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レーゼインの絶対法理――  作者: 左式貢恐
史上最悪の告白
2/11

1.極致へ



――新生歴二年。

その日、〈ゾルステア王国〉ヴァイススター貴族領、ヴァイススター邸にて一人の子が生まれ落ちた。


助産婦によって取り上げられたその赤子は懐胎されてから、ただの一度も泣き喚くことなく、眩しそうに周りの人間を見回した。

今までの子供と何かが違う、と判断するには早かったものの、生まれながらに何かが違かった。


異常性の片鱗を見せ始めたのは生誕から二年経った頃。言語を解し、積極的なコミュニケーションを諮り始めたのだ。

その前から言語を解するような仕草はあったものの、舌足らずな発音や物理的制約で伝えることができなかったものが、二年の歳月を経て形になった。

三つ上の兄、二つ上の姉と同等以上の成長速度に誰もが感嘆を漏らした。

三歳になる頃には本を所望し、文字を習得、文法も理解した。その子供らしからぬ知能に不気味さを覚える者は少なくなかった。


――悪魔に取り憑かれている。

そんな噂が広まるのも致し方ないことだった。

しかし、風聞とは裏腹に父――ヒースレインは類稀なる天才だ、と持て囃した。英才教育を施されたその子は間もなく神童と呼ばれることとなる。


――新生歴九年。

神懸かり的な才能の歩みはまだまだ止まらなかった。

天才児は身の丈の二倍以上ある立て鏡の前で首を左右交互に傾けた。真逆の方向に揺れる夕陽色の前髪を鏡面越しに眺めながら唸る。


「これは……どこからどう見ても可愛い幼女だな」


未だに慣れない背中まで伸びる髪の重みを感じながら少女――レーゼイン・アスタ・ヴァイススターは呟く。

七年前に壮絶な死を遂げたはずの青年は何の因果か、ヴァイススター家次女として異世界で生まれ変わった。


「異世界転生したのでも驚きなのにTSまでするとは……」


本来輪廻転生とはそういうものなのだろう。動物や虫、植物になっていた可能性も零ではなかった。人として生まれ変わったのは幸運の部類に入る。

前世の記憶は鮮明に残っていた。今のところ、それが恣意なのか偶然なのかはわからない。

神には会わなかった。使命も課せられていない。


「まだ悪役令嬢の線も残ってる訳だ」


物語のお約束というものもよく覚えていた。前世の知識を活かし、神童として道筋を辿るのも定番だ。

その場でくるりと回り、着せられたドレスの意匠に息を吐いた。関心半分呆れ半分。


「やっぱり、動きにくいな。機能性よりも装飾華美絢爛豪華ですか……如何にも旧時代、って感じだな」


今や見ることが叶わないであろうソメイヨシノに似たピンク色のドレス。手元に広がる袖口には職人の拘りを感じさせる花模様の刺繍があしらわれている。胸のリボンの中央に緑宝石がはめられたブローチが掛かっていた。全体的にふんわり、と広がったシルエットは年相応に幼い印象を受け、激しい抵抗感を覚えた。


お約束や例に漏れず、レーゼインのいる世界の文明は現代とは比べるべくもなく遅れている。『近世ヨーロッパ』風の世界観と言えば、説明は終わる。大凡、電気分野の発展は皆無だった。

当たり前のように布かれた王政。富と権力を示すのは外面だ。貴族は当然のように豪奢な生活を送り、華美な衣服を纏う。

一般庶民の精神では、この価値観にはとても着いて行けなかった。


扉がノックされた。『レーゼインお嬢様』と扉越しに枯れた声で呼ばれる。

頭と同じ高さにある取っ手を掴み、扉を開くと老年のメイドが礼をして待っていた。長年、ヴァイススター家に仕える老女――シシリーは綺麗な所作で面を上げる。


「殿下がお庭に到着致しました、ご挨拶の準備を」

「いつでも構わない」

「承知しました。では、こちらへ」

「ええ」


偉そうな振る舞いが性に合わないレーゼインは半端に不遜な言葉遣いで乗り切っていた。

一定間隔で絵画や陶器が並べられている目の眩む廊下を行けば、道行く使用人が壁面に身を寄せ、頭を下げた。

はっきり異常な光景だ。二十年近い現代生活で培われた倫理観が今更抜けるはずもなかった。


先行したシシリーは庭へ続くステンドグラスの扉を開いた。吹き込んだ人工の香りが薄い、暖かで柔らかな風はレーゼインの艶やかな頬に吸い込まれるようだった。

深呼吸一つしたレーゼインは意識のギアを上げる。自分は貴族令嬢と内心で言い聞かせた。


件の客人は既に、庭園の中央に鎮座するのは『東屋』を連想させる屋根付きのスペースに到着している。

芯の振れないモデルの歩みでガーデンテーブルまでの煉瓦道に踏み入った。

席には来客と実兄、実姉の三人。その脇には給仕のメイドが二人。

ヒールではないので足音は軽いものだが、出で立ちは精神に引っ張られる。到着前から来客の視線が自身に注がれた。理解しながら態度には出さず、大理石から直接切り出した白亜のテーブルの三歩手前で両踵を付ける。

僅かに下げた瞳を上げ、客人に相対する。不相応の妖艶な笑みを湛えて挨拶した。


「ご機嫌麗しゅう、レイザー・ルーン・ゾルステア殿下」


この世界観だと淑女はスカートの端を持ち上げて挨拶するそうだ。誰に教わったこともなかったが、見ていれば理解できる。視線を下げ過ぎなければ怒られないらしい。


「こ、こちらこそ歓迎感謝致します。レーゼイン嬢もいつにも増して麗らかですね」


席から立った当の客人は辿々しく挨拶を返した。

レイザー・ルーン・ゾルステア――齢一〇歳、ゾルステア王国第三王子としての教育を受けている真っ最中の少年。社交の場に慣れていない感がありあり、と滲み出ていた。

精一杯頑張っている赤顔の美少年に心からの微笑みが漏れる。


「どうも。お元気そうで何よりです、レイザー君」

「レーゼ、とても可愛いドレスだね。今日も綺麗だよ」

「お世辞ばかり上手になっていますわ」

「そ、そんなことないよ! 本当に綺麗だから!」


からかい甲斐のある少年だが、この国で一番偉い家系。下手に気分を害せば一族諸共放逐されてもおかしくない。

実兄のヴァルムとは幼い頃から友好な関係を築いているので、あやかって姉のリリシア共々恩恵に預かっていた。愛称で呼び合ったり、餓鬼だけで定期的なお茶会をしているのがその裏付けでもある。そこに大人達の思惑がどれだけ含まれているかはこの際考えないでおく。

