踏み外せぬは人の道
奴隷となったアラキは、まず自分の格好を確認した。服はボロボロの服で、足枷をつけられている。自分の荷物は……どうやら、没収されてしまったらしい。あの荷物の中には、取り扱いに困るものがあるというのに……まぁ、奴隷の荷物など、それこそゴミ同然となった壊れた鎧などは、処分されて終わりだろう。
「しっかし、儂と同い歳ぐらいなのに、このシエルグリス王国の奴隷になってしまうなんてのう」
同室にいたマサムラが、そんな事を言う。それに、アラキは反応したが……
「其処許よ……何歳だ?」
「おかしなことを聞くのぅ、儂は18じゃ」
「……同い歳、か」
実はアラキの年齢は18では無い。というのも、本人が自分の年齢を忘れてしまっているので、仕方の無い事だった。暦も見ずに何年も彷徨えば、自分の年齢などどうでも良くなってくるというもの。ただ確かなのが、雷に貫かれたあの日から、年齢が止まってしまっているということだ。
「……まぁ、そんなどんよりした顔をするな!いや、おまんは運がいい!」
アラキを元気付けるように、マサムラが明るくそんな事を言う。
「運がいい?」
「ああ、これを見よ!」
マサムラは、急に床敷をめくり、その床を開ける。そこには、人が通れそうなほどの穴があった。
「これは」
「脱走用の穴じゃ!いつか、この国に何かしらの混乱が起きた時に、この穴を使って混乱に乗じて脱出する!これで完璧じゃ!」
マサムラは、えっへんと胸を張りながら、自慢げに言う。それに対しアラキは、軽く拍手をして微笑んだ。
「頑張ったものよな」
「おうとも!奴隷の激務の後にはこの穴を、寝ずに来る日も来る日もこの手やそこらの石で掘り進めたものじゃ。これでこんな奴隷大国とはおさらばって寸法じゃ!」
「うーむ……あとは、何かしらの混乱が起これば良いが……」
アラキは外を見る。異常なことと言えば、季節外れにも雪が降っていることぐらいで、特に何も無い。マサムラは床を元に戻し、彼の隣で外を見て、ため息を吐いた。
「そうじゃな……この国は、しっかりしとる。儂らの都合がいいように、異常なことなど起こらんて」
今度はマサムラの方がしょぼくれてしまった。アラキはとぼとぼと歩いて床敷に寝っ転がる彼を見てから、再び外に視線を戻した。
外では、女騎士が徘徊している。かと思えば……遠くに、黒い鎧を着た二人の騎士が見えた。一人は女で……一人は男だ。
「む……」
黒騎士の男は、どういうわけか数人の女騎士を連れて歩いている。これはどういう事か。この国では男は奴隷となるのではなかったのだろうか。しかしまぁ、所詮はただそれだけの事か。大方、襲いかかってくる女騎士を全て返り討ちにしたのだろう……自分とは違って。
「……」
「なぁアラキさん……おまんは、騎士とかいうやつか?」
唐突に、マサムラがそんな事を聞いてくる。今の格好は布の服のみで、そこらの奴隷と変わらないというのに。
「む……なぜそう思う?」
「体の鍛えようじゃな。そんな筋肉、歴戦でも重ねにゃ作れんよ。」
確かにアラキは痩せ細った体ながらでも、その筋肉は鍛えられている事がはっきり分かるほどの体だった。鍛錬などせず、竜狩りの戦いを繰り返していたら、気付けばこんな体になっていたとか。
「儂も騎士に憧れてるんじゃ。剣を持って、人々を守るために竜と戦う!くぅ、カッコイイじゃろう!?」
マサムラはそんな事を言いながら、目をキラキラ輝かせていた。奴隷だというのに、夢と希望に満ちていたのだった。
「ほう」
「じゃからな、儂はここから出たら、かの黒騎士が出たというエルガンディ王国に向かう!こんな歳から騎士としての教育を受けれるかどうかは分からぬが、儂も立派な騎士になりたいんじゃ!」
