大正15年の円本ブーム
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
時は大正十五年の下半期。
東京の出版社が「一冊一円の月一配本」を売りに刊行を開始した安価な文学全集は、市井の読書人の間で大変な話題となりましたの。
各出版社は挙って一冊一円の文学全集を刊行し、出版界は空前の円本ブームとなりましたわ。
この商機を才気煥発な大阪の商人達が見逃す由もなく、円本ブームは関西にも飛び火したのでした。
そしてそれは、私こと小野寺善子の生家である小野寺教育出版も例外ではなかったのです。
平素は教科書や学習教材といった御堅い書籍ばかり刊行していた教育系の出版社までもが、円本に手を染めるとは。
全く、ブームとは恐ろしいですわね。
とはいえ単なる他社の後追いではなくて児童文学全集の企画という所に、我が小野寺教育出版の流石を感じてしまうのですわ。
確かに国語系科目の教科書を製作する都合上、我が小野寺教育出版は文学者や翻訳家の方々とも懇意にしておりますからね。
そのノウハウを活かせるのは大きな強みでしょう。
そして小野寺教育出版の第二の強みは、児童文学全集のモニター役を只同然で随時動員出来る事で御座いますわ。
そのモニター役とは何を隠そう、この私こと小野寺善子の事ですの。
デモクラシーの叫ばれる昨今、小娘の私も御手伝い致しませんとね。
「どうかな、善子?二巻に収録予定の『海底二万里』の和訳は?」
「全体的に悪くは御座いませんが、もう少し平易な表現の方が望ましいですわね。ネモ船長の口調が戦国武将のようでしたわ。」
ゲラ刷りを父に返しながら、私は読後の感想を御伝え申し上げたのですわ。
社長である父や兄同然の仲である企画課の方々の御話によりますと、現役小学生である私は児童書のモニターに最適だそうですの。
とはいえ読書が好きな私と致しましては、発売前の本を誰より早く読めるのは役得で御座いますけど。
いわば私も、児童文学全集刊行企画の一員。
ならぱ私なりに、意見を述べさせて頂く権利もある訳で…
「ところで御父様?私の推薦致しました『紅楼夢』の収録は…」
「それは第一回配本の全五巻が売れてからだよ、善子。この円本ブームが何時まで続くか分からんのに、無暗に巻数を増やすのは悪手だからね。」
何ともつれない御返事ですが、経営方針は堅実であるに越した事は御座いませんわね。
我が小野寺教育出版の児童文学全集刊行企画、是非成功して欲しい所ですわ。
何しろこの私が、「紅楼夢」を児童用和訳で読めるか否かにも関わってくるのですから。