーゼまでいなくなると寂しいわ」

「年一回は顔を見せに来ますから、そんな顔しないで下さい」


ジゼルが実の子を学院へ見送るのはこれで三度目になる。慣れたものだが、三人目のレーゼインまでいなくなると流石に寂しいらしい。


「学院に行ったら色々煩わしいこともある、と思うけどあなたはあなたらしくしていれば良いわ」

「お母様……」

「あなたはしっかりしてるから私の心配なんていらないかもしれないけど」

「そんなことないです、とっても嬉しいですわ。大好きです、お母様」


レーゼインはジゼルに抱き着いた。どうしても視線の高さは合わなかったが、抱擁すれば互いの温度だけでなく想いも伝わる。

離れると優しく頭を撫でられる。いつまで経っても親子の関係が映す影は変わらない。


「レーゼは本当に甘え上手なんだから」

「お母様が甘やかし上手なんです」

「ノア」


ジゼルは視線を上げ、娘の専属メイドの名を呼んだ。


「レーゼのお世話、お願いね。変なところで行動力があるから、よく見てあげて」

「畏まりました、奥様。全霊を持って尽くさせて頂きます」


念を押さなくとも、ノアがレーゼインの味方であることはわかっていたが、どうしても言いたくなるのが親心というものだった。

ノアはその意図を感じ取り、心からの言葉を返した。


馬車は御伽噺に出てくるような絢爛な様相。職人の手による意匠は金箔がふんだんに使われ、一目で乗っているのが財力のある人間だ、とわかる。

玄関を出ると煉瓦道が真っ直ぐに続く。その左右は庭園となっており、見渡す限りを花々が彩っている。

馬を撫でていた馭者は現れた貴族に気づくと帽子を脱いで礼をした。


「結局、あの人は見送りにも来ないのね」


ジゼルは扇子を煽りながら邸宅のある部屋を見遣る。

視線を追うまでもなく執務室を見ていることがわかり、レーゼインは今にもため息を吐きそうになった。


「お父様とは昨日話したので大丈夫です」

「話した、ね……怒号が私の部屋まで聞こえて来たわよ」


それは数時間前のこと。記憶に新しく、仔細までよく覚えている。


――昨晩、レーゼインと実父ヒースレインは執務室で相対していた。二人の間には最早、親子という関係性はあってないようなものだった。信念を持ってお互いをお互いを容認できない仇敵として捉えていた。


