私警察官。今、遺体の前にいるの。1
コマツ部長の先導で向かった先は、検視室――遺体の司法解剖を目的とした部屋でした。
「あ。タダノさん!」
そこには既に、先客がいました。検視部のハタノ君です。
今年配属されたばかりの小柄な新人ですが、若くして、非常にしっかりした後輩です。
「ーーっ!」
隣のツキノさんから、息を呑む気配がします。
ええ。目の前にいる彼――ハタノ君は、前世で活躍したジュニアアイドルにも匹敵するようなイケメンですからね。年頃の女性であれば、それはもう意識してしまうでしょう。
「釈放されたんですね! 良かったぁ」
そんな彼が、私に向けて安心したような笑顔を浮かべてきます。
そう言えば今朝方の騒動の際は、彼もあの場にいましたからね。心配をかけてしまったようです。
「ええまぁ。完全に容疑が晴れたわけではありませんが」
「……そうなんですか?」
正面のイケメンが可愛らしく小首を傾げてみせます。不覚にも、ちょっとドキリとしてしまいました。
「ええ。しかし私は何もやってません。なので、私の容疑もいずれ晴れるでしょう」
「そうですよね。僕はタダノさんの事、信じてますから」
「…………」
―――いやはや、実に良い子です。
身内の有罪を疑って止まないどこぞの警察官に、彼の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいですね。
「ウォッホン! ン゛」
どこぞの警察官が、実にわざとらしい咳を放ちます。いやだから、そんな睨み付けられても困りますって。
「そうね! ハタノきゅ、ハタノ君。ガイシャを見てもいいかしら?」
妙に慌てたようにコマツ部長が口を開きます。顔が赤いですよ、とツッコんでみたくなりますね。……やりませんが。
「―――はい」
とハタノ君が示した先。そこには、顔に白布が掛けられた男性の裸体――既に生気のない遺体が横たわっていました。
「なるほど。……これは酷いですね」
遺体を前に、私は軽く手を合わせます。
ざっと見てまず確認できるのは、複数の穴の空いた腹部です。鋭い刃物でメッタ突きにされたような感じですね。恐らくは、激しい殺意が向けられたのでしょう。
今は血の気が抜けて、ピンクの断面を曝すのみです。
「ツキノさん。大丈夫ですか?」
「へ? あーうん大丈夫。……うわぁ」
私は隣のツキノさんに声をかけました。この光景に、さすがにショックを受けたと思ったのですが……意外と大丈夫そうですね。
「被害者は、タニオカ・トシキ、三十六歳。住所はここの管区内ね。この辺りの情報は、所持品のサイフに入っていた診察券から確認できたわ」
「ん? サイフが残っていたのですか」
「ええ。現金も残っていたわ。物取りの線はないと見ていいわね」
「なるほど、物取りでないとすると……」
「殺される動機なんていくらでもあるでしょ。だって、こいつは」
―――ヤクザなんだから。
と、コマツ部長は続けます。
確かに、肩や腕、太腿から見える入れ墨が、腹の傷口以上に目を引きます。中年太りした醜い躰ですが、腕や足の筋肉はそれなりです。
腹の傷口以外にも両腕や胸などに大小の古傷を確認でき、組織内でも結構な武闘派であった事が推測されます。
「……ふむ」
私は、マグネットで止められた複数のポラロイド写真に目を向けます。
写真では、薄暗い路地裏で、遺体の男――タニオカ氏が壁を背にして倒れています。血だらけのアロハシャツに……あー、ズボンの窓から局部が露出してしまっていますね。この場で用でも足していたのでしょうか。
「今朝方、六番街の裏通りで発見されたわ。通報があったのはゼロハチゼロロクで、第一発見者はそこの写真にも写っている蕎麦屋の店主。ゴミ出しの時に見つけたそうよ。
ハタノ君。検死結果をお願いできる?」
「はい。死亡推定時刻は零時から四時にかけて。直前までお酒を飲んでいたと思います。
死因は恐らく失血。見ての通り腹部に裂傷が複数ある他に、背中にも一つあります。それと、体内に凶器の一部を発見しました」
「出してもらえるかしら?」
「はい。分かりました」
そう言ってハタノ君は、何もない空間から、ビニール袋に包まれた、血の付着した何かを取り出しました。
この一見して手品に見える超常現象は、ハタノ君の『異能』である『収納』によるものです。異空間、と呼べば良いのでしょうか。両手で抱えられる大きさであり、かつ無生物であればという条件がつきますが、好き勝手に物の出し入れができる力との事です。
「包丁、だと思います。柄の部分は抜けてしまっていますが」
「貸してもらえる?」
コマツ部長が袋を受け取り、結び目を開けました。
「……さすがに触りたくないわね」
コマツ部長がそう言うと、袋の中から金属の刃物が勝手に浮き上がります。 空中で静止し、また向きを変えては静止したかと思うと、遺体の真上に向かいます。
コマツ部長の『異能』――『念力』ですね。物に触れる事なく自由に動かせる能力です。
ちなみに、コマツ部長は針の穴に糸を通す精密動作を『念力』でできてしまう実力者です。実際に見せられた時は、ちょっと引いてしまいました。
「どの傷口とも大体一致するわ。これが凶器と見て間違いないわね」
「そのようですね。しかし、柄が残ってないとなると、犯人の特定は難しいのでは?」
包丁の柄が残っていれば、そこから犯人の指紋を検出できる可能性があります。
この世界でも、指紋によって個人を特定できる事は知られています。前世にはさすがに及びませんが、それなりに科学技術が発展している世界なのです。
「一つだけ分かる事があるわ。犯人は素人、一般人よ」
「一般人……ですか?」
「……なるほどな」
首を傾げる私の後ろで、ダイバが呟きます。
「ダイバ。何が『なるほど』なのでしょうか?」
「分かんねぇかタダノ? 人を刺すのに、ヤクザや専門家だったら包丁は使わねえ。ドスや銃器、『異能』なんかを使うはずだ。それに、凶器を残すようなへまもしねぇし、得物が壊れるまでメッタ突きにすることもねぇだろうな」
ダイバが説明します。その表情に私を嘲るものはなく、あくまで真剣そのものです。
……ある意味、真面目すぎるんですよね。私としては、もう少し柔軟になって欲しい所なのですが。
「だとすると……マズイですね」
「そうね」
「そうだな」
「……」
「何がマズイの?」
事態に深刻さに沈黙する我々に、今度はツキノさんが口を挟みます。
ああ、これまで警察関係者でなかった彼女には、説明が必要ですね。
「被害者はヤクザ。恐らくは、ここ管轄を含めた広域を縄張りとするシモザワ組の人間でしょう。そこの人間が、素人に殺されたという事は……」
「メンツが潰されたという事よ。恐らく、今も組の人間が犯人を捜しまわっているはずよ。報復のためにね」
コマツ部長の『報復』という言葉に、ツキノさんが顔を曇らせます。
犯人の確保……もとい保護のため、急ぐ必要がありそうです。
「他に手がかりはないのですか? 足跡は」
「ないわ。昨日の晩は大雨が降っていたでしょう? 被害者の返り血も、綺麗に洗い流されてしまっているわね。目撃情報も今の所なし」
「チィッ!」
「だったらさ」
と、ツキノさんがこの場で手を上げます。何か策でもあるのでしょうか?
「―――犯人がだれか聞いてみない? この人から直接さ」