メイドによって準備された芳醇な香りの漂う紅茶と砂糖をふんだんに使った菓子折り。こんな生活を続けていたら碌な大人にならない、と勝手に危機感を覚えてしまう。


「これ美味しかったよ、レーゼ」

「本当に美味しそうですね」


リリシアはお菓子を妹の取り皿に載せた。お礼を言いながらちらり、とリリシアの空色のドレスを見遣ればクッキーの欠片が零れていた。

レーゼインはトランス脂肪酸をクッキーで挟んだものを頬張り、わざとらしく粉を落としてみる。


「あ、レーゼ。ドレスが汚れちゃうよ」


妹らしくするのもレーゼインの役目だった。転生者であることは知られても良いことはない。あくまでも、ヴァイススター家次女としての振る舞いが最優先だ。


「ありがとうございます、お姉様」

「ううん、どういたしまして」


何馬鹿なことをしているだ、という気持ちになる時もあるが、子供の笑顔には変えられない。レーゼインは大人として役割に徹し、幼さを演じた。同じ目線には立てないが、見守るために。

それが役目だとさえ思った。まさか異世界転生して大人としての自覚を得るとは――。


レーゼインは楽し気に会話する三人の声を聞きながら山向こうを眺めた。青空を切り取るどこまでも続いていそうな美しい山嶺に未来を馳せる。

遥か遠く世界で見た灰色の空を思い出した。





これもまた薄々予想していた展開ではあった――。


お茶会を終えたレーゼインが自室に戻ると、扉の脇でシシリーが手を前に組んで待っていた。レーゼインが何も言わずともドアを開ける。

共に部屋に入ると、老女はドレスを脱がせた。一人では着られない服は一人で脱ぐこともできない。

レーゼインとしては溜息でも吐きたいところだったが、シシリーを前に横柄な態度は取れなかった。

この老女はヴァイススター家に最も長く勤めるメイドであり、本来ならこの館の主であるヒースレインの側仕えをしている。

しかし、天才児が悪魔と謗られていることを憂いたヒースレインがレーゼインの世話を命じた。

変なことをすればヒースレインに報告されるのは請け合いだ。彼女の前ではできるだけ普通の子供のように振る舞う。

メイドに手伝って貰いながら、ステレオタイプな感が否めない白青のブラウスとスカートに着替え直した。軽くなった肩を回し、シシリーに一言。


「ありがとう」

「滅相もございません」

「もういいわ」


メイドはお手本のように頭を下げると、足音立てずにレーゼインの部屋を後にした。

一分程待ってから、お茶会している間にメイキングされた天蓋付きベッドに飛び込んだ。枕に緊張と疲労の溜息をぶつけた。

子供の身体は自覚ない内に疲労が蓄積し、気づけば眠くなってしまう。

今日はお茶会とは名ばかりに遊び回っていた。何処の世界でも男子というものは外遊びが好きらしい。それに付き合って、庭先を走り回ったせいで予定よりも身体が重かった。


「それでも止められないものがあるんだよな」


早々に起き上がり、レーゼインが向かったのはヴァイススター邸の図書室。

歴史古い貴族だけあり、収蔵している書物の数も尋常でない。

部屋に立ち入った一歩目から、見上げる程高い本棚が数十と連なっている。

初めて来た時は背の低さと遠近感の狂いで半刻以上迷ったものだが、三歳から通い詰めていれば目印一つなくとも目的の本棚へ向かえた。

部屋の最深部は正方形に空いており四人掛けのテーブルが置かれている。細やかな読書スペースだ。目的の本を片手に椅子を攀じ登る。

レーゼインは動物の皮で作られたであろう装丁の古書を開いた。軽く引っ張るだけで千切れそうな頁を捲ると、びっしりと幾何学模様が描かれていた。


視線を落としながら宙に浮かした指先で円を描く。その軌跡に白い光が走った。曲線は消えるペンのように数秒維持された後に霧散する。

人が自由に光を発するなど人ならざる所業――しかし、この世界では当然のように扱われる。

星の誕生以前から存在するあらゆる自然法則を内包した概念を『自然律』と呼ぶ。

そして、自然律では収まらない非現実の事象を引き起こすの未知を法則を『魔法律』と呼ぶ。


「この世界には魔法がある――」


懐胎された直後、白飛びした視界の中で捉えたのは助産婦と母親の顔だけではなかった。宙を漂う淡い煌めきを柄にもなく綺麗だと思ったのだ。

その瞬間から薄々予想はしていた――知らない法則が働いていることを。


目を凝らせば今も舞っている燐光こそが魔力と定義されるもの。そして、意志を持って力を込めれば身体の内から溢れ出すオーラもだ。

魔力を適切に配置することで法則に従った現象を起こす行為が魔法。

ここは誰もが夢見る神秘と魔法の異世界なのだ。


自由に操ることのできる力にレーゼインは首ったけだった。夢に見る、という程ではなかったが、自分の意思で力を操るという体験はゲームのような脳汁が滲み出した。

この経済的に保証されている時期に好きなだけ学べる環境に齧りつき、酔う程魔法を覚える。真っ先に言葉や文字を習得したのもこのため。

レーゼインは強さを求めてまた新たな魔法を模索する。誰よりも速く階段を登る。





レーゼインが顔を上げたのは暗さで文字が読めなくなったからだ。窓から覗けていた澄み渡る青空も気づけば、茜色に染まっている。あれから数時間、読書に没頭していたらしい。

赤ん坊の頃から成熟した意識があったせいだろう、長い長い退屈に晒されたことで気が紛れるものがあるとすぐに没頭してしまう身体になってしまった。


「……《追憶》ねぇ」


今回学んだ魔法は《追憶》――。

とりあえず習得してから使い道を考えるつもりだったが、やはり思いつかない。首を捻りながら、本を元の場所に戻し、真っ暗な図書室を悠々と出て行く。

全体重を掛けないと開かない木製の扉の前に立ったところで、向こうから声が近づいて来る。この二人の女性の声には聞き覚えがあった。噂好きのメイド達だ。

レーゼインの悪名も声高に話し、シシリーに説教されていた若いメイド。

声の大きさに自覚はないようで、壁に耳を当てるまでもなく聴き取れた。


「――ねぇ、ヨード街の事件の話聞いた?」

「あ、聞いた聞いた。最近、子供が失踪してる、って話でしょ?」

「そうそう、今日買い出しにヨードに行ったんだけど警備兵が凄い顔つきでうろついてんの。関係ないのに睨まれて怖かったわぁ」

「うわぁ、さっさと犯人捕まえて欲しいよね。あ、そう言えば昨日のことなんだけど――」


声は遠退き、耳を澄ましても何も聞こえなくなったところで図書室を出た。

廊下は壁に掛かっている光を発する魔石――『魔光石』によって照らされている。夕方にこの灯りを点けて回るのもメイド達の仕事だ。


燃えるような夕暮れは山嶺に沈み、天地の境界は淡青色に変ずる。廊下の窓から身を乗り出すと、メイド達が口にしていたヴァイススター領のお膝元にある大きな街――ヨードが見えた。