『明日、ノアと共に首都に立ちます。ヴァルム兄様、リリシア姉様に言伝があるなら承りますが』

『…………』

『そうですか、では失礼します』


報告は最低限の礼儀だった。挨拶に行くかすらも迷ったくらいだ。用を終え、踵を返す寸前、ヒースレインが口を開いた。


『お前は何も知らない、学院は甘い場所ではない。今までのような性根でやって行けると思うなよ』


忠告ではないことは害意の宿った瞳から伝わった。

馬鹿にされている、つまりレスバの開始である。


『変わりませんよ、何があっても。貴族としての人生を歩むつもりはありません』

『まだそんなことを言うか!』


ヒースレインは声を荒げ、机を叩いた。

今にも噛みつかれかねない怒りに満ちた覇気。しかし、レーゼインは揺れない。まるで鏡のような眼球には何も響かなかった。

貴族としての誉れなど馬鹿馬鹿しい。限りある生をやりたくないことに使うなど容認できない。

前世の知識を持ち出し、ヴァイススター家の発展にも貢献した。それが恵まれた環境への感謝も含めた最大の譲歩だった。


『愚かな考えは捨てろ、と何度言わせれば気が済む!』

『私に期待しないで下さい、と何度も言いました。さっさと諦めて下さい』

『レーゼインッ!』


間に机がなければ殴られていただろう。親子はそれ以上、言葉を交わすことなく別れた。

思い出すだけで頭に血が昇り、邪魔なもの全部壊したくなる衝動に襲われる。手が出そうになっていたのはレーゼインも一緒だった。


「――相容れないことはわかっていました。こうして離れるのがお互いのためになるはずです」

「そう……」


ジゼルは憂いを帯びた瞳を伏せた。

貴族としての立場と親としての立場、どちらかを選べないジゼルにはどうすることもできない。良い方向に進むことを祈るばかりだった。


メイド長シシリーがキャリッジのドアを開いた。

レーゼインが乗り込むまでの僅かな時間、ノアと言葉を交わす。


「ノア、くれぐれもレーゼイン様にご無礼のないように」

「はい」

「お嬢様は特別です、否が応でも危難に巻き込まれるでしょう。あなたは心を見失うことなく己の役目を果たしなさい」

「わかっています。いざとなればレーゼ様の盾になる覚悟もあります」 


シシリーはノアにとって、メイドとしての作法を教わった師ではあるが、自他に厳しく、口煩いところがある。正直、好感は持てなかった。

ノアは何度も繰り返し唱えた、仕える者としての心得を口にした。少なくともこれで叱られることはない、と学んだからだ。


「あなた自身も守りなさい」


いつものように厳かに首を縦に振るだけかと思われたが、今日は違うようだ。『実は心配している』とは微塵も考えなかったが、この瞬間にこう言った意味をノアは考える。


「……わかりました、自分のことも守ります」

「えぇ、そうしなさい」


見慣れた首肯、表情は僅かに明るかったかもしれない。

母親との挨拶を終えたレーゼインが馬車に乗り込む。ノアが続き、ドアを閉めた。馭者が馬を走らせれば、庭園は瞬く間に過ぎ去り、故郷は遠くに消える。


「そう言えば、昨日私の後にお父様に呼び出されてたよね」

「はい」

「何言われたの?」


昨晩、ヒースレインに呼び出されたノアは『レーゼインの監視』という使命を与えられた。学院内で不審な行動を取り始めた時には速やかに報告することになっている。

勿論、このことはレーゼインにバレてはいけない、と厳命されていた。


「――レーゼ様の監視です。妙な気を起こしそうになったら報告しろ、と言われました」

「いつも通り、って訳ね」


ヒースレインはノアが既にレーゼインに精神的・肉体的に従属していることを知らなかった。





ヴァイススター邸を出発して一時間程が経った辺り、馭者は馬車の速度を緩めた。ノアの柔らかな膝を枕にしていたレーゼインが上体を起こす。

小窓を開き、身を乗り出せば進行方向にある灰色の要塞がよく見えた。


「危ないですよ、レーゼ様」

「大丈夫大丈夫。久し振りに見たよ……八年振りくらいかな?」


ヴァイススター領の資源の一つである質の良い石灰岩で作られた巨大要塞。要塞が守っているものは『転移門』である。

『ゾルステア王国』東端に位置するヴァイススター領から首都まで、馬車で行こうとすれば約二週間は掛かる。この長距離の旅を劇的に短縮するのが空間魔法《転移門》だ。

首都側にある転移門と接続することで長距離を一瞬で行き来できるようになる。門の特徴としては、最大数千人を一度に飛ばすことができる点だろう。

如何にも悪者に乗っ取られそうな施設に対し、レーゼインは邪な期待をしていた。

通常の転移魔法を習得してからはほとんど興味を失っていたレーゼインだが、初めて見た八年前は目を輝かせて見上げたものだ。見上げるのは今も同じだが。


ヴァイススター家の管轄の転移門なので当然顔パスである。要塞の格子を抜け、広々とした空間へ通された。

直径の異なる円の軌跡を描いた魔導レールが天井から垂れ下がっている。また、如何にも電撃を放ちそうな巨大アンテナの中心には鋭利な針。

転移門の維持には莫大な魔力を必要とするため、使用時のみ起動する。馬車一台の場合は最小レベルでの起動になる。

転移管理者の男がシークエンス開始のスイッチをオンにすると魔導レールに魔力が流れ込んだ。呼応して放たれた電撃が魔力燐光を散らす。

接続先とのコンタクトが取れ、空間歪曲の法則が成立。ぶわっ、と転移門が開いた。奥行きが見通せない極彩色の魔力面が出現する。

馭者は躊躇なく馬を走らせ、転移門を潜った。


「――」


一呼吸もしない間に一行は『ゾルステア王国』首都フォームフォーラルへ到着した。首都側の転移施設を出れば、活気溢れる街の只中だった。

忙しない人の営みを眺めたレーゼインは再度、ノアの膝を枕した。


「――こんな気軽に行き来できたら旅、って感じしないよね」

「良いことではないのですか? 第二爵位家にだけ許された特権でしょう?」

「野宿するよりはマシだけどさぁ」


ヴァイススター家は『ゾルステア王国』が国として成立する前から王に仕えていた数少ない一族。特に『八円剣』と呼ばれる八つの家系は王家に継ぐ権力を許されていた。転移門の管理も特権の一つである。

