4・本当は国なんかじゃない
-ー孤児院レントハウス-ー
「翼は、こうやって描くと」
「わあ、凄いや、リリエ姉ちゃん」
「描き方ね、あなただって出来るわ」
レントハウスに来て、子供に絵の描き方を教えていたリリエ。
「リリエ、ちょっと」
そこに現れた、施設の庭で、何人かの子と遊んであげてたマリー。
「マザーが話あるんだって」
マリーたちも、レントハウスにいた頃はお世話になっていたマザー。
「あなたたち二人と、ミシェルは、私の自慢の娘たちです。ですが」
「寄付金のことなら心配しなくていいって。それに私たちだって、ミシェルに比べたらあんまりだしね」
マザーの言わんとしていることを察するや、即座にマリーは言う。
マリー、リリエ、ミシェルの三人は、独立してからも、毎月必ずレントハウスに寄付をしている。
それも、自分たちが得た給金の生活費以外のほとんどだ。
「うん、そうだよ、全然気にしないでいいから。私たちは、したくてやってるんだからさ」
リリエは、むしろ困ってるような顔。
「私たち、孤児だったけどさ、全然そんなことを不幸とか思ったことなくて、それはマザーと、このレントハウスのおかげだと思うから。恩返しだよ」
それはマリーの本心で、リリエもミシェルも同じ。
レントハウスでの日々は、決して不幸だなんていうようなものじゃなかった。
「ほんとに、あなたたちは優しすぎますね」
「もう、マザーはすぐ泣くんだから」
自分も思わずもらい泣きしそうになるが、そこはこらえるリリエ。
「年をとると、そうなってくものですよ」
そして、その涙をすぐに止める事も、マザーには出来なかった。
ー-マリーの住居ー-
朝にはルセルと会って、昼からはリリエに会い、二人で一緒にレントハウスを訪ねたマリー。
まったく、よくあるような一日だった。
よくあるような一日だと思っていた。
暗くなってきたころ。
宿屋の敷地内のマリーが住まう借家に、突然ミシェルが訪ねてきたその時まで。
訪ねてきたミシェルは一人でなかった。
以前に一度だけ会った事があるため、一応マリーとも互いに顔は知っている、義妹のシャノンと一緒。
「ミシェル、大丈夫?」
説明されるまでもなくただ事でないことはマリーにもすぐわかった。
かなりやつれた様子のミシェルと、何かにかなり怯えているシャノン。
「マリー、ごめん。私には今あなたしか、あなたしか頼れる人がいなくて」
「う、うん、私なら別に」
「マリー、よく聞いて。あまり説明してる時間はないけど、私の話を信じてほしい」
「うん、わかった」
必死ですがるようなミシェルに、マリーも親友の力になろうと強く決意する。
本当に、かなり断片的な話。
確かに、ミシェルの話でもなかったら、とても信じられないような話だった。
「テザリナはね、本当は。本当のこの国は、国なんかじゃない。恐ろしい悪の領域なの」
平和に暮らす国民たちも、文化も、宗教も、軍隊も、何もかもが。
「カモフラージュ、隠れ蓑。私達が王族とか政府とか呼んでる人たちの」
ミシェルも何もかもを知っているわけじゃない。
ただ確かな事実は、テザリナ内の王と王の側の者たち以外のすべては、実は王たちのモルモット候補。
「あいつらは、そんなに真剣に隠してすらいない。軍内にはその事に気づいている人たちも大勢いる。私もその一人」
実のところ、ルセルの推測はかなり希望的観測にすぎなかった。
マリーだって軍に入ったなら、ほぼ確実に真実に気づいていたろう。
「責めてくれたっていい、私たちだって酷い、あいつらの事を知ってても何も出来ない。恐ろしい力を持ってるの、あいつら。魔術なのか、機械なのかは知らない」
魔術は、呪文と呼ばれる、自然物質に影響を与える言葉や、儀式と呼ばれる特別な操作を用いて、擬似的に魔法を使う技術。
「でもそれでも、何もなければ、あいつらの興味をひくような何かがなければ、私たちはこの偽りの平和の中にいられた」
しかし、それがあった。
シャノンにはそれが。
「マリー、魔女にはね、感応的数というものがあるのだけど、シャノンはそれが特別だった。特異体質なの」
そこで、話を終わらせたノックの音。
ミシェルもシャノンも、目に見えて体を震わせる。
「大丈夫だよ二人共、ノックの仕方でわかるの。リリエだよ」
「ダメよ」
ドアの方へ行こうとしたマリーを、その手をぎゅっと握って止めたミシェル。
「私たちを追ってる兵士たちが一緒にいるの。リリエがあいつらをここに連れてきたのよ」
自分で、自分の言ってることが恐ろしいようだったミシェル。
「なんで?」
マリーにはさっぱり意味がわからない。
そんな事あるはずがない。
リリエも親友だし、友達想いの優しい子だ。
ミシェルを捕まえようとする人たちに協力なんてするはずがない。
「テザリナ政府は、このテザリナの領土内の全範囲に有効な洗脳兵器を持ってるの。今ここにだって、その兵器から洗脳波が飛んできてるのよ。それに抗うことができるのは、そのことを知ってる魔女か魔術師だけ」
「待って、私は」
ミシェルの言うような洗脳波があるなら、マリーだって操られる危険にあるはず。
彼女もリリエと同じだ。
そんな洗脳兵器なんてものあるなんて知らなかったし、魔女でも魔術師でもない。
「だから、あなたしかいないの、マリー。私は魔女になってから気づいたんだけど、あなただって特異体質なの。魔女ではないけど、似たようなもの。あなたは洗脳波を受けないでいられるの」
「私が?」
魔女ではないけど似たようなもの。
自分もそんな存在。
マリーにとってはむしろそれが一番の衝撃だった。
「もう本当に時間がない。あいつらは外で待ってる。マリー、私が時間を稼ぐから、あなたはシャノンを連れて逃げて」
自分の空間杖を強く握りしめるミシェル。
「お姉、ちゃん」
泣くのをこらえきれなかったシャノン。
「マリー、シャノン。ここから逃げたら、なるべく早くテザリナを出て、ミグリッドに」
「ミグリッド?」
マリーは、ほとんど名前くらいしか知らない外の国。
「ええ、とにかくミグリッドよ。あそこの人たちなら必ずあなたたちの力になってくれる。あなたたちを守ってくれるはず」
無茶な願いだと、ミシェルにだってわかっていた。
マリーには、ミグリッドの場所どころか、テザリナ外の知識すらないはず。
しかしそれしかなかったのだ。
彼女の幸運に賭けるしかなかった。
マリー自身も知らない、彼女を守護しているような精霊を信じるしかなかった。
「ミシェル」
「お願いだから私の事は気にしないで。私が外に出て、数秒待ってからここを出て、後はひたすら逃げるの」
一瞬、ミシェルの杖の周囲に、稲光が走る。
それからミシェルがドアから外に出て、 言われた通り数秒してから、マリーたちが外に出てきた時、周囲には、倒れた兵士達がいるだけで、ミシェルの姿も、リリエの姿ももうなかった。
「シャノン、行こう」
「う、うん」
とにかく二人は、ミシェルが願っていたように、テザリナ外を目指して逃げだすしかなかった。
-ールセルの洞窟-ー
ミシェルたちがマリーを訪ねた頃にはルセルは寝ていたが、マリーがシャノンを連れて逃げ出した時には、彼はもう目覚めていた。
詳しい事情も状況ももちろん知らない。
しかし、ルセルにはわかった。
ミシェルが大切な義妹と親友を逃がすためにした事。
彼にはわかるようになっていたから。