「失踪事件……暗躍の香りがする事件だ。ちょっと遊びに行っちゃおうかなー」


貴族令嬢として転生したからには無断で市井に降りる、というイベントはこなしておきたかった。

というのが半分で、本音のところは純粋な正義感。

力を持ったことでできることが増え、欲張りになってしまったらしい。

正常な倫理を持つ人間として、人攫いなんてものが平気で起こる世界は許せない。





「――ゆっくりおやすみなさいませ、レーゼインお嬢様」

「えぇ、ありがとう」


湯浴みも早々に眠りに就く振りをしてシシリーを追い出したレーゼインはベッドの横の小さな箪笥の前に膝を折る。上に乗っている魔光石の燭台が揺れないように注意しながら、入れておいた普段着を取り出した。


何の変哲もない子供用のブラウスとスカート。散策に適した服装ではないが、レーゼインが怪しまれずに用意できるのはこの程度のものだった。

最後にストレートヘアーを頭の高い位置で結ぶ。

何となく鏡の前に立ち、右手を首に添える。


「流石に可愛いな」


SNSで何となく流れてきたイラストをブックマークするような気軽さ。この少女が自分という自覚はまだなかった。

両開きの窓の淵に登り、思い切り飛び跳ねた。レーゼインの部屋は二階。地上まで概算で十メートル弱の高さがある。

跳躍は一秒も持たず、引力に従って大地へ落ちる。

妖しく光る三日月に照らされながら、レーゼインは不敵に笑った。掌に白線で描かれた幾何学模様が浮かんだ。


「さてと、《飛行》――」


魔法陣を握り潰すと魔力は燐光と化して散る。魔法的エネルギーが大気に干渉した。レーゼインの落下を殺し、それどころか身体を浮き上がらせた。

一般に中級風属性に分類される操作魔法――《飛行》。

邸宅から飛び出したレーゼインは高度を上げ、ある高さで静止する。番人の如き半透明の壁が視界に広がっていた。

邸宅を覆う半球状のは魔法により生み出された結界。不正な方法で脱出するとアラートが鳴るように条件付けされている。

この世界では、貴族の館には当然のように張られているらしい。


結界に掌を押し当て、魔力を発露した。破壊のためではない、感知効果を一時的・局地的に誤認識させるための干渉だ。この技術もまた図書館にあった本から得た知識である。

干渉完了と同時に掌は結界をすり抜けた。《飛行》を行使し、一気にヨード街へ飛ぶ。


街の端に降り立ったレーゼインはすぐに息を殺した。

――まさか、ここまで上手く行くとは。

レーゼインが見たのは身体の大きな男が簀巻きにされた子供を馬車の荷台に転がす瞬間だった。一人が見張り、一人が運搬、一人が馬車で子供を受け取っている。

誘拐の理由として考えられるのは人身売買くらいだ。

山岳から吹き込む肌寒い風。音もなく行われる犯行。果てしない暗夜。それぞれの要素が心臓の鼓動を加速させる。


「怖がってるのか、俺……」


誘拐犯に気取られない程度の深呼吸。誰にも負けないために力を培って来たのだ、恐れる必要はない。

この三人は運び屋のようなものだろう。根本を叩かなければこの連鎖は続く。


わざとらしい足音を鳴らして彼らの視界に入り込むと、六つの眼球が吸い寄せられるようにレーゼインを捉える。言葉なかった。男達は一斉に飛び出し、少女の身体を革袋で拘束、荷台へ詰め込んだ。


ガタゴト、と馬車が揺れる。アスファルトのように綺麗な道でもなければ、車輪は真円から程遠いもの。小一時間乗っているだけで体中に痣ができてしまう。

レーゼインは暗闇の中、子供達の啜り泣きを四方八方から聞かされた。これでら気が滅入るばかりだ。

葉っぱが風で鳴る音が数十分、馬車が止まった。


そこはヨード街の人間が『魔狼の森』と呼ぶ森林。

非常に気性が荒い狼の魔物『殺人狼ウェルフィン・シュバイツ』が棲息しており、滅多に人が寄り付かない区域となっている。だからこそ、暗躍するには絶好の場所でもあった。


針葉樹林に紛れるただ建てただけ、という風な無骨な倉庫。かどわかされた子供達はその中へと運び込まれる。

倉庫は見た目以上の広さを感じさせる吹き抜け構造。全三階層あり、一定間隔で区切られた部屋が効率良く詰め込まれていた。四畳半にも満たない空間の全てが鉄格子で閉じられる。

子供は牢屋に入れられ、拘束を解かれた。誘拐の首謀者にとっては顔が見えることが肝要らしい。

被せられた革袋を外されたレーゼインは灯りの眩しさに目を細める。倉庫は天井から吊るされた魔光石によって照らされていたが、牢屋の奥までは届かずやや薄暗い。その場に立ち竦んでいると背中を蹴られ、倒れ込むように牢屋に入った。


「痛いっ」

「さっさと進め、餓鬼が」


威嚇するような低い声で男は言って、閂で鍵を閉めた。もう片腕に担いでいた子供も隣の房へぶち込んだ。

レーゼインは起き上がり、服に着いた砂埃を払う。体表面に魔力を纏っていたため転んだ拍子に傷がつくなんてことはなかった。


「三階の角部屋……」


怪しい男達が子供を牢屋に入れるというカオスな光景を鉄格子から覗ける。誘拐犯一味は見えるだけでも六人。

レーゼインが人身売買の典型例で真っ先考えたのは奴隷だった。『ゾルステア王国』は奴隷制を認めている。本来は犯罪者や職のない者がなるものなのだが、残念ながら、子供を奴隷にすることも黙認されていた。権力者の趣味嗜好か、単純に利権の問題か。