だからこそ、代々王家に仕える誇り高き貴族としての振る舞いが求められた。現当主としてヒースレインは栄誉と伝統を守るために子息にも厳しい教育を行った。

その結果が放蕩娘の誕生なのだとしたら、親不孝も良いところだ。

レーゼインとしては、貴族としての責務を放棄すると宣言しておいて、甘い汁を啜っている現状に思うところがないでもなかった。


「ま、あるものを使わないのが一番勿体ないよね」  


それらしい言い訳を口にして、ノアの腹部に顔を埋めた。



――魔法学院への入学日は翌日を控え、レーゼイン達は首都にある別荘で一夜を過ごすことになった。本邸ほど広大な庭園はないが、建物としての規模はほぼ同等である。

レーゼインは何十人の使用人の礼を通り抜けて足を踏み入れた。その日は親類への挨拶等をこなし、養成のために早めに眠りに就いた。


そして翌日、制服姿のレーゼインとノアは並び立って学院の校舎を見上げる。





魔法学院校門前には長大な馬車の列が形成されていた。貴族の子息子女が丁重に送り届けられるからだ。それでもって、はけるまで数分は掛かるものだから道は完全に封鎖されていた。


「――だろう、と思ったから徒歩で来たのよね」

「流石の采配です、レーゼ様」


レーゼインとノアがいるのは表門ですらなく、入学生が使わないであろう裏門。

教師と思しき人物とすれ違ったりもしたが、当然のように歩いていれば案外どうにでもなる。表に回ると校門前に幾つかには小さな集団ができていた。

早速、下らない諍いさえ起きている。


「うわぁ……学校、ってやっぱりこういう感じだよね」

「学院に通うのは初めてでは?」

「そうなんだけどね」

「…………」


妙な態度を隠そうともしないレーゼインにノアは訝し気な視線を向けた。レーゼインが幼少の頃から本を読み漁り、大人顔負けの知識を有していることは既知のこと。しかし、わかったような台詞を口にする時の実感は妙にリアリティがあった。


在学生や教師陣による順路誘導に従って講堂へ向かった。内装はコンサートホールを思い起こさせた。中央ステージから離れるごとに席が高くなっている。席のランクはそれに反比例した。旅客機のシステムである。

レーゼインは魔法学院の理念の一つを口にする。


「『才能の下に平等』だっけ?」


――『ゾルステア王国』では一五歳になった貴族の子女は首都にある魔法学院に通わなければならない。貴族の源流は魔術師の家系であり、子孫にも脈々と才能が受け継がれている。

