2の十四、~10/25
田中一村展を上野の都立美術館に観に行く。初期の画も素人目には見事で魅力的だったが、やはり奄美時代の迫力のある画に惹かれる。魅せられる。分かりやすく躍動するのではなく、静止画でありながら中から生命力が横溢するような。
土偶・ハニワ展を近代美術館で観て、埴輪と土偶が以下に時代と政治の中で解釈され、その位置づけを変えていったかを興味深く学ぶ。
葛西臨海公園にも赴く。息子が小学生の頃は、何度もここを訪れた。一人で訪れるのは初めて。野鳥園を回り、水族園に入り、海浜公園まで足を延ばし、最後にそこで写真機を忘れたことに翌日気付く。
京都に住む旧友と、十年ぶり以上ぐらいに会う。二十代の半ばには一緒に住んでいたこともある。社会福祉の研究者で作曲家、カウンセラーでホルン奏者で、大変振幅の激しい人生を歩んでいる男だ。自分の来し方との違いが面白い。
が、これらの臨海公園や友人の歌を後回しにして、24日の歌を先に投稿する。腫瘍マーカーの上昇が顕著で、11月にCT検査の予定を入れる。マーカーだけでの判断はできないが、さすがにはっきりと上昇傾向だ。何もないとは考えにくい。覚悟をしていた筈なのに、苦しい。
さぁ、歌って、笑って、歩いて。抗癌剤の効き目が無いなら、生命を少しでも伸ばすのは自己免疫。抗癌剤影響下の4日間が終わったら忙しいぞ。
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消えかけた 熾火のような生命さえ
束の間燃やす 力のある画
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南海の 命溢るる 岸辺にて
命燃やして 描く狂悦
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生命とは
かくも静かに 鮮やかに
燃えるものかと
一村の画に
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縄文の純な祈りと憧れを
アートなどとは 呼んでくれるな
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写真機を 海辺の椅子に
置き忘れ
脳も確かに 衰えていく
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マーカーの 数値に 不安煽られて
己が覚悟の 脆さを嘆く