「富を得た国は必ず腐敗する……特に権威は老いると惜しくなる。自らの死を恐れ、今を満たすことで安心しようとしているのかもしれないが……現実逃避は醜く憐れなものだ」


どんな利害があるか知れないが、老いれば否応なくしがみついてしまうもの。それが人間の性だ。これに抗う理性を持った支配者足る人間は中々いない。

とは言え、表立って活動できないから危険な森にいる訳で、ヴァイススター家直属の騎士団に報告すれば瞬く間に包囲殲滅されるだろう。


「通報が一番丸いんだろうが、首謀者は確実に消しときたい。そもそもここにいるかも怪しいが」


子供の輸送が終わったのか雑多な足音が響いていた牢獄も静かなものとなる。監視を除いて、男達は倉庫の外へ出て行った。

監視員は各階に一人ずつ、筋肉隆々な男が武器を片手に通路を練り歩く。泣いている子供がいれば鉄格子を揺らして黙らせた。


鞭を手に通路を練り歩く髭面の男。荒々しい歩き方からは退屈さが感じ取れる。それは下っ端構成員の宿命だった。

男が自分の牢を通り過ぎたところでレーゼインは鉄格子に手を掛ける。確認するまでもなく鉄製。大人の力でも捩じ切ることは叶わない。

普通の人間を閉じ込めるには十分な強度だ。


「《熱線》」


レーゼイン・アスタ・ヴァイススターは転生者であり、既に成熟した魔術師である。

指先に生成された緋色の魔法陣が焼き切れると、ライターのような小さい光が灯った。一息に真横の線を引く。赤熱した鉄は煙を吹き、ドロリと歪んだ。

鉄格子を上向きに押し曲げ、牢屋からゴキブリのように這い出る。


「さっきはよくも蹴ってくれたな――《魔力糸》」

「かっ――!?」


背を向けている男に魔力の籠った指先を向けるだけで首を絞め上げた。

首筋に貼り付く何かを引き剥がそうと首を掻き毟っているが、魔力の糸を外側から外すことはできない。一分もしなかっただろう、三階層の門番の意識を落とした。男が生きているのか死んでいるのか、レーゼインは運に任せた。


「完全犯罪成功」


そのまま二階も制圧するつもりだったが、体勢を低くして入口の様子を窺う。全身をローブに包んだ何者かが倉庫に足を踏み入れたからだ。


「――ッ!?」


瞬間、空気が変わった。感覚の話ではなく、黒尽くめの男の纏う魔力が大気を物理的に抑えつけているのだ。只者ではない、ならばこの男こそ――。


――今まで出会った中で一番強い。乱れのない洗練された魔力が実戦経験を証明している。奴隷商売の首領を務めるだけの貫禄はある。

次いで、同じ恰好をした者が五人追随した。五人目に関してはレーゼインと同等の子供ような体格である。彼らが纏う魔力もまた見事に練り上げられていた。

『奴隷商人』よりも、『殺し屋集団』というイメージが強い。


「…………」


転生してから七年、魔法を学び続けた。そこらの魔術師にも引けを取らない、と自負している。だが、初めて見た底知れぬ力を秘める魔術師に恐れを覚える。

魔力の威圧のせいでもあるだろう。

一歩を踏み出す勇気は出なかった。

決断――こればかりは転生前の人生でもしてこなかった。流されるままに生きて、灰色の世界が普通になっていた。

根本的な変化がなければ、レーゼインの人生でも同じ未来を辿るだろう。


「それは嫌だな……」


あの災厄がなければ、死ぬまで歯車の人生を送っていた。自分で何も選ばない人生。それは楽だが詰まらない。退屈で死にたくなる。成功している誰かを見て、自分が一番下らない、と思ってしまう。


その時だった――突き刺さるような魔力に刺されたのは。

食らいつかれたような感覚に沈んでいた顔を上げる。原始的な恐怖の発生地点は誘拐事件を引き起こした首領と思しき人物。

容赦ない悪意、熾烈な害意、冷徹の殺意がレーゼインを貫く。

その指先に真っ白な魔法陣が浮かんだ。光属性中級魔法――レーゼインが認識した瞬間には発動し、放たれた輝光が左肩の数センチ先を焼き焦がした。倉庫を貫き、暗夜に照らして消える。


「……わざと外した?」


魔力越しに感じ取った殺意にいたぶって殺すようなサイコパス性はなかった。単純に外したのか、狂戦士の気質があるのか。

何にせよ、隠れていることはできなくなった。

戦う以外の選択肢はない――また、選ばずに始まってしまった。


レーゼインは立ち上がり、黒尽くめの男を見下ろした。ローブで全体の輪郭は隠れているが、大きな武器を携帯してはいないようだ。

影の中で瞬く眼光は確かにレーゼインを映した。

首領が左手を上げると、後ろの幹部らしき者達は身を引いた。一対一をご所望らしい。レーゼインに異論はない。


「……しかし、脱獄しただけで仇みたいな扱いされるとはな」


炎天下に晒されたように汗が滲み出る。放たれる魔力を浴びているだけで多大な精神的ストレスが掛かっている。

この濃密な殺意の波動に対抗するには同等以上をのエネルギーを持った波動で相殺する他ない。つまり、臨戦態勢に入る、ということだ。

――これが初陣だが……手本通りに魔法を使うだけだ。

生成した魔法陣が砕かれ、発動したのは《飛行》と《結界》である。手摺から跳び上がり、浮き上がった身体を球状の結界で覆い尽くす。


「――《八連装填式鋭刃盾エッジ・シールド》」


次いで、発動したのはレーゼインのオリジナル。

本格的に魔法を学んだ四年で編み出した、自分の戦闘スタイルに最適化させた魔法。

魔力によって生み出されたロングシールドが周囲を旋回する。先端は鋭利な刃となっており、攻防一体の武装は一度発動すれば、魔力が尽きるまで自由に動かせる。

結界の周囲を八枚の盾が円の軌跡で循環する。着想は記憶に古いアニメーションから。


「殺さなければ殺される……なら――」


正当防衛の言い訳ができ、殺人への抵抗感は薄れる。

高所を陣取るレーゼインに対抗して、黒尽くめも魔法陣を展開。その三つの魔法陣を見て、レーゼインは思わず息を漏らした。

《飛行》+《結界》+――。


「――《十六連装填式鋭刃盾エッジ・シールド》」


よく通る低音で魔法名は告げられた。

浮き上がった首領を球状の結界が覆い、更に外側を攻防一体の盾が旋回した。その数十六枚、レーゼインの二倍である。


「何故……どうして、その魔法を……」


レーゼインは鏡写しの光景に戦慄を禁じ得なかった。

これは、基本円に盾の数だけ小さな円を接続、遠隔操作機能を組み込むレーゼイン自身も何故作れたかわからない意味不明の魔法陣。

確かに、同じようなことを考えて実行した人物が全くいない、とは言い切れない。ノーベル賞に選ばれる発見が同時に起こった、という逸話もある。可能性としては低くてもあり得る。

