二十四、~5/10
今回を以て、第1章の終わりとし、何も変わることなく、第2章に入ります。
思っていたより長く続いています。それは私が生き延びている証です。
そして、確かにこの闘病日記は、生きる力を助けてくれていると感じています。
何処かの誰かが、それが決して多数ではなくても、私の闘病を読んで下さっていることは、確かに支えになっているのです。
これを機に、読んで下さっている方に、厚く御礼申し上げるとともに、今しばらくのお付き合いをお願いいたします。
父の七回忌に神戸へ。感染症対策で法事は延期、中止となったものもある。私は養子に出たわけではないが、姓は妻のものを選択したので、親族関係の連絡や法事関係は、弟と関西にいる妹に任せきりで頭が下がる。彼らにとって、気ままな兄であり、今また膵臓癌で心配をかける兄なのだ。
そして姓の変わった私を思ってもあるだろう。神戸の山腹にある墓は「〇〇家」は刻まれず、ただ一文字、「愛」のみ刻まれている。ちなみに母は2007年に膵臓癌で亡くなった。
寺で声明を聞くも、その経が誰のどのような思いを、何処に届けようとしているのか、分からない気持ちになる。これはもしや自分を弔う経でもあるのでは、等と。そして、改めて、違う、生きる、の決意を固め、父母にも墓前で告げる。
父は珈琲を淹れるのが好きだった。3人分は置かない。二人分を供え、母と待っていて欲しいと。
ここで、唐突であるが、第1章の終わりとする。心境に変化が生まれているので、区切りが欲しくなった。
続いて同じペースで不定期投稿、スタイルも変わらず、続けられる限り続ける心づもりである。
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弔うと 弔われるの 境目で
ただ声明に 耳傾ける
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父母の墓前
もう少しだけ お待ちをと
珈琲供え そっと呟く
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山腹の 墓地より眺む 五月の街
私が生きて 歩む世界を
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旧友の 高校時代の 口癖が
今も変わらぬ 可笑しさ 嬉しさ
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残された 時間の中で
どれだけを 思い出に割く?
前を見つめて
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癌患者
そんな生き物にはならぬ
真名を告げよう
私はテツヤ