夢を語る彼は、イキイキとしていた。こんな下級層の陰鬱な牢の中でも、彼が居れば癒されるというものだった。
「いやぁ、そのために村から出て旅をしようとしたらこんな所に捕まってしまってなぁ!鉄球振り回してくる桃色巨乳女に追いかけ回されて、小便チビりながら降参してしまったのが運の尽きよ!わっはっはっはっは!」
「其処許……意外と苦労しておったのだな。」
話が盛り上がる中、いきなり牢が開け放たれ、女騎士が入ってくる。
「やかましいぞ、男ぉっ!!」
そして、マサムラの顔を蹴りつけてきた。
「っぐぁあっ!」
「貴様っ!!」
アラキが立ち上がろうとしたが、マサムラは「やめろっ!」と叫んだ。それで、立ち上がれずにただ女騎士の顔を睨めあげるしか出来なかった。
「次の仕事まで静かにしているんだな……」
ギロリと二人を睨みつけてから、出ていき、再び牢に鍵をかけた。そして、「ふんっ」という嘲笑と共に去っていった。
「……平気か、マサムラ」
「お、おう……すまねぇな。いででで……あの女、全力で蹴りやがって……」
頬を押さえながら言うマサムラ。痛がりながら、アラキに申し訳無さそうに頭を下げる。
「……久しぶりにこの牢に話せる相手が来ちまったもんでなぁ。少し、盛り上がってしまったか。すまぬなぁ、けど嬉しかったんじゃ……こうして誰かに話を聞いてくれるだけでも、心が安らぐんじゃ……」
涙を流しながら言う彼に、アラキは心を痛めた。それは、彼だって同じ境遇にあったことがあるからだった。
研究所に居た時代……みんな生きるのに必死で、話す暇などなかった。ただ話そうと思っていた隣の子供が次の日には死んでいたり、話しかけた相手は既に遺体だったりしたものだった。
「……そうだな。其処許の悲嘆、よく分かる」
「いいんだ、変な雰囲気にしてしまって悪かったよぅ……」
二人の奴隷は、暗い雰囲気の中、何か異変が起こることを待った……
「ぐぅう……!」
「隊長!無理をなさらずに!」
シエルグリス城で、歩く上級騎士が一人。ロザイェだ。片腕にきつく包帯を巻いてるが、相当のダメージを受けており、最早使い物にならなくなっていた。
「くそっ!!」
残った左腕で、壁をガンッと叩く。それで心配していた女騎士が、体を跳ねさせて驚いてしまう。
「ロザイェ隊長……」
「ぐぐ……!」
なぜ、あの程度の男にこんな手傷を負わされねばならなかったのだ。今巷を騒がせている雪のドラゴンなら、あるいは誉れあるS級騎士ならば、この程度は許せる。しかし……なんで私が、あんな落ち騎士ごときに、こんな傷を負ってしまったのか……
「あっ、誰かと思えばロザイェちゃんじゃん!」
「む……!」
会いたくない相手と出会ってしまった……この国の上級騎士のトップ3の内の一人。桃色の髪をした、鉄球が得物のミオン。彼女はヘラヘラ笑いながら、こちらの腕を見てきた。
「わぁ、どうしたのその腕!?」
「……今日の出撃で、少し問題が起きたのだ。」
「問題?」
「あっ、隊長に代わって私から」
女騎士が、ロザイェに代わってミオンの前に来る。
「今日の出撃の時、ミオン隊長達と合流しようとしたところに妙な男が一人居まして。その男は今は既に奴隷として捕らえたのですが……」
「代わりに、ロザイェちゃんの腕が持っていかれちゃったんだね……」
察しの早いミオンは、言葉を濁す女騎士の代わりにと言わんばかりに、遠慮なしに言う。
「うーん……そっか、じゃあロザイェちゃんは暫くの間戦線には立たずにちゃんと療養すること。分かった?」
「あ、ああ……」
「あとその奴隷、思う存分にこき使ってやりなさい。いいわね?」
ミオンはそう言いながら、去っていった。きっと、忙しいのに自分達の為に時間を割いてくれたのだろう。有難い事ではあるが……