だから、と言ってすぐに受け入れられるかは別の問題。


「ッ、マイナーチェンジ版を使うくらいだ……根本的な戦術は間違ってなかったことを喜ぶべきか」


この布陣が強い、という証明が為されたのなら今後の展開も少しは期待できる。

敵のエッジ・シールドの数は二倍。レーゼインにも数を増やすこと自体は容易で、対抗することはできる。八枚なのは防御力の保証と、魔法攻撃に干渉しない、という条件で最もバランスが良かったからだ。

――ならば、相手は防御特化型なのか、それとも。

実際、戦ってみないことには真意を明かすことはできない。


天井に近い高さで、結界越しに黒尽くめの男と視線が交錯する。呼応するように、エッジ・シールドが互いの敵に標的を合わせた。

刹那の静寂、魔力が凪ぎ、先手の行方が揺蕩う。

口火を切ったのはレーゼインが展開した炎の魔法だった。


「《焼焔熾炎ブレイズ》――」


先制は炎属性上級魔法。効果はシンプルに炎の砲撃。一呼吸で展開された真紅の魔法陣から、視界を歪める程の熱を放つ炎塊が撃ち出された。

首領のエッジ・シールド半数が殺意を持って飛来する。対抗してレーゼインもエッジ・シールドで合わせ、どちらの盾も粉々に砕けた。硬度は同じ、ならば勝負は次弾の展開速度次第になる。

次弾装填完了、同時に撃ち出された盾は再度対消滅。再び、装填が始まる。

火炎球はそのまま首領の結界にぶつかるがしかし、爆発せず球の周囲を滑った。


「な――!?」


そのまま周りを一回転、レーゼインに打ち返して来た。視界を埋め尽くす炎熱を結界強度を上げて受け止める。

煙幕が晴れた先、レーゼインの隙を逃さず、首領は魔法陣を描いた。《結界》である。但し、魔力は紫に変色している。励起と共に一気に範囲を広げた結界はレーゼインをすり抜け、倉庫を軽く内包する。

無害な結界は硬度がなく、魔力と限りなく同化、物質をすり抜ける性質がある。

では、何のために展開するのか? その解答はすぐに提示される。


レーゼインが不気味な結界に眉根を寄せていると――パリン、とレーゼインのエッジ・シールドが一方的に打ち砕かれた。

そのまま迫り来る刃を結界で凌ぎ切り、後方へ距離を取る。首領の周りに戻ったエッジ・シールドは全数十六枚で循環した。

盾を再装填しながら目を凝らす。黒尽くめのエッジ・シールドに翳りは見えない。


「問題はこっちの方か。本来の出力が出ていない? ――じゃない、減衰してるんだ……それがこの結界に付与された効果!」


倉庫を完全に飲み込んだ紫紺の結界を壁越しに睨みつける。

爆発に紛れて首領が発動した無害な結界は範囲固定が終わった後に効果が付与された。効果は自分以外に対する魔力減衰。吸収した魔力で結界自体を維持する、という副次効果もある。

――結界魔法は簡単な魔法なら付与することができる。とは言え、《減衰結界》はその中で最上位難易度だ。

顔には出さないが、冗談では済まない技術差がそこにあった。レーゼインの結界魔法の運用技術はこの域に達していない。

すぐに相殺の結界を張ることはできないので、通常よりも過剰に魔力を込めて、時間稼ぎに徹する。


「ま、考える時間はくれないよな――」


首領の十六枚の盾が放射状に飛び出し、全方位から刃を振り下ろされる。

後ろに回り込むような厭らしい軌道に苦笑いも浮かばない。エッジ・シールドと《衝撃烈波》で凶刃を弾き飛ばす。

魔力減衰は想定以上にレーゼインの力を削いでいた。魔法防御を突破され、結界に盾が突き立つ。魔力燐光を散らしながら何度も結界を揺らす。

金属同士を打ち付けたような爆音を慣らされ続け、レーゼインの憤怒が口調に現れ始める。


「こいつ、嘗めやがってッ――」


結界を回転させ、盾を弾き飛ばす。

右腕を振るうとクリアブルーの魔法陣が連なり、細く鋭利な氷柱が生成された。表面を魔力で圧し固めることで減衰を相殺。

首領へ次々と槍の雨を降らせる。

エッジ・シールドの猛攻に耐えながら、咄嗟に出せる限界硬度の攻撃の行方を見遣る。


「――《覇王刃エア・フォース》」


首領はゆらり、と伸ばした左腕で魔法陣を貫く。不可視な魔法現象の励起。

結果、まるで避けるように氷柱は地面に突き刺さった。


「――……!」


レーゼインは眼を見開いて、その一瞬の光景を瞼に焼き付ける。レーゼインという少女の脳は非常に優秀で、魔法陣を一度見ただけで記憶できた。

但し、魔法陣への魔力の流し方がわからないため再現することはできない。

自分の攻撃を防いだものだ凶悪な魔法だとしても、美しい模様はできるだけ脳に刻みつけてたい。

同時に、一朝一夕では超えられない壁を理解する。才能と呼ぶべき魔力量以外の全てで劣っている。

否――もう一つだけ勝っている部分があった。


「一つだけある……奴を殺す方法が――」


最高のアドバンテージは言うまでもなく前世の記憶だ。その知識を使えば初見殺しを決めることができる。

その為に首領の懐まで潜り込まなければならない。

文字通りの命懸けの突貫になる。それでも、恐れなかったのは必殺の過信があるからだ。

レーゼインは首と肩を回したが、幼い身体の骨は鳴らなかった。


「――《反・減衰結界》」


攻防の中、開発した対《減衰結界》用結界。結界範囲は倉庫の外壁に絞る。付与効果は減衰。維持力に長けさせ、結界同士が魔力を食い合う千日手を狙った。

デバフを解除に成功、次の段階へ進む。


「《零点氷槍グレイヴ》」


レーゼインは出し惜しみせず、無数の氷柱を次々撃ち出した。エッジ・シールドも合わせ、防御を強要する。

遠距離から攻撃していても埒が明かない。弾幕を囮にして接近し、直接結界を破壊する他ない。

レーゼインは背筋の凍る攻防の中で、黒尽くめの男の致命的な隙を見つけていた。


「チャンスは一瞬――」


虎の子であろう《覇王刃エア・フォース》という魔力現象の癖に魔力が感じ取れないバグ魔法を知覚するための風を纏う。《凩》という鎌鼬の竜巻を起こす魔法を魔改造、流れの変化をいち早く感じ取れるように改変した。

