5・ひとつの希望
特定の体、定まった形を持たない精霊。
自然的な体を持つ獣。
人工的な体を持つ機巧。
あらゆる生命体は感応数という数値と、魔法能力と呼ばれる特殊な力の源とされるマナを持っている。
獣の中でもヒト族はかなり変わった存在であり、極端にマナが少なく、しかし個々が持つ感応数に幅がある。
ヒト族の中の魔女は、感応的数が等しいか、非常に近しい生命体と契約する事で、そのマナと魔法能力を共有することができる。
空間杖というのは、普通、魔法空間と呼ばれる、契約相手を住まわせておく人工空間の出入口を開くための装置であり、それをうまく調整することで、マナをより高めたり、限定解除と呼ばれる技を使うこともできる。
どのような魔法能力でも、契約した魔女が使うより、契約相手の生命体自身が使う方が効果は大きい。
そこで魔女は時々、契約を部分的に解く。
そのような部分的な契約相手の解放が、限定解除である。
部分でなく完全に契約を解除する完全解除は、限定解除より遥かに強力な影響を発生させられるが、あまり使われない。
危険すぎるからだ。
契約というのは、たいてい魔女側の一方的なものであり、実質的な絶対服従であるので、魔女に憎しみを抱いている契約相手は珍しくない。
特に、本来なら契約できるようなレベルでないほど強力な契約相手を、政府が用意してくれる、テザリナの魔女たちに対して、無理やり契約させられた相手の憎しみは半端ではない。
ミシェルも例外でなく、彼女が兵士たちの意識を奪ったのは、一度きりの捨て身の完全解除によるものだった。
マリーたちはそんな事は知らない。
しかし、ルセルはそれを感知出来た。
おそらくは電気の精霊であるエンジェル族。
誰かが開放した。
それもハイジェンの中で。
すぐ近くに立てかけられている、鞘に収まった短めな大剣を持って、洞窟の外に出てきたルセル。
もう夜だから当たり前のように暗い。
「嫌な予感がするよ」
そこにいないはずの人たち。
「キーチェ、フェリックス」
この世界にもう存在していないはずの二人の名を、彼は呟いた。
-ーハイジェン外れの森-ー
真夜中。
繋がってはいるが、ルセルの暮らす暗い森とは区別されている、ひらけた場所も多い青の森。
その青の森にある、ハイジェンの北門前近くにやってきたはいいが、人がいたために身を隠したマリーたち二人。
「見張り」
呟くシャノン。
もともとそうなのか、追っているシャノンを逃さないためか、大きな北門は閉ざされていて、その前には数十人ほどの兵士たち。
兵士たちは、服装こそ統一性がないが、半数以上の者が片方の手に黒い篭手のような物を装着している。
マリーはその篭手が、テザリナ軍剣士団に所属している者の証だとよく知っていた。
また剣士団以外の者は、首に青黒い布らしきものを巻いている。
弓を持ってる一人を除き全員が銃を持っているから、おそらくは軍の銃士団だろうとわかった。
「数が多すぎる」
歯がゆそうにマリーも言う。
一応、武器はある。
ミシェルが倒したのだろう兵士の一人から奪っておいた剣。
見張りが、あるいは数人くらいなら、マリーでも不意をつく事で無力化できたかも知れない。
だが門前には30人くらいはいる。
いくらなんでも一人で相手に出来る数ではなかった。
「ど、どうしよう」
マリーの服をぎゅっと掴むシャノン。
すぐには答えられないマリー。
しかし、彼女はひとつ思い出す。
(「俺が嫌ってるのは、そいつらだ、テザリナの政府」)
「ルセル」
一旦街に戻るのはおそらく危険だから、そのまま森の道を行くしかない。
だいたいの方向はわかるとはいえ、そもそも、ちゃんとたどり着けるかは怪しい。
そして、仮に彼に会えたとしても、彼も洗脳されてる可能性だってある。
それでも今、マリーはルセルに助けを求めるべきだと思った。
彼ならきっと力になってくれると、不思議と確信が持てていた。
夜が明けて、それからまた夜になって、疲れからついに眠りについてしまったシャノンを背負いながら、もう重荷になる武器は捨てて、マリーは空腹と眠気に耐えながら、必死でルセルの洞窟を目指した。
「ひっ」
まったくいきなりだった。
まだ探していた洞窟は見つかっていない。
まだそれがある、暗い森にすら入っていないかもしれない。
しかし突然背後に、何者かの気配を察知し、足を止めて振り向いたマリー。
「誰?」
もう今の疲れきった体で、誰かから逃げきるなんてこと、とてもできそうになかった。
だから、もし感じた気配が敵ならば、たとえ武器はなかろうと、どうせ勝ち目なんてなかろうと、それでも一か八か戦うしかなかった。
「マリー」
敵ではなかった。
探していた人だった。
絶対に洗脳されてなんかいない。
事情を知っているのか、今の自分が相当酷い状態なのか、それはわからないけど、とても心配そうに自分を見ていた彼に、マリーは心底安堵する。
「ルセル、よかっ、た」
そこでもう耐えきれず、マリーもついに意識を失ってしまった。
-ーテザリナ軍兵舎-ー
契約していたエンジェルを完全に開放して、マリーたちの逃げる道を確保したミシェル。
「私は、生きてるの?」
白いベッドに寝かされていて、気づいた時、彼女が最初に発したのはそんな問いかけだった。
体は寝たまま、目も開けないでいる。
「お前が開放した精霊なら、万が一のために追跡隊に加わっていたルーミィとかいう魔法士団の者が抑えたそうだ。万が一が起こったわけだな」
そう説明してくれた声に聞き覚えはなかった。
「あなたは誰?」
「俺はミーカス」
「ミーカス、て。従者騎士団が何の用?」
ミーカスという名前を聞くや、すぐさま目を開き、体を起こしたミシェル。
近接武器を主に使う剣士団、遠距離武器を主に使う銃士団、特殊な武器を使う特殊兵団、それに魔女ばかりの魔法士団で構成されている、テザリナ王国軍は、テザリナの三大として知られる勢力の一つにすぎない。
三大勢力の他の二つは、大陸で最大の工学技術を有しているという王立科学機関。
それに、政府内でも謎に包まれた組織である情報局。
従者騎士団は、 三大勢力に所属していないが、実質的には四つ目の大勢力とされている、王直属の魔術師の部隊。
「俺の事を知ってるのか?」
「噂を少しね。従者騎士団所属の火の剣士」
いざ見てみるとその容姿も、まったくミシェルが噂で聞いていた通りだった。
マッシュヘアに、ハイネックのローブ、腰に差している金色の鞘にしまわれた剣。
「それで、いったいなぜ、軍の逃亡者の問題に、従者騎士団が関わってくるわけ?」
「何かは掴めてないが、お前が義妹を任せたマリーという友人には精霊の加護があるようだ。どうも普通でないな」
探るように、ミシェルをまっすぐ見ていたミーカス。
「マリーまで、あなたたちは」
「それは勘違いだ。お前は知らないようだが、ああいうのは天然魔女と言ってな。珍しくはあるが、あまり興味深い存在というわけではない」
おそらくは、もともと部屋にいた者たちを自身の権限で追い出したのだろうが、用心深く、周囲に何か、監視するためのものがないかを確認してから、ミーカスは続けた。
「俺個人としては、別にお前の義妹にも興味はない。ただ、ひとつだけ」
ミシェルとしては、彼の言葉はかなり意外だった。
「気になってる事があってな」
どうも、ミシェルにとっても知らない何かが、マリーか、あるいはマリーの周囲にあるようだった。