「……男が不死身って情報、伝えそびれましたね」
「いい、どうせあの女は信じない……クソっ……」
額に青筋を浮かばせながら、ロザイェは廊下を歩く。包帯が巻かれた腕はぶらんと垂れ下がったままである。
彼女にとって、あの三人は目の敵であった。どんなに自分がドラゴンを倒そうと、決して彼女らの蛮勇を超えることは出来ない。この腕が健在ならば、何れはシエルグリスの騎士は四騎士となっただろうに。
特にレイゼ……あの女が、敷居を上げている原因だろう。聞けばロゼ女王様の娘だと言うが、その父親は何処の誰かも分からぬ、昔女達を蹂躙した男との子かも知れぬという。穢れた子と言うやつだろうか。そんな奴に、何故この私が勝てずにいるのか……
「……ちいっ!!」
イラつきを抑えられないロザイェは、また壁を叩いてしまう。その様子を見ていた女騎士は、もっと心配になり、彼女に寄り添った。
「ロザイェ隊長……あの三騎士と女王様のおかげで、シエルグリスは強いものです。ですがそれ故に、騎士達の戦力は貴重……私達の何れかが死んでしまえば、それはこの国のダメージとなってしまいます。ミオン様はそれを考えて……」
「果たしてそうだかな……」
「えっ……」
「ふん、今日はもういい。風呂に入って寝かせてもらう。一晩もすれば、槍は振るえる!」
彼女は足早に立ち去り、自分の部屋に戻ってしまった……
夜……
「……」
冷え込む空気の中、アラキは寝ずに外を見つめていた。この雪の正体が気になって仕方がなかったのだ。
季節外れの不自然な雪……という事は、何やら力が加わっているかもしれぬ。かつて戦ったあの白竜ことディザスタードラゴンは雷と嵐の力を持っていた。其れもまた、天候を操る力だった。もしかしたら、同格のドラゴンがこの世に存在するのかも知れぬ。さもすれば……今度こそ、某の手で狩りたいものよ。だが、それは叶わぬだろう。某は既に敗れた身だ。今更、どう竜狩りをせよというのだ。
「……」
「アラキ、しっかり寝んか。明日は奴隷としての激務じゃぞ」
背後から、寝ているマサムラが声をかけてきた。
「マサムラ……」
「おんやぁ、馬鹿みてぇに明るい月明かり。雪が映えて幻想的じゃのぅ。目を奪われて眠れぬのも納得じゃ」
マサムラも、アラキの横に来て外を眺める。
「……のうマサムラ」
「なんじゃ?」
「すまない、初対面の某に色々良くしてくれて。ありがとう」
「いやいやいやぁ!気になさんな!話の分かるおまんが来て、儂も嬉しかった!女騎士どもは頭が硬いし、他の奴隷は無愛想だしで、ろくな事がなかったけど、おまんはどうやら特別のようじゃ!」
屈託のない笑顔で言うマサムラ。それを見て、アラキも微笑んだ。
思えば、こんな風に笑うのは何年ぶりだろうか。彼のお陰で、今になって自分も笑える事に気付いたのだった。
「どんな時でも、踏み外せぬは人の道じゃからな!」
「ふふ、そうだな……かたじけない」
どんな時でも、踏み外せぬは人の道……彼の言葉のお陰で、何だか胸のつかえが取れたような気がした。それで、アラキも眉間の皺が緩み、リラックスすることができた。
「だけど、今は寝る時じゃぞ!良い睡眠も人の道じゃからな!」
「うむ……よし、今日の所は寝ようか」
二人はそれぞれの寝床につき、目を閉じる。そして、眠りについたのだった……
【竜呪】
アラキが背負った、竜の因業とも言えるもの。ディザスタードラゴンの破片を元に、魔術師・ドーマンが彼に埋め込んだ呪いの一種。
これに唯一適合したアラキは、炎にも負けず、氷にも負けず、風にも負けない、強靭な体を得る事となった。
また、どれほど体が損壊しようが凄まじい回復力で再生するので、決して死ねないようになった。まるで、かの白竜が最期に生んだ赤子のように。