攻撃密度は接近する程苛烈になった。魔力の余波だけで結界が軋む。最早、結界を維持は考えていない。

破壊の嵐の中に自ら飛び込む。真っ直ぐ飛来したエッジ・シールドに結界を砕かれる。否――わざと砕かせ、道を拓いた。


防御結界を代償に苛烈な戦域を抜け、空白地帯に躍り出る。

予想通り、首領は《覇王刃エア・フォース》の魔法陣を展開して待っていた。その数は五つ。五方向から見えないエネルギーを叩きつけられる。

分子運動に反応する感知魔法は鮮やかに《覇王刃エア・フォース》の軌道を描いてみせた。

正体は分子を撃ち出すことによる斬撃魔法。《衝撃烈波》と根本原理は変わらない。しかし、不可視かつ、割に合わない高出力で防ぐことはできない。


「避けられない――普通なら。だが、この身体になら捻じ込める隙間がある!」


首領の致命的な弱点は『ずれ』である。

魔法戦闘に長けた首領でも子供と戦う経験はなかったのだろう。彼が放った魔法はレーゼインを狙うには角度が足りな過ぎた。七歳程度の子供なら通れる隙間が刹那だけ存在したのだ。

恐れを飲み込み、身を捩って斬撃の間隙に飛び込む。斬り裂かれた金髪に見向きもせず、首領の結界に張り付いた。回転は魔力による摩擦で熱に変える。

ずん、と壁に指先が沈んだ。


「――!?」


男の血相が変わり、レーゼインはほくそ笑んだ。

――結界を透かすのは苦手じゃないんだな、これが。

レーゼインは邸宅の対侵入者用結界を超えるために研究をしていた。他者の結界に干渉する能力が異常に高い。

手首まで潜り抜け、首領の顔に掌を翳す。指先の魔法陣が焼き切きれた。


「――《追憶》」

「ッ……!」


――《追憶》とは自身の記憶を他者に追体験をさせる魔法。記憶の共有とは異なるのは、当時の感情の状態ま完全に再現できる点。

自身の体験が元になるため、暴力的な使い方は難しく、殺傷能力という点では皆無。専らトラウマ製造機として使われている。


だが、レーゼイン・アスタ・ヴァイススターは普通ではない。常人が持っているはずのない『死』の記憶を有している。

死を追体験した者がどうなるかはレーゼインも試したことはない。

対象が首領に設定され、魔法効果が発動する。

魔力燐光が瞬き――バチン、とレーゼインの腕が弾かれた。驚愕と指先の痛みに目を見開く。

魔法発動と共に起こったのは――『拒絶反応』。

これは、相反する属性同士をぶつけた時に起こる魔力現象。


「無効化された……!?」


『減衰結界』に対する『反・減衰結界』と同等の現象。

『追憶』に対する『反・追憶』――。

実用性皆無、戦闘では絶対使われない魔法を防ぐための結界が初めから体表面に張り巡らされていたのだ。

――心が読まれた? その割には結界を透過した時は本当に驚いていた。一体何が起こっている?


「わからない、わからないわからない――!」


動揺はオリジナル魔法のエッジ・シールドを使われた時の比ではない。

首領は結界を自ら蹴破り、魔力の刃を纏った腕を空中を漂うレーゼインの顔面目掛けて突き放つ。

一切の容赦ない殺害行為にレーゼインの息が止まる。狙い見定め、首を傾けた。真横を通り抜ける斬撃を右眼の端で捉える。追撃を警戒して距離を取った瞬間、首の感覚が消し飛んだ。


「はッ……」


不意の一撃に意識が飛び、魔力制御を失った。幼い子供の身体は容易く投げ出された。レーゼインの首筋から噴水のように血飛沫が上がる。


首領の周囲に舞い戻って来たエッジ・シールドの一片が赤い残像を描いた。視界外からの一閃がレーゼインの首を掻き切ったのだ。

七歳の子供は踏み固められた地面へ激突する前に意識を取り戻し、四肢で着地する。首の傷口から魔力燐光が灯っていた。


「治癒魔法が間に合ったが……ぐッ、あッ……」


子供が出してはいけない呻き声を漏らし、震える膝で立ち上がる。

治癒魔法で血液を補填することはできたが、一度に失った血液が多過ぎた。子供の身体は素直に生命の危機を運動能力で示す。


レーゼインは地を蹴って、転がるようにその場を退避する。数刹那前に立っていた場所にエッジ・シールドが突き立った。

首領に殺意は一切衰えず、幼子が終わりを迎えるまでその手を緩めることはないことがよくわかる。


「《強化転身》ッ――!」


咄嗟に出た魔法。《飛行》+《結界》+《装填式鋭刃盾エッジ・シールド》という基本セットアップを習得してから使わなくなっていた身体強化魔法を用い、次弾を跳び避けた。

止まることは許されず、負傷した以上は被弾を完全に抑えることもできなかった。擦り傷が刻まれ、苦悶を滲ませる。手足を伝った血液は地面に汚く飛び散った。

猛攻から逃れようと飛び込むように階段の裏に身を隠した。エッジ・シールドが一斉に鉄製の階段を貫いた。

ガギン、という硬質な金属音――《合金鉄鋼メタル・サード》による文字通りの鉄壁が刃を弾いた。

黒鉄の障壁に背を預けたレーゼインは肩で息をし、滂沱の汗を流す。魔力が残っていても、体力は限界だった。


「《結界》を張る時間は稼いだが……稼いで何になる……」


唯一考えられた打倒の手段も敢えなく失敗に終わった現状、レーゼインに打てる手は残されていない。

中には自ら除外した選択肢もあった。魔力量に物を言わせた超広範囲攻撃を行えば撤退させることはできる。そうした場合、牢獄に囚われた何人もの子供達も巻き添えになる。そこまでの犠牲を払ってまで生き残る覚悟はなかった。