力を正しく扱うために教育機関で魔法を学ぶことが義務となった。

稀に平民が突然変異的に魔法の才能を獲得することがある。そのような者もスカウトされて入学する。

学院では魔法の才能の下、社会的地位に依らない平等が謳われているが、その話を初めて聞いた時、レーゼインは鼻で笑ったし、今も笑っていた。


「だろう、と思った。行くよ、ノア」


王侯貴族のお膝元、首都に建てられている時点で権力と切り離せる訳がない。

レーゼインは溜息を吐いて階段を昇った。エコノミークラスの席、最後尾に腰を下ろす。ここが一番見晴らしが良い。


「……私に付き合わなくても構いませんよ」


由緒正しき家のメイドでも出自が平民ならば平民。

お手本のような制服姿のメイドにレーゼインは肩を竦め、耳元に唇を寄せた。ノア以外誰にも聞こえない囁き息を漏らす。


「私はあなたの何なの?」

「……れ、レーゼ様」


途端にノアは頬を赤く染めるとメイドがしてはいけない上目遣いを主へ向けた。隣の席に座り、誰にも気づかれないように手の甲を触れ合わせる。


どんなに幼い見た目をしていても貴族特有の圧を放つレーゼインの周りを人は避けて通っていたが、ノアの隣に座った者はいた。

居心地の悪そうな男女二人組が言葉を交わして緊張を紛らわせている内に、講堂のステージ脇から男が姿を現す。

二十代半ばと言った顔付きの男は魔法学院の校長。数年前に顔を合わせたことがあるのだが、衰えは見えなかった。

学院長の話に興味がなかったレーゼインは目を瞑り、ひたすら終わりを待った。





レーゼインは十字路の中央に仁王立ちしていた。

どの道を進むべきか彼女は思案する。そんな幼い後ろ姿をノアはただ見詰める。


学院に所属する生徒は寮生活を強いられる。若い内に親元を離れて自律を云々、という理由ではなく、幅広い人間関係の形成に主眼を置いているようだ。

この体制を学生らしい、と評価するのは平民だけだろう。貴族の子息は専ら、自らの立場を確固足るものにするために奔走することになる。

そんな思惑入り混じる中、悪い噂の多いレーゼインは敬遠されるどころか、冷遇される存在だった。

『八円剣』から生まれたとは思えない恥晒し、とは何度なく聞かされ、これからもそう言われる。

レーゼインとしては馬鹿にされるだけで余計な人間関係を切れるのならむしろ良いくらいなのだが、そのお陰で進むべき道を惑うこともある。


各々の道の先には一年生向けの寮がある。右側には貴族が使う荘厳な館の連なりが、左側には小屋を縦横無尽に後付けすることでできた奇形マンションが建っていた。

放蕩娘として名が通っているため貴族寮では針の筵。ノアまで連れて行けばどんな扱いをされるのか分かったものではない。

平民寮でも結果は同じ。貴族に対する敵意が強い傾向にあり、良い顔はされない。

では、どちらにも行けない者は何処に行くのか――。


「はぐれ者の進む道は真っ直ぐみたいね」

「……この道、森林に続いているように見えるのですが、大丈夫なのですか?」

「最悪野宿すれば良いよ」

「野宿は嫌だと昨日言っていましたよ。そうなるくらいなら貴族寮へ行って下さい。『八円剣』の家系なら簡単に手出しはされないはずです」

「冗談よ、冗談」


煉瓦道が薄暗い森林のトンネルを進んで行く。最低限の人の出入りはあるらしく、道は箒で掃いた程度には整備されていた。

およそ三分後、刳り貫いたような開けた空間に出る。そこで寂れた館はひっそりと息をしていた。


「……ここが本当に寮なのですか?」


信じられない、とばかりにノアが呟く。

平民とは言え、幼い頃からヴァイススター邸で生きていた彼女も貴族に近い価値観がある。清潔感のない外観に一瞬、頭がくらり、としていた。


「物凄く廃れてるね……でも、人はいるみたい。扉が新しい」


はぐれ者の寮は元々は貴族の館だったものを改修して作られてようだ。雪のように白かったはずの外壁は黒ずみ、蔓が這っている。

正面扉は風雨に晒されて劣化している、ということなく、目新しい栗色の両開き戸は色が合わず、見事に浮いていた。


「とりあえず入ってみようよ」

「は、はい……」


引いたまま戻って来ないノアを置いて躊躇なく寮へ足を踏み入れる。レーゼインは外観の割に掃除の行き届いているエントランスに感嘆を漏らした。


「想像よりずっと良い場所じゃない」

「……街の宿屋、という感じですね。風通しが良くないです。光魔石もかなり劣化しています」


レーゼインとは真逆でノアの表情は険しかった。メイドの視点では綺麗とは言い難いようだ。

踏めば軋む階段を昇り、一際暗い通路の最奥の部屋を使うことにした。十年近く暮らしていた館とは比べ物にならない質素さにノアはまたも頭が眩んだ。

六畳間の二人部屋。机と二段ベッドが置かれているため、実質的なスペースはもっと狭い。


「……ここ、倉庫ではないですよね?」

「倉庫にベッドはないでしょ」

「馬小屋の方が広いですよね?」

「貴族の家ならね」

「……レーゼ様はどうして平気な顔をしているのですか?」

「狭い方が落ち着くから」

「そんな理由で……」


以前からわからないところがある主であったが、お嬢様にあるまじき適応能力まで有しているとは脱帽せざるを得なかった。

レーゼインがここにする、と言うのならノアとしては頷く他ない。お互いの息遣いさえ容易な聞こえて来る狭さでの生活に不安が募った。


二人は荷解きを後回しにして一階の食堂に向かう。酒場のような雰囲気の食事処だった。