「また死ぬのか俺は? 知らない奴に知らない因縁つけられて? 冗談だろ……」


自分で足を突っ込んでおきながら後悔していた。

これが安い正義感の竹箆返しだ、と言うのか。

苛烈な攻撃の末、鉄壁に亀裂が入った。結界を強固に張り直す。簡単に死ぬつもりはないが、徐々に熱が引いて行く感覚は広がっていた。

また、あの時のように――死を待ちながら座り込んでいる。


「生まれ変わったのに繰り返してる。こんなことにならないために強くなったのに」


不幸の輪廻に囚われて死なないために――。

この世界ならそれができる、と思った。

七年という膨大な時間を努力に費やすだけの精神をレーゼイン――否、白々式水連は有していなかった。それでも、続けて来たのは深奥にある恐怖に突き動かされたに他ならない。


そして、鋼鉄の壁が完全に砕け散り、首領のエッジ・シールドはレーゼイン最後の足掻きである結界に突き立った。ガンガン、と叩き付ける破壊音が遠い記憶と重なった。

高架下、瓦礫が降り注ぐ光景は色褪せることなく瞼に裏に焼き付いている。脱線した電車に轢かれそうになって――。


「…………あぁ」


ふ、と思い出すことがあった。

白々式は最期、考えていたのは死の恐怖だけではなかった。ほんの少しの後悔があったのだ。

助けられそうな人がいたのに動かなかったこと――。

考える前に手を伸ばせなかったこと――。


「……同じ後悔をして死ぬのは嫌だな」


切っ掛けは安い正義感かもしれない。それでも、最期の最期まで忘れられないのならきっと――。

気づけば、静まっていた精神がぐつぐつ、と煮え滾っていた。恐怖で染まっていた心奥、根源は激しい怒りに染まる。


「そうだ……何もかも許せなかったから俺は馬鹿みたいに魔法を学んだんだ。今この瞬間、嫌なこと全部否定するために」


――確かに灰色だったかもしれない。歯車として使い潰される人生だったかもしれない。それでも、ビル街の曇り空も生暖かい夕方の空気も嫌いじゃなかった。詰まらない生涯だったけど、勝手に奪われる程落ちぶれてはいなかった。

どうしようもない理不尽を打ち砕くために力と技を磨いて来た。不幸の輪廻も、誘拐犯の首領も――略奪者共を纏めて穿つために。


「勝算がないなら、今ここで発明すれば良い。俺が続けて来たことが無駄ではない、という証明を!」


啖呵を切ってもいきなり覚醒はしない。

ただ、記憶の深層に語り掛けるのみ。あるはずの解を得るために、その手段を組み上げる。理論を、知識を総動員して神の一手を創造する。

レーゼインの脳内でイメージとイメージを具現化する叡智が交錯した。


「誰よりも速く――全ての瞬間よりも速くッ!」


結界に入った亀裂は放射状に広がり、光と化して砕け散った。無防備なレーゼイン目掛けて一斉に撃ち出される流線型の刃。

首領は油断はしないまでも、感じ取った魔力に魔法陣を形成する予兆がなかったため、勝ちを確信した。


なればこそ、これから始まるのはまだ誰も知らない反撃だった――。


立ち上がったレーゼインの瞳のレンズに起源のない魔力が映り込む。それは、虹の極光を放つ未知そのものだった。

子供の小さな掌に突如として現れた光に触れたエッジ・シールドは分解され、大気に溶け込んだ。あらゆる障害を輝く星の砂に変え、そこにいる少女を祝福するかのように彩る。


「……何だこれは?」


地球儀程の大きさの虹のスペクトルを放つ発光体。 

覗き込むと一切の加工がされていない純粋情報体が幾重にも流れ込む。たまに、今世と前世で見聞きした何かが垣間見えた。

生み出した本人すら理解できていない概念。

それでも説明しようとするなら――。


「――あまりにも強固なイメージを一箇所に、瞬間的に送り込んだことで魔法律がオーバーフローした? だとすれば、これは魔法律よりもっと上の……」


全てに満ちる『自然律』。

魔力を司る『魔法律』。

レーゼインが到達したのは全てのエネルギーを支配する法則――『幻想律』。正確にはその初歩の初歩。

魔法とは一線を画する力を体感したことでレーゼインの魔法に対する理解は限界突破、齢七歳にして全盛期を迎える。

運命の到達点。

辿り着くべき終着点。

異世界における極致。


「文字通り、全てを思い通りにする超高次元の力――これなら、どんな魔法も使える! 何でもできる! 欲しいものが手に入る!」


まるで世界一高い場所から街を見下ろしたような愉快な気分。全部が掌の上にある全能感に酔いしれ、快感の笑みを湛えた。

溢れ出す極光自体が結界のような働きをすることで首領のあらゆる干渉を防ぐ。その度に光の玉がジジジ、と揺らいだ。


「完全な支配は無理か」

「――そんな都合の良い力、許されるものか!」


怒号をぶつけて来たのは今まで沈黙を保っていた首領である。淡々と殺害行為に及んでいた男がここに来て激情を見せた。

再生成したエッジ・シールドを周囲に展開、自らも《魔力刃》を纏ってレーゼインに斬り掛かる。


「随分と鬱憤が溜まってるみたいだな! それはこっちもなんだよ! だから、今ここでお前を倒す魔法を持って来る!」


レーゼインは光球の中に思い切り右手を突き込んだ。その時点では情報の塊であり概念そのものでしかない幻想の球体の中で何かを掴み、引っ張り出した。

情報体は自然律と魔法律の世界に適応した形を得る。

炎のように揺らめくスカーレットの魔法陣。常時不定形。思いつくことすらできないであろう埒外の術理。


「――この魔法の名前は……〚人為因果解放戦線ファンタズム・ルール〛としようか」

「死ね――」


魔刃による横一閃。目にも留まらぬ斬撃は冷ややかにレーゼインの首を切断した。中空に放物線を描く、金髪ショートカットの顔面は自信に漲った表情で凍り付いている。それでは飽き足らず、残された小さな胴体をエッジ・シールドで徹底的に蹂躙した。