貴族寮には専属シェフがおり、平民は自分の手で料理をする。どうやら、はぐれ者寮では恰幅の良いマダムが料理を振る舞ってくれるようだ。

女性はレーゼイン達に気づくと訝し気な表情をする。


「ここの新寮生かい? この時間はまだパーティーの時間だったはずたけど……」


学院長の挨拶の後は立食パーティーが催された。心底どうでも良かったレーゼインは完全無視を決め込んでここまで来た。


「はい、奥の部屋を使わせて貰ってます。退屈だから来てしまいました」

「あ、そう。言っておくけど、料理の準備はしてないから何も出せないよ」

「はい、大丈夫です。厨房を借りることはできますか?」

「……別に構わないけど」

「この娘が作りますから」


どうやらレーゼインを貴族だとは思っていないようなので正体を明かさず、平民に装って接した。

どこか毒気を抜かれたような顔をしたマダムは食堂の窓際の席に座ると早々に船を漕ぎ始める。


「ノア、軽食作って」

「承知しました。調理道具の場所がわからないので少し時間が掛かる、と思われるのでゆっくりしていて下さい」

「じゃあ、そこら辺を探検しようかな」

「お気をつけて」


寮を出て深呼吸を一度。林に囲われているだけあって空気は澄んでいた。とは言え、山の麓にある実家程の爽快感はない。

十字路まで引き返し、学院校舎を拝む。


「――私がここに来た理由」


幼い頃に基本的な魔法を粗方修めたレーゼインに学院で勉強する意義はほとんどない。

一定の知識と練度を認められれば講義の免除も認められている。そうなれば、校舎へ足を運ぶ必要もなくなる。

そうわかっていながらここに来たのは――。


その時、一陣の風が吹いた。突風に前髪が上がり、開けた視界で捉えたのは桃色の花弁。

レーゼインは直上に三メートルは跳び、それを掴んだ。


「これは……桜じゃなくて――紐?」


空を漂う桃色を咄嗟に桜の花弁だと思ったのは暖かな風のせいだろう。何の変哲もない桜色の飾り紐が思い出させたのは『出会いの季節』。


「――すみません、それ私の髪留めです!」


着地と共に爪先を軸に振り向いた。

可憐な乙女が胸を手で抑え、息を繰り返す。真珠色の長髪を垂らした可憐な少女だった。

いつかに忘れていた胸の高鳴りが全身に熱を伝える。手の中の紐のことは忘れ、口が勝手に動き出す。


「――あなたの名前は?」

「私は、セレナです」


セレナ――無条件に良い名前だ、と思った。

まじまじ、と顔を見上げていると『あの』とセレナが困った風に眉を八の字にした。思い出したようにリボンを手渡すと、セレナは頬を綻ばせた。


「ありがとうございます。急に強い風が吹いてしまったもので」

「全然気にしなくて良いよ。セレナちゃんも新入生?」

「はい、そうです。ということは、あなたも……お名前、聞いても良いですか?」


心臓の鼓動は留まることを知らない。頬に熱が灯る感覚はどんどん強まる。

レーゼインが学院に入学した理由は――運命の出会いを果たすため。

この瞬間のためにここに来た、と確信できる生涯を共にするに相応しい何者かに逢うために――。


「私はレーゼイン。これから宜しくね、セレナちゃん」

「宜しくお願いします、レーゼインさん」

「私のことはレーゼで良いよ」

「れ、レーゼさん?」

「『さん』はなくても良いけど……うん……」


自分の手で頬を扇ぐが、ちっとも熱味は引かない。

緊張を感じるのはいつ振りだろうか。相対するだけで、下手すればプロポーズに匹敵する勇気が必要だった。


レーゼインは嵐のように渦巻く心情の中で至上命題を定義した。


――セレナを恋人にしたい。絶対する、私のものにする。

恋人を探しに来たレーゼインは心の底から愛しい、と思う相手と初日にして出会ってしまった。人はそれを『運命の出会い』と呼ぶ。


「ねぇ、セレナ……私達、以前どこかで――」


言葉は最後まで紡がれることはなかった。

足音が一つ近づいて来たからだ。


「――セレナ、急に走り出したら危ないだろ」


小走りでやって来た少年は当たり前のようにセレナの隣に並んだ。運動に慣れているのだろう、息は乱れていなかった。


「髪留めが飛ばされてしまって、この方に拾って……取って貰ったんです」

「そうだったのか」

「彼はゼント君です。私の幼馴染みで、一緒に学院に入学しました」

「へ、へぇ……――」


ゼントと呼ばれた黒髪の少年。

どこにでもいそうな優男風な顔付き、平均的な体躯、特別な魔力も感じない。言うところのない一般的な人間だろう。

単に『幼馴染み』という称号と、二人の距離感に鼻が付いた。満更でもなさそうなセレナの表情も複雑な感情を助長する。


レーゼインは小さく息を吐いた。

動揺に染まっていた相貌はすっ、と妖艶な微笑みに移ろう。現実への需要が完了した。

――なるほどなるほど、完全に理解したわ。私がこの学院でやらなくちゃ行けないことを。

悲願のための目的を得たレーゼインは華麗な動作な胸に手を当てた。


「私はレーゼイン・アスタ・ヴァイススターと申します――宜しく、宿敵ゼント君」

「え?」


隠すつもりが一切ない敵意を浴びせられた少年はたじろいだ。

相手が同性? 全く関係ない。

レーゼインの瞳に負ける気配は微塵もなかった。


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