そこまでしてようやく、首領は息を吐いた。激情と共に昇っていた血が降下する感覚を覚える。






そして、首領は思い出したかのように周囲を見回した。少なくとも視界内に敵の姿はない。二階への鉄階段はひしゃげて曲がり、本来の用途を失っていた。

感覚を研ぎ澄ましていたからか、一点。矮小だが、妙な魔力を感じ取った。

首領はとある牢獄に歩み寄る。最早、彼に子供を監禁する理由はなかった。『もしかすれば』そんな予感に駆られて殺意を抱いた。

その時――。


「――ッ!」


ざ、と背後からした擦れ音に飛び跳ねるように振り向いた。周囲に視線を巡らせる。誰もいなかった。こんな時に聞き間違いをするなんて言うヘマはしない。

結界を張り直し、エッジ・シールドをどこからでも撃ち込める位置に誘導する。


「どこに隠れている、レーゼイン……」


レーゼインは男の真後ろから結界にぺたり、と張り付いていた。幼く、艷やかな掌が結界に干渉し、スパークする。


「そこかッ!」


首領は魔力の稲妻に反応して、翻り様に《魔力刃》を振るう。冷ややかな刃に確かな感触が走る。レーゼインの身体は頭から下半身に掛けて真っ二つに分かれた。

血と臓物をばら撒いて倒れたレーゼインを踏み付ける。

そこまでしてようやく、首領は息を吐いた。呆気なさを覚えつつも、目的達成の安堵感で肩を竦めた。





そして、首領は思い出したかのように周囲を見回した。少なくとも視界内に敵の姿はない。思考と肉体のコンディションの乖離に違和感を抱きつつ、警戒は緩めなかった。ここまで来て油断で足下を掬われるのは勘弁だった。

首領はひしゃげた鉄階段に険しい視線を向ける。


「……誰かが隠れていた?」


アハ体験のような微妙な違和感に不気味さを覚え、エッジ・シールドを防御展開する。

その内側に既に入り込まれていることには気づかなかった。小さな掌が結界を砕くまで――。


振り向いた首領とレーゼインの視線が交錯した。先に攻撃を喉元に突きつけたのは男の方だった。魔刃がレーゼインの骨ごと首を貫く。

重力に従って、ずぶりずぶり、と傷口は顔面まで昇った。レーゼインは呆気なく死んだ。

魔力を完全に抑えることで探知から外れていたようだが、防御を捨てた以上、気づかれれば確実に致命傷を食らう。


「……こいつは――レーゼインか?」


首領の表情は自然と曇った。





そして、そして、そして――。





そして、首領は倉庫の中心で視線を彷徨わせる。

頭の中には疑問で埋め尽くされていた。


「誰だ……私は誰を探していた!?」


目的を見失い、呆然と立ち尽くす。

数年前から何かのために計画をしていたことまでは覚えている。だが、その最終目標だけが不鮮明。切り取られた部分を周りを引き延ばして埋めたような感覚。

喪失の穴が大きさに比例した動揺が首領を襲う。頭を抑え、おかしいおかしい、と繰り返した。平静とは程遠い情けない姿を晒す。


「――ようやく、か」


半狂乱に叫ぶ男を、レーゼインは二階の手摺に座って見下ろした。彼女だけが唯一、首領に起こったことを理解している。

確実に勝利するためにこの瞬間を待っていたのだ。


「――〚人為因果解放戦線ファンタズム・ルール〛」


レーゼインは改めて使用した魔法の名を口にした。


「まさに因果から解放される超次元の魔法だ」


因果とは何か――この魔法が指す因果は、魔法を呼び出したレーゼインの考えを深く取り込んでいる。彼女が定義した因果とは人間関係だった。

因縁を確実に絶つための――そして、勝つための魔法。

その効果は、対象がレーゼインを記憶するために消費しているエネルギーによる蘇生。

レーゼインを殺す度に、蘇る度に、首領からレーゼインの記憶が消えて行く。その範囲は脳細胞、魂にまで及ぶ。

そして、九回の殺害を経て、首領の中からレーゼインという存在は完全に失われた。知らない相手を警戒できるはずもない。


手摺からふわっ、と飛び降りたレーゼインは右腕に纏った《魔力刃》で首領の胴体を突き刺した。

男は振り向こうとしたが身体の軋んで動かないようだ。


「ッぐ、貴様……何者だッ……!?」

「お前に名乗る価値はない」


剣を引き抜き、蹴り飛ばした。壁に叩き付けられた首領は更に血を吐き出す。

無様に転がる男は震える指で魔法陣を描いた。光りに包まれた次の瞬間、姿を消してしまった。


「あ? 転移魔法か!? そうだ、この世界にはあるんだった。忘れてた忘れてた……ま、因果は断ち切ったし、逃がしても問題ない」


因果は絶たれた。首領にどんな生存フラグが待っていてもレーゼインの目の前に現れることはない。

レーゼインは晴れ渡った表情で天を仰いだ。鉄骨が交錯しているだけだが、万来の星空まで見透かしているかもしれない。


首領の背後にいた五人が倉庫に足を踏み入れたが、一瞥するとすぐに踵を返した。『幻想律』を体感したレーゼインの魔力は極まっている。分が悪い、と考えたのだろう。


「ようやく……ようやく、俺は自由になれる」


自由。

誰にも侵されない力。

不幸の輪廻からの解放。

ずっと続いていた終わりの物語がようやく終わり、真の異世界人生が始まる。

今日こそが、始まりの日――。


「これから何しようか、何ができるんだろう」


レーゼインは……白々式は子供のように目を光らせる。

いつかに置いてきた果てしない未来への期待。解放がこれほど心昂ることなど知らなかった。


「でも今日はもう眠りたいな。家に帰って騎士団に連絡して……あー、流石に無理かな。まぁ、良いや」


疲れもピークに達しているが、脱走したこともあり、説明責任は果たさなければならないだろう。面倒だが、それくらいはしても良い気分だった。


帰路は足が軽そうだ。

その時、細やかな泣き声が聞こえた。魔力に当てられて囚われた子供達は皆気絶している、と思ったが、起きている者がいたらしい。

レーゼインはその牢屋の前に立った。鉄格子の向こうで女の子と男の子が身を寄せ合って静かに涙を流していた。


「…………」


中にいたのは少年少女だけではない。細長い生物が宙でクルクル、と回り、光の塵を落としている。

『幻獣』という言葉が脳裏に過った。ドラゴンではなく龍だ。光る龍がティラノザウルスのような貧弱な前足で空を掻いている。

縋り合って泣いていた七歳くらいの少女がレーゼインに気づき、顔を上げた。


「――」


レーゼインは目を見開き、動きを止めてしまった。

色素の薄い真珠のような金髪、サファイアのような碧く煌めく宝石の瞳。美し過ぎる顔面の造形に息を呑んだ。

幼い顔付きだ。しかし、将来国を傾けかねない美貌を感じさせる。

自分のことをこれでもかと可愛がるレーゼイン自身よりも美しい、と思う。

気づけば、閂を外していた。レーゼインはゆっくりと少女へ手を伸ばす。


――この感情は何と言うんだろう。

それは恋かもしれない。

精神的隷属かもしれない。

単にロリコンなのかもしれない。

ただ一つ言えること――それは、運命の出会いだった。


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